黒き翼のジェット

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15. the retail society(リテール協会)

 今更、ラナに尋ねられるはずもなかった。何故、このような場所に辿り着いたのかなんて。何故なら、それはアリクシア自身が歩いてきた道にほかならない。どうしてここに辿り着いたのかは、意図したにせよ、しないにせよ、その道を選んで歩いてきた本人にしか判らない。その本人が迷路に迷い込んだというのなら……。
「内からでは見えないところを、見るようにしなければダメなのですね……」
 それは決意だった。このままではサラのようなグループや、静観を決め込もうとするベリアルのようなもの。そして、より力を持つグループに靡く者や、そんな派閥的な争いが起きていることも気が付きもしない無関心な者と。善良な信者へと分れていくことだろう。
「しかし、見られたからと言ってアリクシアさまの思い通りになるとは限りませんよ」
「かもしれません。いえ、むしろ、そうなのでしょう。ですが、このトリリアンと言う組織の総長である限り、全体を見渡し、それらを調整する術を持たなければ……」
 けれど、そんなスキルは自分にあっただろうか。あったとしたならば、今、トリリアンがこんな内部からの崩壊に足をかけた状況になっているはずがない。
「後継者を……育ててはいかがですか……?」
 ラナの唇から放たれたアリクシアには思いもかけない言葉。
 しかし、アリクシア自身がトリリアンを支え切ることが出来ないのなら、自分よりも統率力のあるものをトリリアンの中心に据えた方がいいのかもしれない。

 迷夢は威風堂々という様子でテレネンセス大聖堂の教皇執務室に続く回廊を肩で風を切りながら歩いていた。エスメラルダ期成同盟、迷夢ともに協会とは敵対関係にはなくどちらかといえば、現時点ではゆるやかな連合を組んでいる状況だった。無論、契約などを交わしたわけでもなく、トリリアンのガーディアン絡みの件の成り行きでそうなっただけなので、とても脆い基盤の上に構築された危うい連合ともいえた。
「お久しぶりね、クライラント。どお? 調子は?」
 迷夢は全く躊躇わずに、ドアもノックすることなく執務室に飛び込んだ。
「調子は……上々ですよ。これも迷夢さんのおかげでしょうか?」
「相変わらず口が減らないこと。これで本当にキミがこの協会で一番偉いってんだから、世の中、判らないわよねぇえ?」
「世の中、判らなくともわたしがここのトップです。偉いとは思いませんが」
「まー、何とでも好きなように。ところで、お出かけの準備はよろしいかな?」
「お出かけの準備はよろしいですよ。――しかし、このような形であなた方、エスメラルダ期成同盟の力になろうとは思いも寄りませんでしたね?」
 クライラントは迷夢の顔をジッと見つめて、そっと言った。
「そう?」迷夢は平静さの中に険しさを宿らせた。「これだけは触れないつもりでいたんだけどねぇえ? エスメラルダ王国と言うものを滅ぼしたのはあなた方よね?」
「何を言いますか。あれは勝手に自滅したのであって、わたしたちは何もしていません」
「本当にそうなのかしら? エスメラルダ王国が崩壊した当時、リテール協会は権力拡大に地道をあげてたって言うじゃない? ま、その代償に権力の象徴とも言えた天使兵団が解体して、相当大変なことになったとは聞いているけど……?」
「確かに地道はあげていたかと思います。しかし、当時のお話をするのであれば、レルシアさまが枢機卿になられ協会の実権を握るようになってからはそのようなことはなりを潜めたと思いますが……?」
「そうね。でも、協会はレルシアの時代で終わった訳ではないでしょう?」
 迷夢はさらに突っ込んでいく。今さら、エスメラルダ王国が滅びた経緯などどうでもいいのだが、ここまで来たらもう少し突っ込んでいかないと負けた気がして気分が悪い。
「流石は迷夢さん。食らいついたら離れませんね」
「そお? もちろん、それはほめ言葉よね?」
