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      14. mind of mom and girl(母と娘の思い) 
      「千三百年前のことはオレに聞けと……サムが言ったのか?」 
 リボンの問いかけにデュレは静かにうなずいた。唇を軽く結んで、リボンの瞳から視線を放さずに。と言うよりは吸い付けられるような真摯な眼差しを受け止めず逸らすことは出来なかった。 
「あの男は女と見れば、べらべら何でもかんでもしゃべりやがって。何とかならんのか?」 
「あたしを見て言うな。そう言うことは久須那に頼め」 
「――妥当な線か……」リボンはやれやれと大きなため息をついた。 
「ま、今にボロボロにされて帰ってくるだろ?」 
 と言って、バッシュは奥の部屋に行って、タオルを二枚持って戻ってきた。 
「積もる話もありそうだが――、とりあえず、風呂にでも入ってこい。……二人ともひどい格好だぞ。デュレもセレスも真っ黒だ」バッシュはクスリとした。「服は篭に入れておけ、洗濯しておくよ。それまで、あたしの服、貸してやるから着てろ」 
「……風呂はそっちの廊下の突き当たりだ」 
 リボンはバッシュの言葉を引きついだ。 
「あはは♪ シリアくんさぁ、やけにバッシュんちのこと知ってるね。お二人はどういう関係?」 
「あ?」リボンは嫌なことを聞かれたとでも言うかのように訝った。 
「――居候。シリアはあたしの居候だ。久須那との腕試しの時に懐かれてしまってな。そのまま、ずるずると、こいつは遠慮なくいついて、しかも、だんだん図々しくなる。な、リボンちゃん♪」 
 バッシュはちょうど足下にいたリボンを上から微笑を含みつつ睨み付けた。 
「リ? リボンちゃん?」狼狽してリボンは怒鳴った。 
「あは♪ 細かいことは気にしなさんなって。それより、バッシュも久須那との腕試しをやってたんだ。しかも、リボンちゃんに懐かれるってことは……いいとこまで行った二人か三人?」 
 セレスはとても面白いことを見つけた風に瞳をキラキラさせ嬉々として言った。 
「さらに、きっとバッシュはリボンちゃんの好みだった。絶対そ〜だっ!」 
「……逆もまた真なり。ではないでしょうか? 嫌いな精霊をそばには置いておかないでしょ」 
 デュレはバッシュとリボンをそれとなく交互に見ながらクールさを装った。 
「え? 何? ひょっとして、バッシュとリボンちゃんって相思相愛だったの? えぇ? もしかして、あたしってリボンちゃんの子供なのぉ? じゃ、何? 父さんは父さんじゃなくて、あたしはハーフエルフかいっ! しかも、フェンリルとのハーフ?」 
「何、訳の判らないことをわめいてるんだ?」訝る。 
「え〜っ、だって、ショック……むぐっ、デュレ、何すんのさ、むぅう」 
 デュレはセレスの首根っこを捕まえて、口を押さえた。 
「喋りすぎなんです。ショックだからってそんなにぺらぺら、……サムやリボンちゃんみたいに喋りまくられたら、冗談じゃない。それにそれは思考が飛躍しすぎてますっ!」 
「でも、リボンちゃんなら、父さんでもいいかなって思ったりして」ニヒヒと笑う。 
 と、くっついてボソボソと話す二人の頭の上にタオルが降ってきた。 
「さっさと風呂に入ってこい。話はそれからだ」バッシュは呆れた眼差しを向けていた。 
「は〜い、はい。ちゃっちゃと入ってあがってきます。デュレ、行こっ!」 
 セレスはデュレの腕をとって、リボンの指した方に引きずっていった。 
「ちょっと、セレス。何であなたはそう、乱暴なのかしら」 
「細かいことは気にしな〜い♪ さぁさ、お風呂、シャワー♪ さっぱりしましょ」 
