fairyfiery

<8> 緊急出動要請、現場へ急行せよ


 

「本部より、応援指示。都心部にて火災発生。消防車二台の出動を要請する」
 ウ〜。サイレンが庁舎に響く。
「出動命令。火災現場はサンセット大通り西十丁目、市立ベイグリフト病院」
 司令室から隊員に指令が行き渡る。交代勤務とは言え、ちょうどお昼時。全部隊が出動となれば、隊員の半分は昼飯を投げ出してのことになる。庁舎は次の声を待ち、静まり返る。
「全部隊出動する!」
 その音声に隊員たちが一斉に動き出す。きびきび、素早く、無駄は一つもない。それぞれの役割を遂行するために、速やかに担当部署に移動していく。
 その中、レイトグリフは消防服を着込み、壁に掛けられたヘルメットをもぎ取って被る。
「本局からの応援要請だ。既にサンセット局が現場に到着、消火活動を開始した。他、本局、サンライズ、当局だ。四局協同、消防車九台、救急車両四台が現場に向かう。状況は車内無線で追って指示する。出動!」
 レイトグリフはセントラシティ出立の消防一号車に乗り込んだ。
「相変わらず、楽しそうだな、レイ」
「楽しくない! ……少なくとも今回に限ってはな」重苦しい表情を運転席のリーブスに向ける。
「市立病院……お袋さんか……」
 サイレンのスイッチを入れ、アクセルを踏み込む。歩道の縁石をゆっくりと乗り越え、左折する。
「ああ……」レイトグリフはシートにもたれ掛かった。
 消防車のサイレンがけたたましくベイグリフトシティの街並みにこだまする。どうやら、警察も動いているらしく、パトカーのサイレンも入り交じる。静かな街は一気に騒音の中に叩き込まれた。とは言っても、日に二、三度はあることだから、珍しくはない。
「緊急車両が通ります。そこの車、左によけなさい」
 前の黒いスポーツカーのドライバーが無理だよと言いたげに窓から顔を出して手を振った。
「くそ! 渋滞か。リーブス、次の信号を左だ! 迂回する」
 レイトグリフは次の次当たりの信号交差点を見極めて、判断を下した。時刻はちょうど昼休み。朝夕の通勤ラッシュほどではないけれど、大通りの交通量は多少多い。
「了解! レイ!」
「セントラ局から本局。当局は交通渋滞のため迂回ルートをとる」
「本局、了解しました。出来る限り急いでください」
 レイトグリフの乗る赤い消防車は車の隊列が動き出した瞬間、タイヤを軋ませながら左折した。
「次の交差点、右折!」
 頭に叩き込まれた地図を繰って道順を決める。セントラシティ消防局の正面の通りを西に数キロ進んだところに市立病院はあったから、少し遠回りになってしまう。ちょうど、裏道。時間をとるか距離をとるかの選択だ。
「こーさ点、侵入しないように。消防車両が右折します」
 一台、二台。赤い特殊車両がサイレンにドップラー効果を残して去っていく。それらの目指す先には黒煙が上がっている。激しく? いや、レイトグリフたちのいる方角からは少なくともそうは見えない。大げさに消防車や救急車が大量に行かねばならない状況には感じられなかった。
「出火場所は病院一階調理場と思われます」
「あれか……、フン!」無線を聞きつつ、視線はずっと立ち上る煙。
「らしくないな。いつになく苛立ってるゼ?」
「余計なお世話だ。落ち着いていられるわけがないだろう」キッとリーブスを睨んだ。
「まあ……な」リーブスはレイトグリフの瞳を見ない。ただ、ハンドルを握って前を見据えていた。
「ザー……。本局より、セントラ局」
「あい。こちらセントラ局一号車」無意識に、無線レシーバーを手に取ってレイトグリフは言う。
「西十丁目通り、市立病院側に停車、指示します」
「了解。二号車、聞いたな?」
「――二号車、了解……」無線が切れた。
「ど、した? 浮かない顔が更に……沈んできたな」ちらっと横目でレイトグリフの表情を読む。
「何となく、先の展開が読めてきたんでナ。頭痛がしてきたところだよ」
 セントラ局の消防車が現場に到着するころには、他三局の消防車が病院の前に所狭しと陣取っていた。周辺道路には既に交通規制がしかれ、一般車両は近寄れないようになっている。
 立ち上る煙、実体なき炎。それらは消防局が通報を受け取ってから確実に成長していた。猛火となった火はスプリンクラーなどの自動消火設備なども焼き尽くして院内を焼駆け巡ろうとする。
「……どんな感じだ?」
 消防車のコクピットから飛び降りて、開口一番にリーブスは言った。
「嫌な感じだ。……ついでに言えば火種はあそこを飛んでるぜ」レイトグリフはそれを指差した。
