黒き翼のジェット

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14. ideal and reality(理想と現実)

 リテール暦一一九二年。トリリアンの設立から九十七年目、百周年をそこはかとなく意識し始めた年の晩秋。アリクシアはトリリアンの活動に疑問を持ち始めていた。協和の理念を唱え、リテールにいる全ての種族が互いの種を越えての共存共栄に理想をおいて形作られたはずのトリリアンにもやはり、不和の芽が芽生えつつあった。
「やはり、ヒトが多く集まるとこうなってしまうのでしょうか……」
 すでにこの時、ともにトリリアンの礎を築いたマリエルはすでに亡く、シェイラル一族、天使の血筋のラナもここしばらくは姿を見ることもなくなっていた。そして、当然のごとく、トリリアンの創設メンバーはエルフなどの一部の長命種族を除いてはいなくなり、それ相当の世代交代も起きていた。
「アリクシアさま……」
「何ですか、サラ。――ベリアルも一緒に。何か、ありましたか?」
「何かありましたか、ではありません。アリクシアさまはトリリアンの現状に何かをお感じにはならないのですか。このままではトリリアンは崩壊してしまいます」
「そうですね。何らかの手を打たなければ協会と同じ道を歩むことでしょう」
 アリクシアはため息交じりに発言をした。
「しかし、ここで改革を断行しても、また、同じことになってしまうのかと考えてしまいます……。レルシア派も、わたしのアリクシア派も、トリリアンも同じ。一部の者だけが力を入れても、結局は権力を得ようとしてしまうのですね」
 アリクシアは無力感に囚われていた。天使とエルフのハーフで大きな魔力をもってトリリアンをまとめあげることも出来たが、それでは全く意味がない。魔力という武器で集団を支配したとしても、それはアリクシアの理想ではないし、必ずどこかに綻びが生まれてしまう。そうなれば、もはや、手のうちようがない。
「……アリクシアさまの気持ちも判ります。しかし、今は時期を見計らい待ってる時期ではありません。今こそ、行動を起こすべきなのです」
 サラは平静さの中にも熱意を込めてアリクシアに語った。
「――ベリアルもそのような考えなのですか……?」
「わたしは……」意気込むサラの後ろで、ベリアルは小さく声を出す。
「わたしたちは三種協和をよりよく実現するためにグループを組織することにしました。もちろん、“力”にものを言わせるために集まるのではありません。ただ、ヒトが集まるにつれてできる権力重視の方たちとは一線を画したいと思います」
「……そうですか……」
 そこまで言われてしまえば、アリクシアが反論をするのは難しかった。サラの言ったことこそ、アリクシアが目指してきたことなのだから。