 そのちょっぴり変わったコンビをバッシュとリボンは見送った。 
「当分、出てきそうにもないから、あたしたちはちょっとだけ休ませてもらおうか?」バッシュは傍らに佇むリボンに言った。「それとも、ベッドでごろごろ、遊ぼうか♪」 
 と言って、バッシュは二階の自室に落ち着いた。ベッドにごろんと転がって、その横にしずしずとリボンが上ってきて腹這いになった。静かに流れる時。階下で水音とセレスとデュレが騒いでいるような気配もするが、至って平穏なものだった。 
「なぁ、バッシュ」リボンはしんみりとした口調でバッシュに呼びかけた。 
「何だ?」バッシュはベッドの上に座ったリボンの背中を優しくなでた。 
「……オレは何だかホントのことを言うのが辛くなってきたよ……」 
「――シリアが……」ちょっと吹き出しそうになった。「セレスの父親だってことか?」 
 すると、リボンは鋭い視線でバッシュをにらみ付けた。 
「本気にするな。……それとも……封印は解けないかもしれないと言うことか?」 
「――やはり、バッシュは気付いていたか。最高位の光の魔法。術者が鬼籍に入った今、封印を解ける確率は〇・一パーセントもない」 
「が、わたしは知ってるぞ。魔法を解かずに、破壊し、絵に封じられたものを呼び覚ます方法を。そいつをずっと捜していたんだろう?」バッシュは大きく息を吸った。「闇魔法の使い手。そして、術者を守れる力量を持ったパートナー。シェイラル司祭が求め、お前に託したのはホントはそれなんだろ」 
「そうだ……。いつから知ってた?」 
 別段、驚いた風でもなくごく平静にリボンは尋ねていた。 
「もう、何十年も前からだ。そうでなければ、いくら助けが必要だからと言って千三百年も待つ必要なはい。だろ? デュレやセレスじゃなくてもマリスと互角か……ま、ちょっと下くらいか? で渡り合えるやつはたくさんいただろう?」 
「渡り合うだけじゃ足りない。臨機応変に奇策を打ち出せないとな。そして、久須那がいなけりゃダメなんだ。天使を倒せるのは天使しかいない」 
「エンジェルズとドミニオンズでも?」素っ気なくバッシュは言う。 
「ああ、そうだ。人間やエルフじゃ足りない」 
「だがな。大人しくいしていたらマリスは動かないだろう? あいつだって深い眠りの中だ」 
「――もう、手遅れだよ。セレスとデュレが来て、歯車が動き出した」 
「……封印を解くか、破壊するかしかないってワケだ」 
「そう、……闇魔法には光の封印魔法を破壊する反対魔法がある。そいつを使えれば、誰も犠牲を出さずに久須那を伝説の向こうから呼び覚ますことが出来る」 
「はず、だろ? 封印破壊の魔法は“解く”より遙かに危険度が高い。――デュレはそれを使えるのか? 闇の深淵に足を踏み入れる。半身を闇の領域に置き……善良ではない……闇の使いがデュレを引き込もうとするぞ。……セレスがそいつらと戦うのか?」 
「――善良なる闇の精霊と契約できたら、その危険はある程度緩和できる。……それとも、そんなことを言うのは親心なのか? オレには判る……。あいつには――」 
 リボンに先を喋らせずに、バッシュは話を横取りした。 
「……お察しの通りだ。リボンちゃん♪」バッシュは笑いながらリボンの鼻先を突っついた。「セレスはあたしの娘だ。金髪碧眼。持ってる空気。仕草。あたしと同じウエストポーチをつけてる。ちょっと傷んでるけど、あれはセレスの五歳の誕生日にプレゼントしたものだ」 
 それから、急にバッシュは押し黙った。セレスが娘。そんなはずはないと思い浮かぶ思いを何度も振り払った。半日前に会ったばかりで、歳も違うはず。なのに、セレスを見ると心臓がギュッと奇妙な切なさに締め付けられた。瞳を見つめたら何かがほとばしり出そうだった。 
