12の精霊核

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21. it's snowing at the street(雪の降る街で)

「……名前は……、……いや、名前なんかあとでいい。あとで思い出す……」
 そして、言葉を切るたびにリボンは言った。まるで、自分自身に言い聞かせるかのように。デュレやセレス、みんなに語るのは間違っていないと確認するかのように。
「やはり、オレは知らない方がいいと思う。知っていいことと、悪いことがあったとしたら、これは悪いことだ。だから、何が変わるでもないと言うのもまた事実。――もし、変わることがあったとしたら、……まぁ、いいさ。デュレ、お前なら、最後の時に自ずと気付く」
 リボンは千数百年間、心の奥にしまっていた思い出を語り始めた。
「……オレが久須那と初めて会ったのはAquarius 9, 5。今でもよく覚えている。雪が珍しいこのリテールで……雪が降りしきっていたよ。その頃、オレはホンのガキで自分の力もまともに使えず、操れなかった……。ゼフィもよく呆れてたよなぁ……、ゼフィ……」
 リボンの眼から、一滴の涙がこぼれ落ちた。

 千二百八十八年前。リテール協会、聖都・シメオン。
 昨日からの雪は一向にやむ気配は見せなかった。それどころか、激しさを増すばかり。降雪も少なく、積雪など稀なこのリテールではとても珍しいことだった。灰色の空から雪は止めどもなく溢れ落ち、灰色の石畳を白く染め上げようとする。雪はしんしんと降り続ける。
 激しい降雪は道行く人たちの視界を遮り、行く手を阻む。
「さ、寒いよ。ゼフィ……」
「寒いよと言われてもねぇ」ゼフィと呼ばれた女は困ったように呟いた。「シリアがきちんと魔力をコントロールできないから、こんなコトになるんです。だから、毎日、口を酸っぱくして言ってるでしょう? 基本をおろそかにせずに……」
「あ〜もう、判ったよ。ゼフィ。これからはちゃんとするから、何とかして……くしょんっ!」
 シリアは大きなくしゃみを一つした。
「……シリアの風邪が治まるまでは無理そうですよ?」たしなめるようにゼフィは言う。
「そんなぁ……。くしょんっ! あ〜鼻水……」
「氷の精霊王になる方が情けない」ゼフィはため息をつく。
「そんなことを言ってもしょうがないだろ」シリアは頬を膨らませてぶつぶつ文句を垂れた。「宿屋の親父が『犬は外で寝てくださいね』だとか抜かすから。ゼフィだってそうだ。何が『あら、そうなの? シリアちゃん、今日は外でおねんねね』だ?」
 どうにもこうにも止まらない。
「他の宿を探してくれてもいいのにっ!」
「あの村にはただ一件の宿よ? それとも、シリアはわたしに野宿を――?」
「そ、そんなこと言ってないもんっ!」
 すっかりうろたえたようにシリアはいう。どうも、ゼフィが苦手のようですぐに反論できなくなってしまうようだった。その同じ時間、同じ通りを市民たちによく名の知れた二人が街の外れに向けて歩いていた。
「しかし……。昨日、今日と随分、雪が降りますね?」
「……」声に呼ばれた人は通りのずっと奥を見詰めていた。
「レルシアさま?」
「え? ……はい? 何か言いましたか? 久須那?」虚を突かれたようにレルシアが言う。
「いえ、別に。こんなに雪が降るのは珍しいと……」
 久須那は共に歩く、レルシアの横顔を何となく眺めた。と、レルシアが横を見て目が合う。
「ひょっとしたら、あそこを歩いてる不思議なカップルのせいかもしれませんよ?」レルシアは視線の先に何かを捉えたようだった。「子狼と……精霊の女の人……でしょうか?」
 レルシアは目をこらしてよく見ようとしたが、雪に霞んでよく見えない。
「そのようですね。ただ、……子狼はフェンリルのようで、女の人はフラウ?」
「だとしたら、この降り止まない雪の原因はあの子かもしれませんね」
 レルシアは視線を雪の上をトタトタと頼りなく歩く、可愛いフェンリルの子供に向けた。
「あの子?」久須那は不思議そうに繰り返した。「あの子ってあの子?」