 思い通りにことが運べない。そのことが迷夢にとって最大の懸案材料になっていた。無論、思い通りにいかないことが多いのだが、今度ばかりは迷夢自身が思った方に微塵も動かせはしない。策士とまで呼ばれた迷夢の名折れだ。
「さて……と、どうしたものかしら……ねぇえ?」
 迷夢は“黒翼・迷夢のステキオフィス”の事務机に足を投げ出して座り込んでいた。
 このままでは埒が明かない。アリクシアに言われた『ハイエルフのサラ』の件については放置したままだが、ベリアルらの情報に頼り、トリリアンの活動を外側から把握し、様々なことを仕掛けるのには限界が見えてきた。ベリアルを能動的に使い、トリリアン内部を切り崩すのも可能といえば、可能だが、それはベリアル自身を危険に晒すことになる。やはり、ことを急ぎすぎるとロクなことにはならない。
 そこはベリアルを頼りにデュレを潜り込ませた程度このことで妥協すべきだろう。そうすると、自由に動かせる人材は一人だけ。
「……乗り込むか……」
 迷夢は心を決めるとおもむろに立ち上がった。
 決めたからには行動あるのみ。動いたことにしか結果は伴わないのだから、どういう結果に辿り着こうとも、まずは動く他ない。その経過が芳しくなければ、その結果を自分の思うが方向に引き寄せる努力をする以外に手だてはない。
「あ〜あ、結局、損な役回りがあたしにくるのよねぇ……」
 ぶつぶつと文句を呟きながらも迷夢は事務所をあとに、トリリアンの教会に向け飛び立った。そこから先の行動は早く、アルケミスタに目標の教会を見つけるとそのまま他のものには脇目も振らずに迷夢は突撃した。
「――ほう? あの冴えなさそうな男が総長かしら?」
 窓の外からチラリと見えた風貌はベリアルから聞き及んだそれに酷似している。そして、“冴えない”とは言っても、ジェットを傀儡にし、ある程度はガーディアンをまとめて動かすことのできる実力者でもある。
 迷夢は窓から教会内部の様子を窺いながら、出入口のある方へと進む。
「……礼拝堂の入口……」
 迷夢はドアノブをギュッと握って軽く回してみた。鍵はかかっていない。
(おっ! 不用心ねぇえ)
 迷夢は可能な限り音を立てないようにしながら、おもむろにドアを開けた。そして、静かに、まるで重さを持たない物体のように礼拝堂に滑り込んだ。
「わたしはこの世の中を手に入れると決めたのだ。誰にも邪魔させない」
「そお? あたしもこの世界を手に入れると決めたのよ。誰にも邪魔はさせない」
 決然とした閃きを持った声だけが礼拝堂に響いた。自分以外、誰もいないはずの礼拝堂で。ヘクトラは鬼気迫る形相をして振り向いた。ドアが開いている。けれど、人影は見えない。ヘクトラはキョロキョロと見回したが、誰も見当たらない。
「どこを捜しているのかしら? あたしは……ここよ」
 見えた。ユラリと動いた人影には大きな翼の影が映っていた。天使。この世に、背中に大きな翼を持つものは天使しかいない。だとしたら、その人影はジェットなのだろうか。
「お前は誰だ?」
「あら? あたしが誰かって? そんな当たり前のことを訊くなんて、キミって、本当にトリリアンの総長さんなのかしら? ま、いいわ。教えてあげる。あたしは黒翼の迷夢」
「黒翼の迷夢……?」ヘクトラは呆然とした様子で迷夢の言葉を繰り返した。
 しばらくの間をおいて、ヘクトラは一気に理解した。トリリアンと組むことをよしとせず、エスメラルダ期成同盟と組んだ黒翼の迷夢がここに来ているのだ。
「――エスメラルダ期成同盟に与したあなたがわたしに何のご用でしょうか」
「ご用? そんな大した用事はないわよ」どこか嘲笑するような口調だった。
「では、何の用事ですかな? ないのなら早々にお引き取り願いたいですな」
「引き取りたいのは山々なんだけどね。折角来たから、ものの一つや二つ言わせてちょうだい。――キミの本当の目的は何なのかしら……?」
「本当の目的? 何を言い出すかと思えば――。わたしの目的など判り切っているでしょう。……わたしはトリリアンという信仰を、初代総長のアリクシアさまが残した崇高な理想をリテール全体に広めていくこと。それ以外に何がありますか?」
「……そう。じゃあ、ガーディアンも天使もそのために使っているのね?」
