7 Wonders

ファースト・ワンダー(それは出会いと言う名の……別れの始まり)



 今日も、雨が降っていた。特に雨の多い季節ではないのだが、ここ数日の天気はぐずつき模様。晴れ間がのぞくこともなく、ただひたすらに雨粒が空から舞い降りていた。
 パシャパシャ。水飛沫をあげて、誰かが走っていく。
「もお〜、あたしの傘を持っていったの、誰よぉ!」
 女の子。学生鞄を傘替わりに全力で走っていく。朝のお天気情報では夕方から雨が降るとの予報だったから傘を持ち歩かないほどのお間抜けのつもりはない。けれど、何の気なしに傘立てにおいた傘を持ち去られることは流石に予想は出来なかった。
「最悪だよぉ。――明日も雨だったらどおしよう……」
 雨の町を行き交うヒトたちを器用に避けながら、家へと走る。大体、雨の予報で自転車には乗らないし、こういう時に限ってバスは定刻通りに行ってしまって、尚且、しばらく来ないものなのだ。女の子はぶつぶつと悪態をつきながら、バス通りを駆けて行く。
「カ〜ナちゃぁ〜ん、俺の後に乗ってく〜?」
 背後からの聞いたことのある声は自転車に乗ったクラスメイト。雨の予報も何のその、全く気に留めることなく通学してきたらしい。
「――自転車の二人乗りは禁止です。それに、傘さして危ないもん」
「そお? じゃあ、また、明日。ばいば〜い」
 クラスメイトは器用に手を振って、自転車をスイスイ漕いで行ってしまった。カナも何の考えもなしに気楽に出来ればと思ったけれど、雨の日に自転車に乗ってずぶ濡れにはなりたくないし、かと言って便利さ重視で傘をさして自転車に乗りたいとも思わない。
「あーもうっ! イライラする!」
 ぷぁん。クラクションが聞こえた。
「え?」
 瞬間的に、カナは振り返る。そして、その横をバスがエンジンのうなりをあげて、通り過ぎていった。まさにやられた。カナが予想するには、定時に出発したバスがあった一方で遅れに遅れまくったバスもあったのだろうが、ついていない時はとことんまでついていない。今、行ったあれに滑り込めたら、家路を一時間は短縮できたはず。
「――ショック……。あたし、もう、立ち直れないカモ……」
 カナは足を止めて、思わず去り行くバスの後ろ姿を見送った。
 その後のカナはすっかり諦めた様子でとぼとぼと歩き出した。いつもはこの通りを自転車かバスに乗って通りすぎてしまうから、じっくりと周囲を見渡したことはなかった。だから、相変わらず雨は降っているものの、視線を町並みに向けたら、少しは気が紛れた。
 が、いつまでものんびりしていられるような余裕はない。
 このままではずぶ濡れだし、今日は宿題もたんまりある。体調を崩して風邪でもひいたら、もう、目も当てられない。しかし、これしきのことでめげるカナではない。陸上競技で鍛えた両足で風と雨を切ってどこまでも駆け抜ける。
 と、不意に目にとまった。いつもなら、全く気にもとめないその場所にその子はいた。行き交う人たちは急ぎ足、足元にうずくまるようにいたその子に気がつく人はいない。
 カナは足を止めて、まるで磁石に引き寄せられるかのようにその子に近づいた。そして、カナはその子の前にしゃがんで手を差し出した。
「……どうして、キミはこんなところにいるのかな?」
 カナは雨に濡れて、寒さに震える子犬を両手でそっと抱きかかえた。その子は潤んだ瞳をカナに向けた。どれだけの時間をここで過ごしたのかわからないくらいで、心細くて、寒すぎて、どうしようもなくなった時に初めてカナが声をかけてくれた。
「――。あ、ありがとう……」
「ひっ、い、犬が喋った!」
 驚きすぎて、カナは子犬をどこかに投げ飛ばしてしまいそうになった。
「犬じゃないもん……」ふてくされてように子犬のような生物は言った。
「いえ、でも、その、姿形は犬。犬しかないもの!」カナは決めつけた。
「それでも、犬じゃないんだもん。白オオカミなんだもん……」
「オオカミ?」
 もはや、犬のような生物が喋ることは驚きの対象から外れてしまった。むしろ、それがオオカミの子どもだと言うことに興味が向いた。本当に目の前の子犬のようなものがオオカミだとしたら、大発見だ。
