黒き翼のジェット

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17. tactician's speculation(策士・迷夢の思惑)

 そして、今この時こそが最終決戦なのだろう。リテール協会はほぼ静観を決め込み、独自に有する軍に相当する機関は全く動かそうとはしなかった。それまで、対トリリアンガーディアンが起きれば、民衆を守るという名目で戦力を動かしていたのだが……。
「……協会は全く動きを見せませんね」
「そりゃあ、そうでしょうよ。トリリアンは論外としても、仮に期成同盟側につくと声高に宣言しちゃったあとで、コテンパンにやられちゃったらお話にならないものね。だから、王国の復活を承認するために式典にはきてくれるけど、それ以上のことはやらない」
「リスクのヘッジ、と言う奴ですかね?」
「む〜、それほどでもないと思うなぁ。協会には内通してるのがいないからあれなんだけど、協会的にはトリリアンがぶっ潰れてくれて、ついでに期成同盟もなくなってくれた方がいいんだとは思うのよね?」迷夢は言う。
「リテール全土を自分たちの意のままに支配するということですね」
「ま、そゆことね。実際、トリリアンはガーディアンが協会の配下にある街を攻撃してるから、潰したいだろうし。そして、同時に、今は大した脅威でもないけど、エスメラルダ王国第二王朝が成立したら、将来的にリテールの支配者としての協会の地位を危うくするでしょうしね。まあ、宗教的な……で考えれば、国教としてでも残ってるだろうけど、あいつらって、あれでしょ。既得権を手放したくないに決まってるのよ」
 アズロを目の前に迷夢は言いたいことをつらつらと発言する。
「その気持ちは判りますけどね。何ものをも自由にできる大きな権力は捨てがたいですよ。王国が成立したら、少なくともその力の一部は国家に帰属すべきものですからね」
 淡々とアズロは語る。その既得権の一部をもぎ取ろうとしているのは他ならぬエスメラルダ期成同盟だというのに。けれど、協会黎明時代という過去の一例を見るに協会に巨大な権力を持たせたままにしておくのも危険過ぎる。過熱し、暴走した権力は時として周囲に不幸の種を蒔いてしまうものなのだ。
「まー、全部うまくいったとして、問題はその先よねぇ。現時点では友好的な態度を示してくるでしょうけど、数年後、数十年後、どう出るつもりでいるのか……」
「では、誰かを協会内部に送り込みましょうか?」瞬間、アズロの瞳がキラリと不敵に煌めいた。「そうですねぇ――、アリクシアさん……とかはいかがでしょうか?」
 その名前が出た瞬間、迷夢の柔和な表情が一変した。
「――あらあ、そんな情報を一体、いつ、どこで、どのようにして入手したのかしらねぇえ? アズロ・ジュニアくん。事と次第に寄っちゃあ、明日の太陽、拝めないわよ?」
「怖いことを言わないでくださいよ。ただ、はっきりと判っていましたから。一つはあなたが勝算なしに期成同盟に参加することはないと言うこと。二つは迷夢さんが誰か一人、トリリアン内部に内通者を送り込んでいると言うこと。これはこの間、迷夢さんから教えていただいたので確証が得られました。そして、三つは……」
「もう、いい、ストップ。キミがあたしの想像以上の切れ者だってことが判った。じゃあ、何故、そのステキなスキルを今まで発揮してこなかったのか、気になるのがあたしなのよね。もちろん、答えていただけるんですよね? アズロ・ジュニア」
「以前も言いませんでしたか? わたしは他人にあてにされることが苦手です、と?」
「あら? そんなことを言っていたかしら?」
 アズロと迷夢の二人して、不穏で不気味なことこの上ない微笑み合戦をしていた。目線は互いの目から決して離すことはなく、完全に腹の探り合いだ。無論、互いに悪意のないことは判り切っている。ただ、どこまで信用しても大丈夫なのかをはかり直したいのだ。
