12の精霊核

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24. a portrait of recollections(思い出の肖像)

「で、あなたはどうしたいの? ゼフィ」
 戸口に寄り掛かったままだった迷夢はゼフィの横の席に陣取った。
「マスター。緑茶ちょうだい」そして、開口一番は飲み物の注文。
「緑茶? 高いよ?」
「高くても何でもいいから、欲しいのよ。紅茶は飽きたの。……ゼフィ。答えは?」
「は?」
 意表をつかれてゼフィは素っ頓狂な声を上げた。迷夢の興味はお茶に逸れて、自分のところには暫く戻ってこないと思いこんでいた。
「あ〜、もう、まどろっこしいなぁ」迷夢はカウンターに肘をついて頬杖。「ダメよ。人の話は最後まできちんと聞かなきゃ」
「……!」
 そんなことを迷夢にだけは言われたくない。しかも、迷夢はこの性格。怒ったところで、聞きはしないだろうし、変にこじれるか、一人で勝手に憤慨されるのが落ちだ。だから、ゼフィはその事には敢えて触れずに迷夢の望む答えだけを喋ろうとした。
「わたしがシメオンを冥界に落とすのだとして、マリスが異界との扉を開け放つのだとして、あなたはどうしたいの?」迷夢は湯飲みを手にして、ゼフィに向き直るとくるりと瞳を閃かせた。「だって、ゼフィや精霊王さまには直接関係ないじゃん。利害の一致も不一致も何もなし。かすりもしなけりゃ、すれ違ったりもしない」迷夢はゼフィをニヤリと見据える。
 ゼフィはひたすら喋り続ける迷夢に気圧されて少しばかり困惑気味だ。
「これがさぁあ? シオーネやシェイラルさんから直接振られたんなら、話は判るのよ。でも、何故にゼフィなのかなぁって?」瞳をくりくりとさせる。
「全ての生あるものたちのために――」
「ちぇっ。ゼフィはいつも格好良すぎなんだよね。ま、気取ってなくて、そゆことをフツーに言えちゃうゼフィが好きなんだけど」
「ありがとう」どう返答すべきかちょっとだけ戸惑う。
「けどさ。判ってるんでしょう? わたしもマリスも自分の思いに忠実なだけだったこと。――一世一代の賭に出るのに他人の意見なんて無用なのよ。わたしにとってそれが正しいか否か、それしか問題にならない」
「悪意はないと」ゼフィは慎重に問う。
「ある訳ないじゃん」迷夢はキョトとして、あっけらかんに言い放つ。「だからさぁあ? 久須那にも言ったけど、わたしは誰かに犠牲になって欲しいのでもなんでもないのよ。この街の精気さえだけもらえたら、それで十分。わたしはマリスとは違うのよ?」
「しかし……」何か言おうとするゼフィを迷夢は遮る。
「それも久須那に言われた。けどね。久須那とゼフィがいてくれたら、市民を集団魔法にかけるのも容易いと思うんだよね? ねぇ、手伝ってよ?」
「手伝えたら良かったんだけどね……」
「……そっか、ゼフィはそう言うと思ってた。けど、残念だな。久須那もゼフィも仲間になってくれない。まあ、久須那は立場上、ああ言うしかないよねぇ」迷夢はゼフィをそれとなく見る。
「……?」ゼフィは迷夢の狙う意味が判らなかった。
「仲間にはならなかったけど、やらせてくれるって事よ」にやり。「判らないかなぁ。この場合、マリスは絶対的な悪なのよ。ジングリッドと一緒ね? で、久須那は天使兵団の半数を引っ張ってマリスと戦うの。ああ、兵団の半分はマリスの言いなりだから」そして、再び微笑む。
「つまり、協会の注目をそっちに集めてしまうと……」
「ふふぅ、ご明察♪ わたしへのマークが手薄になるわ。どっちにしても、協会は敵になっちゃうから……この方が良かったのかなぁって。少し淋しいけど。ね、だから、ゼフィ、手伝ってよ」
 ゼフィは首を横に振った。
「はぁ〜ん、決意は固いのね。壊れちゃったら、全ての生あるもののためも何もなくなっちゃうんだけど……。時間はちょっとだけ残ってるから考えてみてね。――! あ、あと、それから、明日、レイヴンに頼んだんだ♪ 出掛けてもいいけど、お昼までには帰ってきてね。あ、もちろん、シリアくんも一緒。最後はみんな一緒なんだから、忘れたらダメだよ、絶対に……」
 迷夢はスッと立ち上がると小銭をカウンターに置いた。
