どたばた大冒険

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05. hello again(ハローアゲイン)

 そして、まるでいつものようにルーンとラールは高みの見物を決め込んでいた。悠久の時の流れに影響を与えそうな事象が起きそうなところにはいつも目を向けていなければならないものだ。そうしていなければ、歴史は脆くも崩れ去ってしまう。
「……ほら、決定的な瞬間が来たよ、ルーン。見なくていいのかい?」
 ラールは相変わらずの人を食ったような態度でルーンを見上げた。
「――バカバカしい。結果の判ってる出来事をのんびり観察してみたところで面白くも何ともないの。もっとも、面白くなるようじゃ困るんだけど」
 ルーンはさして興味もなさそうにラールを突き刺すように冷たく言い放った。
「ま、それは姉さんの言う通りだとは思うけど?」ラールはニヤリとした。「イレギュラーは絶えず付きまとうと言うのも知ってるよね。それはこの時代、この時間の渾沌さかげんがそのまま証明していると思うんだけど、違うかな?」
「相変わらず、嫌みたらしいこと。確かにイレギュラーはいつでも起こり得る。けれど、今回は起きない。それはラールも知ってるでしょ。複数の事象が絡まって起きるいつものパターンとは違うの。一対一だし。それに、彼は自分の使命と言うものを知っているから」
「そう、だからこそ、見物だと思うんだけどな、ボクは」
「捻くれてること。ま、わたしは一足先に行ってるから。ちゃんと連れて帰ってくること。いい? 余計な手助けは一切なし、見てるだけよ」
 ルーンは一瞥をくれてラールに釘を刺すと、さっと姿を消した。

