シックスス・ワンダー(大渓谷にかかる大鉄橋、その先に見えるものは)
いくつかの謎を経験して、はっきりしたことがあった。エバが現れる場所はだいたい、何かしらミステリアスな雰囲気を持っていること。でも、きっと、それはただの偶然なのだろう。確証は一つ。エバが現れた時には必ずトワがいる。そして、エバが現れる絶対条件として、もしかしたら、エバが秘かに人払いをしているのかもしれないが、エバが現れるためには周辺に誰もいないこと。
「あ〜う〜も〜。結局、何一つわかっていないじゃないのよぉ」
カナは頭を両手で押さえて、わめき散らした。正直、辛い。期限を切られていなければこんな追い詰められた思いをしなくてもすむのに、残り時間が一週間もない今となっては思い悩むなと言う方がどだい無理なお話なのだ。
「どーしたらいいんだろー。……はぁ……」
カナは深いため息をついた。ちらりとトワを見やると、しっぽをあっちにぱたり、こっちにぱたりとしながら、半分、おねむモードの様子だった。
「トワ、キミは本当に何も知らないのかな。何かを隠していたり、何かに気がついていたりしたのを、わたしにナイショにしているとか?」
「……。ホントにボクは知らない……」
「そっかぁ。キミが色々と知っていれば、色々と楽なのになぁって」
「でも、何も知らない。ボクが色々知ってたら、初めからあんな寒い時計台のところにひとりぼっちでいたはずがないじゃない。エバのとこになんて、帰りたくないけど、寒いとこにずっといるくらいなら、きっと、カナに会う前にあそこにいなかったよ」
それが恐らく正論なのだろう。
「あ〜。と言うことはわたしがキミを拾っちゃった時点でキミはそもそもな〜んにも知らないってことに直接繋がっちゃうんだぁ……。残念……」
と言って、カナはコンピューターの電源を入れた。ここのところ、フォーラムへの書き込みを確認するのがすっかり日課になってしまった。自分で手がかりを見つけて動くことが出来ない以上、どうしても、他人の情報に依存せざるをえない。カナとしては出来る限り避けたいとは思うものの自分に情報収集能力がないだけに解決策がない。
「フォーラム、フォーラム……と――」
昨日、最後にチェックしたときから、何か書き込みが増えていないか真剣な眼差しを向けた。役立ちそうな情報があればすぐに行動に移さなければならない。と、他愛のない文章の羅列の中から、カナはツカサの書き込みを見つけた。この間、ホーロイの遺跡で初顔合わせをして以来、フォーラムへの書き込みがずっとなかったのに。
「エバはいつ現れるのか知っているかい?」
カナはコンピューターの画面に現れた文字をたどった。
「どういう意味かな」
書いてあったことはそんなに難しいことではないけど、そこから真意を読み取れなかった。いつ現れるのか。と問われても、三度ともエバは違う時間帯に姿を現していた。時間的な統一感なんてまるでないのに、何故、"いつ"と尋ねてきたのだろう。
「わたしがわかったのは……。……。エバが姿を見せるのは……周りに誰もいないとき。それと、トワが近くにいるとき」ぶつぶつ。「ミステリアスな場所で、トワがいて、周りに誰もいなくても、わたしの家じゃないところ……」
曖昧すぎるような気もしたが、それも範囲は限定しきれないものの"いつ"と問われた"いつ"を指し示しているような気がした。
「あ〜う〜? と言うことは……」
と言うことは、ツカサはトキがいるときにだけ、エバをみていたのだろうか。そして、そのエバとは結局何者なのか。多くの点で謎は残ったままだった。
カナはのんべんだらりと、だらけきったトワの姿を見て大きなため息をついた。
「はぁ……。キミは帰りたくないのかな?」
「え〜、どこへ帰るの〜?」
間の抜けたように返事をされると、それ以上、問う気力もどこかに行ってしまう。
