7 Wonders

セブンス・ワンダー(お別れは新しい出会いの始まり)




「トキの大事なペンダント。本当に渡してしまってよかったのか?」
 ツカサはトキの後ろ姿に話しかけた。
「仕方がありませんわ。あの方が待っているのはわたくしではなく、あのオオカミ崩れの子犬ちゃんなのですから」トキはつんとすまして、それでも淋しそうに言った。
「素直じゃないのな、おまえは」
「わ、わたくしは素直ですわよ」
「そう言うことにしておいてやるよ。それじゃ、ま、俺たちは一旦、帰るか」
「そうですわね」
 トキはつんとした様子で、スタスタと歩いていく。それはまるで、ツカサに何かを悟らせまいとしているようにも見えた。
「ほら、こっちに来いよ」ツカサはトキの後ろ姿に優しく声をかけた。
 すると、トキはツカサに背を向けたまま立ち止まった。
「あなたがこっちにきなさい」
「相変わらずだな。おまえは。……はいはい。お嬢様の仰せのままに」
 ツカサは涼やかな表情をして立ち止まったトキをそっと抱き上げた。そして、ツカサは何も聞かずトキを伴って、自身のコンピューターに向かった。
「ところで、トキ?」
「言わなくてもわかってますわ。行くべきところは全て行ったようですわね」
「そう。だから、最後のヒントを渡そうかと思っているんだけど。どうだ?」
 ツカサはトキの真っ白い頭の後ろを見て尋ねた。
「いいですわよ」トキはやはり、ツンとすましたまま答えた。
「それはよかった。じゃあ、早速。トキ、お前は机の上に……」
 トキはするりと優雅に机上に降り立った。そして、ツカサはコンピューターのキーボードをカタカタと打ち鳴らした。
「最初にもどれ……」
 そんな書き込みをフォーラムに見つけたのはトワとカナと二人で鉄橋を見に行った数日後のことだった。書き込みはそのたったの一言。フォーラムに必須のはずのニックネームすらもなく、どこの誰が書き込みを行ったのか一切わからない。それなのに、その一言は他のどんな書き込みよりも異彩を放っていた。
「……。最初……。最初って、どこかしら……?」
「最初……? 最初って、おいしいの?」
「……。キミの手にかかると何でもおいしくなっちゃうのね?」
「おいしくないの? それ?」
「いや、そもそも食べ物じゃないし。ただ……、最初。最初……か。キミとわたしが初めてあった時、所って考えていいのかなぁ……」
 カナは黒字に緑色の文字が並ぶコンピューターの画面を見つめて、ぶつぶつ。
 たった一言のメッセージでは何が何だか想像もつかない。
「……時計台……のこと、で、いいのかなぁ」
「何、それ?」トワはひどくキョトンとした様子で言う。
「ううん。何でもない」カナは静かに首を横に振った。「でも、ひょっとしたら、あの時計台に何かがあるのかしら……?」
 不意にカナはトワを拾った時計台のことを思い出した。
「トワ! 今すぐに時計台に行ってみよう。今なら、何かわかるような気がする」
「でも、今って、夜……。ボク、眠いし……」
「ぐちゃぐちゃ言わない。思い立ったら、即行動」
 カナは色々と文句を言うトワの首筋を掴んで玄関に向かった。今は父親も母親も家にいる。流石にモーターサイクルを引っ張り出してエンジンをかけようものなら、おしかりを受けるどころの騒ぎではすまないのに違いない。だから、カナの通学手段である自転車で時計台までの道のりを進もうと思う。
 外に出ると、カナは玄関脇に止めておいた自転車のカゴにぽいとトワを投げ入れるとチェーンキーを外して自転車に乗り込んだ。そして、無言。口を開いてみたところで、たいした会話も出来そうにない。けれど、それはちょっぴりトワにはつらいようだった。
「……カナ、無言はやめて……、ね、ね?」
 トワはカゴから身を乗り出して、下からカナを見上げる。
「危ないから、カゴの中で大人しくしていてね」
 そして、トワとカナは二人が初めて出会った時計台の前にいた。人っ子一人いない夜の時計台。カナは何かが起きて欲しいという期待を込めてしばしその場にとどまった。
