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57. fortune named abilitty(運という名の実力)
解いてはいけない謎の一つ。それがトゥエルブクリスタルの伝承だった。その真実の欠けらが今、ジャンルークの目の前を“馬の前につるされた人参”の如くぶら下がっているのだ。知りたい。実際に触れてみたい。ジーゼから聞いただけの知識では満足しきれない。
ジャンルークは大きく息を吐いて、頭を抱え込んだ。好奇心が頭をもたげる。どうしても、知りたい。協会に反旗を翻した今、魔法学園を牽引するのは純粋な知的好奇心に他ならない。
「つまり、伝説は今もな終わっていないと……?」
「ええ……。それどころか――伝説の決着は……これからです」
ジーゼは言葉を選び慎重にジャンルークに伝えた。伝説の渦中へ。かつて、十二の精霊核の謎を追ったものにとっては魅惑の響きでもあった。謎が解け、自分自身が後世に残るはずの伝説の一部になる。――伝説は終わらない。伝説は深みを増して、未来へと繋がっていく。
*
不死鳥論争を切り抜けても、未だ決着は持ち越されていた。迷夢は巧みに時間を稼ぎ、マリスはそれがはっきりは感じられないうちに翻弄されてしまっていた。
「へへっ。もう、いい加減にして欲しいものよねぇ。耳にたこかもしれないけどさぁあ? キミ、しつこすぎるのよ。そろそろやめないと本式に嫌われちゃうわよ?」
「――誰にだ?」互いに不穏な雰囲気を醸しながら、会話を交わす。
「あたしによ」
「なら、別に構わん」素っ気なく、冷たくマリスは言った。
「あら、そぉお? じゃ、嫌っちゃおう! マリスなんか、大嫌いっ!」
ここまで来るとどこまで本気で、どこから冗談なのか判りはしない。迷夢はベッと舌を出した。マリスはどう反応したものか、戸惑ってしまったかのように行動が鈍った。チャンス。迷夢の瞳に一瞬の煌めきが宿った。
迷夢はサーベルをマリスに差し向けた。何度目かの行為。
柄を両手でぎっちりと握り、猛然と突きかかった。魔法防御のシールドなど関係ない。力を切っ先のただ一点に集中する。魔力を集約できれば、フィジカルディフェンスさえも突き破れる。マリスは身を翻し、迷夢の突きをかわそうとした。
「くっ!」
かすった。剣はマリスの脇をかすめたが、決定打とはならなかった。チャンスはマリスに移る。逃げ切れないうちにマリスは迷夢を斬りつけた。迷夢は窮地にもかかわらず、マリスの瞳を見詰めて不敵にも凄まじいまでの“意地悪”を込めて口元を歪めた。
「パーミネイトトランスファー!」
迷夢の姿がかき消えた。マリスの剣は激しく空を切り、マリス自身はバランスを崩し、空中で見事な宙返りを披露してしまった。迷夢はどこに姿を現すつもりだろうか。マリスは油断なく、視線を巡らせた。パーミネイトトランスファーはバニッシュのような透明化とは違い空間の移動なので、時間差で姿を出すことは出来ない。移動したら瞬間でどこかに姿が見えるはずなのだが、迷夢が現れる気配は全くなかった。
数秒から数十秒が異様な静けさに包まれたまま過ぎていく。
「……? 迷夢が逃げるとは考えられないが……」
もしかしたらと言う思いがマリスの脳裏をよぎった。正確には“逃げた”のではなく、他の方策に切り替えたのではという疑念だ。策士、策略家とまで言われた迷夢だ。マリスに勝つために様々局面を想定し、幾つもの代案を練っていると考えた方が自然だろう。
と……、突然、トンという軽いショックが背中に感じられた。
「そーね、あたしは逃げない。てかさ、逃げたとしても執念深いキミのことだから、地の果てにでも追ってくるでしょう? キミに残された唯一の楽しみはやっつけることだけなんだから」
迷夢は確信に満ちた声色でマリスに言った。
「だから、も〜しばらく、遊んであげる。感謝しなさい」
「遊ぶ必要はない。貴様と遊ぶのはもう飽きた。どうしてもというなら、相手を変えろ」
「それは……あたしを倒してから言うことね」
迷夢は深呼吸をして体勢を整えると、ゆっくりと言った。
「さぁて……。いっちょかましてあげましょうか?」