「けど、まあ、いいか……。自分の居場所に帰りたくないわけないもんね……」
ひとしきりトワとやりとりをすると、カナはキーボードをたたいた。
「え〜と、エバが現れるのはどこかに出かけたときで、可愛い子オオカミがいるところです……と。ふ〜」
そして、カナは一息ついた。
「それにしても、行った先から、次に何をしたらいいのか類推が出来ないし。やっぱり、一つのヒントを見つけたら次々にぃ〜なんて、ゲームみたいにはいかないか……」
カナがコンピューターの画面の前でぶつぶつ言っている一方で、トワはすっかり落ち着いてしまっているようだった。
「……。キミはいつでもお気楽でいいよね……」
悪態もつきたくなる。けれど、トワがこんなだからと言ってセブンワンダーズの謎を追いかけるのをやめるつもりはない。ここまで関わったのだから、きっちりと謎を解いてトワには自分の居場所に戻ってもらうのだ。それがトワとの別れを意味するのだとしても。
と、トワがカナに喋りかけた。
「ねぇ、カナ。今日はどこにも行かないの?」
「う〜ん。どこかに行きたいんだけど、どこに行ったらいいのかわからない……」
カナは率直に述べた。今までもフォーラムの情報を頼りに行く場所を決めていた。そもそも、トワとカナが調べられる情報なんてたかだか知れていたし、あの日、時計台の前で寒さに震えていたトワは何も持っていなかったのだから。
そして、コンピューターからぽんという可愛らしい音が響いた。
「あ。――。鉄橋を探して、ごらん? う〜ん……」
カナはコンピューターの前で腕を組んで、激しく唸った。提案の意図がわからない。今までだって、わかったことはないだから同じと言えば同じだが、それでも、以前のものは少なくともセブンワンダーズに近づけそうな何かを持っていたような気がする。
「……え〜と。鉄橋を探すと何かいいことがあるんですか。と」
カナはぱたぱたと文字を打ち込んだ。とりあえず、ツカサか誰かがそれなりの返事をくれるまでは迂闊に動かない方がいいだろう。
「今まで、行った場所を思い出して見てください……。ふ〜ん?」
カナは腕を組んで天井を見上げる。
「……ガラスのピラミッド、ユーレイの木、ホーロイの遺跡、オトイネの氷の牢獄?」
つらつらと並べ立ててみたけれど、その関連性がまるでわからない。ガラスで、老木で、石で、最後の一つは何だろうと言うくらい。それぞれはてんでばらばらの場所にあったし、同じ人、同じ団体が作ったり植えたりしたというお話も聞かない。
「思い出したのは思い出したけど、これが鉄橋と何の関わりが……?」
と、そんな言葉が口をついて出た瞬間、カナは不意に気がついた。
「あれって、全部、百年以上も昔からある場所ばかり……」
由緒正しいもの……ではないけれど、古いものばかり。ガラスのピラミッドも近代建築というのには古すぎたし、枯れ木になり淋しい姿をさらすユーレイの木も正確な樹齢はわからないものの百年以上。ホーロイの遺跡は言わずもがなで、オトイネの牢獄も歴史の教科書に載るくらいには十分に古い。
「はぁ〜ん。言ってみれば、古さで勝負ってことか……」
だとすると、カナの住むあたりで最も古い鉄橋を探すことになる。しかし、百年以上も前から存在している鉄橋なんてあったろうか。それを知るためには鉄道史がわからなければならない。そして、そんなに都合よくカナが鉄道に明るいわけもない。
「……。と言うことはまずは図書館に行けってことね」
カナは椅子からおもむろに立ち上がった。図書館に行って、古い鉄橋を見つけ出し、実際にその場所に行ってみる。カナは上着を羽織ると、トワに声をかけた。
「ほら、ぼーっとしてないで、図書館に出かけるよ〜って、オオカミは入れないんだった。と言うことなので、わたしが一人で言って調べてきます。お留守番、よろしくね」
「え? つまり、結局、何が何なの?」訳がわからず、トワはきょとん。