 が、特に何かが起こる様子も全くなく、秋口の寒さが身にしみるだけだった。
「何も起きないね、トワ」
「うん……。何も起きないね……」
 淡い期待を抱いてきただけに何かが起きようとする気配すらないことはカナ立ちに大きな落胆をもたらした。あの雨の日にトワとカナが初めて会った時計台。その時はトワとカナと時計台とたったそれだけの出会いだった。
「……ひょっとして、トキも一緒じゃないとダメなんじゃないかしら」
 フとカナは思った。エバが現れても何も起きない。好き放題喋っていなくなるのは"現れる""何かを喋る"以上の条件がそろっていないからではないかとカナは思った。
「トワ、一度、家に帰ろう」
 カナはトワの返事を聞く前に自転車をこぎ出した。
 ツカサとトキを時計台の前に連れてくる。それしか現状を打破する手立てはないように思った。ただ、ツカサとトキがどこに住んでいるかさえ、カナにはわからない。オトイネのような遠くにいるようだったら呼ぶことすらままならなさそうだ。
「ねぇ、カナ……」
「なあに?」
「……ボクはどうしても帰らなきゃダメなのかな……?」素朴な問いかけだった。
 それなのにカナは咄嗟には答えられなかった。カナにとって、家とは帰るべき場所だけれど、もしかしたら、トワにはそう言う場所ではなかったのだろうか。
「でもぉ……、誰かがキミの帰りを待っているんだよね?」
「別に……待っているヒトなんか誰もいない……」
 淋しそうにトワは言う。でも、それはトワ自身が気づいていないだけだとカナは思った。そうでなければ、トワは自ら帰る場所を捨てようとしていることになってしまう。
「そんな淋しいことを言わないでよ。ホントに誰も待っていないんだとしても、キミの帰る場所はエバの近くなんだよ。きっと……ね」
「でも、ボクはエバのそばには行きたくない……」
 どうして、トワはここまで頑なになるのだろうか。カナにもトワはエバが嫌いと言うことくらいはよくわかる。でも、トワの帰る行き先がエバで全てと言うこともあり得まい。ならば、きっと、トワの居場所はどこかにあるはずなのに。
 そんなどこか釈然としない思いを胸にしまい、カナは自転車をこぐ。
「トワ、着いたよ」
 カナは自転車をガレージのモーターサイクルの横に止め、かごにいるトワを抱き上げて自室に直行した。フォーラムに書き込んで、ツカサにメッセージを送る。カナはトワを机の上におろすと、コンピューターの電源を入れた。
「こんぴーた?」
「そう、こんぴーた。――ツカサさんへ、ナエホの町の時計台に来ていただけませんか? ……と。え〜と、時間はやっぱり、学校が終わった後だからぁ……夕方よね」
 カナはキーボードをカタカタと打ち鳴らして、フォーラムに書き込んだ。
「すぐに気がついてくれるかな」
「けど、もお、夜中だよぉ。きっと、気がついてくれないと思うけど」
「そうかもしれないけど、そこは黙ってて欲しかったなぁ。トワぁ?」
 優しげな言葉とは裏腹にトワはカナからとても不穏な負のオーラを感じ取った。
「でも、だって、ボクは本当のことを言っただけなんだから」
 だけど、その本当のことがカナの心の奥底を焦燥感で塗り染めていく。時間がない。トワとカナが一緒に過ごせる時間、エバが決めた約束の時間までほとんどないのだ。そして、セブンワンダーズの謎が解けないままに約束の時間が来てしまったら、トワは一体どうなってしまうのだろう。
「そうだったね。トワ……」
 明けて翌日。カナはコンピューターを立ち上げると真っ先にフォーラムを確認した。そこにツカサからの返事があるかどうかで今日一日のカナのテンションが左右されそうだ。緊張の一瞬。カナはフォーラムのページを進めた。
「……。今日、キミの学校が終わったら、ナエホの時計台で会おう。やったぁ! トワ。ツカサさん、フォーラムを見ててくれたよ。早速、今日、会えるって」
 カナは喜びを満面の笑みに現わして、トワをひょいと抱き上げた。
「うわ! 急に何するんだよう」
