12の精霊核

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54. killing you(刹那のまどろみ)

『全学に通告。テレネンセス魔法学園はリテール協会の決定に背き、トゥエルブクリスタルの伝承を追究することを教授会、全会一致で可決。決定は覆らない。この決定に不服、異議のあるものはテレネンセス大聖堂へ保護を申請すること。テレネンセス魔法学園は全学を上げてトゥエルブクリスタルの伝承の真相を究明する。

Leo 26, 1516 テレネンセス魔法学園長・ジャンルーク』

 明け方近く、デュレは不意にパッチリと目を覚ました。東の空は白んできてるもののまだ暗い。朝の澄んだ空気と、昼間と比べ幾分冷たい風が心地よかった。今はまだ静かなものだ。動けば砂利や砂の擦れる小さな音まで聞こえる。と、ちゃりちゃりと何かが近づいてくる物音が届いた。
「随分と朝が早いな……。デュレ」
「リボンちゃん……。迷夢とセレスの下敷きになってたんじゃなかったんですか?」
「……なってたよ」リボンは嫌気がさしたように低い声で言った。「二人してオレを何だと思ってるんだ? ま、仕方がないから、地面に転がしてきた」リボンは軽く微笑んだ。
「地面に転がしてきた?」
「ああ、起こすのも面倒くさかったから。でも、それでもグッスリと眠ってる」
 そっちを向くと、迷夢とセレスが折り重なるようにして眠っていた。よくいがみ合ってる二人が仲良さそうにくっついて眠っているなんて、不思議な感じがした。そう思う自分もセレスとはよく喧々囂々の口げんかを繰り広げたりしていたから、二人が並んで大人しくしている時は不思議に思われているのかもしれないと考えると、妙におかしな気持ちがして笑いが込み上げてきた。デュレは笑いを押し殺して何とか、他に訊いてみたいことを喋った。
「――リボンちゃんは逆召喚について何か知っていることはありませんか?」
「知っているも知らないも、そもそも見たことがないんだよ」
「レルシアさんと懇意だったリボンちゃんが知らないんですか? 迷夢は? 久須那さんは?」
 デュレの問い掛けにリボンは目を閉じて静かに首を横に振った。
 誰も逆召喚の実態を知らない。デュレはその事実に焦りと憤りを同時に感じた。何故なら、魔法を行使するには呪文を正確に唱え、魔法陣、アイテムなどを配置するだけでは足りないことも多々あるのだ。古文書に記された魔法は写本や口伝えに頼っていたせいか正確さに欠けることがあるのだが、それだけなら何とかなることも多い。しかし、大がかりな魔法では話が違ってくる。ホンの僅かでも何かを間違え、それに気付かないままにいるととんでもないことになってしまう。だからこそ、行使する魔法の全容を把握しているのが望ましい。
「……頼りになるのはレルシアさんからの情報だけですか――」
 デュレは戸惑いを隠せない様子でもう一度、久須那の説明をメモしたものを読み返した。
「魔法陣を描く代わりとして魔力の高い六人を六芒星の各頂点に配置。星を形成する正三角形の一辺の長さは正確に二百メートル。正確に? そんな、測量でもしない限り……」
 デュレは背筋に冷や汗が流れるような焦りを感じた。深く読めば読むほどに不安になる。
「――正式なやり方ではないな」リボンは呟いた。
「何ですって?」デュレはメモから凄い勢いで目を離し、リボンを見澄ました。
「正式なやり方ではないと言ったんだ。逆召喚自体は知らないが、魔法陣を描くのは簡易魔法を行使する時以外は基本中の基本だろ」リボンは横目でデュレを見やった。
「そうですけど――。それが何か……?」
「魔法陣の代わりに人を配置するなんて事はないということさ。魔法陣が不安定になる可能性が否定できないからな。特に召喚関係の魔法は異界への出入口を開く訳だから、少なくとも繋がっている間は安定している必要があるんだ。人員配置型でも短い時間なら安定も可能かもしれないが、ちょっとでも魔法陣に揺らぎが出来たらそれだけで、お終いだ」