「とりあえず、お留守番していてね」
それとだけ言って、カナはそそくさと階下に降りた。トワとのんびりとお喋りをしていたいが、何とか今日中に鉄橋を見つけて、その場所まで行きたい。そう思えば、まだ午前中のうちに目的地を決めて、午後には出発する必要がある。
「……とりあえず、自転車でいいか」
ナエホの図書館はそんなに遠くない。カナはモーターサイクルに一瞥をくれて自転車に飛び乗った。ぶつぶつと愚にも付かないことを考えつつ、カナは自転車をこぐ。トワとカナの目的は果たされるのだろうか。果たされたとしたら、その先はどうなるのだろうか。考えてみたところで、結局は最後まで行き着いてみなければ、何もわからないのだけど。
「……よいしょ……と」
図書館に到着し、カナは自転車から降りて館内に足を運び、一直線に鉄道史の棚に向かう。だいたい、何かが間違っているような気がしないでもないが、それは仕方がない。
「え〜と、鉄道百年史……」
カナは適当に本を見繕うと、閲覧室の一角に陣取った。そして、パラパラと古そうなことが書いてあるページをめくって、鉄橋についての記述を探し始めた。正直なところ、面白くも何ともない。鉄道大好きっ子だったなら、とっても楽しかっただろうけど、残念ながら、カナはそうではなかった。
「あ〜う〜い〜。……」
ぶつぶつと言葉にもならない悪態をつきながら、カナは本のページをめくる。年代と場所を確認しては次のページへ。たまに面白い写真に出会ったりもするのだが、こんなことを延々と続けていると"それがど〜した"という気持ちにもなってしまう。
それでも、カナは眠くなるのをこらえて、ひたすらページをめくった。
そして。
「……アツサム渓谷鉄道橋……」
名前は知らない。けれど、地図を開いてみるとそこは知っている場所だった。幼い頃、一度だけ父親にモーターサイクルでこの沿線に連れて行ってもらったことがある。別に何か目的があったのでもなく、ただ、そこに行っただけなのだけれど。
「何か、懐かしいな……。それにここなら、そんなに遠くないから……」
カナは決めた。思い立ったら即実行。書架から引っ張り出してきた本を閉じて、杉に片付けると駐輪場に猛ダッシュ。アツサム鉄橋が近場だったとはいえ、もうすぐお昼。今日中に色々と事を進めるなら、あまり時間があるとは言えない。
カナは図書館から飛び出すと自転車に飛び乗った。急ぐ。立ちこぎで、あらん限りの力を両足に込めて、自転車をかっ飛ばす。どんなに遅刻しそうな通学の時もこんなスピードは出したことがないと言うくらいに。
「ト〜ワ〜。大人しく、待っていなさいよぉ〜」
そして、図書館・自宅間の最短移動時間の記録を更新して、カナはきっちりとガレージに自転車を止める。急いでいてもこれだけはやっておかないと、明日の通学に困る。カナはガレージからリビングを駆け抜けて、自室に突っ込んだ。
「トワ、出かけるよ!」
声をかけた先のトワはカナの勉強机用の椅子の上で丸くなっていた。
「え〜。お昼ご飯も、……って言うか、朝ご飯も食べてないけど……」
トワはおなかをぎゅるる〜と鳴らして、しょんぼりとした様子で発言した。
「そんなのは後でゆっくり食べさせてあげるから、今は、ほら、出かけるのが先。のんびりご飯なんて食べていたら、時間がなくなっちゃう」
「あ〜。ボクのご飯は一体どこに……」
「どこにも行ってないから。早くしなさい」
「は〜いぃ」
トワはすっかり諦めて、スタスタと先を歩いていくカナの後ろにくっついてい行った。これからどうなるのやら、どうするつもりでいるのかもわからず不安はいっぱいだけれど、トワはカナのことを信じていた。
エバは嫌い。だけれど、トワ自身がここは自分の本来の居場所でないことをよくわかっていた。今ではなくても、いつかは帰らなくてはならない。その帰り道をカナは探してくれている。そして、見つかったら……?