「何を仰いますか。わたしたちは何もしておりません。――ガーディアンとは何でしょうか? 天使とは何でしょうか? わたしたちは常に正しい手段を用いて布教を行っているのです。あなたさま方のつまらない妄想を押し付けないでいただきたいですね」
「よくもまあ、そんなことをいけしゃあしゃあと言えたものよね」
 迷夢はやや自嘲気味に言った。
「まあ、それがあたしのつまらない妄想か、キミの隠し事かなんて今に判るから、そんなのはどうだっていいけど。つまり、キミはキミの理想に基づいて正しい行いをしているって言う認識で全く問題はないのよねぇえ?」
「そう言う事です」ヘクトラはさらりと言う。
「そっか。ガーディアンも天使も知らなくて、フツーの布教と言うわけか。じゃあ、あたしらがそいつらに何をしてもキミたちは何も言わない、何も知らないってことよね。だって、関係ないんだもの。それはあたしたちにとって願ったりかなったりかしら?」
「何とでも好きに妄想していなさい。わたしから言うことはありません」
「別に期待はしていないから。キミがスナオなヤツだったら、話が早いだろうなと思っただけ。けどさ、そこは当てが外れたようだから、当初の予定通りテキトーにやらせてもらうわ。じゃあね、総長さん」
 迷夢はどこか面倒くさそうにひらひらと手を振ると、あっという間に姿を消した。
「黒翼の迷夢……か、厄介なヤツを敵に回してしまったものです……」
 ヘクトラは迷夢の後ろ姿を背中で見送り、呟いた。当初、ヘクトラは迷夢を懐柔するつもりではいたのだが、結局、その心をトリリアンに向けさせることは出来なかった。
「――どなたか見えていたのですか?」
「いいえ。何もありませんでしたよ。ただ、少しだけ、迷夢が遊びに来ていましたが」
「そうですか、何もなかったのでしたら、わたしからは言う事はありません」
「ところで、今まで、どこをほっつき歩いていたのですか、ベリアル」
 ヘクトラは腰の後で手を組んで振り返ることなくベリアルに悪態をついた。
「――はい……、申し訳ございません」
 特に悪びれる風でもなくベリアルはしれっとした様子で言い放った。
「わたしたちは今、これからのまさに正念場にいるのですよ」
「……正念場、ですか……」ベリアルは無感情に言葉を吐く。「確かに正念場ですね」
「何か、不満があるのでしょうか」ヘクトラは目敏くベリアルの変化をとらえた。
「不満は――特にはありませんよ。わたしはあなたたちのやり方に口を挟むつもりはありません。いつもの通り、何かが変わったと言うことはありません。――ヘクトラこそ、わたしの“存在”自体に不満を抱いているのではありませんか?」
 ベリアルは的確に突っ込んだ。以前から、ヘクトラが自分のことを快く思っていないことは承知していた。最近は特に無表情・無感情を装い、何かことがあればあからさまではないが、それとなく反発することを繰り返していた。ヘクトラのやることなど放っておけばよいのだが、嫌味の一つでも言ってやりたくなるのが本音だった。
「あなたはそうお思いですか?」
「ええ」ベリアルは突き放すかのように言った。「あなたは隠しているつもりでしょうが、古くからトリリアンを知るわたしに負の感情を抱いていることくらいは判ります。拒絶と言うほど嫌っているとは思いませんが、邪魔なんでしょう?」
「そこまで邪険に扱ったつもりはありませんが――。一つ、疑問に思うことはあります」
「何でしょうか?」そっけなく答える。
「トリリアンに籍を置きながら、何故、その利益に反する行動をしますか?」
 雷光が閃き、雷鳴が轟いた。雷光は薄暗くなった礼拝堂を隅々まで照らし、雷鳴は耳をつんざく。後に、ポツンポツンと雨粒が落ちだし、窓を打つ。
「利益に反する……」ベリアルは涼しい眼差しをヘクトラに向ける。「トリリアンの利益とは何なのかをしっかりと突き詰めるべきかもしれませんね」
「トリリアンの利益とは信者の利益……」ヘクトラは言う。
 外の雨はヘクトラの発言を否定するかのようにいつしか激しさを増していた。
「それは正しいでしょうね。ですが、あなたは本気でそのようには考えていない。トリリアンの利益が信者の利益であればよいでしょうが。むしろ、あなたはトリリアンのことも、信者のことも忘れ、……いいえ、それすらも利用して自分のことだけを考えていませんか」
「何故、そのようなことを思うのですか、ベリアル。わたしは清く正しい男ですよ」
 その言葉がどれだけ白々しくベリアルの耳に響いたことだろう。