「ううん。何にも。ただ、夕方が楽しみだねって」
 ただ、それはカナ自身の本心だったのだろうか。夕方になって、ツカサとトキが時計台の前にきてくれて、そして、本当にカナの思った通りだったのなら、トワとは永遠のお別れになってしまうかもしれない。それはカナの望んでいたことだったろうか。
「……ねぇ、カナ。ど、したの? こんぴーたの画面見たまま、黙っちゃって……?」
「ううん。どうもしないよ」
 カナは首を横に振った。別れだなんて思ったら、急に目頭が熱くなって、胸が苦しくなった。別れ。トワがいなくなる。セブンワンダーズを追いかけ始めた日から、こんな日が来ることはわかりきっていたはずなのに。
「ねぇ〜、カナ、もしかして、泣いてるの?」
「泣・い・て・ま・せ・ん!」
 カナはそう言って、トワに顔を見せることなく、階下へと駆け下りていった。
「変なカナ」
 トワはカナの背中を見送るとそのまま机の上で丸くなった。そして、そのままトワは起き抜けだというのにウトウトと居眠りを始めた。よく考えてみれば、こっちに来てからはずっとどたばたの連続でのんびりと落ち着いている時間もなかった。その小さな身体にはトワさえ気がつかないうちにたくさんの疲れがため込まれたのだろう。
 そして、夕方。
 カナはトワと初めて会った時計台の前で自転車を停めた。あの時は雨が降っていた。もし、あの日、雨が降っていなかったら、きっと、カナはいつものように自転車に乗って登校し、トワと出会うことはなかっただろう。
 偶然の出会い。もし、カナとトワが出会っていなかったら、トワは一体、どんな人に拾われたのだろうか、それとも、そのまま時計台の下で……。
「あ〜。何を考えてるんだろう、わたし。トワを連れにさっさと帰らないと、約束の時間に遅れちゃう」
 独り言を呟いて、カナは再び、自転車をこぎ出した。きっと、今日はありとあらゆる謎が解ける。そして、そのことはカナにとって悲しいお別れを運んできてしまうだろう。
「……。トワが帰れればそれでいいよね……」
 カナは自転車をさらに加速させて、帰宅を急いだ。
「ほら〜、トワぁ〜、行くよ!」
「……? 行くよってどこへ?」キョトンとした表情を浮かべてトワは言う。
「朝、言ったでしょ? もう、忘れちゃったの?」
「え〜? 何か、言ってたっけぇ? ボク、朝は眠かったからよく覚えてない……」
「あらら。でも、まあ、いいや。今から、時計台に行くよ。ホラ、ぐずぐずしてたら、暗くなっちゃうでしょ。それに、もう、ツカサさんたち、時計台に来てるかもしれないし」
 だから、どうしたの? と言いたいところをトワはぐっとこらえた。トワは本能的に察知した。ツカサとトキのいる時計台にカナと二人で行くと、そこで何かが終わってしまうような空気を。
「そんな、仏頂面はしないものなのよ。顔に変な癖がついちゃうよ」
「ふあ? そ、そんなのはイヤ」トワは首を激しく左右に振った。
「じゃ、行こうよ」さらにカナは畳みかけた。
「……む〜」ぷ〜っとふくれて、仕方なさそうにトワはカナの後ろにくっついていった。
 ちらっと頭をよぎった別れの予感。ついでに自転車のかごの中の居心地に悪さにトワは時計台まで出かけるのにいささか消極的だった。だけど、カナが行くと言ったら、やはり、トワも行く。階下に降りて、ガレージに入って、カバーの掛けられたモーターサイクルの隣に停められた自転車にカナは乗り、トワはかごに収まった。
「じゃあ、行くよ」
 そして、カナは自転車をこぎ出した。流石にモーターサイクルのような疾走感はない。けれど、夕方の夜のとばりが降りそうな時間帯の風はとても冷たかった。
 トキとツカサは時計台の玄関脇にたたずんでいた。
「よお、待ってたよ」
「待たせすぎですわ。人を呼ぶのなら、あなたたちが先に来て待っているべきではないのでしょうか?」トキは再開するなり、超絶に高飛車な態度だった。「ま、こんなことはあなたたちに言っても全く無意味なのでしょうけどね?」