「カナぁ。どこに出かけるの?」
「ナイショです」ちょっとつっけんどんになりつつ、トワの方を見ないで言う。
「そんなこと言わないで、教えてくれてもいいじゃない?」
「言っちゃったらつまらないでしょ?」
「え〜っ。別につまらなくてもいいんだけど。どこに行くかわからないよりも!」
「じゃあ……、ミステリーツアーだ! とりあえず、行ってみよう」
無茶苦茶なことを言っていると思ったけれど、トワは黙っていた。何か苦情を述べようものなら、どんなことになるものやら想像もつかない。朝ご飯、昼ご飯抜きになって、その上に何かがあったら、もう、色々と無理だ。
「問題はどーやって、モーターサイクルをかり出すか……よね?」
カナは全く懲りていなかった。それもそのはずで、モーターサイクルがなければ、どこかに出かける足がない。最悪の場合は自転車で行くしかないけれど、それではあまり遠くに出かけられないから、意味がない。
「……モーターサイクルに乗って行ったら、カナのお父さん、物凄く怒ると思うけど」
そんなのはわかりきっている。でも、折角手にした情報は自分の目で確認したい。行ってみて、それがたいした情報でなかったのなら、その時はその時だ。
「う〜ん。今度はちゃんと門限までには帰ってくるし、お父さん、お母さんが家に帰ってくる前にきっちりかっちり、ばれないように……」
「でも、鍵はとられちゃったんでしょう?」
「それはどうでしょう?」
カナはにこっとしてやにわに壁際に歩いていくと、工具箱の引き出しを開け、何か金属製のものを取り出した。きらりと煌めいたそれはどうも鍵のようだった。
「じゃ〜ん。モーターサイクルには合い鍵ってものがあるのよ」
「何それ。おいしいの?」キョトンとしてトワは問う。
「……。おいしくないと思うけど。とりあえず、モーターサイクルは動かせます」
「はぁ〜」トワは感心したような間の抜けた返事をした。
「いや、こんなおバカなやりとりをやってる場合じゃないんだから。トワ、ほら、ガレージに急いで。すぱっと行って、すぱっと帰ってくるんだから」
カナは先頭に立って行動を開始した。トワの意見をいちいち聞いていてはいつ出発できるか、全くわかったものではない。
「ぅあ、待ってよぉ〜」
トワはカナを追いかけて、ともに車上の人となった。
今度の出動は今までの中でもっとも大成功だ。ガレージのシャッターを開き忘れることもなく、どっかんとぶっ飛んでいくこともなく、衝撃的なほどにスムーズだった。けれど、カナの心中は穏やかならざるものがあった。行った先で何もわからなかったらどうしよう。きっと、今まで行った先の"何か"の謎が解けなければ、もう間に合わない。
「……。もし、何もわからなかったら、どうなるんだろう……?」
小さな呟きはトワに届くことはなく、風に乗って消え去った。
そして、モーターサイクルは物憂げでどこかに緊張感をはらんだ二人を乗せて、アツサムの鉄道橋に進路をとる。会話なんてあるはずもなく、ただひたすらにモーターサイクルは前進する。トワにとって見たことのない景色が現れては消えて、後ろに流れ去っていく。時々、変わったものがフッと現れてカナに尋ねようとは思うものの、まじめな顔をして前だけをじっと見ているカナに問いは投げかけられなかった。
「トワ……」カナは言う。
「え? 何?」トワの顔がぱぁっと明るくなった。
「今日、行きたいところはそんなに遠くないからちょっと我慢しててね」
「ちょっとってどんだけですかぁ?」
これまでの例からいってカナのちょっとはあてにならない。
「そぉねぇ……。ホットケーキが焼けるくらいの時間」
「……ホットケーキ?」よくない予感がトワの頭の中をよぎった。
ホットケーキと言えば、この間、丸焦げの何だかよくわからない物体を食べさせられたことしか思い出せない。言ってみれば、あまりにろくでもない。
「……真っ黒いの?」
「……それって、どういう意味ですかぁ」
これでモーターサイクルに乗っていなければ、頭をぐりぐりしてやるところだ。
「あの、そのぉ、別に何がどうというわけでもないんだけど……」
「なら、よし!」
そして、結局、トワはどれだけの時間がかかるのかも、どこへ行くのかもわからないミステリーツアーを続行させられる羽目になった。トワはすっかり諦めてフルフェイスヘルメットの中に落ち着いて、モーターサイクルを運転するカナを下から見上げていた。
正直言って、つまらない。
行く場所によって違うとは言っても流れる風景はもう、飽きてしまったし。飽たからと言って他に何かが出来るかと言えば、モーターサイクルのサイドカーに乗っている限りは大人しく、ヘルメットに埋もれて座っているしかない。だからと言って、モーターサイクルから飛び降りることも出来ず、ものの見事に逃げ道がない。