14

「清く正しい男ですか?」
「そう、清く正しい男ですよ。――わたしが信用できませんか?」
「信用する、しないとは別次元の問題です。――今更、敢えて言うこともありませんが、特に最近、アリクシアが亡くなってから、事を急いているように思えてなりません。あなたが本当にアリクシアさまの理想を、あなたなりに追いかけていると言うのなら、足下をすくわれないように気をつけることです。――わたしにはあなたの目は外ばかりを見ているような気がします。協会や期成同盟に潰されないようにすることも大切ですが、あなたは本当にしなければならないものを置き去りにしています」
「……ご忠告ありがとう。あなたの忠告はしっかりと心に留めておきます」
 ヘクトラは乾いた笑みを浮かべていた。まるで、気にも留めていないかのように。
「そうですか。では、わたしはこれで下がらせていただきます」
 ベリアルは敢えて、何かを発言することもなく、ヘクトラの前を去った。

 

 一方で、迷夢は礼拝堂を出た後も教会の周りをウロウロしていた。ベリアルが教会に入っていく様子が見えたが、声をかけ、コンタクトもはからずにそのままにしておいた。元々、ベリアルはベリアル自身で色々と行動していたので、迷夢が口を挟む義理もない。
 と、思っていたら突然の雨に降られ、迷夢は教会の軒先に雨宿りをしたところだった。
「さてねぇ、ヘクトラから言質を取れなかったしなぁ……。……。ついてないなぁ〜」
 迷夢は髪の毛に付いた雨粒を払いながら、周囲の様子を窺った。
「む……? 何かしら、あれ……」
 開きっ放しになっているドアを見つけた。礼拝堂とはちょうど反対側に位置し、人のいる気配はない。察するに、トリリアン本部関係者のための出入口なのだろう。瞬間、迷夢の好奇心に火がついた。これは潜入してみる他ない。総長・ヘクトラに食って掛かってどうにもなりそうにないのなら、他に切り崩しのネタを探した方が手っ取り早い。
「どれどれ♪」
 どこの出入口も鍵がかかっていないことに一種の疑念を抱きつつも、その適当さ加減に感謝せずにはいられない。迷夢は早速、何にも遠慮することなく中に入った。そこで、ベリアルとばったりなどということがあれば少々ばつが悪いが、もはや、そんな悠長なことも言っていられない。
「――何の変哲もないただの教会よねぇ、やっぱり」
 少々期待外れだ。ヒトの気配を伺いながら、迷夢は廊下を静々と歩いていた。と、迷夢は階下へと下りる階段を発見した。フツーにこのまま廊下を歩いていても見つけられないような何かを見つけられそうな妙にワクワクした予感がある。
 迷夢は一瞬も惑うことなく、階段を下りた。教会の地下。作られた当初は想像に違うことなく普通の貯蔵庫として使われていたのだろう。廊下は石造り、幾つかある部屋を覗き込めば、壊れた木箱が打ち捨てられていた。
「ふむ……。特に新しい発見はないのかしらね……。つまらん」
 それでも、迷夢はとりあえず、地下を一回りする。すると、奥まった場所に鉄で作られたドアが据え付けられているのを見つけた。見る限り、貯蔵庫の雰囲気はない。鉄製のドア自体も建物が造られた頃にはなかったようで、そこはかとなく違和感を感じた。
「教会に地下牢。一体、誰がこんな似つかわしくないものを作ったのかしらね……」
 しかも、そのドアにも鍵はかかっていない。どこまでも不用心なことに感謝して、迷夢はゆっくりとドアを開く。今更、何が飛び出してきたとしても驚かない。超古参の精霊でも出てこない限り、負けない自信と対処できる自負がある。
 そして、迷夢は見つけた。鎖に繋がれた天使の姿を。
「――ねぇ、キミ。いつからこんな薄暗くて辛気臭いところに住んでいるの?」
 不意に妙に明るい声が地下牢に響いた。けれど、ジェットは何の存在も確認できなかった。声がするからには誰かいるのだろうが、気配すら感じられない。
「あ〜、そんな情けない顔をしてキョロキョロしない。格好悪いぞ」
「……か、格好悪いと言われても……」
「――。戦っている時の精悍な姿からは想像もつかないわねぇ……」
 迷夢は大きなため息をついた。目の前にいる天使には二度ほど対峙したあの時の鋭さが全くない。感情の全てを殺し、ただ、与えられた使命をこなす為だけに、目の前に現れる邪魔者、敵を排除する為の冷酷なイメージは完璧といっていいほどない。むしろ、迷夢は自分が勝手に二度ほど出会った“ジェット”と思い違いをしているのかもと思った。
「……君、名前は何て言うの?」
 確認するために迷夢は床にうずくまる黒い翼の天使に問い掛けた。
「――ジェット」
「そう、ジェットよねぇ……。あたしと二回ほど剣を交えたんだけど覚えてるかしら?」
「……」ジェットから答えは返ってこない。
 目の前にいる女の面影こそは何となく覚えているような気はするが、剣を交えたかと言われるとその辺は定かではない。ジェットにとってはもはや現し世も浮世も判然としないものであり、本当に生きてここにいるのかさえも定かではない。
「覚えていない……か……。もし、本当にそうなら面倒くさいなぁ……」
 迷夢は誰にも聞き取れないような声で呟いた。ジェットのその記憶と意識を封じて、その間中、呪術をかけた者の思い通りに動かせるのだとしたら。実際、そういった呪術が存在することを迷夢は知っていたが、それが使われているところは初めて見た。
「あたしが剣を交えたキミと、今、目の前にいるキミとは別人ではないけれども、別人みたいなものか……。あー。一生懸命、あたしの印象を植え付けたつもりだったのになぁ。何かがっかり……」
 ……カラカラ。不意に小石の転がる音が聞こえた。そして。
「その意識封じの呪法を解くことが出来るのは術をかけたものだけです」
 地下に響く凛としたその声は迷夢には聞き覚えがある。
「――だぁれ、あたしの邪魔をするのは?」
「わたしです。迷夢さん……」
「あたし、『わたしです』って知り合いはいないつもりなんだけどなぁあ。――ま、いいか。じゃあ、ジェットにこの呪術を施したのは誰なのかしら、ベリアル?」
「ヘクトラです」ベリアルは言い切った。
「ほう。あの優男がとうの昔に廃れたと思っていた呪法を使えるなんて、やるわね?」
「独自研究の怪しげ不完全なものですけどね……。それでも、効力を発揮してしまっている以上、この術を解けるのは本人だけです。クローバーなどは術者から遠く離れることが出来れば、影響を受けなくなると本気で信じていたようですが、それは甘い考えです、――それはそれとして、どうして、迷夢さんはこんなところにいるのですか?」
「ヘクトラに聞かなかった?」
「いいえ。こう言う不手際は話したがらない男ですし、わたしに報告するはずがありません。それに、わたしは迷夢さんが思うほど、ここの上層には食い込んでいませんよ? 黒い翼のジェットに呪法をかけたと言う話を聞き及んだのもつい先日のことです」
 ベリアルは迷夢の顔を見つめて、謙虚な姿勢で言葉をつないだ。
「はぁ〜ん。まあ、いいけどさ。キミのおかげでトリリアンの内情を深く探れたのも間違いのないことだから。それよりも今はこのジェットちゃんのことよねぇえ。二回ほど対峙していやあな予感はしていたんだけど、本当に意識封じの呪法をかけられているとはねえ」
 迷夢はため息交じり、半ば諦めの様子だ。
「ただ、呪法は施した本人にしか解けませんが……」ベリアルを迷夢は遮る。
「壊すことはできるってことでしょ? そのくらいは判ってる。ま、今日のところはその意識封じの呪法が施されたという確証が得られたって事で我慢する他なさそうね」
 不満たらたらだが、ここで何をどう足掻いたとしても事の解決にはなりそうにもない。だからと言って、ジェットを連れ去っても呪法が生きている以上は事態の解決は全く望めない。ならば、ここは大人しく一旦は引き下がり、無用な被害が拡大しないように見守りつつ、呪法を解く方法を考えるのがいいと迷夢は判断したのだ。
「で、ベリアル。あたしはこれで帰るからあとはよろしく、ばいばぁ〜い」
 呆然としているベリアルを尻目に迷夢は手をふりふり去っていった。