「もちろんです」クライラントからは半ば呆れた雰囲気が感じ取れなくもないが、一度食らいついたら離れないその執念深さはかっているようだ。「しかし、まあ、わたしがどのように答えたとしてもエスメラルダ王国がなくなったという事実は動かせないですよ」
 クライラントは手を机上であわせ、力強い眼差しを迷夢に向けた。
「まあ、ねぇ」迷夢はちょっぴり困ったかのように言葉を濁した。
「どちらにしても今回はエスメラルダ王国が復興するお手伝いをすると言う前向きな点をしっかりと評価して欲しいものですね?」
「全く、いけしゃあしゃあとよくもまあそんなことを……」迷夢は呆れた眼差しをクライラントに向ける。「まあ、いいわ。昔よりもこれからのリテール協会とエスメラルダ王国第二王朝と言ったらいいのかしら? の関係がより友好的になることを望んでいるわ。さてと、あたしものんびりしている時間がないから、そろそろ行きましょうか?」
 迷夢はクライラントに右手を差し出した。
「どうぞ。わたしはいつでも準備万端ですよ」
 クライラントはそのように発言しつつ、差し出された迷夢の右手を握った。
「そいじゃ、時間短縮で行きますか。――パーミネイトトランスファー!」
 全くお気楽な様子で迷夢は簡易短縮呪文を唱えるが、空間転移系の魔法を使うにはそれなりの集中力と高度なスキルが必要だ。その呪文を唱えた瞬間には、魔法の力により、大きく空間がねじ曲げられて、そのまま目的の場所に着いていた。
「ハイ、到着〜」迷夢は嬉々とした口調で言った。「異空間の旅はどうだった?」
「……あまり、気持ちのいいものではありませんね」
「初めてのヒトはみんなそう言うね。ま、いいや。そんなことよりも今はキミがアイネスタの教会でしっかり待って居てくれることの方が大事なのよ。キミは……政略的なことがなければ疎ましいかもしれないけれど、ね?」
「それはどうでしょう。しかし、何度も言いますが、エスメラルダ王国の復興について、協会の立場としては特にコメントすべきことはありません。エスメラルダ王家の要請に基づいてその正統性を保証すること。それが今回、リテール協会に課せられた役目であり、それ以上でもそれ以下でもない。一宗教組織に過ぎない協会がとやかく言うことではありませんよ。現にエスメラルダ王家が存続している以上は……ね?」
「その裏で何を思っているかは内緒と言うこと?」
 迷夢は敢えて意地悪そうな笑顔をたたえ、ちょっぴり突っ込んだ。
「勘ぐらないでくださいよ。わたしは何も企んでいません」
「そう。キミは企んでいないのね。ま、とりあえず、信じてあげる。それじゃあ、こちらへどうぞ、クライラント。折角だから、ドンピシャでアイネスタの教会前。無駄なしね」
 クライラントは迷夢のこのようなところを空恐ろしく感じていた。隙がない。天使である点を除いても、凄腕の魔法使いで、しかも、相当な策士だ。言動からだけではとてもそう思えないことも多いが、実際、行動を起こせば、彼女の思い通りに自分が動かされていることがよく判ってしまう。
「いくら教皇さまといっても、ここに来るのはきっと初めてよねぇえ?」
 礼拝堂のドアをおもむろに開く。錆びついたドアは大きく軋みゆっくりと開いた。
「そうですね……。ここへは初めてです」
 ギシ……ギシ……。古びた廊下が激しく軋む。鄙びた町の古びた教会。傷んでも傷んでもその場しのぎの修繕がなされるだけで、根本的に改修されることなくこの時代まで、時を刻んできたのだろう。
「それじゃ、王子が到着するまでのんびりしていたくださいな」
 迷夢はわざとらしいにこやかさを湛えて微笑んだ。
「アイネスタの教会で、わたしを一人で放置しておくのかな?」
「あら、一人じゃないでしょ? ちゃあんと、ここの司祭さまもいることだし。シスターもいるし。ご用人もいるし。取り敢えず、不自由はしないんじゃない?」
「わたしが言いたいのはそう言う事ではないのですが……」