「貴様……、何かをしたのか?」マリスは狼狽した。
自分の視線が届く範囲での動きならいくらでも対処できる。しかし、見えないところからどんな攻撃が仕掛けられるかすらも判らない状態では強さと自身だけではどうにも出来ない。
「へへっ、タイムアウト。けれど、こんな程度でどうにかされちゃうキミじゃないよね?」迷夢は悪辣に、皮肉のこもった笑みを浮かべた。「あたしがいいって言うまで動くんじゃないのよ」
「そんなバカなことをきけるか! 貴様も巻き添えだぞ」
「あら、大丈夫よ」アッケラカンとした調子で迷夢は言う。「あたしは“光に住まう闇の言霊”使いなんだから、魔法の興味をキミだけに引き付けるなんて雑作もない♪」
迷夢はケラケラと笑った。
迷夢は普通に仕掛けなく魔法を使うよりも、何かを織りまぜた魔法の方が大得意だった。最近は、比較的正攻法でマリスに立ち向かうことが多かったが、そんな詰まらないことをする気も失せた。どうせ戦うほかないのなら、楽しまなくては損だ。
「さあ、受けなさいよ。あたしの光の芸術を! キャリーアウトっ!」
瞬間、遠くで何かが瞬いて見えた。迷夢はハッタリではなく本当に何かを仕掛けていた。マリスはたじろいだ。浅はかにも迷夢は時間を稼ぐために姿を消しただけだと考えてしまったのだ。迷夢はニヤリとして、軽く身体を浮かせるとマリスの両肩に両手をつき、くるりと一回転をすると正面に立ちはだかった。そして、迷夢はマリスを唐突に抱き締めた。
*
上空を見上げると、迷夢とマリスの戦いは未だに続いていた。時間稼ぎは出来ている。けれど、あれは本当に“時間稼ぎ”の戦いなのだろうか。結果としてたまたまそうなっているだけではないだろうか。と、デュレは不安げな眼差しを送っていた。
「――後は任せたと言われても……」
時間稼ぎがどうのこうの以前にデュレの前には難問が立ちふさがっていた。迷夢なしには正確な魔法陣を描けない。俯瞰できるものがいなければ、六つの方位が正確な直径二百メートルもの円を描けるはずがない。どうする? 全員が大体所定の位置に着いたから、まずは逆召喚を発動させ、それから微調整をするか。否、そんな危険な真似が出来る訳がない。
デュレは唇を噛み、ギュッと手を握り締めた。決断の時。心臓は早鐘のように打つ。
(……やるしかない……)
デュレは大きく息を吸い、呼吸を整えようとした。レルシアに託された逆召喚の呪文を唱える。しかし、踏ん切りがつかない。この魔法は封印破壊魔法の比ではないほどの魔力を必要とする。しくじればただでは済まない。それに、マリスをどうやっても追い返さなくては……。
「相当、困っているようだね?」
この場にはいないはずの聞き慣れた声が聞こえた。デュレには一週間ほど前、声の主にはたったの数日前に学園長室でケンカ別れのようになって、それっきりになっていた人の声。
「が、学園長! どうしてここに?」デュレが頓狂な声をあげた。
「エルフの森のジーゼに聞いたんだよ。デュレにどうしても伝えたいことあったんでね」
伝えたいこととは何だろう。デュレは言葉を発さずに小首を傾げてそれを示した。
「テレネンセス魔法学園は協会から離反し、独自にトゥエルブクリスタルの伝承について検証することを決定した。こんな時に言うべきことではないだろうが、一刻も早く……ね?」
「学園がトゥエルブクリスタルの伝説を追う……?」
「その通り。しかし、まずは目先の問題をどうにかしなければならないことを聞いたのでね」
「目先の問題……?」
「黒い翼の災厄を呼ぶ天使、マリス。君はレルシア枢機卿からメッセージを受け取ったのじゃろう? マリスを追い返せと。――君を選んだことは間違いなかったようだね……」
と、迷夢の指示で北東に行ったはずのシルトが駆け戻ってくるのが見えた。
「――デュレ……、ワタシ、怖い」
シルトはデュレの正面から抱きついた。サムの地下室を出て、初めてがこれでは不安になるだろう。デュレは抱きついたシルトの手を取って向き直ると、改めてシルトを抱き締めた。
「――大丈夫。怖いことなんてないから……。わたしが付いています」
「デュレが付いてる?」
「ええ。わたしが付いています」デュレはシルトの頭をそっと撫でた。