「ファイリーフェアリーか。またえらくファンタスティックなのが出張ってきたもんだが、商売柄素直には喜べないな。フリージングの奴が来たら喜ぶが……ね?」
「来ないさ。あれは熱いところが嫌いだ。それにどうせならアクアの方がいいだろ?」
「だな」リーブスは頷く。
「だったら、心当たりがあるな。やつは気まぐれだから、来るかどうか判らんが」
「って妖精? 今どき? どこに? 他にもまだいるのか?」
「今どきでも何時でもいるものはいるんだからしようがないだろ? こればかりは」
「ああ、まあ、そうだが。ファンタスティックなのはちょっとナ……」
「リーブスも知ってるはずだけどね。うちによく出入りしてるから」
「誰?」そんなのいたか? と続けたげにリーブスは問う。
「ま、でも、ベルのやつも気が付かないくらいだからな。お前なら尚更かもな?」
「どうせ、鈍いよ。オレは」瞬間、ふてくされる。
「気にするな。オレも当の本人が言わなければ判らなかったさ。絶対にナ」
「作戦司令本部からセントラ局、応答せよ」
「こちら、セントラ局」
「本部から指令。セントラ局に要救助者の救出を指示します」
「リョウカイ! それで逃げ遅れは?」
「新館最上階東区。ナースステーションを中央に挟んだ東側です。病院側の確認によると……入院患者と見舞客、看護婦、その他、合わせて八名。これに関しては名簿、見取り図を回します」
「了解、判った。名簿と見取り図が手に入り次第、実行する。通信終了!」
「レイトグリフ、どうやら、お前に行けと言うことらしいな?」
「お前もだよ。本局にロクなレスキューがいないからこんなことになるんだ。それにこっちに回されたときから、そんなもんだと思っていたサ! ここが一番近いんだ」
「どこに?」思わず口走った。
「要救助者のいる区画……。四階東区」
 レイトグリフはリーブスの顔が青ざめていくのを目の当たりにしていた。リーブスもレイトグリフの家族に関して多少は知っている。逆にここまで来るとレイトグリフの方が冷静になれるのかもしれなかった。それから、息を大きく吸うと続けた。
「……シスケット・ガンフォードと見舞客……だろう? 多分」自分でも怖いと思うくらい冷静だ。
「クールだな」
「……」
 レイトグリフが何かを言いかけたとき、クリップボードを持った消防士が駆け寄ってきた。
「頼んだぜ、レイト、リーブ。思ったより火の回りが早い。それと名簿と見取り図だ」
 消防士はクリップボードをそのままリーブスにひょいっと渡した。リーブスはペラッと紙を繰って名簿を読みだした。そして、スッと顔を上げレイトグリフを見据えた。
「名簿によればオフクロさん、ベルさまとミーナ・ガンフォードとか言う女の子。その他五名だ。心当たりは?」
「――心当たり? ありすぎるくらいあるさ。やり切れないね、全く」
「ベルさまとオフクロさんじゃあなくて、ミーナという女の子だぞ? レイに妹、二人いたか?」
「いないよ。そっちのミーナっていうのはウィルの連れてきた妖精だ……」
「また、妖精か。随分、妖精が繁盛してるようだな」
「いつでも、ウィルと一緒だと思っていたんだがな。そうでもないのか?」
 レイトグリフはリーブスの茶化しなど聞かず、ボソリと呟いた。
「オレは知らんぞ」
「独り言だ。気にするな」
 レイトグリフはアクリル樹脂のマスクを深くかぶり、十キロあまりの空気呼吸器のボンベを負う。消防服を念入りにチェックした後、瞳がギンと険しく煌めく。その隣では幾許かの懸念を抱きながら、レイトグリフと同じように準備を進めていた。
「市立病院西側、現在、風下にお住まいの方は延焼の危険度が非常に高いため、早急に避難を開始してください。南一条、北一条付近にお勤め、お住まいの方はサンセット大通り公園東部へ退去願います。移動に自動車等は……」騒音に掻き消される。
「退去勧告か、やばいな」
「今、気にすることじゃないゼ、レイ」
「そうだな。じゃあ、遠慮なく行かせてもらうゼ!」
 侵入を指示された入口へと早速、二人は走りだした。情報、指示ともに揃ったからには、無駄話をしているいとまはない。手遅れにならないうちに全てにケリをつけねばならないからだ。
「ここら辺に火の気はないようだな」
「だが、煙はきている」レイトグリフは扉の上の隙間を指差した。「開けるぞ」
 リーブスはレイトグリフの瞳を見詰め、無言で頷いた。
 ちょうど、そこは緊急用の出入口。同じ区画と言っても火元からは遠い。調理場と緊急出入口とは新館東区内で対角線上の位置なのだ。却って、火の回りは二階、三階と階段が煙突の役割を果たす上の階の方が早くなる。
