12の精霊核

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01. her name is sieze(彼女はジーゼ)

「ちっ! 全く厄介だぜ。……どいつもこいつも俺を目の敵のようにしやがって」
 悪態をついて、ドカドカと地面を踏み鳴らしながら旅装束の男が歩いていた。近ごろ、ついていない。とうの昔に運から見放されたとはいえ、あまりにひどすぎる。
「へ〜い、サム、誰に文句垂れてんだい?」
「何を今更、判ってんだろ? ちゃっきー。協会とか言ういかれぽんちの集団にだよ。あのアホどものおかげでおちおち昼寝もできやしねぇ」
「サムにかかりゃあ、天使なんかチャームでイチコロ。違うか? 女ったらし!」
「そんな都合よくいくか。召喚された天使ってのはな、使命感が強すぎてダメなんだよ」
「う・そ〜」
「嘘じゃね〜!」サムはちゃっきーを取っ捉まえると、勢いよく森の中に放り投げた。
「あ〜れ〜」ドサッ。どこか遠く、サムの目の届かないところに落ちたらしい。
「全く、便利は便利だが、要らないもん拾っちまったな。小うるさすぎる。少しは黙れ!」
「いやなこったぁ。ちゃっきーはお喋りが命。Do you understand?」
 サムは無視を決め込んだ。この間、道端で引っこ抜いて以来こんな調子ではやってられない。
「くたばれ、協会」また、ムカムカと怒りが込み上げる。「何が、異教徒狩りだ〜? この俺様のどこが異教徒だってんだ! てめぇらの方がよっぽど邪教で異教徒じゃねぇか」
 相当、ストレスがたまっているのか勢いは収まらない。小石を蹴飛ばし、木の枝をぽきぽき折っては葉をむしる。街道が森に入ってからはずっとその調子なのだ。
「この俺をイクシオンさまと知っての狼藉か! ……知ってるからまずいんだよなぁ。ほとぼりの冷めるまで、しばらく、大人しくしてたほうがいいのか?」
「むりむり〜。てめぇの性格じゃあ、一分だって座ってられないぜ」
「だからってな、飛んで火にいるのはごめんなんだよ。何だっけあれ、枢機卿? だか、教皇だから知らんが、てめぇらの都合で無実の民を追い回さないでもらいたいね。ぼんくらどもを構ってる時間がもったいないんだ」
「ノンノン、You are guilty! 有罪ね。人類初の犯罪者! にしてどアホ」
「……いいさ、犯罪者は認めるさ。言わせてもらうが、その『どアホ』ってなんだ?」
「ご愛嬌」どこをどう歩いてきたのか木陰からちゃっきーがひょっと姿を現した。
「ハン? ご愛嬌だって? それこそてめぇに言われたくないね」
「遠慮するな。聞いたからって耳は減らないぜ!」
「へ・る! べらべら喋るだけの毒小人なんか引っこ抜かなきゃよかった」
「いえいえ、俺の言うこと聞いて、リテールくんだりエルフの森に来たのは大正解! ほ〜ら、ほら、森のせーれーさまのお出ましだ」
「せーれーさま?」訝しげな表情でチャッキーを捕まえに走る。「いるのか。ドライアード」
「いるもいないも、さっきからずっとおいらたちに熱い眼差しを送っているよ?」
「俺としたことがまずったか?」むんずと捕まえた。「そんな……ドライアードがいるほど古い森には思えなかったが……。そもそも、リテールってこの辺りは――歴史、あったか?」
「う〜ん。森自体は然程古くないさね」ちゃっきーはしたり顔。「ただ……思い入れが深かったんだろ? 精霊の魂みたいな精霊核は」
「あ〜、てめぇの説教は聞き飽きた。黙ってろ」サムはちゃっきーの鼻らしき部分を引っ張った。
「Oh! sit! このクソ野郎め!」