「や、闇の精霊・シェイド……」今日は信じられないことが多すぎる。
一生来ることはないと考えていた耳長亭に足を運び、トゥエルブクリスタルの伝承の片鱗をきかされた上に、光の精霊・ウィル・オ・ザ・ウィスプ以上に目撃例が少ないと言われるシェイドに会えるとは。もっとも、シェイドの方はジャンルークには興味ゼロのようだったが。
「……万一、何か怖いことがあっても、わたしが退治しますから」」
すると、シルトは満足したのか、自分の持ち場へと飛んでいった。そうする他ないと悟ったかのように。心のどこかで、デュレがいたら安心だと納得できたのだろう。
「――学園長、――逆召喚を発動させても……いいのでしょうか?」
「逆召喚のセッティングは完璧に出来ているのかな?」
「ええ、多分。迷夢の指示に従って、魔法陣を完成させました。――微調整がなかなか上手くいかないんです。一応、魔法が暴発しない程度には出来てると思うんですけど……?」
そこら辺に自信がない。だから、デュレは呪文の詠唱を躊躇っていた。
「確かにエンジェルズクラスの天使を逆召喚するには十分だろうが、マリスのような魔力の大きな天使を帰すには不十分だろう。完璧に魔法陣を形成しておかなければ、マリスの魔力によって召喚フィールドが崩壊してしまう危険性が大きい。……迷夢は何か言っていかなかったか……?」
ジャンルークはデュレの肩に手を置いて答えを促した。
「久須那さんがマリスに倒されてしまって、迷夢さんが時間稼ぎを……」
デュレの言葉を聞いてジャンルークはすぐに退っ引きならない状況だと理解した。恐らく、最初は久須那に時間稼ぎをさせいている間に迷夢自身が魔法陣を完成、アイドル状態にまで立ち上げ、マリスを逆召喚陣の活動中心まで誘き寄せる算段だったのだろう。
それが崩れ、逆召喚魔法の行使は危機に瀕している。
「……正直に言おう。デュレ、君ではこの状況下でこの魔法を行使するスキルが足りない。……恐らく、この魔法を行使する実力を有するのはその迷夢と久須那くらいだろうな。――そして、魔法陣の不具合よりも致命的なことが一つある……」
「……致命的?」
デュレはジャンルークの瞳を見詰め息を呑んだ。自分に逆召喚魔法を完遂するだけの技量がないかもしれないや魔法陣の不安定さのことは想像していた。けれど、それ以外に何が。
「マリスを逆召喚するためには魔力が足りない。このメンバーでは不可能だ」
「でも、足りるはずだって」それは迷夢がいての話だと、ハッとした様子でデュレは気付いた。
いわゆる逆召喚、マリスを異界に送還するためにはそれに見合うだけの魔力が必要だ。しかし、今、ここに居るメンバーだけではどう楽観的に見積もっても大幅に魔力が足りない。迷夢が加わってくれなければマリスの逆召喚はできない。しかし、同時に時間稼ぎも難しくなってしまう。
「――何とかして、迷夢に戻ってきてもらはねば……」
「迷夢さん。……でも、それだけではきっとダメです。魔法陣が揺らぐのを感じるんです……」
「――判っておる」
ジャンルークは静かに言った。そして、揺らぎの発生源を特定するために神経を研ぎ澄ませる。
「恐らく……、この感じはセレスじゃろう。こういうこともあるだろうと考えてな、実は一つ手段を講じておいた……」
魔法陣が安定しない原因がセレスにあるのは明らかだが、魔法陣が辛うじてその形態を維持していられるのもセレスの魔力のためなのだ。セレスを外したら、精霊のシルトがいるとは言っても、必要な魔力が得られない。精霊が無尽蔵に近い魔力をもっていても、使い手が幼ければ百パーセントの出力を求めるのはほぼ不可能だ。
ジャンルークは胸のポケットをまさぐり、深緑の小さな物体を取り出した。
「それは……」デュレは吐息にも似た声を漏らした。
ジャンルークが手にしていたのはフォレストグリーンの精霊核の欠けらだ。ジーゼの精霊核に間違いない。ジャンルークはジーゼと会い、ジーゼを信頼させることに成功したのは確実だ。
「ジーゼの精霊核の欠けらだよ。これがあれば、魔法陣を安定させ易いだろうとね?」
「ジーゼが……」ジャンルークの優しい瞳を見て、デュレは囁くように言った。