「ええ、今、大きなくしゃみをしましたよ。ちょっと、お話ししてきましょうか」
 と言って、レルシアは雪で悪くなった足場を気にも留めずにスタスタと歩く。この間の事件のせいもあって、シメオン、テレネンセス、アルケミスタなど、リテールの中央地域には精霊が立ち寄ることも少なくなっていたので、珍しかった。土着の精霊はさらにその傾向が強く、その居住区域とも言うべき精霊核の影響範囲から出ることを避けていた。
「レ、レルシアさま。急ぎ足は危険です。もっと、ゆっくり……。――うわっ!」
 足を滑らせて、久須那は後ろに勢いよくひっくり返った。実のところ、ここに来て三年弱の間に雪が積もること降ったことはなかった。だから、雪道は初めて。レルシアのことよりも自分の足元を心配した方がいいと言うくらいに。久須那は家の壁を掴んで何とか立ち上がると、レルシアの後ろ姿を追いかけた。
「……ねぇ、ゼフィ……。鼻……かみたい……」
 シリアはゼフィを見上げ、ゼフィはシリアを困ったような眼差しで見下ろした。
「ど、したの? ゼフィ?」間の抜けた鼻声でいまいち締まらない。
「全部使い果たしました。そのだらしのないお鼻さんのおかげでね? はな垂れくん?」
「は? はな垂れくんって! ゼフィでも言っていいことと悪いことが……はっくし」怒ってもさまにならない。涙目で鼻水は止まらない。「あ〜……」
「……情けないですね」ゼフィは思わず苦笑を漏らした。
「――、どうぞ、これをお使いください……」
 ゼフィとシリアは聞き慣れぬ声を聞いた。それから、スッと目の前に紙の束が差し出される。
「え」ゼフィは一瞬戸惑った。「あ、ありがとうございます。シリア、お礼を……」
 ゼフィはシリアの傍らにしゃがみ込んでその鼻をごしごしとこすった。
「ありがとう……ごじゃいまひゅ」情けなさを通り越して、恥ずかしさに瞳が潤む。
「どちらから、お越しに?」丁重に尋ねたのはレルシアだった。
「北リテールの山奥から、この子がどうしても中央に来たいというものだから」
「違うよ。父上が行けって。オレは嫌だって言ったのに」
 ゼフィはメッと言う視線をシリアに向けて、その頭をペンペン叩く。
「何事も修行です。そう言われてきたのでしょう? お父様に?」
「そうだけどさぁあ? 寒いし、雪降ってるし、人がたくさんいるところは落ち着かないから嫌い」
「苦手を克服しなさい。とも言われませんでしたか?」
 さらに畳み掛ける。そうなっては、シリアもぐうの音も出なくなってうつむいて押し黙った。
「レ、レルシアさま。そ、そちらは……?」ようやく久須那が追いついた。
 途中、またどこかで転んできたのか、久須那の白いスカートがさらに濡れていた。
「あら、わたしとしたことが」レルシアは朗らかに笑う。
「わたしはゼフィ。こっちのはな垂れくんはシリアです」
「だから、はな垂れくんって言うなよ。ゼフィ!」シリアは怒ってゼフィの足の甲を踏んづけた。
「けど、ホントなんだから仕方がないでしょう? はい、ち〜んして?」
「い、いいよ。格好悪い……」もじもじとして、シリアはゼフィの後ろに隠れた。
「ふふ。可愛いですね♪ そう、わたしはリテール協会にてカーディナルをつとめさせて頂いているレルシア。こちらは」レルシアは右手で久須那を指した。「天使長・久須那……」
「レルシアさま、天使長と呼ぶのはやめてください。どうも、こそばゆくて、落ち着かない」
 久須那はレルシアの横に並んで正直な意見を述べる。
「協会の方なのですか?」ゼフィの言葉と同時に、シリアがひょいと顔を覗かせた。
「そうです」レルシアがゼフィのこわばった様子を察して、神妙な面持ちになった。
「……わたしたちを捕らえるつもりですか……」
「いいえ……」レルシアは瞳を閉じて静かに首を横に振る。「どうして、そのようなことを?」
 答えは判りきっていた。昨年までの“邪教徒、精霊狩り”が尾を引いているに違いないのだから。
「……協会の精霊狩りは有名は話ですから……」
 ゼフィはレルシアから目をそらし、控えめに答える。レルシアには予想通りだった。