「お茶、ありがとね。マスター」

「だから、オレは本当に何も知らなかったのさ」
「今じゃ、天下の精霊王さまと言う方が?」幾分のやっかみも含めてセレスは言う。
「ははっ、迷夢が言っていたようにヘボだったのさ。あの時のオレは。あんなことがあった以降もみんな、フツーだった。よそよそしくもならず、それこそ、まるで何もなかったかのようだった」
 リボンの瞳は遠い昔、どこかに置き忘れてしまった大切なものを探すかのように宙を舞う。それは二度と手に入らない“仲間”と言う名の忘れ物だったのかもしれない。
「何か、あれだよね。リボンちゃんの話を聞いてるとしんみりしちゃってさ。やるせないって言うか、淋しいって言うか。これからどっかに一戦ぶちかましに行こうか! って気分じゃないよね。士気、下がりまくりだわさ。迷夢にしても、マリスにしても何だかんだ言いつつ、友達思いのいいやつじゃない? それがどうして、こんなコトになっちゃうワケさ?」
 セレスは立ち上がって、そこらを歩き回り始めた。憤りを禁じ得ない。かつて、一度は仲間だったもの同士が袂を分かち、剣の切っ先を向けあうなんて。
「武器を取らなくても解決策はあったはずでは……」デュレが口を挟んだ。
 リボンは中空を彷徨わせていた視線をデュレの上ではたと止めた。
「……話し合いで解決できるほど、余裕はなかった」
「ふ〜ん?」セレスは半信半疑そうに生返事。
「しかし、マリスの扉も開かず、迷夢の目的もダメだったんですよね?」デュレが言う。
「……誰が失敗したって言った?」リボンの目つきが瞬間、険しくなった。
「え……?」デュレ呆気にとられ、セレスは新たな興味がわき出したのか目が爛々と煌めく。
「マリスのは確かに成功はしなかった。結局、優しすぎたんだな。が、迷夢は違った。あいつはあんな訳の判らないやつだが、目的のほぼ半分は達成した。そうでなかったら、オレたちのいるこの場所はこの姿でここには存在していなかっただろうさ……」
「はいっ!」セレスは挙手する。「つまり、どういう事ですか?」
 リボンは核心をついてくることを期待していたのに、全くの的外れな問いに肩の力が抜ける。
「……セレスに判りやすいように言うと、あっちとこっちのごちゃ混ぜの世界が出来上がっていたと言うことさ」
「しかし、そうはならなかった。……そうしたら、何故、迷夢はさっき二回戦は〜などと言ってきたのですか? 上手くいったのなら、何も言う必要は……」
「半分って言っただろ?」リボンは右のまぶたを釣り上げた。「完璧じゃなかったのさ。例えば、お前たちが1292年に来れたのも、その副産物のようなもの。崩れかけてるから不整合面から色んなものがこぼれ落ちてくる」
「しかし」逆接だらけでものを言う自分が何だか気に入らなくなる。「いえ、あの、マリスは別格として迷夢にはどう対処したらいいんですか? 間違ったことはしていない。迷夢はここと異界を守っていきたいだけなんでしょう?」
「相対的に悪と言うのだな」
「境界が崩壊してしまったら、シメオンを守る意味は消滅します」
「そう思うんだったら、迷夢と仲良くしたらいい。きっと喜ぶと思うよ」
「拒絶はしないんですね?」
「する理由もないからな。オレがあいつに反抗したのはゼフィのことがあるからだ。それはもういい。千年以上も経って、今さらどうのこうの言うことでもない。が、オレが迷夢にしてやれることはないよ」リボンはデュレの視線を受け止めて真摯に答える。
「でも、シェイラル一族を殲滅したのは迷夢なんでしょ? そこんとこはどうするのかしらね?」
「――迷夢はウソは言っていない、けど、同時にホントのことも話していないとしたら?」
 リボンは意地悪そうに微笑みを湛える。
「そ、それこそどういう事ですか?」
「まあ、そう結論を急ぐな。これからが本番だ。けど、その前に少しくらい思い出話をさせろよ。あいつらの裏も表も教えてやる。それからどうするか考えても遅くない。……お前たちはオレのココロに従う必要はないんだぞ」
 話を聞けば聞くほどにデュレはリボンの真意が判らなくなっていく。
「――」