「これをセレスに持たせたら、きっと上手くいく」
デュレはホッとしたかのように瞳に涙をためた。けれど、安心するにはまだ早い。セレスの魔法はどうしようもないほどに下手なのだ。もしかしたら、精霊核の力を受けてあらぬ方向に弾けるかもしれない。そうなれば、マリスを逆召喚するどころか、自分たちが地獄を見る結果になりかねない。リボンや迷夢にいくら大丈夫だからと言われても不安で堪らない一面なのだ。
その不安や責任にさいなませるデュレの心の内をジャンルークは読み取っていた。
「――確かに、セレスの監督を君に頼んだ。じゃが、デュレが全部を背負う必要はないのだよ」
「……そうですが……、わたしがやらなかったら、誰も……」
「――わしがいる。わしが最低でも君がもつ責任の半分を受けもとう……」
それはどれだけ有り難い言葉だっただろう。デュレは左手を口元にあて、涙に濡れる瞳でジャンルークを見詰めた。いつも自分だけが頼りだった。けれど、本当に頼れるものがいなくなったことはなかったのかもしれない。
「だから、今は待つのじゃ。迷夢がいない限りこの魔法の行使は不可能だ。わしはセレスに“欠けら”を渡してくる。いいか、何があっても早まるのじゃないぞ」
そう言い残し、ジャンルークはセレスの元へと急いだ。
*
「くそっ!」迫る光の筋のようなものに向け、マリスは吐き捨てた。
見るからに光弾や、クラッシュアイズではない。何か別のおぞましいものを感じた。迷夢が使うのだから、炎か光に属する魔法の可能性が高い。けれど、あれはマリスも知らない。あらゆる魔法が分類され整理されている訳でもないが、あれは既存のどの魔法にも分類することが出来ない。
「……あれは……何だ……?」
背筋に凍るような寒気を感じるというのに、目を離せない。
「あら? 魔法を間違えちゃったかしら?」迷夢はマリスの耳元でわざとらしく言った。「――光に住まう闇の言霊の本領を発揮してもらったのよ。“境界強化”魔法の比じゃないわよ。あたしの古代魔法をベースにした創作魔法はすっごいの! きっと、満足してくれるは・ず……」
気配は増大する。かなりの距離があるのか、進むのが遅いのか判らないが、なかなか近づいてこない。しかし、それが言い知れぬ恐怖を演出する。全ては迷夢の計略なのだろうか。
「離せ! 迷夢!」
マリスは抱き付いている迷夢を引きはがしにかかった。こんな状態ではまともに魔法も使えない。飛んで逃げようにもそこら辺ことも計算しているらしく、思うように動けなかった。
「ホラ……、ジタバタしないの。中途半端になると……痛いわよ。だから、ひと思いに――」
ひと思いにされては冗談ではない。そもそも、迷夢と心中する気などない。
「貴様……本気で死ぬ気か?」
「さぁあ? けど、こうする以上、抜け道は必ず用意しておくものよ」にやり。
初めてだった。迷夢の言動に焦りを感じたのは。苛々させられることはあっても、真の意味で焦りを感じたことはない。あれは危険だ。マリスの直感が全霊を込めて訴えかける。突き進むそれの先端には憎悪に歪められた顔があり、そいつが自分のことを嘲笑っているように感じられた。
あの魔法は“生きて”いる。自らの意志を持ち、マリスを狙っている。
それが封じられた古代魔法のパワーの片鱗なのだ。あくまで擬似的なものとはいえ、仮初めの意志を与えられた魔法は魔力をただ魔法に変換したような魔法よりも強力だ。それらは術者の意志を持ち、魔力の続く限り目的を果たすまで止まらないのだ。
「くっ! シールドディフェンスっ!」
マリスは必死の思いで迷夢を引きはがすと、防御魔法を行使した。通常のシールドや、物理的な防御に特化したフィジカルディフェンスではどこまであれを防げるのか見当も付かない。あれの進路か、射程から逃げおおせられたら頭を悩ませる必要もないが、時間はない。しかも、迷夢は“魔法の興味をキミだけに引き付ける”ことが可能と言っていた。としたら、逃げられない。
(……これが上手くいかなかったら……)永遠の安寧が訪れるのかもしれない。