 そして、セレスはついに見つけた。雨に濡れた街並みを静かにかけていく彼の後ろ姿を。
 この時をどれだけ待ちわびたことだろう。
 今、自分の目の前を真っ白い毛並みがステキでふわふわの彼が走っている。折からの雨で幾分、ボリュームダウンしているが目の前をゆくフェンリルが彼なのは間違いない。遠い記憶の向こう側にしか存在しない彼だけど、セレスの脳裏には今ハッキリと彼の凛々しいステキな顔が思い出されていた。
 あいつをもう一度、見ることが出来る。
 まだ、近くにカイトがいることも忘れてセレスはまるで夢遊病者のようにおぼつかない足取りで彼に歩み寄ろうとした。そして、今更なのに踏ん切りがつかない自分がいた。一言、呼べばいいのだ。なのに、その一言が言い出せない。今、言わなければ、彼は行ってしまう。そして、きっと、二度とは出会えない。
 焦燥とも苛立ちとも思える感情がセレスを支配した。
「お姉ちゃん……。あの、真っ白いオオカミに会いに来たんだったよね。だったら、このまま行かせちゃっていいの? 今度は一体、いつ会えるかなんて判らないんでしょう?」
 カイトの声が降りしきる雨の音を突き破ってセレスに届いた。
 そして、その一言が躊躇っていたセレスの背中を一押しした。
「待って! リボンちゃんっ!」
 けれど、彼は止まりもしなければ、振り返りもしなかった。ありったけの大声を出したのだから、雨音に負けるはずはない。無視されたのだろうか、それとも本当に聞こえなかったのだろうか。
「シリアくんっ! お願い、あたしを無視しないでっ!」
 セレスの呼び声に真っ白いフェンリルは歩みを止め、振り返った。そして……。
「……お前は――誰だ……?」
「……え……」
 返ってきたのは欠けらも予想していなかった冷たい言葉。あまりのことに白いフェンリルの尻尾を掴もうとしていたセレスの手がは行き場を失い宙を漂っていた。
「あ、あたしだよ。 セレスだよ?」
「セレスなどという知り合いはオレにはいないが……?」
「そんな……」セレスは戦いて後に大きくよろけてしまった。「……だって、そんなはずないっ! キミはリボンちゃんだ。だって……だって、その声も、真っ白くてステキな毛並みも、不遜な態度も、あたしの知ってるリボンちゃんそのものなんだもの!」
「だが、オレはお前のことなど、これっぽっちも知らん」
「う……」返す言葉もない。
「ま。死にたくなければ、さっさとお家に帰りな、小猫ちゃん」
「いやだっ! いやだ、いやだっ! あたしは帰らないっ!」
「お前、……一体、いくつなんだ……? ただ、年を取ったってだけじゃないだろうに」
 リボンは駄々っ子をなだめるような甘い落ち着いた口調で言った。
「それは……でもっ!」
「――でも……、何だ?」
 冷たい。遥か北リテールの噂に聞くブリザードよりも冷たそうだ。凍てついた視線にセレス自身も凍りついたように動けなかった。確かに彼には高慢ちきなところもあった。けれど、こんなに冷たい奴ではなかったはずなのに。
 セレスは胸の奥底から淋しさと哀しみの入り交じった感情が込み上げるのを感じた。
「やっと、会えたのに。どうしてっ!」
「知らないな……。それにオレがお前と会うのは初めてだ」
「……。ウソつき。そんなはずないもの! だって、キミはあたしのことを判っていたじゃないか。キミの仕草を見ていたらそれくらい、判るんだからね」
「お前がオレに何を見たのかは判らない。だが、仮にオレがお前の言う“リボンちゃん”だったというのなら、何か証拠でも見せてもらおうかな?」
 きつい眼差しがセレスの胸の奥底を突き刺した。
「……そんなの……ない。でも、キミは――」セレスは口をつぐんだ。
 目の前にいる彼が彼だという保証はどこにもなかった。彼の言う通りなのだ。真っ白い毛並みがステキなフェンリルなんて別に彼だけに限らない。たくさんいる訳でもないだろうけど、彼の父・サスケのことも考えると世に数頭はいるだろう。
「でも、オレはお前の言うリボンではない。……少なくとも、“今”は、な……」
「え……?」
 最後のワンフレーズは小声でセレスにはよく聞き取れなかった。けれど、何か重要で、何かの核心に迫るような言葉に聞こえた。
「お前に構っている時間はない。諦めるんだな。それに……。この街に長居はすべきではない。今すぐここから立ち去れ。そして、自分のいるべき場所に行け」
 冷たい。どうしてこんなに冷たくあしらわれなければならないのだろう。
「だって、きっとキミはここで死んじゃうんだよっ! あたしともう会えないっ!」
「……そうかもしれないな」彼は淋しそうな瞳をしていた。「――だが、それがそうだとして、なんだと言うつもりだ? オレはお前を知らないし、それ故に、お前はオレを知らないはずだ。……違うか?」
 禅問答のようで訳が判らない。
「何が言いたいの……。あたしにも判るように説明してよ」
「……。オレとお前は見も知らぬ他人と言うことさ」
 それは一瞬にして凍りついてしまいそうなほどに冷たく素っ気なかった。二人が赤の他人などとはあろうはずもない。あれだけ一緒にリテールを駆け巡ったと言うのに。
 ひゅんっ! 不快で不安を煽るような空を切り裂く音が聞こえた。
「お姉ちゃん、危ないっ!」カイトが叫んだ。
