12の精霊核

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05. kusuna's puzzle(久須那の苦悩)

「おい! 久須那。ちゃっきーにそそのかされて付いてきていいと言ったものの、てめぇは一体どこまでくっついてくるつもりだ? てめぇは親鳥について歩く雛鳥か?」
 久須那はジーゼの森の外れでサムに負けて以来ずっとサムに付きまとっていた。天使の能力なのか、巧みに姿を隠しまいたつもりでもすぐに見付けられてしまうのだ。密かにサムはちゃっきーみたいなやつだと思っていたけれど、それを口走るとその後が恐いので沈黙。
「わたしの行きたいほうにお前が歩いてるだけだ……」
「はぁ? ……難儀なやつだよてめぇってやつは……。さっさとどこへなりと消えてくれよ」
 サムはすっかりうんざりしてしまっていた。
「姿は消せるが、それでどうする?」真顔で言われれば、サムは答えに窮する。
「……そぉ〜いう意味じゃねぇよ」
「判っている……。だけれど、もう少しだけ時間をくれないか……?」
「……」サムは頭をくしゃくしゃとかいた。「疲れた。どこかそこらで休もうや」
 そう言って、サムは背負った剣を道端に放り投げると、草むらに仰向けに寝ころんだ。青い空。白い雲。秋にはまだ遠い季節。いつまで、こんな生活を続けるのかとフと考えてしまう。
「サム……。協会に追われるようになってからどのくらいになる……?」
 久須那はサムの隣に、膝を抱えてお上品に腰を下ろした。
「そうだなぁ〜。かれこれ、もう、半年……七、八ヶ月くらいになるのか」
「やっぱり……」しょぼくれたような声色で久須那は言った。
「何が、やっぱりなんだ?」
「――ジングリッド天使長が召喚されたころと……大体一致している」
「ああ! この間のあのお高くとまったいけ好かない野郎か?」
「……サムに言わせればそうなんだろうな」フイッと遠い目を景色の彼方に向ける。「でも、そう確かにジングリッドさまの召喚で協会は変わってしまった……」
「それじゃ、久須那はいつ呼ばれたんだ?」
「もう、二年くらい前。あの頃のシオーネさまは純粋な方だった……」
「そりゃな、二年もありゃ少しくらい人は変わるさ。変わらんほうが変だ!」
「だけど、あの方は私利私欲とは無縁の方だった……よ」
「よ?」初対面の頃と少し変わってきた言葉遣いに興味をもってサムは悪戯気分に揚げ足取り。
「いちいち、うるさいな」瞳だけをサムに向けて不機嫌そうに言う。
「ご愛嬌。深い意味なんかないさ。可愛い子に悪戯したくなる男の子の心境かな?」
「わたしは“可愛い子”なのか?」
「まあ、世間一般、十人に十人がそう言うだろうね」
「そっか……」
 微笑みの見える久須那の横顔もなかなかいい。ジーゼの慎ましやかな笑い顔とつい比べてみてしまう。冷たい美人の素顔は意外に暖かさに満ちあふれているようだった。長い間、協会にいたせいなのかいつの頃からか感情を押し殺すことを覚えていた。
「何なら、近くの街に立ち寄っていくかい? 擦れ違う男どもは皆、振り返るぜ?」
「ううん」久須那は膝を抱え、首を横に振る。「ダメだよ……。今、天使といえば死の象徴だ。異端だと言って潰した街は数知れない。……サムのように個人的に追われるほうが珍しい」
「……だな。反協会の意志を掲げた街は幾つも残ってない……」
「ジングリッドさまの天使兵団は圧倒的なんだ。フツーじゃ勝てない」
 そんなこんなの湿っぽい会話の続けているうちにリテールの草原に夕暮れが訪れる。街道筋とは言え、ここは民家も明かりになりそうなものは何もない。日が沈み、残光が消えれば、そこには深遠な闇と手の届きそうな星空が広がっていく。