「……もう一つよろしいですか?」レルシアの瞳を見詰めてゼフィは頷いた。「ありがとう。あなた方は、何故、そうと思いつつ、シメオンに来たのですか?」
 レルシアは少しのよどみも、遠慮もなく綺麗にさらっと発言した。降りしきる雪。黙っているとすぐに肩に雪が積もる。その中を二人はしばし見つめ合ったまま動かなかった。
「くしょっ! ……ゼフィ、鼻……」
 けど、ゼフィはレルシアと対峙して、シリアのことを構ってくれない。シリアは鼻水を地面にたらしそうになりながら、情けない顔をして一生懸命に鼻をすすってる。見かねた久須那はポケットからティッシュを取り出して、シリアの鼻先をそっと拭いてやった。
「あ……ありがとっ」シリアは気恥ずかしそうに礼を言った。
「どういたしまして」久須那が柔和な笑みを浮かべると、シリアはちょっと恥ずかしそうに下を向いた。そんな些細な仕草を見て、久須那はシリアを可愛いと思う。「レルシアさま、いつまでも立ち話も何です。近くに手頃な喫茶店を知っていますから、そちらで……」
 と言っても、聞いているのかいないのか、ちっともコメントがえられない。
「――仕方ない、引っ張っていくか。レルシアさま、行きますよ。ゼフィさんも」
 久須那はげんなりしたような憂えた表情を浮かべ、ため息をついた。
「ゼフィ? 喫茶店だって。ホラ、行こうよ……。……ねぇ、オレは入れるの?」
 シリアは怖々と久須那に尋ねた。久須那は再び腰を落とすと、シリアの頭を優しくなでた。
「精霊を追い出すようなシメオンにはないよ」
「ホント?」顔がぱっと明るくなって、尻尾をふりふり。「ゼフィ、行こうよ」
 シリアはゼフィのズボンに噛みついて引っ張ろうとしたけれど、ぴくりとも動かない。
「ねぇ、ゼフィったら……。くしゃんっ。……あ〜、かっこ悪い」鼻がぐしゅぐしゅする。
「シリアくんの風邪がこれ以上ひどくなってはたまりませんよ。レルシアさま?」
「くしょんっ」シリアはまた大きなくしゃみをした。
「……そうですね。史上空前の大雪になったら、困りますし。久須那、案内してください」
 そして、三人と一頭の一行は街の外れのこざっぱりとした小さな喫茶店に入った。天井からは鉢植えがつるされて、緑で満たされた店内。テーブルは三つと少なく、木製のカウンターの前にはこれもまた小綺麗な丸椅子が六つ並んでいた。
「マスター」久須那はカウンターの裏でのんびりとしていた年寄りを呼んだ。そして、店内を一回り見渡して「……大聖堂の裏にあった時とあまり変わらないな……。客、なし……」
「余計なお世話だよ、久須那。それよりも、ご注文は何になさいますか?」愛想笑い。
「そうだな。紅茶と……シリアくんはミルクか……?」
「雪が積もらなきゃ、何でもいいよ」
 三人がカウンターにつき、シリアはゼフィの座った丸椅子の足元に丸くなった。
「じゃあ、それで頼んだよ。マスター」
 と、席に腰を落ち着けて、改めてゼフィを見定めるとふとあるものに気がついた。一見、普通のペンダント。銀のペンダントトップには六芒星が描かれた魔法陣が施されていた。その六芒星の中央のくぼみには半透明に透き通った白い石が収められていた。
「そのペンダントは……アミュレット……ですか?」
「――あら、魔法アイテムに詳しいのですね?」
 ゼフィは首からさげたペンダントを左手でもてあそんだ。
「その六芒星の真ん中に収められているのは白い精霊核――。あなたの?」
 久須那はペンダントを失礼にならない程度に見詰め、顔を上げた。
「ええ。そうです……」
「誰が……?」久須那は再び問う。「アミュレットを作れる職人は限られているし。それに精霊核の欠けらをはめ込むスキルを持つ魔術師も、また希少価値ほどしかいない……」
 途中からは半ば上の空のような呟きにも似た頼りない口調だった。

「つまり、それはどういう事なの?」
「……幾ら、お前でも判らないとは言わせないぞ」
 リボンは左のまぶたを釣り上げて、意地悪そうにセレスを眺めた。
「判らないなんて……、うぅ……、そうかもしれない」セレスはがっくりうなだれた。「だって、もっと、こう何て言うかな。簡潔に、一言か二言くらいで……」