「トリリアンがこの協会を見つけ、襲撃してこないかが心配だってことくらいは判ってるつもりなんだけどなぁ」迷夢は流し目でクライラントを見た。「キミをここにつれて来るにあたって準備は万端のつもり。エスメラルダ国王の戴冠式の日取りを流布したことで、当然、それを快く思わないトリリアン……と言うよりは一応、それのガーディアンと言うことにしておこうかしら、がアイネスタに向けて進軍を開始。まー当然よね。トリリアンが協会になることを望んだ時点でこうなることは決まってたんだから」
「その点は否定しません」
「しかも、エスメラルダ王国とリテール協会が結託したとあっては黙ってはいられない。エスメラルダが改めて協会を国教として認めたらトリリアンの存在する場所がなくなってしまうから」迷夢はチラリとクライラントの様子を窺う。「そうであれば、ガーディアンはこの戴冠式を失敗させる対策をとり、その第一の方法としては……戴冠式を行うべくアイネスタに出向いた教皇を消す。か、エスメラルダ期成同盟が守りを固める王子一行を襲撃し、王子を亡き者にする。もしくは、全面戦争……」
 迷夢は不穏な言葉を口に出して、改めてクライラントを正面から見据えた。
「トリリアンには天使がいるから、キミたちがかつてヤってようなことになるかもね?」
「……何をおっしゃりたいのですか?」
「別にな〜にも」急にあっけらかんと明るい様子で迷夢は言う。「けど、まあ、安心しなさいよ。現状、トリリアンをぶっ潰すと言う点で期成同盟と協会の利害が一致している以上、キミがここで命を落とすなんてことはあり得ないのよね。――それとも、キミは気がついていないのかしら……?」迷夢は意地の悪い笑みを浮かべた。
 クライラントは迷夢の意図するところがさっぱり飲み込めない。と、静かに礼拝堂の奥のドアが開き、その奥から白髪の、その昔は精悍な顔立ちをうかがわせる面影のある、おっとりした表情の老紳士が現れた。
「こんな片田舎にようこそいらっしゃいました。教皇さま」
「お前は……?」クライラントは問う。
「……わたしをお忘れですか? わたしは教皇さまのことを一日たりとも忘れたことなどございません。その昔、ともに剣を持ち、戦ったではありませんか」
 クライラントはしばらく、老紳士の顔を見つめていた。そして……。
「お前は……アズロ。すっかり、死んだとばかり……」
「勝手に殺さないでもらいたいですね。わたしはジュニアに表舞台を譲っただけで、当面死ぬ予定はありません」老紳士はホホホと笑う。「ま、氷使いのわたしが来たからには大船に乗ったつもりでいてくれても全く問題はございません」
「大丈夫ですか? よれよれで一撃放ったら、ぶっ倒れると言うことはないですよね?」
 少しばかり不安そうにクライラントはものを申す。
「大丈夫なんじゃない? 年は食ったと言っても魔法は親子そろって氷の精霊王さまからの直伝なんだから。アズロがキミを守れないと言ったら、キミを守れるような、と言うよりかはあれか、刺客を止められるようなヒトなんてもういないよ?」
「迷夢さんが守ってくれるのでは……?」
「あたし? あたしには他にすることがあるのよねぇえ? そりゃ、ま、キミに死んでもらっちゃ困るんだけど、それよりも何よりも、これから育てる影の支配者のためにとってもステキなプレゼントと事前準備と、心のケアをしてあげなくちゃならないの♪」
 何が言いたいのかよく判らないが、迷夢の思考を読もうと考えるほど無駄で無謀なことはないので、クライラントは返事の代わりにため息をついただけだった。
「と言うことなんで、あとはアズロちゃん、よろしく」
 そして、迷夢はタンと床を蹴り上げる。
「あ、それからもう一つ。と言うか、ジュニアくんに何か、一言ある?」
「……まあ、頑張れとでも言っておいてください」キョトとした様子でアズロは言う。
「そ。じゃあ、そのまんま伝えておくわ。じゃ、アデュー」
 手をふりふり、意味不明な余韻を残して、迷夢はテレネンセスに取って返した。