「オオカミって、オオカミ? ドコのオオカミ、何のオオカミ?」
「……言ってる意味がわかんない」
「あぁ、ごめんね……」ここでカナは深呼吸をした。「えーと、どうしてキミはこんなところにいるの? 誰かに捨てられたの?」
 結局、矢継ぎ早の質問には変わりなくて、オオカミの子どもには答えようがない。飼われていたのでもないし、だから、もちろん、捨てられたのでもない。どうしてここにいるのかと問われても、フと気が付いたら、そこにいたワケで理由なんてわかるワケもない。だもので、オオカミの子はすっかり元気をなくして、地面に吸い込まれそうなほどに落ち込んでいた。これから、どうしたらいいのかも、どこに行ったらいいのかもわからない。
「そんなこと、判ってたら、こんなところでずぶ濡れになんてなってない」
 すっかりふてくされたようにオオカミの子は言った。
「……そっか、そうだよね。ところで、キミのことは何て呼んだらいいのかな?」
「ボクはトワ。……キミは……」
「あたしはカナ。よろしくね。トワ……ちゃん?」
「ちゃん付けで呼ばれるくらいなら、トワでいいよ」
「それで、その白オオカミのトワくんはこれからどうするの?」
「そんなこと、聞かれてもどうしたらいいのか、わからないし……」
 トワは俯いて、ボソボソと答えた。
「そっか、そうだよね。じゃあ、今日はあたしのうちに泊まっていきなさい」
「泊めてもらえるの?」ぱっとトワの表情が明るくなった。
「泊めてあげる。だって、キミ、可愛いんだもの」
「あ〜う〜、可愛いじゃなくて、格好いいって言ってよ」
「う〜んにゃ」カナは首を横に振った。「格好いいじゃなくて、可愛い」
「可愛くないっ! ボクはカッコいいの!」
「じゃあ、そう言うことにしておくから、大人しくしていなさいね」
 と言って、カナはトワを抱きかかえて、猛然とダッシュ。時計台の前に佇んで、トワとお話をしていたら、ずぶ濡れだ。と言ってもすでにずぶ濡れだから、今さらと言えば今さらだけど、これ以上、冷たい雨にさらされていると、本当に風邪を引いてしまいそうだ。
「カ、カナぁ、い、息が出来ない……」
 トワの悲痛な告白とともに、何かが揺られてちゃりちゃりと音が聞こえた。少なくとも、カナ自身はそんな音を出しそうなものを身につけていなかったから、とても不審に思った。が、よく考えれば、今はトワを抱えていた。
 カナは立ち止まって、トワをひょいと高々と持ち上げた。
「何だろう、このペンダント……。貸して?」
「ちょっとぉ、カナ。やめて、く、首がもげちゃう!」
「もげない、もげない」
「いやぁ、絶対もげるって。だって、鎖が首にめり込んでるよ」
「めり込んでないっ!」カナは強く否定する。
「ウソだ。ボクの首だぞ。めり込んでるって言えば、めり込んでるんだ!」
「もう、何でもいいから、そのペンダントをあたしに貸しなさい」
 カナは無理矢理にトワの首からペンダントを引きはがした。綺麗にロケットをかたどった形をしたペンダント。カナはそれをきゅっと大事そうに手に持って、表に裏にひっくり返してみたが、何の変哲もないただのペンダントのようだった。
「ふ〜ん……。フツーのペンダントなんだね。これにトワの秘密でも挟まってるんじゃないかと思ったのに……、つまんない……」
 カナは両手で鎖の部分を持って、トワの首から提げようとした。その時、ふわっとペンダントのキラキラと輝くロケットの円い窓の部分から、小さなヒトの姿をしたものが浮かび上がった。
「……。これ……は……?」カナはそれを目線まで持ち上げて、マジマジと見つめる。
 すると、両手を身体の正面で合わせ、目を閉じていたそれがすっと目を開いておもむろに喋り始めた。感心するほどに流麗に、けれど、一体どこから声が聞こえてるのだろう。
「トワを助けてくれて、ありがとう」
「……これって、ホログラム?」
「刻限はこちらの時間で三百三十六時間です。その刻限までにトワを返してください」