「大きくなったな――」バッシュはポツンと言った。 
「エルフとしてはまだまだガキだぜ?」 
「けど、あたしにしてみたらずいぶん大きくなったもんだと思うんだ? 六歳の時だ。アルタがあたしの前からセレスを連れ去ったのは。……ふふ。それにしてもああの娘も弓使いになったんだ。蛙の子は蛙。あたしの娘だね」 
 と、不意に階下から声が聞こえた。 
「バッシュ。バッシュ? リボンちゃん? どこに行ったのさ?」 
「セレス、だから、そんなに大声出さなくたって聞こえますって。大して広くもないんだから」 
「騒々しいのが呼んでるぜ? 行くか?」リボンはニヤッとしてバッシュを見つめた。 
「……デュレも十分、うるさいと思うんだが……、気のせいか?」 
「満更、気のせいでもないとオレは思うぞ」幾分、真顔でリボンは言った。 
「だよな。やれやれ、あれがあたしの娘とその相棒と思うといいような悪いような複雑な気持ち」 
「が、楽しそうに嬉しそうに見えるけどな。オレには。――セレスには言うのか?」 
「……セレスは気がついてるだろ? だったら、言う必要もないさ」 
 と、バッシュが言えば、リボンは瞳を閉じて静かに首を横に振った。 
「セレスは気付いてる。お前に似て勘がいいようだ。だが、あいつは切り出してこないだろうし、まだ耐えられるだろう。オレが言いたいのはお前が大丈夫なのかってことだ。マリスにとっての運命の波打ち際はバッシュにも運命だったんだ。このときを逃せば、もうチャンスはないぞ」 
「だけど、言ってはいけないとあたしの勘が言うんだ。いいかい、シリア。普通に育っていたら、あたしのセレスは三百歳を超えてるはずなんだ。見てくれはあたしと同じようなもん。でも、あの娘、ずっと若いよ。シリアの言うようにまだまだ子ども」 
「何者かの……悪意を感じる?」 
「うんにゃ」バッシュは首を横に振った。「ただ、アルタは時を超える秘術を見つけたんだと言っていたのを覚えていて。それがホントなら、あの娘たちはあたしたちの時の流れの中にはいない。だとしたら、干渉しすぎるのも良くないかなってさ」 
 ちょっぴり切なそうな瞳をリボンに向けた。 
「不必要な情報はいらぬ混乱を招くと……?」 
「もう十分すぎるくらい混乱してると思うけどな」 
「そうだな。……それはそれと背中をそんなになで回すのはやめてもらえないか? 背中だけ毛が抜けたらかっこわるい」 
「そうか? もう、十分抜けてるじゃないか。あたしのベッドはお前の毛でいっぱいだ」 
「え? え? そんなに抜けてるか? どこかはげてるか?」 
「何、慌ててる?」バッシュは泣きそうなリボンの瞳を見てニコッとした。 
「か、からかったな。ひどいぞ、バッシュ」 
「あははっ♪ いつも同じ手に引っかかるお前が可愛いよ。抱き締めてやる」 
 バッシュはリボンの首にギュッとしがみついた。 
「その暖かい毛皮、あたしも欲しいって何度思っただろう……」 
 バッシュは抱き締められてジタバタするリボンをよそに物思いに沈んだ。セレスはどこから来たんだろう。ここではないどこか。その点だけは確信があった。今まで、捜してきて見つからなかったのだから、1292年より未来のリテールから来たんだろう。突拍子もない考え。他人に話せば、クレージーだとか、娘を亡くした哀れな母親の妄想と思われるのが関の山。けど、それは既に振り払えない大きな想いへと成長していた。 
「――なぁ、シリア。……あたしはセレスの時代に生きてるんだろうか……」 
 バッシュはリボンの毛皮に愛おしそうな頬ずりをしながらポツンとつぶやいた。 