「ともかく。ドラゴンズティースとアリクシアの話はしたけれど、アリクシアが存命だなんてまだ一言もキミには教えていなかったんだけど……な?」
「推理です。名探偵が得意とするようなね?」
「冗談を言わない。けど、ま、あれよね。キミってずっと椅子に座っているようでいて、かなりまめに情報収集などなどの活動を繰り広げてるわよねぇえ? しかも、それをほとんど気取られないようにやるなんて流石よね。フツーはそうはできないもの」
「これでも期成同盟の盟主をさせていただいてますから、ただの氷魔法の使える男というだけではダメなんですよ。知略、策略、戦略、全てを巡らせることが出来て初めて、こう言ったことのボスですよね? 迷夢さん」
「……そうなんだけどねぇえ?」
 何となく納得できない様子で迷夢は右目を細めた。
「今から、将来の協会との関係を憂えてもあまり意味はないんだけど。かといって、何も対策をしないのも危険極まりないのが現状なのよねぇ……」
 迷夢はどこか困った風な雰囲気を醸しながらポツポツと意見を言った。
「おっと。ここでのんびり時間を潰してる場合じゃないわね。ヘクトラが切れ者なら、期成同盟軍とガーディアンがやり合っている間に天使をアイネスタの教会に送り込んでくるはず。少なくとも、あたしならそうする。だって、ねぇ?」
「確かに、今あの教会を襲えば、リテールの全てを手中に収められますね」
「そ・の・と・お・り。むしろ、あれを襲わない方がどうかしてる」迷夢はちょっぴり楽しそうに微笑んだ。「だから、ちょっと乗り込んでくるから♪ と、その前にベリアルにをあたしのオフィスでまってて貰ってたんだ」
 と、妙に明るい態度になって、迷夢は期成同盟の臨時司令部から出ていった。
「……相変わらず考えていることの読めない方です」アズロは思う。
 期成同盟の臨時司令部をあとにした迷夢は“黒翼・迷夢のステキオフィス”に向かった。ベリアルをつれてアイネスタへ向かうつもりだ。基本、ガーディアン自体はサムとウィズが指揮をとり、助っ人として久須那のいる期成同盟軍に任せ、ジェットは自分が対応し、サラにベリアルをぶつけようと考えた。先の足止め作戦ではアズロに全てを任せ成功したわけだが、今度はガーディアン全体を止める必要はなく、サラだけをどうにか出来たらいい。そのための人選はアズロではなく、やはり、ベリアルなのだ。
「やっぱり、いてくれたわね、ベリアルちゃん」
「約束の時間を過ぎているような気がしますが……?」
 迷夢の姿を見ると、いささか不機嫌そうにベリアルは言った。
「あら? 随分と細かいことを気にするようになったわねぇえ?」
「細かくもなります。敢えて言うまでもないとは思いたいですが、事態は急展開中です。呑気に構えている場合ではないと思いますが……?」
「そうね。急展開してる。けど、まだまだ想定の範囲内。ま、アリクシアについてだけは全くうまくいっていないから、ちょっとあれだけど。他は大丈夫。一粒たりともあたしの手のひらから零れ落ちていないわよ」
「落ちていない?」
「策士・迷夢の思うがままよ」得意げに迷夢は言う。「まーそれでも、この前の時と比べるとちょっぴり厳しいと言わざるを得ないんだけど、キミがいたら何とかなると思うのよねぇえ? そうしたら、やっぱり、アリクシアなのよねぇ。あのヒトを振り向かせることが出来たら随分楽になるんだけどなぁ……?」
「わたしに言っても無駄ですよ」きっぱり。
「そぉお? キミならアリクシアとも関係が深いし、あの気難しくて妙な方向にマイペースな彼女を説得出来るんじゃなくて?」迷夢は流し目で、ベリアルを覗き込む。
「あの方は自分の生き方に明確なビジョンを持っていますから、ただの説得工作くらいでは心変わりなんてしませんよ。迷夢さんがアリクシアさまの心に響く何かを訴えかけられるのなら話は別かと思いますが……」