 結局、サムと久須那は夜間の移動は自粛して、その場でキャンプすることにした。既に三日目の夜。サムはいつものように枯れ草や、枯れ枝を集めて火をおこした。小さな魔術を使ってポッと炎を湧き起こし、それをたき付けに燃え移らせる。
「なあ、サム。どこに行くつもりなんだ?」
 息吹を与えられたばかりの小さな炎を見詰めて久須那は言った。
「特に何も考えちゃいないが、黒い湖の辺りまで。どこへ行っても追ってくるから関係ないだろ」
「ま、まあ、そうだ。その面目ない……」
「てめぇもよく判らんやっちゃなぁ。協会は関係ないの! てめぇはてめぇ。協会は協会。オーケー? ま。何だかんだ言っても大っきいものにすがってるほうが楽だからねぇ」
「わ、わたしはもう、サ、サムのものだ……」真っ赤。
「やっぱ、かなりかたいね久須那は。もっと、柔らかく、目先を変えてさ!」
「急には無理だ。わたしの中から“協会”がなくなって代わりが見付からない……。わたしがここにいるわけは何だ?」
「『何だ?』って聞くくせに俺に付きまとうのか? ははぁ〜ん、さてはホ・レ・タな?」
「違う! わたしは、ただ……。お前といると色々面白そうなことが見られそうだから……」
「まあ、飽きはしないだろうけどね。命は幾つあっても足らんかもしれないよ」
「わたしはそう簡単には死にはしない。……死ねないとも言うのかな……」
 物憂げな目線を焚火に落とした。黙って、炎を見詰めていると色々な思いが浮かんでは消え、浮かんでは消えていく。何故、わたしはここにいるんだろう。仄かな明かりの中に生まれた思い。協会とその周りの世界が、より良くなると信じて久須那はここまで来たはずだった。
「どうした、久須那、急に黙って。眠いのか? 寝てもいいんだぞ」
「……ちゃっきーがいないと随分紳士的だ……」
「ハン! 余計なお世話さ。俺だって、かんしょ〜に耽ることだってある」
「似合わないよ。もっと、適当の方がサムらしい」
「それは褒められてるのか、けなされているのか、どっちなんだろうねぇ」ニヤリと微笑みながらサムは言う。「ハハ、ホラ、もう、寝ろや。いつ俺が襲うか危惧してんだろうけどね、そりゃ、取り越し苦労ってもんだよ。全く、何でこう、強情なんだろうね、久須那ちゃんは。俺とてめぇはただの旅仲間。それ以上でもそれ以下でもなし。さっさと、寝ちまえ!」
「……」久須那の顔から明るさが消えた。
「それとも天使は寝ないとか? いや、それは聞いたことないからな」
 パチッ。焚火から舞い上がる火の粉を目で追いかける。
「眠るのが……恐い……」呟く。
「ガキじゃあるまいし、何を言うか!」
「うたた寝ると、仲間の悲鳴が聞こえるような気がして……」
「悪夢……か。てめぇが責任を感じることじゃねぇのにな」
 夜になると炎の傍に寄って、膝を抱え小さくうずくまる久須那がいた。まるで、深遠な暗闇は恐いとでも主張するかのように。炎を絶やさないように、自分の周りから“光”がなくならないように寝ずの番。サムと言えども、久須那のそんな様子を見ていると可哀想になってくる。
「今日は俺が起きててやるから。無理にでも寝ろ。うなされたら俺が起こしてやるし。心配するな……。人間以上の力があっても、眠らないとダメなんだろ……?」
 久須那は頷いた。
「だったら、身体壊す前に……」
「……」涙の溜まった瞳を従えて久須那は力なく首を横に振っていた。
「誰もてめぇを責めたりはしない」
「――わたしの手は罪なき人々の血に染まっている。まだ、何も知らなかったころ。……協会を信じていた。シオーネさまもジングリッドさまも変わらないんだと思い込んでいた」
「知らなかったのなら、少しは……」久須那はサムの発言を制した。
「違う、サム。知らないことも十分すぎるくらい……罪なんだ……」