「藪から棒にどうした?」 
 リボンはもそもそとバッシュの腕の中で向きを変え、バッシュの顔を眺めた。 
「あの娘。いろいろ知ってる口振りだったからな。アルタはセレスと共に未来へ行ったと考えるのが妥当かなと思って。そしたらな。あの娘の驚いた顔。顔は知ってこそいれ、本物のあたしを見たことがないんだと思ったよ」とても淋しそうにリボンの頭をなでた。 
「考えすぎだ。そうだな、セレスが未来から来たとして、お前がまだ見つけてないだけだろ」 
「リテールは狭い。ドライアードのネットワークを駆使するとすぐに見つかるよ。それに懸念はそれだけじゃない。さっき、久須那の地下室でデュレが何か言ってたろ? ……地下墓地大回廊で待つ。アルタ。Gem
24。……アルタはマリスと手を組んだんじゃないか。と、そんな気がする」 
「仮にも旦那だろ? そんなこと言っていいのか」 
「もう、三百年も会ってないよ。……アルタはセレスに何をやらせたい?」 
「ねぇっ! ちょっと、バッシュ。いつまで待たせるつもり?」 
 再び、階下から苛立ちの募ったセレスの声が聞こえた。 
「大人しくしなさいっ! 騒音公害をまき散らさない。全く、鐘の音じゃあるまいし」 
「あたしの声は鐘と同じかいっ!」 
「その音量が鐘と同じだって言ってるんです」 
「……そろそろ行った方がいいんじゃないか? セレスの不満が爆発するぞっ」 
「そうだな」 
 バッシュは重たい腰を上げた。そして、大きく深呼吸をするとくるりと振り返ってベッドから心配そうな眼差しを送るリボンに微笑んで見せた。その笑顔があまりに儚くてリボンには返す言葉が見つからなかった。ただ、言葉もなく、ストンとベッドから降り立ってバッシュに寄り添った。 
「……今はお前がいてくれるだけでいいんだ」 
 まるで、自分に言い聞かせるかのようにつぶやいて、バッシュは部屋を出た。 
「ほらほら、うるさいぞ。いい加減に黙れ!」 
「あっ! バッシュ。どうせすぐには出てこないと思ってたんでしょうけど。幾ら何でも待たせすぎだって」と、がなり立てたら、セレスのお腹がぎゅるるる〜〜と大きな音を立てた。 
「……つまり、何か食わせろってことか?」 
 さしものセレスもうなじまで真っ赤になってうつむいた。 
「だって、……この街に来てから何も食べてない……」もごもご。 
「う〜ん。急にお客が来るとは思ってなかったからな。……昨日の残り物でいいか?」 
「うぅ……。食べ物だったら何でもいいですぅ」 
「ははっ。じゃ、少し待ってろ。温めなおしてやるから、テーブルについて大人しくしてな」 
 明るい声色がトーンダウンした。 
「シリア。嫌なことはさっさと済ませてしまえ」 
「ああ」バッシュの後ろから来たリボンは小さく返事をし、バッシュはそのまま台所に消えた。 
「嫌なことって何ですか?」 
「……デュレには二つの魔法を覚えてもらう」戸口から入りながらリボンは言った。 
 二人をさんざん待たせたくせに、もう時間が足りないのだと言いたげな口調だった。 
「二つの魔法?」デュレは眉をひそめた。「封印を解く……光の魔法だけじゃ……?」 
「それと封印破壊の闇魔法だ。これはデュレにしかできない。そして」リボンは眼だけをセレスに向け、睨め付けるような眼差しを送った。「セレスには呪文詠唱中のデュレのサポートを頼む」 
「何で? 封印を解くのってそんな物騒なの?」 
「禁断の闇魔法。封印破壊、呪文は知らないけど、内容はかなり有名よね。どんな高名な魔法使いでさえ、使いたがらない。光の魔法で封印が解けるならどうしてそんな危険な魔法を……?」 