「では、何故、レルシアさんはこの方法を指示してきたんでしょうか?」
「デュレともあろうものが判らないか?」リボンは口元を意地悪そうに歪めた。「……いずれこうなることを予見してたんだろうな。万里眼を覗いて知っていたのかもしれない。そう、何故、魔力的に不安定になりやすい方法を指示したのか、久須那は判るか?」
 リボンがデュレから逸らした視線の先には久須那が立っていた。
「無論だ。マリスに気取られないようにするんだ。マリスが歩いてくるなんて事はあり得ないし、空から飛んできたら魔法陣の地上絵を見つけられてしまう」
「あ……」デュレは唇に手のひらを押し当てた。「魔法陣を書く時は無防備になりやすいし、魔法陣の古代文字からすぐに何の魔法を使おうとしてるか判ってしまう。邪魔されたら……」
「そう言うことだ。それに最後の一人が定位置につくまで、この魔法陣は機能しない。その辺はフツーの魔法陣と似てるかもしれないが、意味合いは大きく異なる」
「――魔法の発動ギリギリまで、魔法陣の存在を隠しておける……?」
「その通りだ。直に魔法陣を書くよりは幾らか気付かれにくい」
「魔法陣は見付けられないかもしれないですが、人を所定の位置に配してる間に魔法を行使しようとしていることを悟られる可能性も……」
「否定はしないよ。だから、迷夢と久須那にマリスを引き付けてもうらうしかないと思う」
 だからといって、マリスが全く気がつかない訳はないだろうとデュレは思った。しかも、ここに居る全員を使っての大仕掛けになれば、人の動きは必ずマリスの視野に捉えられるだろう。その意図に気付かれなければ、どうにかなるかもしれないが、戦略にそのような甘い考えは禁物だ。
「久須那と迷夢を信じるほかない。もしくは、気取られる前に迅速に行動する。意図が判った時には手遅れにしてしまうかのが最も理想的だ」リボンは重々しく言った。
 そこへ、意気投合したらしいサムとウィズが共にリボンとデュレの側に寄ってきた。
「あの二人で勝てなけりゃ、俺たちに選択の余地はねえよ。……全滅だ。ま、だから、恐らく、追い返すのが最も被害が小さくて済む。レルシアはそう考えたんだろう。あちこちにメッセージを残し、久須那と腕試しをさせ、魔力やその機知をはかり、シメオンがこうなるのを待ち、てめぇらのような楽天家と妙に几帳面なのが現れるのを待った。つまりは……エルフだよ」
「しかし、今まで待たなくてもトリリアンには大人数のエルフがいるだろう。そこから……」
 ウィズは不可思議極まりない様子で言った。
「トリリアンの反協会は筋金入りだ。根が深いんだよ。シリアや久須那のような協会に関係がある奴らに手を貸したい奴らなんているわけねぇよ。今の協会がどうなのかは知らねぇが、当時の悪評もかなりのもんだったぜ。俺が言うのも何だけどよ」
 サムはちらりとリボンを窺った。
「トリリアンとは関係のないエルフも諸悪の権化みたいなことを言われて快く思うやつはいない。まぁ、その中でもバッシュは変わり種だったけどな……。マリスが封印され、トリリアンの活動が不活性化した。それから、時代が下り誤解が解けて、協会でのエルフの地位も向上してきたのもごく最近。そうでなければ、セレスやデュレが魔法学園に入学できなかったろうさ」
「――随分とややこしいお話が潜んでいたんですね」
「それでも泥沼化しなかっただけ十分すぎるほどましだと思うぜ」
「ねぇ、キミたち、朝っぱらから何の激論を戦わせてるの?」
 迷夢が睡眠から復帰して、仲間たちの輪に加わった。リボンの腹を枕にして気持ちよくお眠。ふかふかでグッスリと眠れたので、朝早くから頭脳明晰で清々しい。
「レルシアが遺した最後の可能性の検討」呟くようにリボンは言った。