 さしものカナもつんと澄ました顔をしてそんなことを言われ様ものなら腹が立つ。が、無駄にけんかをしても仕方がないので、ここはぐっとこらえた。
「そこまで、こき下ろさなくてもいいじゃない……」
「これでも手加減してますのよ?」
「ま、それはとりあえず、よけておこうか。それで、カナさんはどうして俺たちを時計台の前まで呼び出したのかな」
「最初の場所ってここですよね」カナはズバッと言った。「でも、トワだけがいてもダメだったから。もしかしたら、トワとトキとが同時にこの場所にいないとダメなのかと思って。……それとも、帰れるのはトワかトキのどちらかで、最初から決まっていたとか何とか言う気じゃないでしょうね?」
 カナは言いたいことを一気にまくし立てた。
「そこまでは言っていないようだぜ。我らがエバさんは」今頃、そんなことを尋ねてくるなんて、どういうことだと言いたいのをかなり抑えているような口調だ。「ただ……」
「ただ?」カナは促す。
「ただ、おまえはあれを見てどう思う?」
「あれって、何よ?」カナは不機嫌さを全面に押し出して、ツカサに問う。
「ガラスで出来たペンダントのことだよ」
 トワに初めて会ったその日に、首から無理矢理もぎ取ったペンダントからエバのメッセージが流れたのだった。と言うことは白い猫・トキと一緒にいるツカサもそれを見た可能性はとても高い。
「見たんだろ。何日以内だかに、その犬を返してくれとか何とか言われてさ。で、おまえはそれを真に受けて、色々と探してやってるんだろ? その犬のために」
「……犬って言った。ボク、犬じゃないのに」
「まぁ、何でもいいさ。――おまえはセブンワンダーズを何だと思った?」
 ツカサはカナに対して質問を投げかけた。
「どうして、そんなことを聞くんですか?」
「それはおまえがおまえなりの答えを見つけていないからと思ったからさ。……セブンワンダーズ、七つの謎を追いかけて、おまえは何を見つけた?」
「わ、わたしは……」カナは言いよどんだ。
「まさか、あれだけ、エバに振り回されておいて、何もわからなかったというつもりじゃないだろうね? だったとしたら、おまえは今日の今日まで何をしてきたんだ?」
 そんな追求を受けるとは流石にカナも思わなかった。瞬間、ポヤンとして言葉をなくした。ツカサの指摘通りで、一言だって言い返すことはできなかった。けれど、そこで黙り込むようなカナではない。何もしてないなら、今から考えるればいいだけだ。
「な、考えていないわけがないでしょう?」
「口で何と言ってみても、この慌てぶりは絶対に何も考えていませんでいたわよ」
「そ、そんなことはあ・り・ま・せ・ん!」
「では、あなたの考えたことをすぐさま言ってご覧なさい?」
「すぐさまと言われてもちょっと……」カナは言いよどんだ。
「ホラ、ご覧なさい。あなたは折角の幾つものヒントを全て無駄にしてきたのですわ。どうして、トワはこんな目端の利かない娘に拾われてしまったのかしら?」
 とにかくひどい言われようだ。ボロクソに言われては怒りもこみ上げてこようものだが、トキの言うことも完全に外れというわけでもなく、言い返したくとも言い返す言葉をやはり、見つけ出すことが出来なかった。
「セブンワンダーズって結局、何だったのかしら……?」
 カナは諦めて一つ一つの言葉を確かめるかのようにトキに問いを投げかけた。
「この期に及んでまだわからないのかしら?」
 トキは相変わらずつんつんした様子で話していた。
「謎が解けもしないのに、一体どうして、わたしとトワはセブンワンダーズなんてものを追いかけてきたの? それはまるで……」震える声色でカナは言う。「無意味……」
「無意味ではありませんわ。あなたが今まで何も気づかなかったのだとしても、あなたはセブンワンダーズの謎かけをそこにいるそこにいるちっぽけな子犬ちゃんと追いかけてきたのですわ。あなたはそこで何かを得たはず……。何もなかったなんて言わせません」
 でも、本当に何もなかった。
 そして、カナが押し黙っていると業を煮やしたかのようにトキが口を開いた。