 テレネンセス。デュレはトリリアンへの潜入捜査と言うことで、しばらくの間、アルケミスタにいたのだが、ちょっとだけ暇をもらって、テレネンセスにある自宅に帰ってきていた。いわば、骨休めみたいなもので、実際にトリリアンでは入信したばかりのものを半ば軟禁するような風潮はないらしかった。裏面を見ると、ガーディアンだのときな臭い部分もあるのだが、表面だけを見る限りは、つまり、一般人から見える範囲のトリリアンと言うのはかなり普通の宗教組織なのだろうと予測がついた。
「しかしさぁ、迷夢も何が楽しいんだろうね。期成同盟に気兼ねしに首を突っ込めるようになってから、妙に生き生きしちゃって」
 セレスはテーブルに突っ伏してまるでやる気もなさそうに言い放った。
「生まれついての策士ですから、色々と企めるのが楽しいんじゃないですか?」
 デュレはキッチンで手早く朝食の支度をしながら、答える。
「ところで、セレス。今日の朝食当番はあなただったような気がしますが……?」
「あは? あははは。知らないなぁ、そんなの」
「白々しい……」
「……あれ? あたしの分は?」
「それこそ何ですか? 自分の分は自分で用意してください!」
「そんなぁ……」セレスはがっくりとうなだれる。
「別にパンを焼いて、目玉焼きか卵焼きくらいはすぐに作れるでしょ。わたしはセレスの小間使いやらメイドやらの便利屋さんではありません」
 デュレはピシャッと言ってのけて、セレスに割り込む隙を与えない。
 と、そこへ……。
「やっほ〜、ちょっぴりお久しぶりだけど、元気してたあ?」
 朝っぱらから妙に元気に明るい声の迷夢がけたたましく玄関ドアを開けて登場した。
「近ごろはあたしの言い分よりもアズロ・ジュニアくんの意見ばかりを聞いちゃってさぁあ? 何か腹立つんだけど、それは横に置いといて。朝食はもう済んだかしら?」
「いえ、その、見た通りですけど……」
「あーそう」迷夢は見て見ないふりをするような雰囲気で声を発した。「じゃ、そうゆうワケで、デュレ。ちょっと、あたしにつきあって欲しいのよね?」
「何が『そうゆうワケで』なんですか?」
「いやねぇ、細かいことは聞かないものよ」
 と、言うが早いか、迷夢はデュレの腕を掴み、外に出ると抱えて上空へと舞い上がった。
「……あの〜、あたし、すっかり忘れられてるんだけど、どうしたものかしらね。これ。……というか諦めて自分で朝食を作れと言う、神様の思し召しかなんかかしらね……」
 セレスはすっかり諦めて、席から離れると、キッチンに向かった。
 一方、迷夢に連れ去られたデュレはかなり不安定な格好で無理矢理の空の旅の真っ最中だった。空を飛ばなくとも空間転移魔法を使えば楽なのにとは口が裂けても言えない。
「あの……一体、どこへ行くつもりですか?」
「慌てなくとも、すぐに判るわよ。もう、すぐ、そこだし」
 言われて、前方を見やると、目の前には山岳地帯が広がっていた。
「……ドラゴンズティース……」呆然としたようにデュレは言葉を漏らした。
「そう、ドラゴンズティースよ。キミに会わせたいヒトがいるの。そのヒトの名前は……アリクシア……。もしかしたら、キミは知っているかもしれないわね?」
「アリクシア……!」唇がわなわなと震えだす。
「その感じは知っているみたいね。ベリアルの話からはでてこなかったと思うけど、それは一体ドコから仕入れてきた情報なのかしらねぇ?」
「いえ、わたしはただ、アリクシアさんがトリリアンを設立した方と言うこと以外は……」
「そう、知らないってワケね。でも、身体が覚えているのかな? ドラゴンズティースとアリクシアを掛け合わせたら、心の奥にあった何かが目覚めたのかも?」
 迷夢は微かにクスクスと悪辣に意地悪な笑みを浮かべていた。
「さてと……着いちゃいましたわねぇ」
 迷夢はデュレをそのまま引き連れて、この間、訪れた道を奥へと進んでいく。アリクシアの性格を考えれば、わざわざ迷夢を逃れてどこかに引っ込むなんてことはしていないだろう。むしろ、迷夢のことをそこまで気にしているとは思えない。自分自身を過小評価するようであまりいい気はしないが、アリクシアにとってはそのようなものだろう。
「やっぱり、いてくれたわね、アリクシア」