「つまり、逆召喚を実行するのね?」迷夢の瞳が不敵にキランと輝いた。「正規のでも難しいんだから、それが変則的になったらもっと難しいのよ。それ、未熟なデュレをメインに据えようなんて無謀も無謀、無茶の領域なんて遙かに超えちゃってるわよ? それでもやる?」
「――そこまで言うか、お前……。デュレが凹んだらどうするんだ?」
「あら、そう言われたら凹むより俄然、燃え上がるたちなんでないの、デュレって」迷夢はそっと手を差し向けた。「学園じゃあ、不可能を可能にする女と評されていたそうじゃない?」
「そんなこと、誰が言ったんですかっ!」あることないことを吹聴して歩くのはたった一人しか心当たりはない。眠りこけてる相手に文句を垂れても無意味なので、デュレは半ば仏頂面をして迷夢に説明し直した。「――いいえ、じゃじゃ馬ならしの女です」
「じゃじゃ馬ならし?」じゃじゃ馬って誰よと言いたそうに、迷夢は表情を曇らせ訝った。
「さっきまであなたと一緒に眠りこけていましたよ」
「――セレスか。やっぱ、大人になりきれてないのね、あの娘。ま、そりゃいいけど。キミにあの大技を繰り出せるの?」面白おかしそうに迷夢は言う。
「封印破壊の時と一緒です。実行してみるまで判りません」
「お〜お。随分と心強いお言葉だ事」
 迷夢は頭の後ろに手を回して微かな嘲りを含ませて言った。
「……わたしの専門は闇魔法ですよ。光なんてまるっきり反対ですし。――属性のことを考えないにしても、わたしには逆召喚の経験がありません。むしろ、同属性の迷夢さんや久須那さんが実行した方が上手くいくと思うんですが……?」
「そうね。そう考えたくなる気持ちもわかるけど」迷夢は瞳を爛と輝かせた。「キミにマリスの相手が出来る? 下準備から、詠唱まで、十分から数十分。キミが逆召喚をするより、かなり時間の短縮は出来るだろうけど、その十分を戦い抜き、マリスを逆召喚陣のところまで誘き寄せられる? ――呪文の詠唱している間、あたしはそれ以上のことは出来ないよ」
 真面目に語る迷夢にリボンは優しい眼差しを送っていた。どんな時もへらへらしてる迷夢が真顔と言うことは真剣に“策士”ぶりを発揮しようとしてるに違いない。
「み、みんながいれば……何とか……」デュレはゴクリと唾を呑む。
「あ〜無理無理」迷夢は左手をヒラヒラと振った。「リボンちゃんに千五百年前のことを聞いたことがあるでしょ? ……ゼフィやサスケ、レルシア、シェイラル。第一級の魔法使いがいてもあの様だったのよ。魔力があってもまだスキルの足りないキミたちにはどだい無理な話」
「――何か、変なところで妙な悔しさがあるんですが……。ともかく、わたしが呪文の詠唱をして、久須那さんたちがマリスの相手をした方がまだ何とかなる可能性があるということですか……」
「その通りよ」
「けどよ、マリスが現れる前にスタンバイしたらすむだけの話じゃねぇのか?」サムが割り込んだ。
「出来たらいいけど、気付かれるわよ。逆召喚は大きな魔力を必要とするから、周囲にもその余波が現れてしまう。ついでに途中で止められたら始末の悪いことになる。廃墟が消し飛んだところで構わないけど、ここら一体は更地になるわよ。綺麗さっぱり何もなし!」
「俺たちごと、消し飛ぶってワケか」
「うんにゃ」迷夢はゆっくりと首を左右に振る。「あたし、久須那やマリスは余裕でブロックよ。むしろ、問題なのはキミたち。ま、魔法崩壊の憂き目にあったら、あたしが何とかしてあげるつもりだけど、無事ですむとは思わない方が賢明でしょうねぇ」
「そのリスクは何をどうやっても避けられない。やるしかないってことだ」
 重苦しい雰囲気があたりを支配した。どう転んでもろくな事になりそうもない。マリスをやっつけるにしてもその可能性はゼロに等しい。ならば、レルシアの提案に従う他ないが、それでも遺跡ごと更地になってしまうリスクを負わねばならない。デュレも命のかかった戦いはしたことはある。けれど、魔法が失敗したらまるごとなくなってしまうなんて、封印破壊魔法でもあり得なかった。