 デュレは何と答えたらいいのか見当すら付かなかった。封印の鍵を手に入れるだけだったはずのこの旅が途方もない大事に化けていくような気がしてならない。デュレが微かな焦燥を禁じ得ない状況の中で、セレスがデュレの気持ちを代弁していた。
「あたしたちにそれを選べって言うの? そりゃ、約束が違うってもんよ。将来のキミはあたしたちにこう言ったんよ。『久須那の封印を解く鍵を持って帰って来い』って」
 セレスは真顔、真剣そのものにリボンに迫る。
「そりゃ、マリスのことは聞いていたけど。迷夢やレイヴンのことなんて何も聞いていない」
「未来はお前たちの手の中だって知っていたからだろう?」
「てめぇらの運命はてめぇらで導けってよ」サムが言った。「つまり、そう言うことだろ」
「ああ、お前たちはオレの知らない未来を知ってる――。オレが何かを言えるか? 帰りたいなら帰れるように導け。壊したいなら壊すように導け。デュレの知ってる未来は何を示唆していた?」
「……」恐ろしさに声も出ない。
 自分たちの未来がこの延長上にあるのなら、シメオンは一週間以内に消滅する。
「……リボンちゃん。予兆はどのくらい先のことまで見通せるんですか?」
 デュレの瞳が微かに揺らいでいた。リボンは何かを隠している。デュレはそれを感じ始めていた。確かにマリスや迷夢や、その時のことは全て話してくれるのに違いない。でも、デュレの胸中に出来た焦りのようなもやもやは晴れそうになかった。歯切れの悪いリボンの言動がその事を物語っているような気がしてならないのだ。
「教えてやれないな。デュレは、それで判断を変えるつもりだ」
「でも、わたしたちの知る……」
「おっと、それ以上は喋るなよ。自分の未来を知っているものはいない。ふふ、しかし、思い出すなぁ。こうしてみんなで集まっていると、まるであの日のようだよ。そして、忘れもしない」リボンは思い出をかみしめるかのように一息ついた。「一番、よく覚えているんだ。Taurus 14,5だった。この辺だったかなぁ」
 懐かしさにはしゃぐ。
「オレは迷夢の膝の上にいて、ゼフィはその左隣だったかなぁ。とすると、久須那は迷夢の右隣で、マリスはその左斜め後ろ、レイヴンは〜確かマリスの隣に自分の姿を描いていたな。……みんな、判ってたんだろうな。その日が仲間として集まれる最後の日だってことを。けど、さ。あの時はあれで終わりだなんてこれっぽちも思っていなかったよ」
 リボンは一際、切なそうに呟いた。

「お昼には帰って来てって言ったのになぁ」
 迷夢は腰の後ろで手を組んでレルシアの家の前を落ちつきなく行ったり来たりしていた。今日は大切な約束の日。今日を逃しては迷夢の望みは叶わない。迷夢は通りを見渡して、やるせなさそうにポンと空を一つ蹴った。
「……。ねぇ、ゼフィ。迷夢がうちの前で何かやってるよ」シリアはゼフィを見上げた。
「そうですね。昨日、約束をしたから待ってるんでしょう?」
「あっ! ゼフィ、シリアくん、こっちこっち」
 迷夢は背伸びをしながら手を振ってゼフィを呼ぶ。
「自分の家くらい判りますよ」
「いいから、早く。レルシアに頼んで鍵を開けてもらって待ってたんだから」
 迷夢はゼフィの手を取って扉を勢いよく開くと、家の中に引っ張り込んだ。中に入ると、人の背丈ほどもあるキャンバスが居間に鎮座していた。レイヴンはそのキャンバスをイーゼルに乗せようとその重さと大きさに格闘している。そして、マリスと久須那が談笑中だった。
「うわぁ……」シリアは感嘆の声を漏らす。「大きいね……」
「久須那、マリス。ねぇ、ゼフィが帰ってきたから、そろそろ始めようよ。テーブルのところの椅子もってレイヴンとは反対側の壁際に行って」
「オーケー」二人そろって返事をして、椅子を運ぶ。
「ありがと。でぇ、どうしようかな」迷夢は並び順を考え始めた。
「……わたしは後ろでいいぞ」マリスが言う。「レイヴン。お前も後ろにしておけ。だから、迷夢、久須那、ゼフィで並んだらいい。シリアくんは誰かの膝の上に乗せてもらえ」
「そうしようか。うん、そうする♪ じゃ、シリアくんはこっちね」
 迷夢はシリアの前で腰を落とすと両手をさしのべた。
「……迷夢の膝の上に乗るってこと?」何だか、イヤそうな眼差し。
「ね、いいでしょ、ゼフィ」