「……それはここがわたしの家のようなものですから、天変地異でも起きない限り、わたしはこのドラゴンズティースにいるかと思いますよ」
 アリクシアは非情なほどに落ち着いた様子で答える。
「まあ、何でもいいけど。この間のお話のことを考えておいてくれたかしら?」
「考えは変わりません。この前も言ったはずです。わたしは現し世には興味はありません。どうしてもと言うのなら、トリリアンに籍を置くベリアルか、サラに協力を求めた方がより建設的だろうと……?」
「そうね。確かにそれは聞いたけど、あたしは諦めないって言ったわよねぇえ? 忘れたなんて言わせないわよ?」
 ジェットの件もあって迷夢は少しばかり神経質にアリクシアに詰め寄った。
「忘れてなどいませんよ。ですからこそ、わたしはあなたの要望に応えるつもりはありません。トリリアンの行く末はずっと昔に後継者たちの手に委ねました。正しい道へ進むことを願っていましたが、やはり、その生い立ちから協会の影から逃れられないのでしょうか……。昔も……今も……」
「そうね。協会と言う呪縛から解き放たれない限り、トリリアンに未来はない。キミはそのトリリアンに未来への道筋を作ってあげようと言う気持ちはないのかしら?」
「……ありません」
 今更、何を問うのかとでも言いたげな冷たい視線が迷夢の上に降り注いだ。アリクシアはアリクシアなりに長年、トリリアンが正しく成長するようにと腐心してきたのだ。ラナの助言のもと、マリエルたちとともにその道を切り開こうとしてはきたのだ。
「そう……。キミが完全にトリリアンを見限ったことは判った」
 迷夢はふっと目を閉じて半ば諦めの言葉を言うと同時に、最後の切り札をアリクシアの前に引っ張り出した。それは……ドラゴンズティースの最後の生き残り。
「けれど、こっちはどうかしら?」
「この娘は……?」その顔にはどこかで見たことのあるような面影が感じられた。
「……女神の翼をもつ娘――。キミは知っているわよねぇえ?」
 迷夢は言う。まるで、その言葉の一つ一つに悪意を込めたかのように。
「……少なくとも、過去にドラゴンズティースと関わりを持ったと言うことくらいには」
「ほぉ〜♪ そんな風に言ってしまいますかぁ?」
「……! あなたが……! あなたがわたしの……っ!」
 デュレはアリクシアの胸ぐらに掴みかかった。
「わたしがあなたに何をしたと言うのでしょうか?」
 冷たい答えだった。慈しみのある答えが返ってくるとは思わない。けれど、確かにアリクシアが直接、デュレに何かを為したのではない。あくまであの日にデュレと姉をドラゴンズティースに連れて行ったのは闇の鷹と呼ばれた実の父だったし、儀式を執り行ったのは竜の巫女で少なくともアリクシアではなかった。
「あなたが――わたしから全てを……奪った……」

15

「それは――いつ、どこで? わたしとあなたは面識はありませんが……」
「あ。う……。それは……しかし、ドラゴンズティースをひらいたのはあなたでしょう」
「そうですね」アリクシアはすっと瞳を閉じた。
「……。では――」デュレは思い出したくない過去を掘り起こす。「では――。闇の鷹は……。わたしをドラゴンズティースの山奥に連れた闇の鷹は――」
「闇の鷹……。デュレ、デュム・レ・ドゥーア……。闇の中の炎……。――あなたは闇の鷹の娘……ですね」アリクシアはゆっくりと言葉をつないだ。
「あたしの意図するところが判るかしら? アリクシア?」
 迷夢はアリクシアとデュレの間に割り込んだ。無論、迷夢の目論見はデュレとアリクシアを出会わせ、話させ、デュレの心の奥底に留まった鬱積した思いを吐き出させようと言うものだった。そして、それに乗じてアリクシアから何か聞き出せればとも思っていたが、このまま一対一に対峙させるとあまりにデュレの分が悪い。
「判らないことはありませんが、敢えて、判りたいとも思いません」
「そ」予想通りの返答だった。「まあ、何をどう突っついてもそう言うじゃないかなぁとは思ってたけど、いざ、言われるとやっぱり面白くない!」
「面白い、面白くないの問題でもないかと……」