「わたしは何を信じていたらよいのでしょうか……、ラナ……」
 アリクシアは一人、夜空を見上げながら呟いた。サラはトリリアンと袂を分かつつもりはないものの、独自の考え方を展開し始めている。無論、それはアリクシアの創始したトリリアンをトリリアンらしく維持し、発展していくために必要なこととして、サラが考え抜いた末の結論なのだ。トリリアンの現状がアリクシアの理想から外れかけた今、サラの行動を全否定することもできない。
「このままではトリリアンがばらばらになってしまいます」
 と、カサと小さな乾いた物音がした。
「……。お久しぶりです、アリクシアさま……」
「――ラナ……? ラナなんですか? 今まで、一体どこに……?」
 アリクシアは振り向いて薄暗い部屋の中をきょろきょろと見回した。しかし、ラナの姿は見えない。背後から、しかも、はっきりと聞こえたのだから気のせいのはずはない。
「わたしは言いましたよね……。このまま進んでいってもいいのだろうかと……」
 再び、声が届き、今度こそ、ラナの姿を確認できた。最後に別れた日から“全く”と言っていいほど変わっていない姿にある種の感銘を受けながら、アリクシアは言う。
「――わたしは間違っていたのでしょうか……?」
「きっと、間違ってはいなかったのだと思います。……しかし、正しくもなかったのでしょう。――人が集まるとどうしてもそのようになるのでしょうね……」
 ラナは少ない言葉の中に本質を語っていた。

 

文:篠原くれん 挿絵・タイトルイラスト:晴嵐改