「怖じ気づいた? 可愛い子猫ちゃん」
 デュレのそこはかとなく惑った表情をとらえて、迷夢はニンと口元を歪めた。
「――ねぇ、朝っぱらから騒々しくてオチオチ寝てられないじゃない。……? 何? みんなして辛気くさい顔してどうしたのよ」眠そうな目を擦りながらセレスが来た。
「メンバー一のお寝坊さんがようやく起きてきたようよ」
「こんな状況なのによく呑気に眠っていられますね」デュレが突っつく。
「あ〜? 寝る時は寝ておかないと、身体が持たないし……。……?」セレスは急にキョロキョロとした。「みんな、いるけど、久須那がいないね」
「久須那がいない? さっきまで、一緒にいたぞ」
 最も肝を冷やしたのはサムだった。
 一方、久須那は空気の微かな変調に気付き上空高く舞い上がっていた。静かでたゆたうような空気の流れに水を差す、不穏な空気の流れが生じている。敵意、或いはそれに準じる感情がむき出しにされた何かが飛翔している。疾風、烈風。そんな呼び名では言い表せないような何かが。空の一点から、黒いものが染みだし、徐々に拡大してきた。近づいているのだ。それには大きな漆黒の翼がある。黒い髪、黒い衣服、黒い剣。全てが黒に支配された天使、マリス。
「……来たか、マリス……」
「どけぇっ!」
 マリスは全くスピードを緩めることなく猛然と突っ込んできた。気迫がある。その行動だけで、この戦いに負けるつもりはないという決意が読み取れる。数百メートルまでに接近した時、マリスは左手を突き出して魔力を一気に放出した。
「!」久須那は大きく目を見開いた。「シールドアップ! くぁっ!」
 短い文言と同時に、透明なシールドが立ち上がった。危機一髪。しかし、放出された魔力の反動は防ぎきれなかった。久須那はシールド越しに魔力をまともに喰らって、地面まで飛ばされた。
「く、久須那さん!」デュレは久須那に駆け寄り、助け起こした。
 一瞬、状況が呑み込めない。けれど、久須那が飛ばされてきた方向を見て、ハッと息を呑んだ。空中に浮かんでいたのだ。リボンや迷夢の千五百年来の宿敵とも言える黒ずくめの女、マリス。確かに迷夢の言ったように夜襲、奇襲は仕掛けてこなかった。チャンスはあったはずなのに。
「――来ないと思っていたんだが……」凍り付いた眼差しが痛い。
 夜は明け、東の空から陽が昇る。戦いの一日が文字通りに幕を開ける。最悪の極みなのか、それとも、最良か。どちらにしても、長い一日になりそうだ。十四の瞳が相変わらず上空に佇んだままのマリスを注視していた。
「……あれがマリス……?」ウィズは魂を抜かれたかのように呟いた。「トリリアン一味……?」
「どうだろうね。本人に直接聞いてみたら、そこにいるんだし」
 迷夢はマリスを突き刺しながら言う。恐らく、今のマリスがトリリアンと連んでいるとは考えにくい。かつての経験から“孤高の人”とも言えるマリスが徒党を組むことはまずない。他人と組んでいるようなことがあれば、利用していることが圧倒的に多い。
「変わり果てた姿をしているが、性格は全く変わってないようだな。……迷夢」
 マリスは薄ら笑いを浮かべて、崩れ原形をとどめない石畳にスマートに着地を決めた。
「……いつ帰った」リボンが一同を押し退けて、先頭に立った。
「よくもぬけぬけとそんなことが言えたものだ。貴様が知らないはずはない。……? 何? 本当に知らない?」困ったようなリボンを見るにつけ、マリスは唖然とした。
 あまり思い出したくないことだが、二百二十四年前、確かにリボンに封じられたのだ。と、次の瞬間、マリスは二百二十四年前のリボンの言動を思い出した。“オレにとっては三度目の戦いだ”つまり、今はリボンにとっては二度目、マリスには三度目の戦いになる。