「クソ野郎で結構だ。てめぇの長話など聞いてられん」サムは両手を広げてポイっとちゃっきーを捨てた。「ここのドライアードがどんだけの力を持っているのか判らんがぁ……」
 頭をボリボリと掻き、腕を組んで立ち止まった。大陸に住まう精霊、エルフの類は喧騒、争い、無秩序を嫌う。島エルフと言って好奇心旺盛で多少好戦的な種族もいるが、ここではほとんど無縁だろう。サムは唸った。要らない敵はつくりたくないが、協会に召喚された天使たちと戦いに明け暮れているために血の匂いやささくれだった雰囲気はドライアードの機嫌を損ねるには十分だ。
「これ以上、森の奥に入らないで……」
 とっても静かで柔らかい声色がサムの耳に届いた。
「街道は森を突っ切ってるんだ……嫌だろうが、少し我慢してくれよ……」
「嫌……。血の匂いは争いを呼ぶ……。争いは更なる争いを呼ぶ――戻って」
「へいへ〜い、彼女〜? すっがったを見ぃ〜せて?」
「ちゃっきーは黙れ! 話がもつれる。戻れねぇ以上は通してもらわないと困る」
「ここで黙っとあっちゃあ、ちゃっきーがすたる! サムの願いとあってもそれだけは聞けねぇ〜なぁ」こうなるともう誰にも止められない。「せーれーさまをひっとめ〜見るまでは〜」
「帰って!」厳しさを増した声になる。
「お、キュートなヴォイス。早速、森のせーれーさまにお気に召されたようで。会わないうちから彼女の心をガッチリ、ゲットォ〜?」
「違うんじゃないか?」サムはちゃっきーの言葉に適当に合わせて返事をする。しかし、瞳は声の主を捜して木々の陰や、草むらを彷徨っていた。すぐ近くに雰囲気を感じるから、ほぼ間違いなくサムたちのそばにいるはずだった。
「ノンノン、サム。乙女心が判ってないのじゃ。いやよいやよも好きのうち! 知ってる?」
「まだ、会ってもいね〜んだぞ? そんなわけあるか」
 サムの眼がひとつの木陰に止まった。一瞬だけ、何かの影が揺らいだのだ。森の動物にしてはやけに姿が大きいからあれがそうだろうと予想する。
「はろ〜。キュートなお嬢さん。ギュッて抱き締めちゃいたい!」
 ちゃっきーも見付けたようで、四つの瞳が一人を注視していた。でも、ドライアードは姿を現そうとしない。危険なものとあまり関わりを持ちたくないのかもしれない。サムはそのことをちょっとだけ考えた。自分から接触しなければ安全に……。けれど、サムの中ではそんなことよりもドライアードを見てみたいと言う好奇心が圧倒的な勝利を収めた。
「お嬢さん。ちょっとだけでいいから顔見せて」
 サムはすっかりちゃっきーと同じ心境なのかもしれない。ある意味、今の状況を考えれば、ご機嫌を損ねる可能性大の行為だったが、怖いもの見たさの一面 もあったことは否めない。
「う〜! 汚らわしい。近寄らないで! どっか行って!」
 ホンの瞬く間、見えた。腰までの長い髪、とがった特徴のある長い耳。淋しげだけど仄かな暖かみを湛えた瞳。どこからともなく優しさが滲みだしている姿。ホントに争いごとが嫌いそうな柔和な存在に思えた。
「俺が悪いことでもしたってのか?」
「ちっちっ! 存在自体が悪なのさ」ちゃきーが口を挟む。
「……。お前がどっか行け!」サムはちゃっきーを引っ掴むとまた投げた。
 それが間の悪いことにドライアードが木陰から姿を出したところだった。ちゃっきーは彼女にぶつかって無意識のうちに差し出された両掌の上に落っこちた。それをまじまじと見詰める。
「はぁ〜い」見詰め返して手などを振ってみたりする。
「きゃぁあぁああ! なん・なのよ。これは」
「裏返った声も可愛いよ、ハニー」ちゃっきーはニンマリと微笑みかけた。