「わたくしとツカサがともにあることを考えてみるのですわ」
 そう、何故、ツカサとトキは一緒にいるのだろうか。セブンワンダーズの謎が解けたのだとしたら、どうして、トキはいつまでもツカサといることが出来るのだろうか。そもそも、セブンワンダーズとはなんなのだろう。
 カナは考えをまとめきれずにツカサの顔を見つめて、押し黙った。
「お前がセブンワンダーズを何ととらえたのか……。それが一番大切なのさ」
「……。わたしにはわからない……。ツカサさんはどんな答えを見つけたんですか?」
「さぁてね。それはカナの考えることだろう?」
「やっぱり、この娘はおばかちゃんなのですわ。一生に一度もない、考え得る限り、千載一遇のこの機会を逃そうとしているなんて」
 トキは一段と語気を強めてカナに迫った。しかし、カナにはわからない。この時計台のもと、あの雨降りの日にトワと出会えたことは千載一遇の稀にみることだったかもしれない。そして、セブンワンダーズの謎を追い、トワをトワのいた場所に帰らせようとすることとの間にどんな"千載一遇のこの機会"があるのだろうか。
「でも、その、一生に一度あるかないかの……」
 と、訳もわからずカナが不機嫌に言いかけたときだった。
 ぴぃんと身の凍るような金属的な音が周囲に響いた。そして、同時にカナは心臓をぎゅうと締め付けられるかのような焦燥感を感じた。けど、何を意味しているのかもわからずに、カナはとっさにトワを抱き上げた。
「わっ。ひゅん」びっくりした声をトワは上げる。
「トワは渡さない」
 何故か、カナは瞬間的に虚空に向かって話していた。何を予感したのか、カナ自身にもよくわからない。ただ、口をつぐんでいたら、有無を言わさずにトワがカナの手からこぼれ落ちてしまうような気さえした。
「タイムリミットですわ。――。エバさまがトワを取り返しに来たのですわ」
 いつも澄ましたトキの声も少しだけ緊張を孕んでいた。
 そして。ぽうっと。全ての物理法則を無視するかのようにエバは現れた。
「放して。放さないと、カナも一緒に巻き添えだよ」
「放せない。だって、キミはあたしの……あたしの大事なお友達なんだものっ!」
 そのカナの言葉のせいで、トワはぐっと込み上げてきた。トモダチ。カナに会ったのはたったの二週間前。それなのに、ずっと昔からの知り合いのようでいて、どこか旧友のような程よい懐かしさも感じていた。
「カナっ! やっぱり、ボク、帰りたくないよ! カナと一緒にいるんだ!」
 涙が零れ落ちる。
 でも、きっと、絶対に帰らなければならない。ここにはいられない。何故か判らないし、確証があるワケでもない。ただ、ずっとここにいると言うことが叶うことのない夢物語だとトワは心の奥底で感じ取っていたのかもしれない。
「それはなりません」
 静かな、けれど、凛としたエバの声が響いた。
「いやだ! ボクはカナと一緒がいいっ!」
「しかし、その娘はトワとともにいることは望んでいないのでしょう」
「カナ! 違うって言ってよ。カナはボクと一緒にいてくれるんだよね?」
「そうでしょうか?」エバは言う。「トワとともにいたかったのなら、セブンワンダーズになど手を出さなければよかったのです。謎を解くことはすなわち、あなたをわたしのもとに帰すこと。……その娘は自分のところに転がり込んだあなたを特に何とも思わずにや厄介払いしたいと心のどこかで思っていたのでしょう」
 本気でぐうの音も出ない。いや、反論はできるかもしれない。でも、感情にまかせて言葉をぶつけてもエバには全く届かないのに違いない。でも、論理的に否定もしきれない。そんな鬱積したどこにもやり場のない感情がカナの中で渦巻いた。
「厄介払いなんて、そんなのかけらも思ってない!」
 だって、知らなかったのだから。そのまま謎を追わずに放置しておくことこそがトワを自分のもとから遠ざける要因だと思っていた。だからこそ、カナはセブンワンダーズを追えと言われた、たったそれだけのヒントから、コンピューターのフォーラムを使って情報を集めて、ここまで辿り着いた。それをとやかく言われる筋合いも、否定される言われもない。カナはただ、トワをもといた場所に帰したかっただけなのだ。