「まぁ、何でもいい。どちらにしても、これでお終いだ」
 マリスが言い終わるか、終わらないかのうち久須那は弓を引き、イグニスの矢を放った。青白い矢が空気を切り裂きマリスに抜け飛翔する。マリスは視界の隅で矢を捉え、頭をそっと左に避けることであっけなく矢をかわした。
「――あまり進歩していないようだ。鍛錬を怠っていたのか?」 
「日々の研鑽を怠ったことはない。お前はわたしと決着をつけるつもりなのだろう……?」
 久須那は一歩踏みでて、マリスにその存在をアピールした。久須那とマリスは互いの意志を推し量るかのように見つめ合う。千五百年前の雪辱戦になるのだろうか。あの時、曖昧のままに降ろされた終演の幕を再び上げるための開演のベルが鳴ろうとしている。
「それだけ言えたら大したものだな。……呪詛が進行して苦しいはずだ」
「――そうでもない。お前を倒すまで死にはしない」
「なかなか言ってくれるじゃないか」
 笑いを殺すかのように腹を押さえ、マリスは言った。そして、鋭い眼差しで久須那を刺す。決別したあの日、もし、あの日に手を取り合うことが出来ていたら今日はなかったはずだ。久須那と相見えるたびにそう思った。剣を交えず、手を取り合えていたら、この未来はどうなっていたのだろう。だが、そんなことを考えてももう遅い。始めてしまったのだから。
「しかし、それも大言壮語かな? いいだろう、かかってこい」
 だが、最初に出たのは久須那ではなかった。
 短剣を手にした白いシャツ、茶色の短パンの少女。駆け抜けた後ろ姿に気をとられて、誰もその少女を止めることは出来なかった。いつも放さずに持っていた長弓、矢筒も投げ捨てて、セレスは突進した。後先のことも全く考えずに、短剣がマリスのどこかに突き立てれるならそれでいいと思った。十分ではない。けれど、一矢報いることが出来たら……。
「貴様に何が出来る」蔑みと嘲りの混ざった声色。
 永遠の一瞬。極至近距離にいるマリスがとても遠くにあるように感じられた。
“どうして……!”
 デュレが最も色濃くそう思ったのに違いない。バッシュの仇だろうことは判る。でも、あの時全く歯が立たなかったのに、どうして今。そして、同時にセレスを止める行動に移れなかった自分が歯がゆい。と、白い疾風のようなものがデュレのスカートを靡かせた。リボン。リボンがセレスの後ろ姿を追い掛けている。どう楽観的に見積もっても、セレスの短剣がマリスに届くよりも先に、マリスの漆黒の剣がセレスの胴体を真っ二つにするのが先だ。ならば、マリスの間合いに入る前にセレスを止めなければならない。
 リボンはベルトに噛みついてセレスを後ろに引っ張った。
「――世話を焼かせるなよ、セレス。身の程を知れ」
「だって、こいつは母さんの仇なんだ。許すもんか、絶対に許すもんか!」
「お前、一人だけじゃ死ぬだけだ。そんなことをバッシュが望むと思うか」
「お涙ちょうだい……、とんだ茶番だな。――さて、お遊びはここまでだ」
 マリスは改めて虚空から漆黒の炎に包まれた剣を取り出した。柄を力一杯握り締め、正体に構えた。それは久須那の知っているかつてのマリスとは違う姿だった。決別した千五百十一年前のマリスにはまだ微かな迷いがあった。だが、今は瞳に一点の曇も、迷いもない。迷いを吹っ切ったものは強い。全てを見据え、その目標の成就のために躊躇うことなく全てを賭けられるからだ。
「さあ、誰が相手だ」マリスはぐるりを見渡した。「それとも、わたしから行くか?」
 冷酷な微笑み。マリスは左手をスッと持ち上げ、標的たちに向けた。
 マリスが大きく深呼吸をすると、手のひらに白く淡い光が集まりだした。魔力を一カ所に集中させているのだ。より大きな魔法を使うには最も効率がよい。マリスはニヤリとした。これから放とうとしている魔法くらい軽くブロックしてくるだろう。