「一言二言で言えるなら、最初からためらわずに喋ってるよ」
「――面目ない」さらに小さな声でセレスは言った。
「ま、いいさ。理解を急ぐことはない。――バッシュ、水をもらえるか」
「ああ、いいぞ。ちょっと待ってろ」
 腕を組んで壁に寄り掛かっていたバッシュはキッチンへと消えた。
「……つまり」セレスの隣の席に着いていたデュレがそっと尋ねた。「わたしがシェラさんからいただいたアミュレットは……?」
「つまりも何も、その通りさ。その昔、それはゼフィの持ち物だった」
 そこから先どんな経緯を経てデュレの手に渡ったのか。聞かなくても判るような気がした。リボンがいて、ゼフィがいない。その事が全てを物語っていると思う。二人は一組のはずで、どちらか一方が欠けて存在するなど本来あり得ないことだったから。デュレはサムがいった言葉を思い出した。『バッシュが現れるまで可哀想で見ていられなかった』だとしたら、リボンは少なくとも、それからの千年間は一人で過ごしてきたのだ。そして、セレスがアルタから聞いた来た言葉が真実だとしたら。デュレは何も言えなくなって、うつむいた。
「ホラ、水だ。飲め」そこへ、バッシュが現れた。
「ありがとう……。って、お前は皿に入れてくるのかっ!」
「コップじゃ飲めないだろ、その口じゃ。今さら、何を言うか」呆れている。
「ま……、いい。話の続きをしようか……」再び、リボンは話し始めた。「ゼフィは久須那とレルシアを信じて言った。はは、魔法アイテムを欲しがる輩は今も昔も大勢いるからな。……今のマリスも同じようなものか……」
 リボンは儚い笑みを浮かべた。

「このアミュレット……」ゼフィはペンダントをギュッと握りしめた。「テレネンセスの司祭、シェイラルさんが作ったものなのです……。けど、テレネンセスは壊滅したと聞き及んで……」
 ゼフィは涙ながらに語り始めた。しかし、
「そのシェイラルさんって、わたしのお父さん……。しかも、生きてるし……」
「――え?」ゼフィはキョトンとしたようにレルシアを見詰めた。「けど、狼王さまが……」
「ゼフィの早とちり何じゃないの?」
 お皿に注がれたホットミルクをぺちゃぺちゃと飲みながらシリアは発言した。
「何ですって?」ゼフィは突き刺さるような視線でシリアを見下ろした。
「だってさぁ? 中央リテールの様子とそのおっさんに会って来いとは言ったけど。死んだとか、いなくなったとかは言ってなかったよ?」
 まるで他人事のようにシリアは言って、またお皿に顔を預ける。
「ゼフィとシリアはお父さん、いえ、シェイラルに会いに来たのですか?」
「……正確にはちょっと違います」
 ゼフィはそれ以上のことを喋るべきなのか否なのか、少し迷っているようだった。シリアを見れば、我、感知せずを決め込んだかのように転がっている。ゼフィにしてみたら、たまったものではない。元々はシリアがその任を請けてきたのであって、ゼフィはその後見人に過ぎない。
「シリア、全部、話してもいいのですか? 決めるのはあなたですよ?」
「いいんじゃないの? レルシアも久須那も信用できそうだし?」
「……もっとやる気を出しなさいっ!」
 ゼフィは遊んでるシリアの尻尾を思い切りよく踏んづけた。
「ぎゃんっ!」シリアはお皿のミルクをぶちまけて、飛び上がった。「何するんだよ。ゼフィ! うう……」シリアは尻尾をふーふー吹いた。「足跡型に尻尾が変形しちゃった。くしょんっ」
「全く、困ったちゃんなんだから。いずれは狼王さまの後を継ぐのですよ?」
 レルシアと久須那はつい、子狼と精霊の凸凹コンビに見入ってしまった。
「あ〜う〜、かっこ悪いよぉ〜。もお、話してもいいよ。だから、鼻水止めて……」
 シリアはそう言うことの重大性よりも止めどない鼻水の処理の方が重要らしい。
「シリアがそう言うのでお話ししますね♪」ゼフィは暫く無視を決め込んだようだ。「……とりあえず、この前までのゴタゴタには決着がついたようですよね?」
「完璧とは言い難いですが、しばらくは平穏に過ぎるかと思いますよ?」