 そして、カイトはその何ものかの射程からセレスを突き飛ばしていた。
 セレスの目の前で、あり得ざることが起きる。突き飛ばされ、流れる視界の中でセレスは見てしまった。飛翔する鏃がカイトの胸を貫いていくのを。そして、カイトの身体が崩れ落ちる。まるでスローモーションのように。
「カイトっ!」
 それほど遠くもない場所から弓を引き、矢を放つ男の姿が見えた。闇の狩人。どうして今更、こんな混乱のさなかにわざわざエルフを狙う必要があるのか。しかし、ここで怨言を言うのはあまり建設的ではない。むしろ、カイトを救い起こさなければならない。
「カイトっ!」
 どうしてあの時、カイトを追い返さなかっただろうか。そうしたら、こんなことは絶対に起こり得なかった。カイトに初めて遭った日の選択を明らかに間違えてしまったのだ。
 ドザザザ。雨に濡れた石畳に倒れ込んで泥だらけになったセレスはすぐさま起き上がると、カイトの元へと走り寄った。膝や腕の擦り傷なんか構っていられない。カイトがいたから時計塔まで来れたのに。カイトがいたから自分は今、生きていると言うのに。
「カイト、カイトっ!」セレスは激しくカイトを揺さぶった。「どうして、こんなっ! カイトは、カイトは関係なかったのに、どうして、手出しをするのよっ」
「エルフと行動を共にするものは皆、敵だ」男は冷たいく言い放った。
「じゃあ、何故、エルフがキミたちの敵なんだ!」
 セレスは噛みつきそうな勢いで男に迫る。
「そんなことをお前が知る必要はない」
 型通りの答えが返ってきた。この時代、この場所で、エルフは絶対的な悪なのだ。そこに理由などない。ただそこにあるだけで、狩るべき対象なのだ。となれば、相手に理屈が通じる訳はない。戦うか、退くか。セレスは二者択一の選択を余儀なくされた。
「許さないっ! あたしは絶対にキミたちを許さない」
「そんなに淋しがることはない。すぐにその小僧と会わせてやるよ」
 男は言う。エルフを狩るものがいる。それがこの時代なのだ。男は弓を片付けると、勢いをつけて、セレスに突進してきた。敢えて得物は持たず、セレスを無傷で捕らえ連れ帰るつもりなのだろう。セレスはその男に対抗し、弓をとった。
 接近戦で勝ち目はない。この弓矢の一撃で仕留めなければ。
 セレスは必死の形相で男を見詰め、弓を引いた。何故か、命中したとしても男の猛進を止められるような気がしない。こういう時こそ、自力で魔法が使えたらと強く思うのだが、今更、即席でどうなるものでもなかった。
「大丈夫だ、その少年は死にはしない」
 その声は耳元で囁かれた。声の主はセレスの傍らを風のように擦り抜けて、闇の狩人に飛びかかっていた。白い塊。抱き枕にもなっておつりが来るくらいのフェンリルに飛びかかられたら、屈強な戦士だろうと引っ繰り返るのが道理だ。
「この程度で気絶するとは大したことはないな……」
 男を優雅に蹴り倒し、彼は身軽に地面に着地した。
「……帰ろう……」期せずにセレスの口から言葉が漏れた。
「……。どこへ?」彼は冷たく言い放った。
「あたしと一緒に帰ろうよっ!」
 まるで駄々っ子のよう。けれど、言わずにはいられない。彼が帰ってきてくれることだけを信じて、セレスはこの時代に紛れ込んだのだ。多くのことをかなぐり捨てて、クロニアスに無理を呑ませ、今、彼の前に立っているのだ。
「何故?」
 取りつく島もない。それよりも何よりも、彼の素っ気なく冷たい、まるで赤の他人に話しているような口調が悔しくもあり、哀しくもあった。
「……どうして、キミはそんなにつれないことを言うの……?」
「……。では、オレもお前に尋ねたい。お前はどうしてそんなに馴れ馴れしい? オレはお前のことなどこれぽっちも知らん。そんな相手にどうして、そこまで問い詰める?」
「それは……」答えられない問いだった。
 無論、答えても構わないのかもしれない。けれど、それを言ってはいけないような気がしていた。言ってしまったら、なくしてしまったものを二度と取り戻せない気がした。そして、セレスが言い淀み、完全に困惑しきった顔をしていると、彼はくるっとセレスに背を向けた。
「……。ここはお前のいる場所じゃない。その少年を連れて、自分のいるべき場所に帰れ。お前にはいるだろう? 言葉では言わなくとも、お前を心配してくれる連中が」
 それから、彼は真っ白い尻尾をゆらゆらさせながら歩き出した。
「……待ってよ、リボンちゃん……、あたしは――どうしたらいいの……?」
 言葉にもならない呟きがセレスの口から漏れ出した。でも、何としても彼を引き止めたい。そんな切実な思いがセレスを後押しした。遠ざかる彼の背中に言葉を投げた。
「リボンちゃん、行かないでっ! だって、キミは……。だって、キミはきっと死んじゃうんだよ。だって、約束を破ったことのないキミが帰ってこなかったんだからっ!」
 声を出しているうちに哀しくなって、途中からは泣き声になっていた。
「――お前がそう言うのなら、そうなんだろう。しかしな? オレはこのままで戻ることは出来ないのさ。――さようなら、オレの可愛い小猫ちゃん……」
 一瞬だけ、彼は立ち止まり、振り返る素振りさえも見せずに静かに答えた。
「うぅぅ……」
 もはや、セレスには彼を引き止め、振り向かせるだけの言葉はなかった。