「天空に住まう光の意志よ。我が左腕に宿り、全てを滅する破壊のパワーを体現せよ、光弾!」
 マリスの左手に小さな瞳が浮かび上がり、光の集積度が高まった瞬間、ほとばしった。刃と化した光の奔流がデュレたちを目掛けた。高度な使い手の魔法は見るものを圧倒する。魔法を向けられた方はたまったものではないが、放出される光の奔流は美しい。
「シールドアップ! 久須那。――手伝って」
 透明なシールドがマリスの光弾をブロックした。しかし、長くは持ちそうにない。マリスの魔力があまりのも大きすぎてシールドの消耗が早い。さらにマリスであるなら、二段、三段と追加攻撃を考えているに違いない。それを一枚のシールドで防ぎきるのは不可能だ。
「シールドアップ」迷夢のシールドの後にもう一枚のシールドが上がった。
 しかし、この状態をいつまでも続けられない。マリスも光弾を長時間は持たせられないだろうが、こちらもただ受け身に待っている訳にはいかない。今がチャンスだ。けれど、この面子で魔力の大きな二人は防戦一方だ。現状打破を願って、迷夢はわざと大声を出した。
「参っちゃうなぁ、もう。いきなり全力ですってよぉお? 何かいい案ない?」
「――ねぇ、久須那。キミのイグニスの弓ってあたしにも使える?」
 セレスはこそこそと久須那に近づいて、耳元でそっと囁いた。以前、迷夢がノックスの剣を二分して貸してくれたことをセレスは思い出していた。久須那のイグニスの弓を使えたら、自分の長弓を使うよりも大きな破壊力を持たせられる。
「わたしの?」
「うん」セレスは頷く。「前さ、迷夢が剣を貸してくれたから、もしかしたらと思って。剣は下手くそかもしれないけど、弓だったら久須那ほどではないかもしれないけど、自信はある」
 イグニスの弓をセレスに使えるだろうかと久須那は考えた。弓についてはまだしも、矢については久須那の魔力と直結している部分があったからだ。結局のところ、イグニスの弓は自分の魔力を矢にして打ち出しているのだ。だから、弓は貸せても、矢の貸し出しは不可能だ。
「矢は自分で用意できるか?」
「……さあ?」思わぬ久須那の言葉にセレスは曖昧な返事しか返せなかった。
「弦があるつもりで引きながら強く矢をイメージするんだ。そうしたら出来る」
 久須那は弓をセレスに渡した。少しでも可能性があるなら、それに賭ける。
「――弦がない……」
 初めてのことに戸惑った。弦がないのにどうやって弦を引いたらいいのかも判らない。しかし、今更後には退けない。活路を見出すためにはまずアクションを起こさなければならない。その最初を自分が担うのだ。セレスは久須那に言われた通りにしてみることにした。まずは大きく深呼吸。セレスはグリップをしっかり握り、マリスを狙った。それから、矢をつがえ、弓を引くつもりになってみる。上手くいくだろうか。一抹の不安がよぎる。
 セレスが弦を引くように手を引くと、弓がしなった。
「お……! えと、矢をイメージ……」
 すると、もやもや〜んとした赤い靄のようなものが形になってきた。まだ、輪郭がはっきりしないが、それはノッキングポイントから長く横に伸び、矢の形状をなしつつある。だが、それだけではまだ足りない。魔力が武器、武力の力を持つためにはしっかりとした形状をなさなければならない。そうでないなら、魔力が具現化したただの霧のようなものに過ぎないのだ。
「もっと強く。もっと……、もっと」
 時間だけが過ぎて、決定的な矢のイメージが出来ない。いつも実物の矢を見ているが、ディテールにこだわって見ているはずもなくあちこちが虚なのだ。セレスは焦った。目を閉じて、邪念を振り払おうとした。イメージをより明確にしなければ、久須那のイグニスの弓を完全に使うことは出来ない。セレスは再び、大きく深呼吸をした。心を落ち着け、精神を集中したらきっと出来る。思い込みの激しさには自信がある。