「わたしはいいけど」ゼフィはシリアに目配せした。
「うん……」シリアは観念して迷夢の手の上に乗る。「ねぇ、振り回さないでしょ? いっつもそう言うのに全然聞いてくれないんだもの」ちょっと不機嫌にシリアは言った。
「今日は大丈夫だよ。もう、そんなことしないから。……最後、だからね……」
「最後?」シリアは迷夢を無邪気な眼差しで覗く。
「ううん、何でもないよ」
「おかしな迷夢。いっつもおかしいけど、今日はもっと変っ」
「何ですって、シリア!」迷夢はゲンコツでシリアの頭をぐりぐりと押しつけた。
「痛いっ。痛いってば、迷夢! もぉ、だから、迷夢の近くはイヤなんだよぉ」
 シリアは迷夢の膝の上から、じと〜っとした湿気った眼差しを送る。
「なあ、みんなの場所はそこでいいのかい? よかったら始めるぜ? ……もう、始めてるけどさ。とりあえず、デッサンが終わるまで大人しくしていろよ。特に迷夢っ!」
 レイヴンは黒鉛を持った右手で迷夢を指し、さらに言葉で釘を刺す。
「どうして、わたしだけなのよ」少し憤慨気味に迷夢は声を荒らげた。
「それは……十分もしたら判るだろ?」
 そのレイヴンの発言に異を唱えたものは誰もいなかった。大なり小なり、迷夢のお喋りには困り果ててるのだ。それでも同じ話題をずっと続けてくれるならましな方で、大抵はポンポンとあちこちに飛んで歩いて、その話題について行くのが大変なのだ。
「……そろそろ、時間になるが、どうなると思う?」マリスがひそひそ声で久須那に話しかける。
「恐らく、無理だろうな……」
 久須那はその問い掛けにやはり迷夢に聞こえないような音量で答えた。
「……ねぇ、レイヴン、まだぁ?」
「一朝一夕には描けないよ。デッサンが終わるまで大人しくしてろって言っただろ」
「え〜っ。じっとしてるのって一番苦手なんだよねぇ」
「そもそも、迷夢が言い出しっぺだろ? 我慢、我慢」キャンバスから目は離さない。
「もっと、こう、ちゃちゃっと終わるやつないのぉ?」
「ないのっ!」
「そお?」ちょっとがっかりしたように迷夢は言う。「……。もしかして、抽象画を描いてるとか言わないでしょうね? これだけみんなを待たせてるんだから、写実的にお願いよ? 抽象画なんて意味ないんだから」
「……何を言ってるんだ? ……少しくらい動いてもいいから、黙っててくれ。気が散る」
「う〜ん。それはちょっと無理」
「何でっ!」レイヴンはギロっと迷夢を睨め付けた。
「だってさぁ、わたしってきっと口から先に喋りながら生まれてきたのよ。何て言うか、お喋りがステータスだから」
「じゃあ、せめて、矛先を他に向けてくれ」
「う〜ん、今はレイヴンが旬なのよねぇ、わたし的に」
「……もうどうにでも好きにしろ……」
 レイヴンは諦めて作業を再開した。迷夢とお馬鹿なやり取りを呑気に繰り広げている場合ではない。元々は迷夢のお願いとはいえ、引き受けたからには最後までやり遂げなければ気が済まない。
「ははぁ〜ん♪ ありがと、レイヴン。じゃ、そゆことで」
 迷夢はニコッとするとおもむろに横を向いて、久須那やゼフィと話を始める。とても楽しそうに他愛のない話に夢中になる。迷夢の膝の上にいるシリアにもいい迷惑で、頭の上がうるさくてどうしようもない。不意にレイヴンとシリアの視線が出会うと、お互いに苦笑する始末。
 そして……。
 ランプの薄明かりの向こうでキャンバスの前に立つものがいた。左手にパレット。右手には絵筆を持って作業をしている。午後、ひとときの喧噪を抜け、絵はどうやら形になりつつある。
「レイヴン、まだ、起きてるの?」
「シリア?」レイヴンは手を休めて、声のした方を向く。
「だって、後は色を塗っていくだけなんでしょう? 慌てなくたって……」
 ショボショボする目を一生懸命に開いてレイヴンの描く絵を覗き込んだ。
「時間はないんだよ。……シリアには判らないかな」
「どういう事?」シリアはレイヴンの足元から彼を見上げた。
「大人の事情ってやつか」レイヴンは絵筆を取り、再び、キャンバスに向かう。
「大人の事情? 何か都合が悪くなったら、すぐそれだ。大人ってずるいよ」
「けど、シリア。すぐに判るよ。もし、これが夢ならずっと醒めない方がいい。もし醒めるにしても……少しでも長い間、夢を見ていたいだろう?」