「そもそも絵に封印するのも古に封じられた魔法だぜ? 封印破壊を知ってるのは流石、闇の使い手だな。……だが、解封魔法は知らないか……。あれを解くには」リボンはにわかに真顔になった。「術者……もしくは血縁の血がいる。だが、血縁の血で封印が解ける可能性は一割以下、さらに術者が違えば、確率はもっと下がって〇・一パーセント以下だ。だから、ウルトラD級の上に使うやつもほとんどないのさ。――解かないのが基本だって言うのもあるけどな」 
「ちょっと待って。あのさ、あたしよく判らないだけど」セレスは会話を遮った。 
「どの辺りが」リボンは不機嫌に促した。 
「一言で言ったら、全部」あっけらかんとしてセレスは言う。 
「全部だぁ? まぁ、いい。光の封印魔法は元々、魔を封じるためのものだ。殺せないなら、絵やその他の対象物に閉じこめてしまえばいいと言うのが発想の基本にある。だから、そう易々と解けないし、解けては困る。そのセキュリティの意味を込めて血で封じる」 
「と言うことは、その血を継ぐものが滅べば魔法は解ける?」セレスだ。 
「そう簡単にいくか。精霊とヒトがペアを組むのさ。ヒトだけじゃ魔力がたらんのもあるが」リボンはそっと瞳を閉じて少しの間、黙った。「鍵は一つよりも二つの方がいい。しかも、術者が死ねば鍵をなくすのと同じなのさ。封印は永久に解けなくなったも同然……。ま、さっきも言ったが〇・一パーセントの可能性があるんだがな」 
「ふ〜ん?」半信半疑そうにセレスが間の抜けた相づちをする。 
「いいですか? 今、シェイラル司祭の血族ってどこに何人くらい居るんですか?」 
「……アルケミスタに一人。死にかけのばあさんだよ。今更、巻き込めないだろ? そうしたら、封印は破壊するしかない。多少危険でもやむを得ないだろ?」 
「……多少じゃないと思うんですけど」デュレは流し目でリボンを見た。「――けど、そのアルケミスタのおばあさんにも会ってみたい……。もしかしたら、伝説の一端を知れるかもしれない」 
「知的好奇心ね」呆れたようにリボンが言った。 
「あ〜、火がついたら燃え尽きても止まらないから注意した方がいいよ。リボンちゃん」 
「もう、手遅れみたいだぜ?」リボンはデュレの煌めく瞳を見てため息をついた。 
「しかし……。封印破壊ですか……」デュレは腕を組んで、あごの辺りをそっとなでた。 
「何故故にそんな物騒なものを使うのか。だってさ」 
 セレスの発言を無視して、デュレはぶつぶつと半ば独り言のように喋った。 
「――封印破壊は半身を闇の領域に置き、尚かつ、魔を召喚する術に通じるところがある……。天使召喚の魔法も“光”と“闇”の違いだけで根本は繋がってましたね。確か」 
 そして、中空を舞っていたデュレの眼差しはリボンの上ではたと止まった。リボンはその呟きを受け止めて無言でうなずいた。精神的なパワーでこの世界とは直接関わりを持たない異界の扉を開けそうになったり、開けてしまうという点では同じだった。 
「ということは……ですよ。封印破壊をアレンジすると天使の召喚も夢じゃない?」 
「バカなことはやめておけ」リボンは声のトーンを落として、デュレをたしなめた。「環境が整えられていない状態でやるとお前が異界に投げ出される結果になる……」 
「ただ言ってみただけですよ。わたし、セレスみたいに無鉄砲じゃありませんよ」デュレはセレスを見る。セレスはテーブルについて、頬杖をつきながらデュレを睨んでいた。「でも、封印破壊魔法はわたしの得意な聖なる闇じゃない……」 
「ああ、数少ない邪なる闇魔法だ」 
「何、それ?」セレスは退屈そうにテーブルに突っ伏して、投げやりに質問する。 