(……目を開けば、必ず、矢が……)
 セレスはカッと目を見開いた。手には赤々と燃える矢が一本。
 この矢をはずす事は出来ない。セレスは慎重にタイミングを見計らった。どんなに洗練されていても久須那と迷夢を相手にしたらマリスも数瞬の隙は見せるだろう。狩人の血が騒ぐ。草むらや灌木の茂みに隠れ、獲物が近づくのを待ち、矢を放つに相応しい僅かな時を探す。
「くそっ!」
 マリスが魔法を止めた。埒が明かない。計算以上に二人はしつこく、これ以上の光弾の続行は魔力を浪費しているだけに過ぎない。それを見計らって、久須那と迷夢がシールドをさげ、左右に割れる。矢の道筋が見えた。セレスは唇を噛みしめて、矢を放った。行け。マリスを貫け。一瞬、セレスとマリスの目があった。セレスの矢がマリスを貫くよりも先に、マリスの視線がセレスを突き刺していた。
「――詰まらないことをするな」蔑みと哀れみの視線がセレスを捉える。
 刹那、赤い矢があらぬ方向に曲がった。叩き落とされたのだ。駿足の矢でさえ叩き落とすマリスの動体視力は一体どうなっているのか理解不能だった。素早い動きが自慢のセレスといえど、平然として矢を避けたり、叩き落とす事など到底不可能だ。
 と、セレスの頭を何者かが思い切り踏ん付けた。
「うおっ?? 誰だっ! ヒトの頭を踏ん付けていくのはっ。――リボンちゃん……」
 見れば、リボンが卓越した跳躍力を生かし、マリスを目掛け飛翔しているところだった。
 ガッ。マリスは何か怖いものを見た時のような引きつった表情をした。必死で掴みかかられまいと振り回すマリスの腕にリボンは器用に飛び乗った。
「な、何をするっ! け、ケモノは嫌いだっ! 触れるな!」
「オレをケモノ扱いするなと言ったはずだ」リボンは必死に食らいつく。
「ケモノをケモノと言って何が悪い」マリスは激しくがなり立てた。
「オレはケモノじゃない。フェンリルだッ。精霊王のシリアと呼べ!」
「断るっ!」
 響き渡るマリスの声に、セレスはハッと我に返った。ボヤッとしている場合ではない。マリスがリボンに気をとられている間にもう一度、矢を射るのだ。セレスは弓を引き上げ、再び魔力を実体へと具現化させようとした。今度は上手くいく。セレスがイメージした通りに矢が出来上がった。
 道筋が空いた瞬間、セレスは射る。赤い軌跡を残して飛んでいった。
「くそぉ!」
 マリスは腕からリボンを引き離し、両手でリボンを締めにかかった。こうなれば、リボンにジタバタされたところで自分の有利は動かない。と、リボンの背後から赤い光が見えた。リボンを掴む力が弛む。その僅かな隙を突いて、リボンはマリスの胸を蹴り付け、マリスの呪縛から逃れた。しかし、マリスが赤いイグニスの矢から逃れるだけの暇はもはやないに等しい。
 ギィィィィイイン。マリスは赤い矢を打ち払った。
「ちっ!」セレスは激しく舌打ちをした。
「死にたくなければ、手を出すな。用事があるのは天使どもとこの犬だけだ」
「オレのことを犬と言うな」リボンは牙を剥き、爪を立て、激しい呻り声を上げた。
「ケモノが気に入らないなら、貴様は犬だ。貴様は精霊王……高貴なものとは違う。ただの犬ッころだ! 親父の背中に隠れぴーぴー泣くだけの哀れな子犬め」
「――どこまで侮辱したら気が済むんだ、お前は……。そんなくだらない自尊心を満たすためだけにここに居るのか?」リボンは険しくマリスを威嚇した。
「いいや、貴様らを討ち滅ぼすためにここに居る。まずは……貴様からだ、シリア。――パーミネイトトランスファー!」
「何っ?」気付いた時には、その効力範囲から抜け出すことは不可能だった。
「貴様には用がある。なぁに、戻ってくるまでには雑魚どもは片付いてる。つもる話もあることだ。邪魔者を排除してゆっくり聞かせてもらう……貴様の存在理由を」
「マリスっ、お前、何を考えて……」