 すると、いきなり捕まえられて天高く放り投げられたかと思うと、空に白い煌めきが見えた。閃光と言うよりはむしろ電撃。辺りに雷鳴が轟いて、ちゃっきーめがけて雷が落ちてきた。
「え〜! カミナリ〜」
「ドライアードを甘く見るからそうなるんだよ、ちゃっきー。おめでとう!」
 サムにとっては既に他人事。ついつい、見入ってしまう。そもそも、ちゃっきーは実体らしい実体を持っていなくて、見えているのは仮の姿みたいなものだから雷のエネルギーなど大した問題ではないらしい。身体がなくなったとしても、一日かそこらでまたひょっこりと姿を現す。
「うわ。派手にいったな。――また明日、ちゃっきー」思わず手を合わせる。
「次はあんたなのよ!」もう、隠れてはいない。「でも、さっさと出ていったら許してあげる」
「けっこう、チャーミングなんだ……」それはサムの口からポロッと零れた本音だった。
「な? な?」この反応には相当、困惑したようで言葉を失った。
「その感じも可愛いな」押しの一手で何とかこの場を切り抜けようとする。
「きゅう〜」
 今まで言われたこともない言葉に顔を赤らめたけれど、こちらも負けられないとばかりに攻勢に出た。さっきのとは比較にならない。森が騒ぐ。風がドライアードの心を感じて荒くれる。内から弾けるような怒り?
「わたしの森を荒らさないで!」
 梢を騒がせた緑の風が、真空波になってサムに襲いかかった。それは見えない風の刃。サムは気配を感じて難なく避ける。
「怒りの矛先が間違ってる気がするけどね? 精霊さま?」
「そんなのどうだっていいの! 自分勝手な人間なんて大ッ嫌い!」
 更には森の方からするすると蔓が伸びてきてサムの足を捕らえようと蠢きだした。風と足下。これに雷撃が加わったらさしものサムもちょっとだけピンチかもしれなかった。
「なんか……えらく嫌われたな」けれど、やけになっとく出来た。腕を組んでうんうんと頷く。
「ごちゃごちゃ言ってないで、早く戻って」
 無論、サムも聞く耳もたずの朴念仁ではなかったが、今日は事情が事情だけに「はい、そーですか」と引き下がるわけにはいかなかった。サムは面 倒くさそうな眼差しをドライアードに向けて、頭をボリボリと掻いた。
「やめないってんなら……しゃあねぇな〜! ちょおっと痛い目に……」
 サムは背負った剣を抜いた。炎術も使えるが、悪戯程度の炎でもここでは取り返しのつかないことになりそうだからやめにした。
「いやあ!」
 ドライアードの悲鳴と同時に剣呑になった。巻き付こうとする蔦が動かなくなり、哮り狂った風がやむ。サムの剣の柄を握った掌が汗ばんだ。剣は抜かないほうが良かったのかもしれない。刃の煌めきが恐怖を植え付けた。沈黙と静寂。一時だけ、そよ風がさわさわと下草を歌わせた。
(逃げたほうがいいのか?)嵐の前の静けさを地で行っているような気がするのだ。
「へ〜い、逃げちゃダメね、サム。けつまくって逃げんのはカッコ悪いよォ」
「ゲッ! ちゃっきー!」
 少し焦げているけれど、ちゃっきーは割りとピンピンしているようだった。こんなことなら捜しだしてとどめを刺しておけばよかったと、物騒な思いがサムの脳裏をかすめていった。
「よけるだろう、フツウ」焦り気味に空を見上げた。グズグズしていたら落ちてきそうだ。
「いやいや、彼女の愛はしっかりと受け止めないと……」
「あれが愛か? 愛って言うのか? お前。幻の左かなんかの間違いじゃないのか?」
「ノンノン! 不器用ゆえに暴力でしか愛を表現できないので〜す」
「ガキじゃあるまいし……」サムは呆れ顔でちゃっきーを見詰めた。
「……生まれたばかりの名もなき精霊はガキじゃなくて何なのでしょう?」冗談めかす。