『ボクは……失敗すると思うな、キミの企み』

 その時、不意にセレスはクロニアスの言った言葉を思い出した。彼の言葉がどういう意図から発せられたものなのかは判らない。けれど、彼の言葉は的確に全てを言い当てていたのではと思い始めた。
「……あいつ、始めから知ってたんだ……」セレスは呟きを漏らす。
 しかし、諦められるはずもなかった。
 けれど、諦めなければならなかった。彼はもう、振り向いてもくれない。

 風は今日も吹いていた。リテールの西の端、竜の墓場の風の双塔。それが出来てからの幾星霜、周囲の様子が変わったこともなかったし、これから変わることもないだろう。双子の風の精霊も変わらず住んでいて、塔の淵から外を眺めていた。
「あら? 帰ってきたみたいよ? ルシーダ?」
「そう。帰ってきたみたいね、エミーナ」
「出かける時は元気いっぱいだったけれど」
「今はすっかり、意気消沈ね。ほっといたら可哀相だから、クロニアスを呼んでおいてあげようか? そうしたら、傷心も少しは癒えようぞ?」
「それは知らない。けど、ここで、ぐちゃぐちゃ言い出す前に先手を打つのはいい考え」
 風の双子は互いに好き勝手に意見を述べていた。
「……で、誰がぐちゃぐちゃ言い出すんだって?」
 全くの不意にルシーダ、エミーナともに聞き覚えのある声が宙から聞こえた。
「ラールに決まっているじゃない?」エミーナは続ける。「ルーンはむしろ何か面倒なことがあると黙り込んじゃうくちだし。何かあると面白そうにぐちゃぐちゃ言い始めるのはラールの方よね?」
「キミにしては冷静な分析だね?」ラールはちらっとルシーダの方を向いた。「まぁ、そこら辺にことについては特に否定はしないよ」
「何をご大層なことを言っているの」
 フイと前触れもなくルーンが姿を現した。
「大体、こうなるって判ってるんだから、無意味なのよね、そもそも」
「それは言わない約束だろ? ほら、意気消沈のお嬢さんが階段を登ってくるよ」
 やはり、間違いだったのだろうか。
 やはり、自分は彼の言葉を信じて、帰らない彼を待ち続けた方がよかったのだろうか。
 そして、セレスは痛感していた。自分がどれだけ彼をあてにしていたか、彼の存在に頼り、甘えていたかが今さらながらよく判ったのだ。彼がいなくなってからの八十数年、ずっと毎日、彼を忘れられなかったことを思えばそれがハッキリと判るのだ。
「……あぁ……。リボンちゃん……」
「よ、セレス。向こうの世界はどうだった?」
 ふいっとセレスの前に現れたラールは朗らかでお気楽そうに言ってのけた。
「……。クロニアス……」セレスは疲れ切ったやるせなさそうな眼差しをラールに向けた。
「うん、まぁ、クロニアスでもいいんだけど、ラールって名前で呼んでくれないかな?」
 セレスはどん底まで落ち込んでいるというのに、ラールは弾けるような笑顔だった。
「……。キミ、無駄に元気だよね?」
「無駄に元気で悪かったね。それより、向こうの世界はどうだったかって聞いてるだろ?」
 ラールの問いにセレスはあからさまな不機嫌な表情を向けた。どんな結果に終わったのか、判っているに決まっている。それなのに、わざと聞いているに違いないのだ。
「やれやれ、えらく嫌われたもんだなぁ」ラールは“困ったちゃん”を扱うかのように、意地悪そうに口元を歪めてセレスに近寄った。「……始めに言っただろ? キミの企みは失敗するって。時は万人に開かれていようとも、常に味方してくれる訳ではないんだよ」
 今更、クロニアスに言われるまでもなくそんなことは理解しているつもりだった。
「……判ってたよ、そんなこと……」
「いいや、判ってなかったさ。判っていたら、幾らキミでも諦めただろう?」
 年端のいかない少年に見えるクロニアスに説教を垂れられるのは少々腹が立つが、本当にそのことを理解していたら、セレスも大人しくしていたかもしれない。
「だって、あたしは……。あたしは……っ!」
 言いかけて、セレスは口をつぐんだ。何だか惨めだ。自分の思いを吐露してしまったら、あまりに惨め過ぎる。けれど、きっと、クロニアスはそれさえもお見通しなのだろう。
「無理して言え、なんて野暮ったいことは言わないよ。けれどね、セレス? キミはどれだけ自分の運がよかったか、気が付いているのかい?」
 セレスはぐっと唇を噛んだ。
「だって、あたしはリボンちゃんに会いたかったんだものっ!」