 ペンダントから現れた一応、女性らしき姿形をしたホログラムはそのプログラムの命じるままにカナの驚きを無視して延々と喋っている。けれど、カナには言っている意味がさっぱり判らない。要約するに、何かを見つけて、それをどうにか使って、タイムリミットまでにトワを返してくれということらしいのだが、どうにも腑に落ちない。
「セブンワンダーズ。見つけてください……」
「それは……どういうもの……?」
 唯一、はっきり聞き取れて、カナに意味が判ったのはそのワンフレーズだけだった。
「もし、返らない場合、トワは永遠にそちらの世界に……」
 その言葉を最後にホログラムは喋るのも、動くのもやめてしまった。
「……つまり、何?」カナは数分間、ホログラムを見詰めたまま考え込んだ。
 そして、そのロケットの形をしたペンダントが開くことにカナは気がついた。が、開いてみても、何があるのでもないようでそこには小さな写真入れがついているだけだった。
「カナぁ、びちゃびちゃで気持ちが悪い……」
「わたしは謎が解決できなくて気持ちが悪い……」
 カナはペンダントを閉じて、もう一度、改めてみたが、ペンダントは二度と応えてくれなかった。けれど、ここで四の五と言ったところで置かれた状況が解決するわけでもなく、ただ単に風邪をひく原因にしかなりそうにない。
「けれど、考えてても何にもならなさそうだから、帰る」
 カナはトワを抱えたまま再び走り出す。
 フツーに走っていたらとっくに自宅に対して雨に濡れることもなく滑り込んでいるはずだったのに。それどころか、家なんか遙か遠くで、トワのおもりがプラスアルファで、どんなに全力を挙げて走ろうとも、家に辿り着く頃には濡れ鼠なのは請け合いだ。
「もぉ、こんなになったのはトワのせいだからね!」
 そんなことを言われても答えようがないけれど、カナがずぶ濡れになったのが自分のせいだというのなら、それはそうなのだろう。トワは黙って、カナの腕に抱かれていた。無駄に雨に濡れないためにはカナに全力で走ってもらって、カナの家に潜り込んでしまうのが一番いいような気さえする。
 そして、到着。いくらアスリートかなといえど、流石に息が切れた。
「うぁ〜。屋根がある」
「こらっ! そんなところでぶるぶるしない。床が水浸しになるでしょ」
「え〜。だって、気持ちが悪いんだもん」トワは渋る。
「今、タオルを持ってくるから、そこで大人しく待っていなさい」
 と、言い残してカナは家の奥へと入っていった。一方、取り残されたトワはぐしょぐしょのまま待ちぼうけだ。水っけを振り払うことも出来ず、カナの後を追いかけていくことも出来ず、ぽーっとしながらカナが戻ってくるのを待つしかない。そして、カナはバスタオルを頭からかぶって、濡れた髪の湿気を吸い取りながら、現れた。
「ほら、トワもね」
 カナは手に持ったバスタオルをトワの上に落とす。それから、頭にバスタオルを乗っけたまましゃがむと、カナはトワの身体を猛烈な勢いで拭き出した。
「ちょっと。カナ、その、毛が、毛がむしれちゃう」
「ダイジョウブ、ダイジョウブ」カナはトワの言い分を全く気にとめない。
「ちっともダイジョウブじゃないよぅ!」
 そして、どうにかこうにか落ち着いた。カナは取り敢えず、トワをリビングに放ったらかしにして洗濯機に直行した。まだ、両親が仕事から帰ってくる時間ではないから、今しばらくトワを自由にしておいても大問題は起きないだろう。
 カナは濡れたセーラー服を洗濯機に放り込んだ。雨の汚れや匂いがついたらたまらないから、キレイにお洗濯をして、アイロンをかけてきっちりとしわを伸ばすのだ。
「あ〜。どうして、拾ってきちゃったかなぁ、わたし」
 時計台の近くで見つけて、拾って来てしまったのが厄介そうな事の始まりだったのか。だとしたら、全く関わりを持とうともせずに、放置しておいた方がよかったのだろうか。
「あーわたしってば、余計な色気を出しちゃって……」
 結局、あの降りしきる雨にずぶ濡れになった可哀想な姿を見て、カナはトワを放っておくことは出来なかった。トワの哀しそうな瞳がずっとカナを見詰めていた。そのまま自分が通りすぎてしまったら、きっとトワは誰の目に留まることもない。あの可哀想なトワはそのまま……。