 レルシアがそう言うと、ゼフィは静かに首を横に振った。
「――わたしたちが気にかけているのはこれからの協会の動向と」
「と?」レルシアはゼフィの真摯な眼差しを正面から受け止めた。
「……狼王さまは気付かれておいでです……。新たな野望の芽が芽生え始めています」
「そうですか……?」レルシアはティーカップを口に運び、紅茶を一口飲む。「……わたしたちに安寧の時は来ないのかしらね……? 久須那?」
「はぁ……」返答のしようがなくて久須那は生返事をした。「予言……なのか?」
「違いますよ。狼王さまは“予兆”を感じられるのです……。予言と言うほど何もかも、判っている訳ではないくて……。ええ、本人がそう言ってますから、間違いないですよ」
「……何だか、父上をバカにされてる気分」
「尊敬してます」さらっと言ってのける。
「説得力ないよね。ゼフィ。は……、くしゃんっ! は〜う〜」
「……はぁ、まずはシリアの風邪を何とかしないと雪も降り止まず、さらに激しくなるばかり」
「ねぇ、今晩はどこに泊まるの?」
 ゼフィの言動に急に不安を感じたのか、シリアは尋ねた。前の村のように自分だけ野宿させられたのでは冗談ではない。ゼフィが言ったように、風邪をこじらせたらどうなるか判らない。自分の容態と言うよりはむしろ、魔力をコントロールできなくなったらどうなるのか不安なのだ。
「ねぇ、ゼフィ。それ決めてから、盛り上がってくれない?」
 その様子をレルシアは微笑ましげに眺めていた。そして、
「今日はどうですか? わたしのうちに……」
 すっかり雪に閉ざされてしまった街路を窓から見ながら、レルシアは言う。この街に十五で来て、二十年あまり。真っ白になったシメオンは初めて見る光景だった。
「しかし、ご迷惑では……?」遠慮がちにゼフィは声を細める。
「構いませんよ。むしろ、是非とも使って欲しいですよ」
「ねぇ、ゼフィ? 使わせてもらおうよ。また、この前みたいなこと言われたヤダし。ね? でないと、……くしょんっ! あ〜。この街が雪の底になっても知らない……」
 ゼフィは困り果てたようにシリアを見詰めて、垂れた鼻水を拭き取った。
「風邪がひどくなったら、本当にそうなってしまいそうですね……」
 そして、ゼフィは決心した。リシリアを抱っこすると、改めてレルシアと対面する。手を身体の正面で合わせて、ペコリと一礼をした。
「お言葉に甘えて、二、三日、お世話に……」
「シメオンに滞在中、ずっといらしても構いませんよ」にこやかにレルシアは言う。

「ちょっと待ってください! それって、つまり……」デュレは椅子をひっくり返した。
「……多分、デュレの想像したとおりだと思うぞ。言ってみろ」リボンは静かに言った。
「まさか、ここはレルシアさまの家……?」
「そうだよ。と言ってもレルシアは大聖堂にほとんど入り浸りだったけどな。だから、オレたちにシメオン滞在中は好き使ってもいいと言っていた」
「あの、いいですか?」デュレが聞く。「そうしたら、シェラさんは、ううん。シェイラル一族はどこに住んでいたのですか?」
「ふふ、シェイラル一族って一口に言うけどな。たくさん居たんだぜ」朗らかに言った。「今でこそ、シェラしかいないけどな……。まあ、その時はレルシアとシェイラルのおっさん、二人だけだったが、増えた」リボンは瞳を閉じた。「短い間だったけどな。楽しい時を過ごしたよ……」
「楽しい時代でしたか……」シェラは言う。
「ああ……」
「じゃあ、今はリボンちゃんの家? あれ、だって、バッシュはリボンちゃんが居ついたんだって」
「ウソはついてないよ」バッシュが言った。「なぁ、シリア?」
「もちろんだ」目を合わせて、二人で大笑い。
「あたしとシリアの出会ったのはここじゃない。ここに来る前はちょいと野暮用で一年くらい王都にいてね。そっちで会ったんだ。それからシリアがあたしのうちに居ついて、ま、何て言うか、いい空き家を知ってるって言うから引っ越してきたんだ。前はもっと街の北にいたんだ」
「つまり。何? バッシュはリボンちゃんの彼女かなんかな訳?」