「……。ともかく」サムは瞳を閉じ、カッと見開いた。「放せ。ちゃっきー!」
「嫌なこった! 焦げクチャになったワタシの思いを少しでも感じて欲しいの!」
「遠慮しとくよ。放せ、このヤロ!」サムはちゃっきーを足蹴にした。
「いえいえ、不肖ちゃっきーがご一緒させていただくのでご安心」
「何が『ご安心』だ。俺とてめぇは身体の構造が根本的に違うだろ」
「That's right! でも、ちっちゃいことは気にするな。長生きできないぜぇ〜」
「気にしね〜と、長生きできないよ。てめぇといると。あ! 根ぇ生やしやがったな、コイツ」
「ちゃっきーを侮るなかれ〜。喰らえ! クリティカルヒット」
 ドーン。森に大音響が響き渡り、気が付けばサムは雷の直撃を受けていた。これには流石に参った。せめて、剣だけでも幾らか遠くに投げておけば避雷針の代わりになったかもしれない。
「あ、あの……。だ、大丈夫……ですか?」
 逆にドライアードが動転したようだった。オロオロと困惑しきった表情でひっくり返ったサムのもとに寄ってきた。元々、威嚇のつもりだったのに当たってしまったからどうしたらいいのか判らない。そして、森には再び、優しく暖かな風が取り戻されつつあった。例え、どんなものであっても傷付けたくない。そんなドライアードの心を反映しているかのようだった。
「ジーゼ。――ジーゼってのはどうだ?」サムは横たわったままドライアードに言った。
「え……?」急に振られた話の意味が判らない。
「てめぇの名前だよ。樹木の精……ドライアード。最近、生まれたのなら名前なんてないんだろ」「――? 名前なんて考えたこともなかった――」
 この森で自分の意識を初めて感じたときから、頭の片隅にすら思い浮かべたことはなかった。呼ばれることはないから名なんて要らない。そう、でも、ずっと昔、遥か夢の彼方のような過去、なんて呼ばれていたのだろう? 思いは途切れる。
「あ……? ジーゼ?」
「そう、ジーゼ。いい名だろ?」
「かーいー名前だぜ。サムの脳みそから出てきたなんてとても思えにゃいゼ? 何人目の彼女の名前だっけ?」既に原形をとどめていないちゃっきーが言った。
「誰のでもね〜よ。ジーゼってのはな。このリテールの小さなエルフの森に住まう精霊さまの御名さ。ドライアード一人のためのね」
 いつになくわざとらしい声色になって、何故だか気恥ずかしい。普段の自分じゃないみたいだ。
「名前なんか要らない。わたしは、もう、ずっと一人だから」
 それは真実。淋しさの色に揺らぐ瞳がサムの上ではたと止まった。旅人たちに憩いを与えられても、安らぎを感じさせても一人きり。森の奥で木々のお喋り、小鳥の囀りを聞いて、ただ争いの起きぬ ことを願う。平穏なことの繰り返しだった。
「俺がずっといるとしたら……?」傍らに座ったドライアードの手を取った。
「お? 女ったらしが本領発揮かぁ?」ちゃっきーの茶々が飛ぶ。
(黙れ!)サムは足下にいたちゃっきーをくちゅっと潰してしまった。これで一応静かになる。
「争いごとはもうしない? 木の枝も折らない?」
「ああ、約束するよ」
 だけれど、サムはそれが束の間の夢にしか過ぎないことを感じていた。いずれ、天使は追ってくる。随分と田舎に逃げてきたけれど、協会の情報収集力は侮れない。協会・シメオン大聖堂の辺りからここに辿り着く二、三日前まで天使たちの追撃を受け続けたのだ。協会がこのままサムのことを忘れてくれるはずがない。
「じゃあ、ここにいてもいいよ。ふふ、ジーゼかぁ。ジーゼなんだ」
 無邪気な子供のようにはしゃぐドライアードはとっても嬉しそうだった。