「それはそうでしょうよ! ……。はぁ……。取り敢えず、あたしの方はいいかぁ」
 迷夢はすっかり諦めモードで頭をぼりぼりとかくと、再びデュレを引っ張り出してきた。
「じゃあ! デュレの方はどうしてくれるのかしら!」
 もはや、言いがかりと無理難題の世界だ。
「無論、あれはわたしがひらいたもので、あなたたちがあの闇の鷹にようやく認められて、あの場に連れてこられた前後にわたしがたまたまいなかっただけとも言えますが……。あなたの生に影を落とした遠因はあるかもしれません。しかし、あくまで間接的です。恨み辛みがあるのなら、それはむしろ、あなたをドラゴンズティースに連れてきた闇の鷹に向けるべきものでしょうね」
 しかし、その恨みを向ける相手もデュレの心のうちを理解してくれたヒトたちもいない。だからこそ、目の前にしゃあしゃあと現れたアリクシアに矛先が向いた。
「……闇の鷹は……し……」
「それはドラゴンズティースの惨状を見たら判ります。竜との婚約の儀式の時にあなたの魔力が暴走したのでしょう。そして、あなたはそのまま、詳細を知ることなく、どこかのだれかの里子となり、そしてまた、同じような事態に見舞われた。わたしに恨みを抱くと言うのなら、大概、そのような経緯を踏みますね。――しかし、そのようなことになってしまった理由をわたしに求められても困ります」
 アリクシアの回答にデュレは押し黙った。ベリアルの精神シンクロで思い出された自分自身の過去。そのことがずっと心の中で渦巻いていた。今さら、ベリアルに放っておいてくれたら良かったのに、とも言う事も出来ない。ベリアルのおかげで自分でもよく判らなかった心の奥底に沈んでいたものの正体が判ったのも確かなのだ。そのために幼かった自分と今の自分との間にアイデンティティを保てずに、ぐちゃぐちゃな思いもしているのに。
「わたしは……」
「――あなたは女神の翼を持っているといいましたね?」
「はい……」デュレは辛うじて聞き取れるような小声で答えた。「でも、わたしはそんなものいらなかった。わたしはお父さんとお母さんと一緒にいられればそれで良かったのに。どうして、わたしを選んだのですか……?」
「その問いも本来ならば、闇の鷹に向けられるべきものでしょう。しかし、わたしが答えられるのだとしたら、……あなたは闇の魔法の全て……極意を身に付けられる人材として認められたのでしょう。竜と婚約した証、女神の翼を身に付けたあと、あなたがあなた自身になるまでの間に何があったのかは判りませんが……、不幸があったと言うのなら、魔力の暴走。しっかりとした修業をしていたらそのようなことにはならなかったとは思います……。それはあなたがドラゴンズティースにずっといたのだとしても、逃れてどこかに行ったのだとしても同じことです。有り余る魔力を自在に制御する力を身に付けなさい。このままでいるとあなたはきっと、同じ過ちを繰り返すでしょう」
 そう言ったアリクシアの言葉がデュレの耳から離れることはなかった。

 トリリアンに押し寄せる現実とアリクシアの理想は相いれないものなのだろうか。更に数年を要してもアリクシアには解決が難しい。やはり、リテール協会から分れ、リテール協会レルシア派をお手本にして、どこかで協会になることを思い描いてしまった時点から、このような道筋を描くことを運命づけられたのかもしれない。
「ラナ……。わたしはここにいない方がよいのでしょうか」
 アリクシアはしょんぼりとした様子で目の前に佇むラナに向けた。
「わたしに言えることはありません」ただ素っ気なくラナは答える。「もし、言えることがあったとしたら、アリクシアさまがこの百年間、進められてきたことは少なくとも間違ってはいなかったと思います。それだけです」
「そうですか……。……そうですね……。きっと、間違っていないだけでは足りないのですね。このトリリアンと言う組織をしっかりと導ける資質を持ったものがいなければ」
 創立百周年目のその日、アリクシアはトリリアンを去った。

 

文:篠原くれん 挿絵・タイトルイラスト:晴嵐改