シールドはマリスの直前に形成されつつあった。その様子は幾重にも折り畳まれたシートが広げられていくかのようだ。あらゆる攻撃を想定したシールドの形成には多大な魔力を必要とし、使われる魔力が大きくなると展開が遅くなる。
シールドが迷夢の魔法を防ぐだけの大きさを作るのが先か、魔法が先か。
「あ〜あぁ。マリスの勝ちね……」さほど残念そうでもなく、少し離れた場所で迷夢は呟く。「やっぱ、前口上が長すぎたかしら? もっと簡潔にして、あれが早く起動できたらなぁ……。……む〜。まだ、こいつには問題が山積かぁ……。破壊力もないし……」ぶつぶつ。
「ダメかっ!」マリスも流石に覚悟を決めた。
無意味と判っても、目を閉じて左腕で顔面を覆う。
その次にはパーンと言う乾いた音がして水玉が弾け飛ぶように白い玉が周囲に撒き散らかった。
「……?」何が起きたのか、一瞬、理解できなかった。「……? 何・だ?」
「あ〜、やっぱり、“流石”と言うべきかしらね?」
フラフラと迷夢が戻ってきて、奇妙なほどにこやかに迷夢は言った。その時には、マリスも何となく状況が判ってきた。迷夢にそのつもりはなかったのだろうが、結局はからかわれたにすぎない。こんな相手に少しでも焦りや怖さを感じた自分が恥ずかしくなってくるのをマリスは感じていた。
「ふ、ふざけるのもいい加減にしておけ」
「あら? あたしはいつだって本気よ。そうでないと、キミとは渡りあえない」
それは事実なのだろう。が、対するマリスとしては信じられない。そもそも、迷夢に対する時は少しでも本気になってしまったら、ただただ翻弄されるだけなのかもしれなかった。しかし、“眠れる獅子”が実は“豚”だったと言うことは絶対にあり得ない。明らかな隙を迷夢に見せたら“獅子”は確実に“竜”にでも何にでも化けるだろう。
マリスは苛々を強引に押さえ込むと、迷夢のような戦術に出た。出たくて出たと言うよりはむしろ、やむにやまれずと言うのが本当のところだ。魔力では自分が優位なのは間違いない。が、フツーの相手と戦うつもり、無意識のうちにそうなってしまうのだが、でいてはいいように翻弄されるのが落ちだ。ならば、迷夢が嫌がる方向に流れを展開させたい。
「――貴様らは地上でちまちまと何をやっている……?」
「どうしても、教えて欲しい?」
マリスの珍しい様子に迷夢は幾分驚いたが、それはさらに時間を稼ぐチャンスだった。
迷夢はチラリと下の様子を確認した。空気を察するに自分が抜けてから上手くことが運べていないらしい。どうして、そうなるのか大方の予想は付くのだが、迷夢もマリスから離れるようには動けない。ここで地上部隊の調整のために動けば、マリスに優位さを与えることになってしまう。
「フン――。大して興味もないが、訊いておいてやろう」
「可愛くないのねぇ」クスクス。「ホントは知りたくてたまらないく・せ・に♪ ――いいわ、教えてあげる。あれは逆召喚。キミを異界に送り返してあげるわ」
「逆召喚だと? 貴様ら、その魔法はどこで手に入れた」
「ついさっき、すぐそこで」素っ気なく迷夢は答えた。
「久須那か。それとも、レルシアが遺したかな?」
「どっちでも関係ないでしょ。どうせキミは送り返されるんだから。さあ、やりましょうよ」
迷夢は悪辣な笑みを浮かべた。マリスは逆召喚の完成を阻みたい。迷夢はそれを阻止したい。
「どうしても……か? 黒き翼の天使でありながら、何故、刃向かう?」
「刃向かってるのはキミでしょう?」瞳がキラリ。
形を変え何度も繰り返されたそのやりとりに迷夢は答える。
「あたしは全体の利になることしかやらないけど、キミは違う。キミは秩序を乱す」
「貴様だろう? 貴様がわたしの作ろうとする秩序を破壊する! 貴様こそ、邪悪だ。貴様は自分の利益になることしか実行していない。偶然だ。貴様のすることが“全体の利”になるのは偶然に過ぎない! 詭弁だぞ」ほとばしる感情を抑えきれずにマリスは怒鳴り散らした。
「マリスちゃんにそんなことを言われる筋合いはないな。……運も実力のうちなのよ」
研ぎ澄まされた視線が痛い。北風の吹き荒ぶ極寒の地に置き去りにされたかのようだ。
「――お前は異界に帰れっ!」
「今更、おめおめと引き下がれるか! こんな事で終わると思っているのか!」