「あー、無理ね、そんなの。第一面倒くさいし」
「では、アリクシアさまを手駒として使うのは諦めた方が無難です」
「むー、諦めの悪いあたしに諦めろとキミは言うのかい」不機嫌そうに迷夢は言う。「じゃあ、キミがドラゴンズティースに行ってみようか? 旧知の知り合いが訪ねてきたとあっちゃあ、アリクシアも黙っていられないんじゃない?」
 迷夢も平静、冷静なベリアルに食い下がる。が、そう言ってみてから、お互いが妙な具合にマイペースなアリクシアとベリアルを近づけても事態は進展しないような気がしてきて、余計面倒くさいことになりそうな気がしてきた。
「やはり、無理だと思います」
「むぁ〜〜!」いらいらする。
 画策することの全てがうまくいくこともないことは百も承知なのだが、目の前で手を組んだベリアルにグタグタと言われるととてもストレスがたまる。
「ともかく、あたしと一緒にアイネスタまで行くわよ。ワケは今更、言わなくてもいいわよねぇえ?」
「もちろんです。サラとは一度、ゆっくりとお話したいと思っていましたから」
「じゃあ、それはしっかりと頼むわよぉ。キミがどれだけサラ相手に頑張れるかで、期成同盟の被害がドコまで抑えられるかがかかってるんだから」
「……やれるだけはやってみますが、相手はサラですから、あまり期待されても困ります。それに、サラ一人を相手にしたとして、ガーディアン全体を止めるところまでは出来ません。あれを止めるにはそれ相応の軍隊が必要です」
「そんなこと判ってるから、キミはキミの精一杯をやればいいの」
 迷夢は得意満面の笑みを浮かべていた。

 一触即発の状況がアイネスタを取り囲んでいた。アズロ・ジュニアとの小競り合いから態勢を立て直したハイエルフのサラが率いるガーディアンが到着した。エスメラルダ期成同盟側は既に応戦の布陣を敷き、おいそれとはアイネスタ市街に進入出来る状況にはない。けれど、ガーディアンの進入を拒む期成同盟軍も相当に厳しい状況に置かれていた。現時点で、ガーディアンが様子見を決め込んだからこそこの状態なのだ。もし、ガーディアンに攻め込まれたらまず持ちこたえられない。
「さて、どうしたもんかな」サムは言う。
「それを決め、采配を振るのがお前の役割だろ?」久須那も言う。
「それはな。まーアズロ盟主のおかげで、俺たちはガーディアンよりも先にアイネスタ入り出来、王子をしっかり教会に預けてきたわけだが、“どーすんだ、これ?”と言うのが今の俺の率直な意見と言うわけよ」
 サムはのほほんとした様子で久須那と向き合った。
「まー、てめぇの言いたいことは判るから黙ってろ」サムは久須那を制す。「けどよ、実際問題として、うちの連中があれに対抗できると思うか?」
「まあ、思わないな」
「だろ? だから、愚痴の一つくらい言わせろよ。けど、ま、采配を振るのは俺だからな。よく訓練された軍隊には歯が立たないとしても、蹴散らすことは出来るだろうな」
「ほう。どうやって? ……わたしの魔法をあてにするのはなしだぞ?」
「一応、久須那の魔法は最終手段にとってあるさ。まずは、弓部隊をガーディアンの後方にある程度の距離をとって配置する。そこから、矢を射り、ガーディアンを分断するつもりだ。たくさんではどうしようもないが、数を減らせば何とかなるだろ?」
「その程度で何とかなるのか?」
「何とかならなくても何とかするしかないだろ。その要がてめぇなんだから、しっかりと頼むぜ、く・す・な・ちゃん!」けたけたと茶化しながらサムは言う。
「あまり、頼まれたくはないな……」
「そう言うな。さてと。ウィズ。久須那の空間移動魔法で弓部隊とガーディアンの後方に送ってもらえ。やばくなったら、踏ん張らずに即、撤収だ。判ってるな?」
「もちろんだ。無駄に命を懸ける気はない」ウィズは答える。