「理屈屋・久須那のお出ましか?」
「茶化すな! わたしは真面目だ」
「……判っているよ。俺はそんなに鈍じゃない」
「わたしは……」久須那はサムの服の袖を無意識のうちにギュッと掴んでいた。「わたしはお前の思っているほど強くない。天使だから強いって勘違いされても困るんだ……」

 久須那は高みからやけに冷静な瞳で何かを見下ろしていた。視界が霞んでいてよく判らない。どこなのか。だけれど、記憶の淵に微かに引っ掛かるものがある。オークの扉の向こうで何者かが遣り取りをしているように聞こえた。聞き覚えはあるけれど、聞いたことのないような声の。
「わたしには協会の“正しさ”の意味が判りません!」
 激高した女の声が廊下にまで響き渡った。
「久須那……。口を慎みなさい。ここは協会・総本山ですよ」
 書棚に向かっていた人が書物を一冊手にとって久須那に向き直った。
「レルシアさま……。ですが、わたしは……」クッと口を結び視線を逸らした。
「落ち着きなさい。誰もあなたの考えが間違っているとは言っていませんよ」
「でも、こんなことを考えるわたしは……」
 レルシアと呼ばれた女は真摯な瞳を久須那に向け、静かに首を横に振った。
「その様なことを言ってはなりません」
「……」久須那は口をつぐんだ。「レルシアさまの言うことは確かです……。ですけど、シオーネさまやジングリッドさまの言うことは……!」レルシアが久須那の発言を遮る。
「久須那の言うことが真実だとしても、ここで言葉にしてはいけません」
 コンコン……。何者かが扉をノックしていた。レルシアは硬直する久須那をそのままにして扉に歩み寄った。返事をしないでいると訝しがられるに決まっているのだ。
「どなた?」まるで何事もなかったような澄ました声。
「久須那どのはおられるか?」男の声がする。
「枢機卿自らお出ましとは、御急ぎのようですね……。久須那」
 レルシアは閂を外して、おもむろに扉を開いた。
「いえ、構わないですよ。猊下より言伝がありましてな。ま、手短に言っても判るでしょう。イクシオンを捕らえよ。明朝までに出立のこと。はい、以上です」
「拒否は……」
「無論、できません。あなたさまは従うのみ、わたしは伝えるのみ。それだけです」
 不思議な感覚だった。自分を見ている自分がいる。傍観者。それは手を触れられない立体絵巻を見せられているようなおかしな気持ち。あの日にあったことをもう一度見ている?
「枢機卿……」
「なんでしょう?」
「シオーネさまは一体何がお望みなのですか」
「……協会の教義の通り。久須那どのが疑問を挟む余地などありませんよ」
 それが久須那の苦悩だった。自分の価値観と協会のものの考え方が微妙にずれ始めたころに端を発する。でも、どんなに間違っていると思っても、協会の決定、久須那にとっては召喚士だったシオーネの意志には逆らえない。それは言わば、召喚された天使の宿命だった。
「シオーネさまでなくレルシアさまに呼ばれたかった」
 枢機卿がレルシアの書斎を去ったあと、久須那はポツンと本音を漏らした。
「ならば、剣を交える前にイクシオンと話をしてご覧なさい……」
「何故……ですか? リテールの英雄。けれど、教会の教義に叛する異教徒として追われる者と」「それはここでは言えません」静かな口調。この場で、協会に異を唱える発言は禁句なのだ。
「ですよね……。レルシアさまの言葉は心に留めておきます。ですが、わたしにはシオーネさまの意志が絶対。レルシアさまの言うようにできるかどうかは判りません……」
「でも、久須那はそうするはずです。協会は絶対でも、久須那の意志は介在できる。それにねっ、イクシオンに出会えば話してみたくなるはずですよ。あれは……そう言う男です」
