<12> フリージングフェアリーの本領
リーブスはレイトグリフと別れた後、そのまま階段を上って四階東区の一番東端にいた。ほぼ同時刻には、レイトグリフとウィリアムのペアはちょうど新館の対角線上に当たる西区の西端で、ほつれた話の糸を更に絡ませているころだった。
「……ベルさまたちはどうやら、新館西区から本館に渡ったか?」
「第一班! 第二班は救助者四名を確保した。他は?」
突如、リーブスの胸の無線機から声が響いた。
「こちら、リーブス。レイトグリフが、西区渡り廊下に向かった。オレは今からそちらへ向かう。第二班は先に戻れ。あっと、それから、四階の渡り廊下に梯子車を回せ。恐らく必要になる」
「……? 判った。気を付けろ」無線の声は微かな違和感を感じたようだった。
二人一組で行動するのが基本なのに、別行動をとっているからだ。
「ちょぉっと、やばかったか?」舌打ちしながら独り言。「ついでに無線、入らないって言ってたよな、あいつ……。もお、知らないぞ――?」
リーブスは困惑した笑顔を浮かべていた。
*
「それはそっちの都合でしょ。冗談じゃないヨ!」
「じゃあ、こうしよう。お前はあの火事の日死んだんだ。……お前が今、見ているのは生きている幻な〜んてのはどうだい? 面白いだろ」
「面白くない……」
「そうか? オレは結構面白いと思うんだけどナ」
「やっぱ、何か、変!」
この時点でベルクールの頭から火事がどうのこうのなんて思考は吹っ飛んでいた。目先での出来事の方がインパクトが強すぎて、他に脳みその余力が回らない。
「変なのは純白の辛気臭いここさ!」左手を腰に当て、右手で床を指し示した。
「オレは不自然なのがダイキライなんだ」不気味に煌めく瞳。「全部、灰に還ればいい」
ベルクールの背中にゾクリとした悪寒が走った。コイツは本気なんだ。嬉々とした表情の裏に時折見せる研ぎ澄んだ冷たい視線が実感させる。
「特に……」ブレーズは一呼吸おいて、ミーナを睨め付けた。「ミーナなんてイラナイ」
「……!!」ミーナは今にも泣き出しそうな表情で立ち尽くした。
「ちょっと、あんた! ミーナちゃんを虐めないでくれる?」
「おろ?」当惑した顔が見える。「オレがいつ、ミーナを虐めたのさ。妖精の姿にもなれない妖精なんてくず以下だぜ。多少の魔力があったって、そんなのに存在価値なんてない」
悪辣な笑みを浮かべ、ブレーズは言う。
「昔のお前を思い浮かべると……哀れだネ。あれほど精悍だったキミはドコ行ったんだろうね?」
「……あんたとミーナちゃんて、どういう関係なの?」
「聞きたいかい?」ベルクールは頷いた。「でも、オシエナイ! 知る必要なんてないサ」
「あ〜ら、随分と意地悪さんなのね、ブレーズ」
「そう! 意地悪なのさ。どうしても知りたきゃフィントにでもききな……。って、エ?」
ブレーズは素早い動作で振り返った。そして、よっぽど驚いたのかそのまま動きが止まって、キョトンとした顔をして突如現れた招かざる訪問者をボケッと見詰めていた。
「あ〜ら、そんなことじゃあ、女の子にもてないわヨ?」
「げ、珈琲狂いのフィント」ハッと、我に返っての第一声。
「何、その、珈琲狂いってのはぁ〜」
「事実を客観的に述べただけだ。間違ってはないゼ」
「……ベルみたいなこと言うのね」呆れ顔になった。
「ベルってダレだ?」
「少なくともあなたじゃあないんじゃない?」
「お前でもないナ。じゃあ、誰だよ!」一人でかんしゃくを起こす。
「後ろからあんたを睨んでる娘……」
「おっ! こいつか? さっきっから、反抗的で困ってるんだ」
「そんなことまで面倒見切れない……。と、言うか、あんた、自分のしてること考えて言ってる?」
「考えるって何をだ?」腕を組んで首を傾げた。
「あ〜もう、いいわ」フィントは手をひらひらさせて呆れ返った。「用事が済んだら帰ったら?」
「……」ブレーズは何だか釈然としない様子でフィントをしばらく見澄ましていた。
そう、確かにこんなところでふらふらしている場合ではない。余計なことに油を売っていたら、今度は自分がも一緒に燃えてしまうかもしれない。
「ま、せーぜー、無駄な努力でもしてるんだね」
「ううん」フィントは首を横に振った。「レイとウィルが来る」
「だったら――」邪悪を湛える深い闇に瞳が沈む。「もっと派手にするだけだ。帰れないように」
「それも無理でしょ?」冷めた視線でクールに決める。
「……だから、お前、嫌いなんだよ。どうせ、そおさ、大きすぎるのは手に負えないさ! だからって、そんな……。く〜っ! もういい! 帰る! お前に負けたわけじゃないからな」
「――素直じゃないナ。ホントは助かったと思ってるんじゃない?」
「ち、ちがわい!」顔一杯に焦りを浮かべた。