「簡単に言うと表と裏だよ」リボンはテーブルに飛び乗ると、セレスの頭を前足で踏みつけた。 
「何すんのさっ」セレスはぶんぶんと手を振ったけど、リボンに掠りもしなかった。 
「真面目に聞けと言ってるんだよ」 
「……普通の闇魔法は術者に危険は及びませんが、パワーに欠けます。裏は、闇と言うよりはむしろ“魔”に近いのかも知れませんね。わたしも少しは知ってますけど、ロクでもない魔法ばかりです。その気になればリテールを丸ごと吹き飛ばすことだって可能です。セレスに判りやすいように端的に言えば、リミッターの壊れた闇魔法と言ったところでしょうか」 
「はぁん?」興味をなくしたようにセレスは言う。 
「ま、セレスにゃ、どうでもいいことか。弓を持ってデュレをしっかり守ってくれたら、それで万事オーケーだ。こういう時、凄腕の弓使いが居ると頼もしいよな♪」 
「お転婆、お間抜け、適当娘でよろしければ……ねっ」 
 デュレはセレスの顔を下から楽しげに覗き込んだ。 
「ねっ。じゃないやいっ。どうして、デュレはそやってことある度にあたしを虐めるん?」 
 セレスは椅子をひっくり返して、勢いよく立ち上がるとデュレに詰め寄ろうとした。 
「虐めてませんよ。わたしはホントのことを言っただけです」 
「……緊張感がないな。この二人は。……久須那との時といい今といい。身の程知らずなのか。それとも、底知れぬ実力の持ち主なのか……」リボンはニヤリとした。「ともかく、封印破壊は危険すぎて練習や模擬訓練なんかできないからな。一発勝負の賭だ。下手に呪文の詠唱練習をするととんでもないことになるからな」 
「そんで、しくじったらどうなるん?」興味津々とばかりに瞳が輝く。 
「いい方と悪い方、どっちから聞きたい?」リボンは思わずほくそ笑んだ。 
「うげっ! どっちも良くなさそうじゃん?」 
「まあ、そう言おうな。……良くて闇の住人。運がよけりゃそれでも帰ってこれるさ。悪けりゃ、闇の領域と現世の狭間を永遠に彷徨うことになる。実例もあるから信憑性が高いぞ」 
「そんなのに信憑性があったって嬉しくない」セレスは憮然として言い放った。 
「シリア、話は終わったか? 食事にするぞ。物騒な話はなしだからな」そして、急にニヤリと笑った。「シリアは床で食うか? テーブルはいっぱいだ」 
「な? オレに床で食えっていうのか? 犬ころじゃないぞ。おま、天下の精霊王さまに向かって何ちゅう言いぐさだ」と言いつつも、まだリボンの瞳は笑っていた。 
「お前がそんなことを言っても似合わないよ」 
 バッシュは膝を抱えてリボンの前にしゃがみ込むと鼻先をぱちんと叩いた。デュレは面白おかしそうにその微笑ましげな様子を眺めていたが、セレスは心中穏やかならざるものがあった。自分のおもちゃを取り上げられたように気がして、どうも気に入らない。嫉妬心が湧き上がって、リボンを奪い返したい衝動に駆られた。 
「リ、リボンちゃんはあたしのもん! バッシュになんか絶対あげないっ」 
 セレスは思い切りよくリボンの尻尾を引っ張った。すると、セレスのただならぬ雰囲気に気圧されて、バッシュはリボンを羽交い締めにして、セレスに引っ張られないように頑張った。 
「ちょっと待て、お前ら。オレは綱じゃないぞ。バッシュ、首。首が絞まる! ――セレス、力一杯ひっぱるな! 千切れるって、尻尾。放せ〜っ!」 
「絶っ対に放すもんか! リボンちゃんは誰にも渡さないんだからっ」 
「デュ、デュレ? ちょっ、助けて?」リボンは音を上げてデュレに助けを求めた。 
「デュレは関係ない。あたしとセレスの問題だ。あたしだって、シリアくんを放すつもりはない。大体な、そもそもシリアはあたしのもんだ。後から来たセレスにどうしてやらなきゃならんのだ」 