「……しかし、最終手段の割には出番が早いような気がするが……?」
「最終手段はてめぇの攻撃魔法だよ。間接的な魔法は関係ねぇ」
 ご都合主義的だとは思ったが、久須那は敢えて口には出さなかった。こういうことに口を挟めば、大体、屁理屈が帰ってくるし、それの相手をするのも時間がもったいない。
「そうか。じゃあ、手っ取り早く、やってしまおうか? 先手必勝。もちろん、先に仕掛けるのは――わたしたちなんだろう?」
「当たり前だ。――頼んだぞ、ウィズ」
「ちょぉっと待ったぁっ!」
 聞き慣れた大きな声が背後から届いた。流石に、大空からのお出ましは控えたようだが、それでも十分すぎるくらいに目立っていた。位置的に言えば、ガーディアンからはほぼ完全に死角にはなっていたが、大声が向こう陣営に届いたのではと気が気ではない。
「迷夢、てめぇはもう少し静かに登場出来ねぇのかよっ!」
 サムは振り向きざま、迷夢に向かって感情を露にした。

17

「無理ね。大人しくなんて、あたしの性分に全然、合わないから」
「ああそう。……それで、てめぇの後ろにいるお美しいお嬢さんはどちらさんかな?」
「――可愛い女の子にだけは目ざといな……」
 近づいてきた久須那はサムの背後から耳元でぼそりと呟く。
「おおう! 俺はまだ何もしていないぜ、何も」飛び上がりそうなほどに驚いた。
「“まだ”何もしていないかもしれないが、“これから”何かするかもしれないだろ?」
 まるで、信用がない。それも過去の事例のなせる技だ。
「まあ、いい、それは後で問い詰めてやる」久須那はジロリとサムを睨みつけると、迷夢の方に向き直った。「さて、迷夢。そちらの方は?」
「こちらの方はトリリアンのベリアルちゃんです」
「ト、トリリアン?」久須那とサムの二人は素っ頓狂な声を上げた。
「……驚くほどのことでもないんじゃない? ともかく、紹介してる時間なんてないから手短にいきたいんだけど、ベリアルにサラをぶつけようと思うのよねぇえ? あ、キミたちの意見は全く聞かないから、何も言わなくていいよ。このことはあたしの中で決定事項なので、今から曲げることは不可能です。と言う手はずで頼むわ」
 と、言い終わるのが早いか、迷夢は現れたときと同様にあっという間にいなくなった。
「……。で、結局、俺たちはどうすればいいんだって?」サム。
「迷霧の話を真に受ければ、このベリアルさんを敵陣、大将の前に放り投げて来いと言うことだろうな。そして、それでもどうにか出来る力はあると。で、わたしたちはその取り巻きの軍勢を抑えるか、戦意喪失と言う方向だろうな」
「……そお言う予定なのかい? ベリアルさんよ」サムはと言う。
「特に予定も何もありませんが、大筋ではそのようなところです」
 何とも言いがたい発言が返ってきて、サムはしばし困惑した。早い話、本当にベリアルをサラのところに連れて行き、戦ってもらえばそれでいいようだ。
「あー、そうなのね。……じゃあ、久須那、とりあえず、ベリアルをガーディアンの大将の前に連れていってもらえるかな」
「……そうするか……」
 それ以上の議論の余地もなくて、久須那はそのままベリアルを抱えて、空に舞い上がった。弓か魔法で撃ち落とされる危険もあるが、いち早く、ガーディアンに辿り着き、迷夢の思った作戦を実行に移すには最適だろう。仮に空間移動魔法を使って、人込みの中に紛れてしまっては別の意味の非常事態になりかねない。
「あまりに唐突のことで戸惑っておいでのことでしょうね」ベリアルは言う。
「そうだな。しかし、迷夢の思いつく作戦はいつも唐突だ。天性の閃きとでも言うのだろうな。やることは突拍子もないくせに成功率は妙に高い。――さて、敵さんも気が付いたようだが、そこに下ろしていくぞ」
「お願いします」
 久須那はスイーッとベリアルに従いサラのいるとおぼしき場所にベリアルを下ろすと、そのまま上空に戻り、サムとウィズの待つ場所へと向かった。