 全てを言い終える前にリボンは虚空に完全に姿を消した。
「リボンちゃんをどこに連れて行ったんですかっ?」
「知らんな――。聞き出したいのなら、わたしを倒して見せろ。だが、貴様らが束になってかかってきても、わたしに傷一つつけることも叶わんぞ。真にわたしを殺したいと願うなら、“ドミニオンズ”を連れてこい。貴様らが全員束になってもわたしは倒せない。――また、封ずると言う卑怯で姑息な手段に訴えようと言うのなら話は違うが、……三度も失態は演じないっ!」
「そお?」迷夢が不敵に言い放つ。「キミはあたしの全力を知らない」
「そんなことはない。この間、時計塔で貴様の全力を見せてもらった」
「あれは百パーセントじゃない。善良なる闇の言霊を操ってたんだから、その分が残ってる」
「……だとしても、関係ない。貴様と戯れている暇はない。全力を出し切られる前にやるだけだ」
 斬り捨てるようにマリスは言った。
「完璧なあたしに勝つ自信がないんでしょ?」迷夢は悪辣な笑みを浮かべ、マリスはそれに眉をピクリとさせて反応した。プライドを傷つけるようなことを言えば、マリスは釣れる。「絶対に負けないんだってんなら、ちょっとくらい付き合ってくれてもいいんじゃない?」
「……ほざけ」吐き捨てるように言った。
「あらぁ。たかだかヴァーチュズとあろうあたしに勝つ自信がないんだ。やっぱり」
 迷夢はさらに意地悪になり、マリスを挑発した。
「久須那さんっ! リ、リボンちゃんは……」
「いい、放っておけ。どこに飛ばされたのかも判らずに探すなど、時間の無駄だ。……それに手を出すな。これはわたしとマリス……迷夢の問題だ」久須那はジロリとデュレを睨んだ。
「あら、久須那。ちゃんとあたしも勘定に入れてくれたんだ♪」
「しかし、わたしにもコトを収める責任がありますっ」デュレは思わず食い下がった。
「……頭数だけ揃っていても何も出来ない」
 真摯な眼差しがデュレに訴えかけていた。自分と迷夢でマリスを止めている間に次の行動を起こせと。としたら、することは一つ。逆召喚魔法の実行だ。呪文自体はさほど難しくはなさそうなのだが、扱う魔力が桁外れに大きい。封印破壊やスクリーミングハリケーンの比ではない。失敗した時の反動があまりにも恐ろしい。
「えらく謙虚だな、久須那。何を企んでいる?」警戒心を露わにして、マリスは問う。
「色々、企んでいるさ。策を一つだけしか用意できないようではお前には勝てない」
「その策とやらを教えて欲しいものだな?」悪辣に微笑みながらマリスは言う。
「教えてしまったら、策にならないだろ?」久須那も負けじと、不敵に微笑んだ。
「……ならば、その策諸共、貴様もこいつのサビにしてやろう」
「キミこそ、あたしのサーベルのサビにしてあげるわ」
 迷夢は虚空から漆黒のサーベルを取り出し、その切っ先をマリスに向けた。
「迷夢は少し待ってろ」そして、目配せ。
「――ちぇ、しょうがないなぁ。あたしの分もちゃんと残しておくのよ?」
 冗談だと判っていても久須那は流石に“うん”答えられなかった。迷夢は言いたいことを言ってしまうと、まるでマリスと直接対決できなかったことに何の感情を湧かなかったかのようにすぃ〜と空を飛翔してどこかに消えてしまった。
 マリスは“何だありゃ”とばかりに迷夢の背中を暫く追い掛けた後、久須那に向き直った。
「サシの勝負で勝つつもりか? 迷夢がいたら、少しは可能性があったかもしれない……」
「少なくとも、負けるつもりはない」久須那は珍しく、ニヤリとした。
「……やけに強気だ。いつもの貴様らしくない」
「――いつもとはいつのことだ?」
「フン、そんなことはどうでもいい。いい加減、貴様らの相手をするのもうんざりなんだ。ここで終わらせる、何もかも。過去の全てに終止符を打ち、わたしは自分だけの未来を築く!」
 それぞれの思惑を賭けた戦いの幕がついに切って落とされた。