「……。ねぇ……」トワは恐る恐る声を上げた。
「……」カナは無言。
エンジンの爆音で、トワの細い声は聞こえにくい。そして、聞こえてはいたけれど、カナはあえて答えなかった。そんなにかからずに目的の場所に着く。それまでの間にカナ自身の中でまとめておきたいこともあった。
「……。わかったよ……。大人しく座っていればいいんでしょ」
ふてくされた。
「そーよ。サイドカーで大人しくしていなさい。もー少しだから、我慢なさい」
「うー。もー十分すぎるくらい我慢したような気もするけどぉ、どこだかにつくまで、静かぁ〜にヘルメットに埋まっていればいいんでしょぉ〜〜」
トワは全然静かにしていないとは思ったけれど、カナは敢えて声には出さなかった。アツサムの鉄道橋はもうすぐだ。ごちゃごちゃとお説教をしている間についてしまう。そんなのは時間の無駄だ。それに、カナは色々と考えてしまって道中、トワと会話するのがちょっとつらい。お別れが近い。そんな予感を感じて、カナは切なさを抱いていた。
そして。
カナはモーターサイクルを操って、太い通りから脇道に入っていった。道幅も狭くなって運転しにくいが、鉄橋に近づくためにはやむを得ない。舗装されていた脇道もやがて、砂利が敷き詰められて悪路になり、モーターサイクルを走らせるのにも一苦労だ。
「トワ……、ここだよ」
カナはモーターサイクルを停めた。
「うわっ! 凄い。鉄の棒がずっとどこまでも続いているよ」
「これは鉄橋って言うんだよ」
「鉄橋……」トワはどこかうっとりした様子で呟いた。
「この上を鉄道列車が走っていくんだよ」
「ふ〜ん……?」わかったようなわからないような返事をする。
実際、トワは鉄道というものを知らないのだから、半信半疑になるのもしようがない。と、鉄橋の向こう側から轟音を立てて何かが近づいてきた。それはトワたちの乗ってきたモーターサイクルのエンジンの音よりも大きくて、それこそ耳をつんざく大音響だった。
「カナっ! カナっ、何? 何が近づいてきているの?」
トワはすっかり怖がって、ヘルメットに逃げ込んで丸くなった。ふさふさのしっぽだけが開口部から可愛らしく飛び出していた。
「トワ、すぐにわかるから、ヘルメットから頭を出して?」
「いやぁ! 怖い! 怖いの嫌い」
カナはほとほと困り果てた。けれど、トワの意向は完全に無視して、カナはトワがかぶったフルフェイスのヘルメットを引っぺがした。
「ほら、そんなに珍しいものでもないし、別にトワをとって食べちゃおうって言うんじゃないんだから、ほら、見てごらんよ。……。え〜と、カッコいいよ?」
「カッコいい?」トワはピクリと耳を動かした。
辺りに響く怖い轟音よりも、格好のいいものがあるというのなら、それは見てみたい。怖さと好奇心。トワの心の中で究極の駆け引きが続く。怖いものは大嫌い。でも、それが格好いいというのなら、見てみたい。
「う〜ん。……。――」もじもじ。「――えぃ!」
トワは思い切って、鉄橋の方に振り向く。すると、絶妙なタイミングでカナたちの前を電気機関車が横切り、うしろから続く十両あまりの客車が走り抜けていくところだった。
「うわぁ……」トワは感嘆の声を漏らす。
「どう? 音は怖いかもしれないけれど、一度は見てみる価値はあったでしょ?」
「あんなに大きなものがどうやって走っていくの?」トワは瞳をキラキラ。
「え〜、え〜とね。ほらっ! 電気ってものをね、モーターって機械に流すとね……」
そこまで言って、カナはトワの表情に気がついた。まるでわからないという顔をしている。そもそも、カナだってよくわかっていないのだから、上手に説明のしようがない。
「あぁ。もう、いいです。とにかく走るの。走るのったら、走るの!」
「そこまで言うなら、もお、何でもいいです」トワも諦めた。
「ただ、ここに来たら何がわかるのかがまだわからないんだけど……」
「わかることがわからないの?」
「何というか、ややこしいんだけど」
と言いながら、カナはモーターサイクルから降りた。そして、サイドカーのトワを抱っこして、河原へと足を向けた。結局、古い鉄橋が何を意味しているのか掴めない。
川面にゆらゆらと揺れる自分とトワの顔をカナは覗き込んだ。
「……エバ……」
トワは期せずに呟いた。見えた。見えてしまった。川面に映ったゆらゆらと揺れるカナの姿がエバに。幻なのだろうか。トワは隠しようのない戸惑いを胸に隣にしゃがむカナの顔を見つめた。当然、それは見まごうことなくカナ。それなのに、それなのに、水面に映った姿はどう見てもエバだった。
「エバ……。カナ、エバがボクを見てる!」トワは震える声で言った。