「そお? ホントにそうだとしたら、ここにいるはずないもん。まだ、未練があるんでしょ」
「だ、誰がこんなクソガキに」
「ホラ、やっぱり。この頑固者……」ため息をつきながら、でも、同情の色は隠せない。
と、その場に複数の足音と声が届いた。聞きなれた声。
「オフクロ〜、ベル〜、ミ〜ナ〜」これはウィリアム。
「他にどなたかいらっしゃいませんか〜!」足りないところを補うようにレイトグリフの声がする。
まだ、火事場のど真ん中。しかも、妖精二人が謎の掛け合いをやってるというのに、とても暖かい安心感が芽生えてきた。ベルクールにはレイ兄が来たと言うだけで、ホッとしたのは確かなこと。けれども、その深みのある温もりのある声は看護婦さんにも安堵を与えたらしい。
「ホラ、お迎えが来たようヨ。ウィル……。レイも一緒ね」
「!」レイトグリフとウィリアムの姿が見えた瞬間、ブレーズの目付きが変わった。
邪悪ではない。嬉々ともしていない。純粋な憎悪の念が暴発する。
「……! こいつらの親父がオレからミーナを奪った! コイツはミーナの姿をしててもオレのミーナじゃない! “声”も“経験”も“姿”も奪った。それをオレに許せというのか!」
「それが……『停車場』を燃やした訳?」ベルクールの頼りなげな視線がブレーズに辿り着いた。
「ああ! そうサ。それ以外、オレに何が出来る!」
「可哀想だネ、ブレーズ……。ホントは判ってるんでしょ? 知ってるんでしょ?」
「知ってちゃ悪いのかヨ」泣き声になった。「お前らなんかにオレの気持ち、判ってたまるか」
「……もう、行きなヨ。ここにいたら、辛くなるだけだよ」
フィントは哀れみの視線をブレーズに向けた。
「うわぁぁ〜〜ん。ちくしょう、ミーナは何だってこんな奴らに――」
「それ以上は言ったらダメだよ」
「判ってるヨ! 判ってるから……泣くしかないんだよぉ〜」
さっきまでの威勢の良さはどこに消えたのか、号泣するブレーズを見ているとこちらまで哀愁に包まれる。過去に何があったのか。二年の間に少しは理解したつもりだったミーナの存在が不意に遠くに見えだす。そんなウィリアムを知ってか知らずかのあどけないミーナの微笑みが痛い。
「そ、そいつの言った意味はどういうことなんだ?」フィントに聞いた。
すると、鋭い視線と静かな口調にすごみを含ませた返事が返ってきた。
「――ウィル兄は知らなくていい。知っちゃいけない。でも、ブレーズには会えた。ウィル兄のためにヒントはあげたのヨ。わたしたちの出せるかぎりの」瞳がウィリアムを捉える。
「結局、何か? 後は自分で追い掛けろと……」
「わたしはミーナの意志を尊重する。自分で探したほうが面白いよ?」
「あら。フィントがそう言うの! いっつも、『レイトグリフの事なら何でもいいから』〜って聞くくせに。ウィル兄にはまた随分と冷たいこと!」
ベルクールに痛いところを突かれ、背中にギクリと感じると、フィントは一気に話を変えた。
「さぁて、帰りましょ! レイが来たからもう大丈夫だよネ?」
「そうでもないぞ。この床はお前じゃないとなんともできん。放水が来ないからな」
今度はレイトグリフに揚げ足を取られた。じ〜っと床を見てみれば、数分前、ここに来たときよりも更に激しく泡立って、より強烈なプラスティックの燃える悪臭を放っていた。
「あ、あら?」左手を口に押し当てて、ホホホと笑う。「で、水なしでわたしにどうしろと……」
「心配は要らない。……お湯蒔いてる壊れたスプリンクラーがあったから、そこに」
「随分、都合よく、変な具合に水があるのね……」
「別にそっちの消火栓の水でもいい。元は同じだ」無駄話をしてる場合ではないのについ減らず口。
「レイ兄! フィント? つまらない言い争いは後にして!」
何が何だからもうよく判らないけれど、ここでレイトグリフと妖精・フィントに長々とお喋りされたら困ることは考える前から判っていた。
「ハイ!」ベルクールの苦情に二人で同時に条件反射のように返事をした。
「ミーナ、ちょっとだけ、力借りるね。そしたらこんなの板チョコよ」
「板チョコ……ネ」ポツンと零した。それをフィントがあげつらう。
「何か不満でもあるワケ? だったら何て言う? 乾いてカチカチのパン?」
「何でもいいよ」
呆れたのか投げやりな口調。それから、レイトグリフは腰の辺りに下ろした手でそっと本人には気付かれないように憤慨するベルクールを指していた。フィントは合図を見ていたけれど、全く気が付いたそぶりを見せずに喋り続ける。
「なぁ〜んか、やる気がそがれるのよねぇ〜」流し目でレイトグリフを眺め、明るい笑顔が周囲を魅了する。「でも、いいや。十五年ぶりの水の魔法、とくとご覧あれ! あ、氷の魔法もネ」 |