「終わらなくても終わらせるしかないのよ。キミは邪魔なの。私怨を抱えたキミはここにいてはならない。狂ってしまった天使の力はあまりに危険すぎる。判るでしょ? そのことは。……だから、異界に帰らないなら、ここで大人しく殺されな」
長すぎる迷夢の言葉をマリスは鼻で笑った。
「――馬脚を現したな……? 貴様こそ、私怨におかされている。あの日、貴様を妨げたわたしが憎いのだろう――? わたしがこのリテールに危険すぎるという理由だけで、貴様がここまで固執するとは思えない。……そう言うことなんだろう?」
「フフ……。いい勘してるわね、マリス。……そうね、否定はしない。――キミはあたしから大切なものを奪っていった。言わずとも判るでしょ?」
「……奪った……だと? 奪ったのは貴様だろう!」つばを吹きかける勢いでマリスは言う。
「――キミ……、やっぱり、レイヴンのことが好きだったんだ」
「だ、誰がそんなことを」
否定するマリスの声は心なしか震えていた。そこに真意を見出した迷夢はそれ以上問わない。
「ま、どっちゃでもいいけどさ。けど、あたしの恨みはキミのよりずっと深い。――あたしのリボンちゃんの仇を取らせてもらうわよ。そして、ゼフィの仇も……」
「仇討ちにしては随分と悠長だな。それに……あの辺で――」マリスは適当な位置を指した。「白いのがもちゃもちゃ動いているだろう。あれはお前の言う“リボンちゃん”ではないのか?」
「そうね、そうとも言えるけど、きっと、キミには理解できない」
もはや、マリスは問わなかった。全てを葬る以上、そこに問う意味などありはしない。ここまで知られただけでも、十分すぎるだけの情報が手に入ったのだから。
*
セレスはかなり心細い思いをしていた。魔法に関しては殊更疎いのに、少しばかりしか頼りにならないとはいえウィズから離されたのでは不安で堪らない。足下にはまだリボンがいるが、もうすぐにでも行ってしまいそうだ。そこへ姿を現したのがジャンルークだった。
その存在にはいち早くリボンが気が付いたが、予定のうちとでもいいたげにジャンルークの登場に意外そうな様子は全く見せないでいた。
「来たんだな、……ジャンルーク」リボンが呟いた。
セレスはそこで初めて、ジャンルークが近くにいることに気が付いた。
「はげ! じじい……」
流石にびっくり。ジャンルークと一緒にいた最後の記憶は自分がジャンルークに噛みつこうとしていたところだから、その当人が目前にいるとなるとどうも居心地が良くない。
「イヤ、あははっ、あたし、帰ります。じゃ、さよな……」
「何を言っとるか」ジャンルークはセレスの肩をムンズと掴んで、引っ張った。「この間のことは気にしなくてもいいんじゃよ。それはあとにしよう。……それよりも、今はこれを……」
ジャンルークはセレスにフォレストグリーンの欠けらをギュッと握らせた。
「何? これ?」セレスは不安に包まれて、揺らぐ視線でジャンルークを見詰めた。
「セレスが知らない訳はないだろう……? 君も持っていた」
「水色の欠けら、緑色の欠けら。もしかして、――これはジーゼの精霊核の欠けら?」
「そうだ……。もしものためにジーゼが貸してくれた――」
そう考えたら、手のひらから温もりを感じた。これまで抱いていた不安が少しずつ解きほぐされていくような気がする。“もっと、自信を持って”と欠けらが言っているように感じられた。大きく深呼吸をして心を落ち着ける。それだけのことで、何もかもが上手くいきそうな気さえしてくる。
「……欠けらの威力は絶大じゃな……。魔力的にはほぼ安定したようだ……」
問題は払拭されたのに、ジャンルークは浮かない顔色で呟くように言った。
「浮かない様子だ」リボンはジャンルークの顔色を見て言った。「――魔力が足りないんだな。この埋め合わせが出来るのは……オレか、迷夢。――熟練度から考えると迷夢を連れてきて、事にあたってもらうのが最善の策だ」
「――わしが彼女を連れてこよう。そして、逆召喚を実行して欲しい」
「いや、オレが行く」リボンが低く決意に満ちた声で言った。「オレが行くのが妥当だろう? マリスと仮にでも渡り合えるのは迷夢の他にはオレしかいない。だろ? ジャンルーク?」