 そして、ベリアルは取り囲んだ軍勢を気にかける様子もなく、まるで何事もない普段の様子で、サラを見つけるとその前にしっかりと陣取った。
「あなたはどうしてトリリアンに固執するのですか、サラ」
 むしろ、驚いたのはサラだったが、そこはおくびにも出さない。
「では、どうしてベリアルは裏切ったのですか。それを答えていただけたら、わたしも答えても構いません。……それで、あなたと剣を交えずにすむのなら……」
 サラは駆け引きにでた。かつてはともにアリクシアのもとでトリリアンのために活動した二人ではあるが、今は明らかに考え方に差がある。サラはエスメラルダ期成同盟が王国再建のために活動を活発化させてきたのを好機ととらえ、リテール協会と期成同盟の共倒れを狙い、その隙間からトリリアンを栄光の座に導こうと考える。逆にベリアルは迷夢と内通する形でトリリアンを崩壊へと導こうとしているのかもしれない。
「あなたには判りませんか? トリリアンが腐り切ってしまったことが」
「宗教としてのトリリアンには固執していませんよ。総長の妹が亡くなって以来、崩れかけていたものが一気に崩れ切ったようなものですからね。わたしはむしろ、組織としてのトリリアンには興味がありますし、無くなって欲しくはありませんが」
「なるほど。では、わたしと意見があうことはないでしょうね」
「あわせるつもりなど最初からありません。しかし、あなたと剣を交えるつもりもありません。仲良くできるはずもありませんが、敵対する理由はありません」
 サラは抑揚のない単調な口調でものを申す。
「サラにはないかもしれませんが、わたしにはあります」
「その理由は?」サラは問う。
「迷夢さんの目的の妨げになるものはわたしの敵と同義です」揺るぎない信頼のもとにベリアルは発言する。「これが答えになっていないのと言うのならば、わたしはアリクシアさまが作ったこのトリリアンが落ちぶれていくことに我慢なりません。宗教は宗教としてのみ存在し、協会に対抗するためとはいえ、自警するため以上に軍事力を持とうとするのはあきらかにおかしいのです。つまり……」
「ガーディアンは行き過ぎているといいたいのですね?」
「そう言う事ではありません」
「では、どういうことか説明していただけるのですね?」
「説明するほどのこともないと思います」
 二進も三進も行かないとはこういうことを言うのだろう。互いに何も言おうとしないものだから、完全膠着状態の上に事態の進展が全く見られない。このままお見合いを続けていてはただ単なる時間の無駄だ。
「説明していただけないのでしたら、これ以上、顔を突き合わせている必要はないと思います。わたしにも、あなたにも他にすることがあるでしょうから……」
 サラはそっとベリアルの前を去ろうとした。刹那、ベリアルが動いた。
「止まりなさい」
「その程度のことで止まるわたしだとお思いですか?」
「いいえ」ベリアルは決然とした様子で言い放った。「ですから、実力行使あるのみです」
「……あなたが説明してくれるのなら、実力行使など必要ないかと思います」
 ベリアルは答えなかった。サラはすでに気がついているはずなのだ。トリリアンが生まれついて持ってしまった理想のためにその目指すべき方向性を間違ってしまったことを。その理想はやがてトリリアン自身を窮地に追い込んだ。トリリアンを組織する者たちはいつしか権力を求めるようになり、或いは、その権力者から自分たちを守と言う建前のもとにガーディアンが形作られた。武力は余剰な力となり、それは無益な戦いを何度なく生み出していった。その行き着いた末が今なのだ。それをサラが判らないはずはない。
「どうしてもと言うのであれば、一言だけ答えます。――トリリアンの時代は終わりました。今から、どうあがいたとしてももはや、トリリアンの時代は来ないのです。ならば、静かに消え去るのが懸命だと思いませんか?」