05

「……ああ、そうだね」ラールは全てを包み込むかのように優しく言った。「キミのその純粋な思いは否定しないし、むしろ、敬愛してしまうね。だから、さ、今度はもっと身近なヒトたちに目を向けてみたらどうだい?」
「でも、帰ってきて欲しかったの」
「そうだね。帰ってこられたらよかったのにね」
「だって、イヤだったんだよ……。あんなの。さよならも言えないなんて、もう一度、会おうって約束したのに。――。もう会えないんだとしても、せめて、さようならくらい言わせてよ! だって、あたしは……。だって、あたしはリボンちゃんが好きだったんだもの。あいつがいたから、あたしは……、あたしは……」
 セレスはラールの瞳を見詰めたまま、ポロポロと涙を零した。
「あいつにだけは死なないで欲しかったんだものっ!」
「今更、そんなことを言っても始まらないでしょう? セレスはセレスらしく、前向きに明るく、朗らかに無鉄砲なくらいでちょうどいいんです」
「デュレっ! どうしてここに」驚きを隠せずにセレスは言った。
 風の双塔に来ることは誰にも言わなかった。知ってしまったのはクァットだけだったし、彼の性格からすると沈黙を守っていることだろう。
「――さては迷夢ね?」
「あらぁ、ご明察」セレスが何か言うのを待ちかまえていたのか、迷夢が窓の外からヒョイと姿を現した。「今日はいつもにも増して勘が冴えるじゃない? ま、どーせ、こーなると思ってたし。だから、ちゃあんと慰め役を手配しておいたのよ。それがデュ・レ! どーせ、もう、何年も会ってないんでしょ? ちょうどいい機会じゃない」
 何だか、とても嬉しそうに迷夢は言う。
「よ、余計なお世話なんだから」涙を拭きながらセレスは強がる。
「まーなんて言い草、けど、あたしは余計なことをするのが好きなの」
「それに、心配してたんですよ。セレスが毎日毎日、暗い顔をしてるって、特に迷夢が」
 その瞬間、何もかもが繋がったような気がした。迷夢が裏でこっそりとクロニアスを取りなしてくれていたのに違いない。そうでなければ、こんなに簡単にクロニアスと会えて、混迷を極めたと言われるあの時代に降り立てたはずもない。
「あたしは何も心配してないもん。ただちょっと可哀相だったから、もっと可哀相にしてあげようかと思って……」
 憎まれ口を叩いてはいるけれど、迷夢はセレスのことを考えていたらしい。そんな迷夢をセレスはどうしようもなく愛おしくなって温かい眼差しで見詰めていた。
「はぁ、もうっ! そんな目で見ないでよ。だって、見ていられないじゃない? あんな捨てられた小猫みたいにさ、帰ってこないって判ってるご主人さまを待ってるなんて、気になって気になってしょうがないのよ。どっちにしたって、今度のことでうじうじしなくても済むでしょ。忘れろなんて言わないけど、少しは気が楽になったでしょ」
 少しばかり不機嫌に頬を膨らませながら、迷夢は言う。
「うん……。あいつはもう、帰ってこないんだね……」
 そのことがセレスの転機になったのは言うまでもない。

 

文:篠原くれん 挿絵・タイトルイラスト:晴嵐改