「え? ど、どこにエバがいるの?」
「そこ! 川に映ってるの!」
しかし、カナにはエバは全く見えなかった。どこにいるのか以前にその存在も、エバがいそうな微かな空気すら感じ取ることは出来なかった。
「……いない……、と言うか、トワの気のせいじゃない?」
「気のせいじゃない! 本当にいるんだ! 川のその、水の上に。カナ、信じて!」
どんなことを言われても、カナに見えるのは水面に映った自分の姿だけだった。
『無駄ですよ。トワ。彼女にわたしは見えていません。決して見ることは出来ません。そして……。トワ、もうすぐ、帰ってこられます。彼女は正しい道を歩いています……。セブンワンダーズの謎の鍵がもうすぐ開きます……』
エバの声がトワの頭にいんいんと響き渡る。
「ねぇ、カナ! 本当に見えないの? 聞こえないの?」
トワがいくら悲痛に叫んでも、カナにはさっぱりわからなかった。トワが泣きそうな雰囲気を醸してそう言うのだから、本当にそこにいて、本当に何かを喋っているのだろう。けれど、カナはそのことについて、答えることは出来なかった。
「エバが……カナは正しい道を歩いているって、もうすぐ、ボクは帰れるって」
「そうなんだ……」
「うん……」ちょっぴりしょんぼりした様子でトワは答えた。「でも、カナともう会えなくなっちゃうのかな。折角、仲良くなれたのに、帰ったら、もうカナと会えないのかな」
「さあ、どうなんだろうね」
カナはさらっとドライに言ってのける。
「そんな、淋しいことを言わないでよ」
「最後まで行き着いてみないと判らないよ。でも、きっと、あの人はトワのこと待っている。だから、やっぱり、キミは……」
カナは静かに自分自身に言い聞かせるかのように言った。
「あのヒトはボクのことを待ってなんかいやしないんだ! あのヒトは、あのヒトはボクのことなんか嫌いなくせに他人の前じゃ、いいヒトの振りをしてるんだ!」
トワは珍しく感情を激しく露わにしていた。
「あのヒトは……あのヒトはボクじゃなくて、……。トキを待ってるんだっ!」
「トキ……」カナは言葉を言葉をなくした。
ツカサの腕に抱かれた小生意気な白い猫。あの白い猫は一体、何を望んでいるのだろうか。ツカサは本当にセブンワンダーズの謎を知りたいだけだろうから、トキが色んな鍵を握っているのだろう。
「ねぇ、トワ……」
カナはいつか機会があれば、訊いてみようと思っていたことを言葉にしてみようと思った。多分、尋ねない方がいいのだろうとは思う。けれど、問わずにはいられない。
「エバって、キミにとって、何なの?」少し口調がきつくなった。
「……。知らない……」トワはうつむいた。
「そんなはずない。キミはそのペンダントをエバから貰ったんでしょう?」
「知らない! カナが何て言っても、知らないものは知らないんだよぅ!」
とうとうトワも大きな声をあげて泣き出してしまった。
「あ〜もう。わかったから、泣かないで」
「泣いてないもん。泣いてなんかないんだから」
トワ自身の言葉とは裏腹にどう見ても、カナにはトワは泣いているようにしか見えないし、確認するまでもなく本当にトワは泣いていた。
「……。うちに帰るよ」
カナは河原にうずくまったトワをひょいと抱き上げて、モーターサイクルに足を向ける。サイドカーにトワを乗せ、フルフェイスヘルメットをかぶせて、自分もモーターサイクルにまたがってヘルメットを装着した。
何故か、気が重い。
アツサムの鉄道橋から、ナエホの家に帰るまでの帰途、カナとトワは言葉を交わすことはなかった。カナは口を開けばきつい言葉しか出てこない気がして押し黙り、トワはそんなカナの堅い雰囲気を察知して口を開こうとはしなかった。
そして、帰り着く。
カナは慎重にモーターサイクルをガレージの停めて、出発したときと完璧に同じなるように、カバーの皺にまで気を遣った。けれど、そこまでがんばったところで、どうせ後々、ばれてしまうんだと思ったら、何となくむなしい。
「でも、まあ、今日、明日、一週間くらい、ばれなければいいから……」
カナはそっと自分に言い聞かせるかのように呟く。
「ねぇ、カナ、何か言った?」
「いいえ。なぁ〜んにも言っておりません」カナは手を後ろで組んで、澄まして言う。
「ウソ。お父さんとお母さんばれないように一生懸命なくせに」
トワにそんなことを言われては向かっ腹が立つと言うものだ。
「そんなことを言うのはこの口か!」
「い〜や〜。怖い〜。近づかないでぇ〜」
「何を言うか!」
こんな日がいつまでも続けばいいと思う。でも、きっと、お別れはもうすぐだ。
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