「そうだな……。しかし、……君が学園の扉を蹴飛ばした時、よもやこんな事になろうとは考えもしなかった……」突然、追憶に駆られたかのようにジャンルークは言う。「やがて、島エルフとダークエルフが学園の門を叩く、その時は……」
リボンはジャンルークの言葉を遮った。
「――予想外にとても楽しいことになって、良かっただろ?」にやり。
「……。お陰で職を追われそうになっとるがね?」
「フフ。だが、その道を選んだのはジャンルーク自身だろう。――魔法陣のことはしばらくジャンルークとデュレに任せる。魔法陣自体は安定できたから、逆召喚直前のアイドル状態にもっていっても何ら、問題はないだろう。――出来たらの話だが……」
「そうなると、魔法の引き継ぎをせねばならんな。わしらだけではあの天使を異界に送り返すだけの魔力はない。それどころか、強力な反抗にあえば魔法自体が崩壊してしまうかもしれない」
素直にしてくれる対象なら問題はないだろうが、マリスではそれも厳しいものがある。
「……崩壊したら瓦礫の山が砂の山になるな。だが……そんなことはあり得ないだろう? 高次のスキルが要るが、魔法の引き継ぎはお前とデュレなら何とか出来る。――それに迷夢だしな。あいつなら、多少、ふらついても修正してきっちり引き継いでくれるさ」
「信頼しておるのか?」
ジーゼに昔話を聞かされたジャンルークとしては信じてもいいとは思うものの、信頼しきるまでには至らなかった。特に危険の伴う事柄については慎重にならざるを得ない。
「全然」リボンは笑いながら要った。「信頼するもしないも、あいつならやる、それだけだよ」
それだけを言うとリボンはタタッと駆けだした。
「リ、リボンちゃん?」セレスは未練たらしく左手を伸ばしてリボンにすがろうとした。
「いい加減、一人で歩けるようになれよ。……オレじゃなくても、アルタがいるさ……」
リボンは一瞬立ち止まり、ちらりとセレスを見ながら、囁いた。
「待って、リボンちゃん、行かないで」
いつになく、真面目に必死になっていた。何故か、リボンを放してはいけないような気がした。しかし、リボンはセレスの気持ちを知ってか知らずか振り返りもせずに行ってしまった。
「リボンちゃん……」その声がリボンに届くことはなかった。
*
かつて、街一番高くそびえていた時計塔の瓦礫の山の上空から成り行きを見守る人影が二つ。大きな魔力がぶつかり合う時点には必ずと言っても過言ではないほど、時間断裂の可能性が増大する。普段なら、それほど気にも留めないが、今度は関わってしまっただけに顛末が気になるのだ。
「マリスは目的を成就できると思うかい? ルーン?」
「あんたは黙ってなさい」ルーンは激しい眼差しでラールを睨め付けた。「――成就してもらっちゃ困るのよ。ここで失敗したら、何もかもがメチャメチャよ」
「何を今更。もう、ボロボロのボロ雑巾みたいなものじゃない? 無理だろうさ」
「あんたが出来そうなことを言うから気になるのよっ。そんなこと言うなら、黙れ!」
ルーンはラールを物凄い形相で睨み付けた上、ドスをきかせた声色で要った。
「だってさ、あっちのマリスは思いを成就できたのに、こっちがこれじゃあ、可哀想でね?」
「その口が言うか?」ルーンは大鎌を両手で持ち上げた。
「そりゃ、言うよ。1292年と同じにこの時代だって変わらないとは限らないんだから。ま、これ以上、時間線がこんがらかったらたまんないけど、今度はどんな風に切り抜けていくのか気にかかるのが人情ってもんでしょ?」
「あんたに人情があったなんて初耳。ただの興味本位なんでしょ、バカバカしい」ルーンは呆れ果ててしまったかのように呟いた。「――もう、先行きは見えてるわよ。いくら時の流れが揺るぎないものじゃないとしても、すぐに崩れちゃうほど脆弱でもないってことはあんたも判ってるでしょ」
「そりゃ、もちろん。でも、傍観者としてはよりスリリングな展開を期待しちゃうものなのさ」
ラールはパチッとウィンクして見せた。
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