「ならば、証明してご覧なさい」
「……う、く……」
 トワと一緒にいたいという気持ちをどう証明したらいいのだろうか。カナはトワと一緒にいたい。そのことはすぐに言葉に出来る。でも、そんな救った手からこぼれ落ちてしまうような淡い感情をどう示せばエバに伝えたらいいのだろう。
「……。では、問い直しましょう。セブンワンダーズはあなたにとって何でしたか?」
「――セブンワンダーズはトワとの大切な二週間……。だから! トワを連れて行かないでください! わたしと一緒にいさせてください!」
「……何故?」
 単純明快にして、無邪気に深く、最も答えにくい問い。その問いにカナ自身の答えを言えるだろうか。トワとの大切な二週間。どうして、トワを連れて帰ってしまわれたらいけないのか、明確な答えを導き出せそうにない。カナは期せずに涙ぐんだ。このままではトワをとられしまう。それだけは絶対にイヤなのだ。
 そして、単純で深い問いにはやはり、明快により簡潔な回答が必要だ。
「だって、トワはわたしの宝物なんだもの!」
「それが何故、わたしがトワを連れ帰ってはいけない理由になるのでしょうか。……。そもそも、トワはあなたのものではありません。わたしのものですよ……」
「そ、それは……」カナは言いよどんだ。
「ああ、もう、あの娘たちはもどかしすぎるのですわ」
「ダメだよ。トキ」ツカサは今にも吹っ飛んでいきそうなトキを制止した。「あれはエバとトワとカナの問題で、俺たちの問題じゃないんだから」
「わ、わかってますわ」
 それでも黙っているのは歯がゆくてたまらない。
 たった一言、言えればいいのだ。セブンワンダーズの謎を追って、行動をともにしたなら、きっと言えるはずなのに。それは一言だけど、たった一つの言葉を探し当てる言葉遊びではない。だから、トワとカナならたどり着ける。
 そう信じているからこそ、トキにはより一層もどかしく感じられるのだろう。
「どうして、ワタクシがツカサと一緒にいられるのかを考えてご覧なさい!」
 トキは我慢しきれずにとうとう声を上げた。それは些細なことかもしれないが、絶対的なタブーなのだ。許されざる行為なのだ。
「……あなたは黙っておいでなさい。ツカサのもとに残ったあなたに口を挟む権利などありません。それ以上、何かを言うつもりならば……」
「いいえ。もう、何もいいません……」
 トキはうつむいて、消え入りそうな小さな声で答えた。エバに正面切って反論するのはそのままここから去らなければならないことを意味する。大好きなツカサと別れて、トキは一人であの殺伐さと荒涼な空気でいっぱいのあの場所に行かなければならない。
「ツカサ。ワタシはあのいけ好かないおちびちゃんにあんな淋しい思いをして欲しくないだけなのですわ……」
 そう言ったトキの声はやはり、ツカサに届くのが精一杯だった。
「いつも、つんけんしてるのに、今日は随分とお優しい……」
「そのような発言は失礼極まりないですわ。いくら、ツカサでもこれ以上の侮辱は許しませんわよ?」トキはツカサの顔をじぃっと見つめてキンキンと高い声で言う。
「それでこそ、トキだな。それに大丈夫。あいつらは自分の中に答えを持ってる。それに気がついて、言葉にしたらいいだけだ。――ほら、もう、行こう」
 ツカサはトキを促して、この場を離れようとした。
「最後まで見ていかないのですか?」
 ちらっとトワとカナとエバとのやりとりを見て、トキは言った。
「わたしはトワが大好き! だから、絶対に離さない! セブンワンダーズを探そうと思ったのだって、あんたが言ったことと全然違う! トワのことを考えたら、やらなきゃならないことは全部やらなきゃって思ったから……!」
「ボクもカナが大好きなんだ。だから、お前のところになんか、戻らない!」

 

 

 

 

 そして、今、わたしたちはここにいる。

2nd