 レイヴンはシリアに微笑みかけながら言う。
「今日のみんな、変だよ? 最後だとか、夢だとかって」
「まあ、そう映るかもしれないな」茶化すでもなく真面目に答える。「さあ、もうお休みよ。明日の朝、キミが起きたら出来ているはずだから、楽しみにしててご覧よ」
「うん、もう、寝るぅ。また、お寝坊したらゼフィに締めあげられそうだし。お休み、レイヴン」
「お休み、シリア……。――君とはずっと友達でいたかったよ……」
 レイヴンは寝室に戻っていく、シリアの姿を見送った。

「その絵はどこにあるの? そんな大きなキャンバスに描いたなら、残っててもいいよね?」
 リボンが話に一区切りを付けた瞬間、セレスはすかさず問い掛けた。
「……残ってるよ。見たことがあるはずだ。お前たちもついこの間見てきたばかり……」
「え?」リボンからは意外な答えが返ってくる。セレスは暫く考えて、大きく首を横に振る。「ううん。見てないから。だって、ゼフィ、迷夢、リボンちゃんでしょ。マリスに、レイヴン。久須那。……久須那? 少なくともあたしらが通ってきた道筋にはないんでない?」
「……そのキャンバスの大きさは人の背丈よりも大きいんですよね?」
「そうだよ」リボンはデュレを見詰め返す。
「だったら、一つだけ心当たりがあります。……例えば、それが油絵なら、その上に何度でも塗り重ねて絵を書きかえることが出来る。もっとも、それでもオリジナルの余韻が残るはずなんですが……。真っ新なキャンバスに描くのとやっぱり一度描いたものの上とは違うみたいですし」
 デュレは腕を組んで、左手であごを掻いた。
「なぁに? デュレは久須那の封印の絵がそれだって言いたいの?」詰め寄る。
「う〜ん。その後の混乱で消失してしまったとも考えられるけど、一番、ありそうかなって」
 リボンはその様子を見ていて、急に可笑しくなってきた。その昔の自分と迷夢のトンチンカンな会話を思い出してきて、何故だか笑えてくる。
「だって、千五百年も無事に存在してるキャンバスなんてあるはずないもん。あれはリボンちゃんとシェイラルさんの魔力がかかってるからあんなに保存状態がいいんでしょ? って、あれ?」
 自分の発言がデュレの意見を擁護していることにはたと気が付いた。
「魔力が保護する?」セレスはリボンに確認をとろうとする。
「元の絵の上に魔力で他の絵が描かれてるなら、下の絵は綺麗に保存されると思いました。戦何百年も経って、それでも残ってるとリボンちゃんが言うのなら、それくらいしかないでしょう?」
「うなぁ……」何だかデュレに負けた気がして、腹立たしい。
「デュレの言うとおり、封印の絵がそれなんだよ……。表に見えてる久須那の絵はオレとシェイラルさんの魔力で描かれた、いわば紛い物なのさ」
「けど、本物みたいに見えたよ?」
「それが魔法だろ? 何かを封じたことを簡単に見破られたら困る」
「じゃあ、いいですか? 久須那の封印を解いたら、元の絵が見えるようになるんですか?」
「ああ、そうだよ」
「もう一ついいかな?」今度はセレスが言った。リボンは瞬間、凄くイヤな予感を思い浮かべたようだったが、無言で頷いた。「じゃあ、聞きます♪ リボンちゃんはその“絵”のような関係を取り戻したいんですか。それともどうでもいいんですか?」
「……どっちでもいいよ」リボンは首を横に振りながら力無く答えた。
「――わたしにはそうは思えません」デュレが語気に力を込める。
「だよね? デュレ。ホントにそう思ってたら、こんな話する訳ないもん」
「……決めました」短くデュレは言った。「リボンちゃんの話を全部聞いたら、気が変わるかもしれません。でも、わたしは……」デュレはセレスに微笑みかけ、それからデュレとセレスは頷きあった。「わたしたちが取るべき道筋は……」
「ダメよ、デュレ」セレスがにゅっとデュレの横に顔出してその口をふさぐ。「自分の未来を知るものは誰もいない。あたしたちは行きべき先をきっと知ってるし、それを辿っていくけど。リボンちゃんには未来だものね?」セレスは意地悪にニヒヒと笑う。
 デュレとセレスはこの時、決めた。その“絵”の関係を取り戻すのだと。