「トワ、――トワ? もう、寝ちゃったの?」
 リビングに歩いて行けば、トワは暖炉の前で丸くなって、気持ちよさそうにウツラウツラしているところ。昼間、雨の降る屋外に長時間いて、そうとうな疲れを溜め込んでいたのだろう。
「トワ、そんなところで寝ていたら、焼き犬になっちゃうよ?」
「や、焼き犬?」トワはガバッと飛び起きた。
「びっくりした?」
「驚かさないでよ、カナ」
「ふふ、可愛いね。トワ」
 カナはトワの目の前にしゃがみ込んでその鼻先をぴんと人さし指で弾いた。
「いたっ! 何をするんだよ、カナ!」噛みつきそうな勢いで主張する。
「ねぇ、トワ。キミはいつから時計台の前にいたの?」
 その問いかけにトワは黙り込んだ。答えられない。気が付いたら、自分はあの場に放り出されていた。どうして、いつからあそこにいたのか全くわからない。
「わかんない。……。だって、気がついたらあそこにいたんだもの。時計って何さ。読み方なんか知らないもんっ!」トワは涙ながらにカナに訴える。
「……じゃあ、明るかった? 暗かった?」
「――薄暗かったような気はするけど……。よくわからない……」
 半ば拗ねたようにトワは言う。
「短くても数時間。長かったら、半日以上かぁ……」
「ボクは帰りたい。帰りたいんだよぅ!」
 瞳に涙を溜めてトワは強く言う。けれど、自分がどこから来たのか、どうやって、辿り着いてしまったのか全く何もかもわからなかった。そして、そもそも本当はトワ自身が今日の今まで本当に生きていたのかさえも自信がない。
「トワ……」
 何故、こんなにかき立てられるのだろうか。見も知らない小さなオオカミにここまでする義理なんてないはずなのに。それなのに、どうして、トワのために行動しようと思ったのか。カナはうちひしがれるトワの姿を見つめながら、しばらく考え込んだ。
(キミは……どうして、わたしのところに来ちゃったの……?」
 そろそろ、一日の仕事を終えて、両親が帰ってくる時間だった。
「流石に黙って、トワを置いておくのは無理だよね……」
 そして、両親に見つからずにトワをこの家においておくのは流石に不可能だった。当然、ばれなければいい。とも思ったけれど、トワがいることを隠し通せずにあとでえらいことになるくらいならと、自分から先に告白すると心に決めた。
「いいこと? お父さんとお母さんの前では絶対に喋っちゃダメよ」
「どーしてー?」トワはキョトとした表情でカナの顔を覗き込んだ。
「だって、人の言葉を喋れるオオカミっていないんだよ」
「いないの? だって、ボクは喋れるよぉ?」
「きっと、キミは特別なんだ」
 と言って、カナはトワを両手で抱えて、階下へと降りた。
 正直なところ、カナはどきどきである。いろいろなものをねだったことはあるけれど、生き物を飼っていいかと尋ねるのは初めての経験だ。いい返事をもらえるだろうか。それとも、父親が烈火のごとく怒りだして、以下記述不能な状況になってしまうだろうか。
「いい? トワ。さっきの約束、絶対の絶対だからね」
 カナはしっかりとトワに念を押した。
「うん、わかった。ボク、じっとして一言も喋らないよ」
 そうとなれば、両親に突撃あるのみだ。いらない考えを持ってうろちょろして、許してもらえないかもと余計な不安を抱いたりするくらいなら、いっそ玉砕した方がいい。
「ねぇ! この子、うちで飼ってもいいでしょ?」
 カナはトワを抱きかかえて、父親と母親の前で元気に大きな声で許しを得ようとした。
「あら、可愛らしい白……白……タヌキ?」
「……。少なくとも、タヌキではないと思うが、違うかな? 母さん?」
「いいえ、タヌキですよ、特に目元の辺りなんかが……」
 もはや、トワが犬でも猫でもどうでもよくなってきた。それよりも、何よりも、トワをこの家に置いてもいいのか、ダメなのかそっちの方が大事なのだ。
「もう、お母さん。タヌキでも犬でも何でもいいけど、飼ってもいいでしょ?」
「……。どうかしたら? お父さん?」