「……わたしはそうは思いません」
「そうですか……。あなたとの意見の相違は埋めようもないと思いました。だから、敢えて、語る必要もないと考えました。しかし、それでもわたしはあなたを止めます」
「わたしがその迷夢と言う方の目的の妨げになるからですか?」
「同じことを繰り返す必要はありません。ただ……」ベリアルは言葉を切った。
「ただ……?」問い返す。
「――アリクシアさまは何故、トリリアンを見捨て、ドラゴンズティースなどといったものをひらいたのでしょうね。……答えはきっと、そこにあるのだと思います」
「ならば、議論の余地はありません。あなとも、ここでお別れです」
 そう言って、サラは改めて剣を構えた。

 果たして、ことは当初の予定通りに運ぶのだろうか。アルルは不安な時間を過ごしていた。自分の時代にエスメラルダ王国の復興の兆しが見え、そして、今、実際にその復興に向けた第一歩を踏み出そうとしている。しかし、それらの全てがアルル自らの手中にはない。期成同盟が作戦立案と実践を担い、そこに協会が加担しているようなもの。エスメラルダ旧王朝の血筋を継承する者たちは“継承”すること以上のことは出来なかった。
 それなのに、今、周囲の者たちの手によって、王国が復活を遂げようとしている。エスメラルダ第二王朝とも言われる王国の始まりに、アルル自身は何の関与もしていない。機は熟したと見切ったアズロ・ジュニアとエスメラルダ王国の再興に恐らく、何らかの利権を見いだしたリテール協会の思惑に乗っただけなのだ。
「アルル王子。今まで、いかがお過ごしでしたかな」
 礼拝堂の奥から凛とした声が響いた。
「クライラントさま」アルルは言う。「一つ、お尋ねしてもよろしいですか?」
「何ですかな?」クライラントはゆっくりと落ち着いた口調で言葉を返す。
「――わたしに王国を背負って立つ責務を全う出来ると思いますか?」
 一瞬、いきなり何を言い出すのかと言う表情で、クライラントはアルルを見詰めた。けれど、それは僅かな時間で、すぐさま、いつもの柔和な表情に戻った。
「何故、急にそんなことを思ったのですか?」
「いえ、――わたしは何もしていない……。期成同盟が全てのお膳立てを済ませ、わたしはそれに乗っかっているだけです。それだけでは、足りないと思うのです」
「果たして、そうでしょうか? あなたの手腕は今よりも平時の真価を発揮すると思うのですが……? 今はむしろ、戦に手を染めたことのある人間が様々なことを仕切った方がうまくいきます。ですが、平時に軍事政権はより危険な存在になります。今は足りないかもしれない。けれど、あなたはこれから実績を作っていける」
「……。あなたは……どなたですか?」
「わたしはお忘れですか……?」クライラントの後ろからさらにもう一人。
「――。アズロ……さん、ですか……?」
 アルルはどこか驚きを隠せない様子でまじまじとアズロを見つめていた。その実、アズロが期成同盟の一線から引いて数年が過ぎたことよりも、今、この教会に居ることの方が驚きだった。期成同盟をジュニアに託し、完全に引退したものだと思っていた。
「ただの老いぼれではありませんよ、わたしは」
「それはもう、存じ上げております。しかし、期成同盟は引退されたのでは……?」
「期成同盟は引退しました。ですので、ここへは個人的に参りました。隠居をしたと言いましても、エスメラルダ王国の去就について興味を失った訳ではありませんから」
「それは、そうでしょうが……」何とも解せない。
「どちらにしても、あなたさまと教皇猊下を輩から守らなければいけませんから、それでここにいると言うことにしておきましょうか」
 何となくへ理屈をこねているようか気がするが、アズロがいるのは心強いことだった。

文:篠原くれん 挿絵・タイトルイラスト:晴嵐改