 今思えば、こうなることがレルシアの願いだったのではと久須那は考える。久須那が協会の配下から抜け出せるようにと仕組んだような気がするのだ。もしかしたら、レルシアはイクシオンのことを知っていたのかもしれない。
 そして、同時にそれは新しい煩悶の始まりだった。
「イクシオンを捕らえてこなければお前はあの部屋に入ることになる」
 出立、直前の朝、ジングリッドの感情を伴わない無機的な言葉を擦れ違いざまに聞いた。向かうところ敵なしと謳われる協会自慢の天使兵団の猛者でさえ泣きを入れると有名な拷問部屋。
「そ、それだけはどうか、御慈悲を……」
 と、気が付けば、湿気ってかび臭く、薄暗くじめじめした小さな部屋に久須那はいた。
「どこ? ここは……!」わめく久須那にいらえはない。
 代りにくぐもった男のいやらしい囁きが聞こえる。捕らわれ人に恐怖を与えるように計算されている。ここの拷問官と出会って生きて返ったものはないと聞く。
「一枚一枚、羽を毟って……。お前の羽をペンにしたならさぞ美しい字がかけるのだろうね」
「ひっ、ひぃぃぃ、だ、誰か、この扉を開けてください!」
 あまりの恐さに腰が抜ける。情けなく床を這いつくばって扉を激しくたたく。でも、瞳は全てが謎めいている男から離せない。誰も知らない。存在すらもあやふやな男の姿を久須那は見ていた。
「レルシアさま! レルシアさま。どうか……!」
「そう、レルシアとかいったね。だがね、そんな人間、ここにはいない。妄想だろう。謀反を策謀したのは最初からお前一人だったのではにのかね。幻に罪を着せてはいけない」
「一人じゃない! 一人じゃないよ。レルシアさま! サムッ!」
「誰も……助けにきやしないよ。大聖堂の最下層、ここには聖を導く陽の光など、永久に届くことはなく、協会の闇の巣くうところ。言うなれば邪の聖域――」
「いやぁあぁぁ!」有らん限りの大音声を張り上げる。もう、後ずさりして逃げる場所もない。
「久須那は……さぞかし美しい声で鳴くのだろうねぇ。ひっひっひ」
「やめて……、やめてぇ〜!」
 暗転する風景の中、久須那の声はどこにも届かない。ただ、石造りの湿気った壁に溶け込み、閉じた狭い空間に消えるのみ。蔑んで見送った仲間たちの末路に自分も身を窶すとは……。それこそ妄想の彼方の出来事だったはずなのに。
 何故! 何故、自分はイクシオンに頼ったのか。
「レルシアさまぁ〜!」

「おい! どうした、久須那! うなされてるぞ。久須那!」
「はぁ、はぁっ!」顔から脂汗が幾重にも重なって滴り落ちていた。「サム! あっ! わっ、わたしは、わたしはどうしたらよかった? なっ、何が出来た」
 泳ぐ視線がサムを捕らえた。
「落ち着け! 久須那。ここには誰も来ない。俺がいる。安心して、……何に怯えている?」
 サムは久須那の肩をそっと抱き寄せた。けれど、久須那の震えは止まらなかった。眼は目の前のサムを見ずに、どこか遠くで焦点を結んでいた。
「恐い。任務に失敗したのにわたしだけがのうのうとしているなんて」
(ひひ……、ほら、おいでよ……友達だよね……)
(一緒に、……召されようよ……)
「ひっ!」久須那はサムに思わずしがみついた。「よ、寄るなぁ〜!」
 サムには見えないものが久須那には見えているようだった。臆病風に吹かれたときによく見える魔物。時には恐怖につけ込んで、命をも奪うたちの悪い魍魎。
「久須那! しっかりするんだ」サムはしがみついた久須那を引きはがし、手で両肩を掴み激しく揺さぶった。「こんな程度じゃ、凶夢から帰ってこれねぇか。……」ため息も混じる。
 ぱぁあん。夜の闇に乾いた音がよく響いた。サムは久須那の頬に平手打ちを喰らわせたのだ。
「落ち着いたか? 久須那」