「わたしに尋ねられても困るのだが。カナはきちんとその子のお世話を出来るのかな?」
「もちろん!」
 カナは間髪を入れずに勢いよく答えた。ここで間を開けたら、カナがトワの世話を満足に出来ないかもしれないことを悟られてしまうかもしれない。と言っても、トワだったら、カナが世話を焼かなくとも勝手に何とかなってしまうような気もするけれど。
「――そこまで言うなら、いいんじゃないか、母さん?」
「そうねぇ……」
「やったぁ!」カナは嬉しくなって、トワを両手で高く持ち上げた。
「わっひゅん」一瞬、声を上げそうになったけれど、一生懸命に我慢した。
「トワ、がんばったね。じゃあ、お父さん、お母さん、わたし、部屋に行ってるね」
 カナはトワを抱いたまま、階段を駆け上がる。トワはがんばったけれど、あのままのんびりとお話しをしていたら、ボロが出てしまいそうでちょっと怖い。
「ふぅ。これでキミはここにずっといられるんだよ」
「ずっとここにいられるの? でも、カナってば、ボク、犬じゃないのに、飼ってもいいでしょ? って言った」
 トワはず〜んと落ち込んで、とっても暗い表情で主張した。
「しかも、タヌキって……。ボク、犬でもタヌキでもなくて、オオカミなんだから!」
「だって、オオカミを飼ってもいいかって聞いたら、キミは動物園に連れていかれるよ」
 カナはトワをたしなめるかのように、落ち着いた優しい口調でトワと向かった。
「動物園……って何?」
 ふてくされていたことなんか忘れて、トワは興味一杯に問う。
「トワみたいな可愛い子を檻に閉じこめて、みんなで眺め回すところだよ。そこにいたらご飯は貰えるけど、狭苦しい檻から外には出られないんだよ。トワはそんなところに入れられてずっとを過ごしたい?」
 カナはトワを脅かす楽しみをどこかで感じつつにんまりとした。
「そ、そんなのいや。そんなところに入れられるなら、ボク、カナと一緒にいる」
「ありがと」カナはトワの鼻先を指でピンとはじいた。
「痛いっ! 何、するんだよぅ。ボクにいたずらしたら、噛みつくんだぞ」
「トワは噛みつかない。だって、キミはそう言う子なんだから」
 信用されているみたいだが、トワとしてはちょっとばかり反論したかった。トワはカナが思うほどのいい子いい子のつもりはないし、イヤな事があったら本当の本気にカナに噛みついてしまうかもしれない。だから、今はただのいい子ちゃんだと思って欲しくない。
「ボク、カナが思っているほど、いい子じゃない……」
 大きな声で主張するでもなく、消えそうな小さな声で反論した。
「……? 何か、言った? トワ」
「何も言ってませ〜ん」トワはつ〜んとそっぽを向いた。
「まーそんなに拗ねないでよ、トワ。い〜もの見せてあげるから」
「いいもの? それって、食べられるの? おいしいの?」
「う〜ん、食べてもおいしくないと思います」
 と言って、カナは自分の学習机のところに歩いていった。そこにはシルバー色の四角い箱があった。カナはその前に座って、電源を入れた。すると、真っ黒い画面に緑色の文様がわき上がって、下から上に消えていく。カナ曰く、起動シークエンスなのだそうだが、当然、トワには何のことかさっぱりわからない。
「何、この四角いの?」
「コンピューターって言うんだよ」
「こんぴーた? って何?」
「何って言われても……」
 カナは好奇心に煌めく瞳を見せるトワを困惑気味に見つめ返す。トワは黒い画面上に流れる緑色の文字にご執心の様子で、カナから目を離せばずっとそれを目で追っていた。
「キレイ……。下から上に上がっていく緑色の変なのは何?」
「フツーに文字なんだけど、トワは見たことはないのかな?」
「ボクにはさっぱり判りません……」
「ふ〜ん」
 カナは特に驚いた風でもない。トワが人語を解してしまう方が驚くべきことだから、むしろ、文字を読めてしまった方が驚きと言うものだろう。
「でも、読めなくても困らないから、気にしなくてもいいよ」
 サラリと発言して、カナはコンピューターのキーボードで短い単語を打ち込んだ。