 バッシュとセレスの瞳の眼差しが激しく火花を散らす。 
「オレの権利はどうだっていいってのか?」 
「後先なんて関係ないもんっ! あたし、リボンちゃんが好き! だから、あげないっ」 
「……ねぇ、折角のシチュー、冷めちゃうんだけど――先にごちそうになってもいいかしら?」 
 戯れる三人を眺めながら、デュレはため息混じりにつぶやいた。  
      
  *
      
      「うん……」 
     深夜、セレスは小さな物音に目を覚ました。ベッドが軋む音。そして、そろりそろりと音が出るのをはばかるかのようにカーテンを開く音がした。セレスはムクッと上半身を起こして、キョロキョロと辺りを見回した。隣にデュレがいない。 
    「デュレ? どしたのさ? 眠れないの? 外なんかそんなに眺めちゃってさ」 
    「あ……、ごめんなさい。起こしちゃいました?」カーテンの端を握ったまま振り向いた。 
    「……ううん。気にしないで」セレスはタオルケットの裾を掴んだまま言った。 
     デュレは窓を開けると、身を乗り出して辺りの景色を眺めだした。 
    「切ない……ですね」 
    「はぁ〜ん? デュレがそんなこと言うなんて珍しいね。クールに決めるキミが妙に感傷的で」 
     セレスはベッドから降りるとデュレの隣に並んだ。そして、一緒に空を眺めた。二百年後も変わらない空の色。けど、二百二十四年後に戻った時、この星々の煌めく濃紺の空色を見ることが出来るのだろうか。答えは否。決して、手が届かないものに変わり果てる。 
    「ねぇ、デュレ。あたしね。……ホントは……父さんが父さんかどうかも判らないんだ」 
    「?」セレスの不意の告白にデュレはドキンとした。 
    「確かに物心ついたときから十二の時まで父さんはいた。あたしにあの水色の欠けらを残していなくなるまでは。けど、判んない。バッシュが母さんだってより不確か。父さんとの最後の記憶。手をつないでシメオン遺跡を眺めていた。『お前はまたここに来る』そう言われたのも覚えてる」 
     そして、セレスは左手の平をじっと見つめた。 
    「でも、あたしの手に温もりなんか残ってなかった」 
    「……」 
    「あたしに残ったのはあの欠けらと淋しさだけ。だから、追いかけようと思ったんだったなって。図書館にも通ったし。……けど、結局な〜も判らなかったな」と言って、セレスは急に照れくさそうにはにかんで頭をかいた。「デュレと知り合えて良かった。キミがいたから、ここまで追いかけてこれたんだって。そんな気がする――」 
    「どうしたんですか? 急に?」 
    「べ〜つにっ!」ケラケラと笑った。「たまには感謝の意でも表現してみようかなって」 
    「よしてください。らしくもない」 
    「そう、らしくないね♪」セレスは笑いながらデュレの背中を叩いた。 
     ォーン、ゴーン、ゴーン。時計塔の鐘の音が遠くから響く。 
    「午前三時。ねぇ、あの鐘のご近所さんって、夜、眠れないんじゃないかな?」 
    「かもしれませんね」朗らかにデュレが言った。 
    「ま、寝ようよ。まだ先は長いし。今日はGem 20。約束の日まで、まだ五日もあるし。シメオンが本当に滅ぶって言うなら、そんな時に寝不足だなんて格好つかないよ」 
     セレスはデュレの肩にポンと手を置いた。
       
      
       
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