 頬を押さえる久須那の瞳は涙に揺らいでいた。
「だから、わたしは眠りたくないと言ったんだ!」潤む眼の歪んだ視界の中にサムの顔が揺れる。
「甘えたこと抜かすな――」
「!」
 サムは久須那から手を放すと、ドッカリと地面に腰を下ろした。それから、幾分小さくなった炎を眺めて、その中に無言で枯れ枝をくべ始めた。サムの背中からは今までに感じたこともない威圧感が漂っていた。
「辛いのはてめぇだけじゃない。……悪夢に悩まされても、生きてるだけいいんだぜ」
「……わたしは――」久須那はサムの優しい言葉を期待していたのかもしれなかった。
「――いや、いいんだ」小さな沈んだ声でサムは言った。
「どうしたんだ。サム……?」心配そうな声色になる。
「ど〜もしないよ!」急に暗く光を失った瞳に、煌めきを湛え、久須那に振り返る。「久須那ったら、真面 目な口調で話せば何でも真に受けるてくれるから面白くて」
「か、からかっているのか? ひょっとして」
 そう言いつつ、久須那はサムがうそをついていることを感じいた。いつもの切れがない。
「ひょっとしなくても、そおいうこと!」
「サムはうそを言っている……。いつものサムとまるで違う」
「そおか。俺はいつもと一緒だ」
「違う……。何がどう違うのか判らないけど、違うんだ。普段のサムはそんなに……」
 そんなにどうなんだろう。どれがホントのサムなのかもよく知らないのに。どうして、そんな直感めいた言葉が飛び出たのか。サムは戸惑いの視線を送り続ける久須那を見つめ返すだけ。そのサムを見ると知られたくない何かがあると久須那にも判る。
「あ……」それ以上、もう久須那は問えなくなっていた。
「ありがとう、久須那。機会があればそのうち教えてやるよ……」
「れ、礼を言われる筋合いはない!」
 しばらく、間の悪い沈黙が続いた。この場にちゃっきーでも居れば幾分の救いがあったかもしれないけれど、ちゃっきーはエルフも森辺りにぶん投げてきてしまったし。気が付けば、二人並んで暗がりの中に橙色に燃える炎を眺めていた。見えるのに手を触れられぬ 現の幻。
「そ〜言えば、久須那。レルシア、レルシアってわめいていたが、シメオン大聖堂のレルシアは元気でやってるのか?」枯れ枝を一本くべてサムは言う。
「レ、レルシアさまを知っているのか?」
「知ってるも何も……、結構、古い馴染みだよな。あいつとは」
 久須那には何故だか判らないけど、サムは照れ臭そうに頭をボリボリかいていた。
「そう、久須那の知ってるレルシアってどんなやつだ?」
「ちょ、ちょっと待ってよ」え〜と、え〜と。頭を抱えて一生懸命にあやふやな記憶を搾り出す。
「レルシアさまは、テレネンセスの生まれだって聞いた」
「それから?」サムはもったいぶったように久須那を促す。
「そ、それから?」ちょっぴり戸惑った顔をした。「シェイラル司祭の娘。確か……」
「まだまだ!」
「まだまだ?」まだ聞くの? と言いたげに困った表情「う〜。ブドウがとっても大好き!」
「で?」飽きてきたのか大あくびと一緒。
「で? ……レルシアさまの素性はあんまりよく知らない」ついに音を上げる。
「じゃ、俺の方が詳しいかな。まあ、どちらにしても、久須那がその様子なら、レルシアは相変わらずなんだろうな。物静かな仮面 をかぶったお転婆娘。あれでよく、大司教におさまったよな」
「つまり、その、結局、レルシアさまとサムは知り合いなのか?」
「そおだな。お! なんだその顔は? レルシアにはめられたのか?」
「イクシオンを捕らえよと命を受けたとき、話をしてみなさいと……レルシアさまに……」
「成程……。昔も今も後先考えずにアクションを起こすってのもレルシアらしい。それで、よく久須那も俺と話してみよ〜なんて思ったな。下手をしたら今ごろ……」