「――険ですから、近付かないでください! コラッ、人の話は聞きなさい」
 まさに、二人が病院に侵入しようとしたときだった。切迫した緊張感を破る怒声が響いた。
「聞いてる暇なんかないんだよ! どけ」
 大男だった。制止する消防局員を押し退ける。ついでによく見ると小さな妖精が男の右肩の上の辺りを飛んでいた。それは興味津々に男の行動を眺めずっとくっついている。
「……」一瞬、考える。それから、「レイトグリフ!」
「……? 呼んだか、リーブス?」
「いいや、後ろから聞こえたような気がしたゾ、オレは」
「オレもそんな気がした」
 防護マスクをサッと上げて、後ろを振り向く。
「どうかしたか、レイ」リーブスは振り返らずに建物の内部に探りを入れていた。「静かだぞ?」
「ああ? いや、何、見てはいけないものが目の前に見えるだけだ……」
「何だ? それは?」訝しげな顔をして振り返った。そして、しばらくの間。「ウィリ、アム?」
「久し振りだな、リーブスも」
「隊長、この方が制止を聞かずに……」
 レイトグリフは左手を押しだして消防士を制した。
「こんなところまでわざわざ何をしに来た。そもそもお見舞いじゃあなかったのか?」
「兄貴の消防車が見えたからこっちに来たんだ。向こうの堅物じゃあ話すだけ無駄だ」
 ウィリアムはレイトグリフの問いには答えずに、自分の言いたいことだけを言ってのけた。
「お言葉だが、オレに話しても無駄だと思うぞ。部外者は引っ込んでろ!」
「そうはいかない。オレも中に入れてくれ。兄貴なら何とか出来るだろう?」
「いいんじゃない? わたしがいるヨ?」
「〜〜」聞き覚えのある声にぐうの音も出なくなる。「何だ、お前も一緒にいたのか」
「なぁにその目。まるでお邪魔虫が来たって言いたそうだネ」くるくるっと閃く視線。
「言いたそうじゃなくて、言いたいんだよ! だが、まあ、フィントも一緒なら……」
 思案する。本当なら考えるまでもないことだった。火事場となったからには“関係者以外立ち入り禁止”と突っぱねてしまえばそれまでなのに。瞳を閉じて。腕を組んで。余計なことに首を突っ込むなと言えば……。けれど、口をついた言葉は違っていた。
「――おい、誰かこいつに消防服を貸してやれ。その格好のままでは火事場に入れん」
「し、しかし、隊長! それは服務規定違反では……」
「……局長が真っ赤になってお説教を始めるぞ」レイトグリフの耳元でリーブスが囁いた。
「う……、か、構わん。責任はオレがとる」
「ですが」ウィリアムに張り倒されそうになった消防士が渋っている。
「――ぐずるな!」激しい怒声と刺す視線が若い消防士に降り注ぐ。「予備のやつを持ってこい」
「モロ、とばっちりだな。あいつ」同情の視線でリーブスは後ろ姿を見送った。
「何か言ったか! リーブス」
「い? いや、何も」不機嫌の矛先が自分に向きそうになったのを感じて、否定する 。
「親父の二の舞いだけはごめんなんだ」小さく呟いた。
「!」リーブスはレイトグリフのひそやかな本音を聞いたような気がした。ウィリアムに向かっては冷たく閉ざされたように見えるレイトグリフの葛藤し揺らぐ心のうちを垣間見たような……。
 そこへ、例の消防士が消防車から予備の消防服を持って戻ってきた。不満たらたらそうで、仏頂面。これ以上、何かをさせようものなら帰ってしまいそうな勢いだ。レイトグリフは“一式”を受け取ると、嫌がるウィリアムに有無を言わさず着せにかかった。
「重い……」
「――軽くはないさ。けど、オレたちが相手にしてきたものに比べたら――軽いだろ?」
 誰に向けるのでもなく、ポツリと言った。
「後は好きにしな。行く先は同じだろうが、これ以上お前に構ってる暇はない。行くぞ、リーブス」
「ホイ、来た。――すまないね、ウィリアム」一瞥をくれる。
 リーブスとレイトグリフは慣れない消防服を着せられたウィリアムを置き去りにして病棟に分け入る。天井付近がススで黒っぽくなっている以外は何ら異変がないようにも感じられる奇異な空間。あまりに何もなさすぎると却って不安感が煽られてくる。
「ね、ね〜ね〜」パタパタパタと羽音が聞こえた。
「フィント」背を見せたままレイトグリフは言った。「ウィリアムのお守り、頼むな。あいつ、突っ走ったら止まらないんだ。いつだって、止めるだけ無駄だったさ」
「だから……止めなかったの……? 判った、まかせて」
 フィントはくるりと身を翻すとレイトグリフたちと逆方向に進んだウィリアムの後を追いかけた。