 むっつりとした表情でセレスは言う。気に入らない訳ではないけど、あまり気分は良くない。出も、お相手がリボンなら許せないこともないような、心中見事に複雑である。結局のところ、自分のおもちゃが実はバッシュのものだった。なんてことになったらどうしようと考えたりする。
「何、焼き餅焼いてるんだ? お前?」バッシュは微笑んだ。
「だ、だって、あたしのリボンちゃん……」もごもご。
「そんなに心配することないだろ? 帰ったら、リボンはセレスのものだろ?」
「前も言ったような気がするがな? オレはお前らの持ち物じゃない。その点、忘れるな」
 リボンは相変わらずシェラの横で丸くなったまま、二人を激しく睨んだ。けど、威圧感はない。恐そうな空気を醸し出そうとしているけど、嬉しさの方が先に立っているらしい。
「そして、デュレ。話の腰を折らないでくれ。いや、止めるのは構わない、だが」やはり、リボンはセレスを見た。「セレスに口を挟ませる隙を与えるな。あいつ、うるさいっ!」
「な、何だって、あたしばっかり、やり玉に挙げるのよ? バッシュだって」
 ふと思い立って、セレスは横を向いた。すると、デュレが非常に不機嫌な様子でテーブルをコツコツと叩いていた。流石のセレスもドキリとする。このまま変なことを言うと、魔法炸裂となりかねない。レイアの特訓でパワーアップしたらしいから命の危険もあり得るかも。
「あ、あははぁ〜。はい、黙ってます……。その代わり、寝ても怒らないでね?」
「寝たら怒るに決まってますっ!」
 デュレはセレスの頭に遠慮なくゲンコツをくれた。
「いったぁ〜い。いちいち、ぶたないでよぉ!」セレスは頭を押さえてデュレを睨んだ。
「セレスみたいのには身体で判らせないとダメなんです」
 腕を組んでぷいと横を向いてしまう。
「へ〜へ。もう、いいわ。大人しくしてるから続けて」テーブルに伏して、右手をひらひら。
「そうか? ……全く、お前らといたら、退屈しないよ。……ゼフィもいたら」
「そう言う話はやめにしよう?」
 壁によりかかっていたバッシュがつとリボンに歩み寄り、その前で膝をついた。
「そう言うことはあとであたしがゆっくり聞いてあげるよ……」
 と、バッシュの優しい声色を聞けば、セレスは落ち着かない。出来るだけ、大人しくしていようとは思うけど、リボンのこととなると何故か、黙っていられない。
 その雰囲気をいち早く察知して、デュレはセレスの頭を押さえつけた。ごちんっ!
「あ痛ぁ〜。こら、デュレ、何するのさ!」
「リボンちゃんは帰るまでお預けです。少しくらい、我慢なさい」
「うぅ〜。はい〜」セレスは渋々デュレに従った。
「そうだな。続きに戻ろうか」リボンは淋しさを振り払って、再び話の続きに戻ろうとした。「オレたちはレルシアの好意に甘えて、春先までの滞在中は世話になることにしたよ。ふふ、懐かしいな。懐かしいよ……。そう、マリスやレイヴンと会ったのはそれから、二、三日した頃かな。珍しいものが来てるんだって? と言って、好奇心いっぱいの子どもみたいだったよ」
「そう言うお前は子どもだったんだろ?」バッシュはリボンの背中をそっとなでていた。
「ああ、あの頃はオレもホンのガキだったよ」
「リボンちゃんにもきちんと子ども時代があったんだね?」
「あのなぁ、いきなり大人の姿で生まれてくるやつなんかいるか?」
「うふ〜ん♪ リボンちゃんならあり得るかなって。だって、妙に自信たっぷりで堂々としてるから。生まれた時からそんな感じで、枕みたいだったんだろうなぁって」
「枕? どういう意味だそれは?」
「あはっ♪ そっか、キミはまだ知らないんだものね?」
 そう言うセレスに対して、リボンはひどく憤りを感じたようだった。けど、いつものお戯れと解して深く追及はしない。セレスはきっともっと構って欲しいんだろうと思うけど、今はダメだ。
「あとで枕にでも何でもなってやるよ。今は……聞け……」

 風邪がようやく治りかけた頃、シリアは黒き翼の天使たちと出会った。シリアの体調の回復と共にシメオンの天候不順も収まり、降り積もった雪もほぼ解けきっていた。