「えーと。セブンワンダーズ……を知っている方はいますか? ……と」
 質問を投げた先はカナがよく参加しているネットワークフォーラムの一つで、数多く存在するそのようなフォーラムではトップレベルの知識量を誇ると言われている。けれど、目を引く回答はすぐには得られそうにない。
 カナが類推するには"セブンワンダーズ"とはその名の示す通りに"七不思議"を言い換えただけだと思われる。けれど、その"七不思議"と言うもの自体が曖昧過ぎて、調べるべき的を絞ることが出来ない。少なくとも人語を解するオオカミが絡むのだから、学校の七不思議だとか、地域限定ではなくてどちらかと言えばワールドワイドなことだとは思っていた。
「ねぇ、カナ。何か、こんぴーたがその、文字ってのを勝手に書いてるけど……?」
 トワに言われて確認すると、フォーラムの参加者から幾つかの返答が届いていた。
「セブンワンダーズとは世界に分散して隠された七つの秘宝との説がある」
 緑色の文字を目で追って、カナは大きなため息をついた。
「……。このくらいなら、わたしだってわかる……」
 フォーラムに寄せられた意見をまとめてみて、一つだけはっきりとしたことがあった。セブンワンダーズ。他愛のない言葉の羅列に込められた"答え"に辿り着けたヒトはいない。もし、本当にそのあやふやな仮説が正しければ、最初にそこに辿り着くのはカナ自身。
「やっぱり、ダメかぁ……。……トワ、キミは本当に何も知らないの?」
「……知らない……」
 トワは口をギュッと結んで俯いた。知っていたら答えたい。けれど、ホントに何も知らないんだと言うことを体全体で表現しているかのようだった。
「知らない……か……」
 ポツンと呟いて、再び、カナはコンピューターの画面を見た。セブンワンダーズについて回答を寄せてくれた人の中から数人に詳細を尋ねる文面を送ってみることにした。フォーラムに書き込まれた回答もそれほど多くはなかったし、セブンワンダーズという言葉の定義自体があやふやであるだけに、帰ってくるだろう返答にどこまでの信憑性があるかなどあてにはならない。しかし、それでも手掛かりが皆無の状況から抜け出せたら、それだけでも十分すぎるくらいカナの置かれた状況はよくなるのに違いなかった。
「――セブンワンダーズの、え〜と、詳細を……と……」
 カナはキーボードをカタカタと叩き、入力を終えるとイスから立ち上がった。フォーラムに書いた事柄に返事を貰うまでにはまだ時間がかかる。その間をコンピューターの画面を見てポーッと過ごしても仕方がないので、動いてみようと思った。
「トワ。ちょっとだけ、キミを拾った場所に行こうよ」
「……拾ったって言った。ボク、捨てられたんじゃないのに」
 トワは拗ねて見せる。
「どっちでも一緒。トワはあの時計台の下にいたことに変わりないんだから」
「そうだけど……。そうだけど、ボクは捨てられたんじゃない。ボクは……」
 ぶつぶつと言い続けるトワをカナはひょいと抱き上げる。
「うわっ、何をするんだよぅ」
「……。何もしていません」
 有無を言わさぬ雰囲気のカナの口調がとても怖い。トワはもう、どうしようもなくなって、カナの腕の中に大人しく収まった。きっと、カナが何か不機嫌そうな雰囲気を醸したときは静かに黙って従った方が安全なような気がした。
「それで、結局、さっきまでボクがいたところに行ってみるの?」
「そう。今から、行っても何も見つからないかもしれないけど、ここでコンピューターの画面を眺めていても仕方がないし、もしかしたら、万が一つの可能性で、トワがあそこにいたワケか、手がかりが見つかるかもしれないじゃない?」
「ほぉ〜、そんなものなんでしょうかぁ」他人事のようにトワは言う。
「一応、キミのために色々とやってるんだけどなぁ」カナはトワをちらりと見やってクスリとほほえんだ。「けど、ま、いいかっ!」
 外へ出れば、さっきまでの大降りの雨はすっかり落ち着いて、小降りになっていた。

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