 サムは夜空を仰いで、空を指差した。
「……正直言えば、サムと話そうとは思わなかったよ。あの森のドライアードを怒らせたくなかった。あの時、わたしはサムよりご機嫌ナナメのドライアードの方が恐かったぞ」
「ま、それが順当な線だろうね」否定するでもなくサムは言う。「俺もてめぇが他の天使連中と思考レベルが同程度だったら、てめぇ、少なくともこう言う結末ではなかったはずだな。と、言うかな。……レルシアの名を最初から出せば。屈辱的な負けはなかったぞ?」
 ケラケラとサムは笑った。
「――とりあえず、腹立つんだが、この気持ちはどうしたらいい?」
「ほ〜。なっきむし久須那が俺に喧嘩、売ってるのか?」
「それでも構わないぞ」久須那はサムの瞳を見据えてニッコリと微笑んだ。「だ・け・ど、わたしとそ〜なりたいと思うなら、あの森のドライアードとサムの関係をはっきりさせてもらいたい」
「な〜んだそりゃ?」
「ドライアードは人間のものにはならない……。けど、わたしは」俯きかげんに久須那は言う。
「なんだ、焼きもち妬いているの?」ニンマリとして面白そうに問い返した。
「……!」怒りが激しくてその思いは言葉にもならなかったらしい。
「冗談だよ、冗談。何でもかんでも本気にするのはよしてくれ。そう、え〜と、ジーゼのことだったっけ? 名付け親ってところかな?」
「はぁ? でも、数百年も昔からあの森に住んでいるんでしょう? 名前くらい……」
 サムは淋しげな視線を久須那に向けて、静かに首を横に振っていた。
「森に住むことを決定づけられた精霊・ドライアードは元来名無しさ。と言うか、森々のドライアードは精神波で会話するから必要ないというのかな? どこそこの誰それですと名乗らなくても、精神波に色があるから判る。それにね、精霊にとっちゃ数百年なんて生きているうちに入らない。実際、人間なんかとはタイムスパンが違う。ま、てめぇは天使だからジーゼとも俺とも違う」
「近くの宿場町では……?」
「テレネンセスか?」久須那はコクンと頷いた。「ドライアードが居ることは皆知っているよ。でもね……声で呼ばれなければ、……呼ばれない名前は要らないだろ? ただ、あそこがあんな大きな森になる前は……枯野だったときには魔術師の館があったって話だったが……」
「もう、何も残っていなかったのか?」
「錆びてぐずぐずになった鐘みたいな鉄くずがあったよ。……その傍に森一番の大木があるんだ」
「それが……ジーゼ?」
「そう――」サムは正面を向いて瞳だけを久須那に向けた。「或いはそれに色濃く影響を受けてジーゼが生まれたのかもしれない」
「魔術師の力?」
「違う」サムは首を横に振る。「テレネンセスの街にあのエルフの森のちょっとした言い伝えみたいなのがあってね。……一言で言えば、女の子の色褪せぬ 思い……ってことになるんだろうね」
「色褪せぬ思い?」
「知らない? レルシアと仲良しなら聞いててもおかしくはないと思ったけど……?」
「わたしじゃ、ダメなのか?」何故、そんなことを口走ったのだろう。
「はぁ?」何の脈絡もない久須那の言動にサムは瞬間、久須那の言いたいことが判らなかった。「来るものは拒まないけれどね。でも、久須那……それは」
「わたしじゃ、そのジーゼの代りは勤まらないのか?」何を思い詰めたのだろう。突き上げるような感情が久須那を衝動的に行動させる。
 サムは訴えかける久須那の眼を見つめ返し、目を逸らすと面倒くさそうに頭をボリボリかいた。
「どうしたんだ? 急に。冷静、沈着、泣き虫久須那が。取り乱したように」
「判らない。ただ……」
「ま、いいや。朝までまだ長い。寝ろや。今度は甘ったれるんじゃないぜ?」
「うん……」
 そして、二人の謎めいた夜は更けていった。