黒き翼のジェット

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19. the one called trillian(トリリアンと言うもの)

「ちょっとぉ、司祭さまいる〜? クライラントでもいいんだけど〜、誰かいな〜い?」
 どたばたとやかましい音を立てて、迷夢はアイネスタの小さな教会の礼拝堂に入り込んだ。ジェットを安全に置いておけるのはこの教会しかないと判断した。
「何ですか、騒々しい。ここは神聖な教会ですよ?」
「おっ! クライラントが参上しましたか。まぁ、誰でもいいんだけど、さっきと違って随分、余裕を見せつけちゃってるわね。ハッタリなのか何なのか、変わり身の早さだけはどこかの誰かさんにソックリなような気がしないでもない……。ま、そりゃいいや、この娘、しばらく、預かっててもらえる?」
 迷夢は気を失ったままのジェットをずるずると引きずって、クライラントの腕の中にもたせかけた。
「じゃ、頼んだわよ。あたし、まだすることがあるから。――あ、その前に、その娘、強いから、起こさないように気をつけてね♪ キミは知らないと思うけど、ジェットには禁断の意識封じの呪法が施されてるから、目覚めたら術者の言いなりに動くわよ」
「つまり……?」
「つまり、トリリアンの敵は全て滅ぼすと言うこと」
「そ、そんな物騒な天使を置いていかないでくださいよ」
「だぁって、しようがないじゃない。このアイネスタで安全そうなのはアズロくんのいるここくらいなんだもの。それとも、クライラントは戦場にほっぽり投げておいてジェットが死んだら責任をとってくれるのかしら? いやでしょ。だったら、ここで預かって、アズロくんに見張番をさせておきなさいよ。そうしたら、ダブルで安心だから」
 言ってることがもはや無茶苦茶だ。けれど、それでいて最終的には的確な判断となるのがさらに始末におえない。そして、結局、クライラントは迷夢に言い包められる形で、ジェットを預かって、教会の奥手にある休憩室まで運んでいった。
「……。アズロ。大丈夫なんだろうね?」
「いくら、わたしでも天使が相手ではどうしようもありませんよ。まあ、せいぜい、迷夢が戻ってくるまで、目覚めないように祈るほかありませんね」
 何とも消極的な対処法だが、目の前にいるのが魔力無限大とも形容できる天使なのだから致し方がない。下手に何かをしようと思ったら、手痛いしっぺ返しを喰らってしまう二違いない。だから、他の連中がジェットに手を触れられないようにする以外は静かに見守っているのが最良の策だ。
 一方、気絶したジェットを教会に預けた迷夢は再び、戦線の近くに舞い戻ってきていた。そして、キョロキョロと傍目から見るとかなり挙動不審に誰かを捜している。そして、目的の誰かを見つけるとパッと嬉しそうな表情をして、近づいていく。
「ちょっと、ウィズ」唐突にひょいと迷夢がウィズの前に現れた。
「何だ? 今、取り込み中だぞ、後にしろ」
「後じゃなくて今、用事があるの。このガーディアンの要、サラはベリアルがどうにかすると思うしさぁあ、残りは久須那とサムが何とかすると思うのよねぇえ?」
「だから、今、取り込み中だと言ってるだろう!」
 迷夢はウィズの相手に一瞥をくれると、あっという間に伸してしまった。
「これで、手が空いたでしょ?」
「……あ、ああ。それで、用事ってなんだ?」
「うん? そう、アルケミスタまで付き合ってちょうだい」
 と言うが早いか、迷夢はウィズの両肩を引っつかんで空に舞い上がる。ガーディアンを潰すことが確定的なら、最後に残るのは総長とその取り巻きだ。そこをキチンと処理することが出来たなら、トリリアンは僅かに残った求心力を失い、自然と崩壊するだろう。
「こら、迷夢。放せ、降ろせ!」
「お約束みたいなことを言っちゃってるけど、本当に手を放しちゃっていいのかなぁ?」
 意地悪く迷夢は言う。
「お前こそ、何を言うか。そういうおふざけは暇なときだけにしてくれ!」
「アルケミスタに着くまでは暇でしょ?」
 迷霧の中ではすでにアルケミスタに向かうことが前提にあるようだ。こうなってしまうと、大体、何を言っても迷夢は聞く耳を持ってくれない。大人しくしていた方が後々のことを考えてもよいだろうと言う結論に達した。
「判ったよ。それで、ここはぶん投げて、アルケミスタで俺に何をさせたいんだ?」
「うん? ヘクトラのお守り」事も無げに迷夢は言う。
「は? 何、誰のお守りだって?」
「だから、ヘクトラよ、ヘクトラ。トリリアン総長の」
「何で俺がトリリアン総長の相手をしなければいけないんだ? 最適な人選は経験豊富なサムじゃないのか? あいつの方がいい仕事をすると思うけど……な?」
「そう? でも、今回はキミなの。むしろ、キミじゃなきゃ、あたしがイヤ」
「いや、好き嫌いで選んでもらっても困る。俺をアルケミスタに連れていってちゃんとなるのかどうか考えてるんだろうな?」
「もちろん!」キョトとして迷夢は答える。
 が、どうも胡散臭い。大体、いつも言うこととやっていることが大幅に違うのだ。
「むしろ、サムを連れて行ったら、こっち側が困るでしょ。それにきっとねぇえ? ヘクトラとケンカになると思うのよねぇ。それも困るのよ。あたしが。キミだったら特にケンカっ早いワケでもないから、あたしがちょこちょこと何かする時間を稼げるとね?」
「……何かって何? それくらいは教えてもらってもいいだろ?」
「まぁ、ねぇ? うん、けれど、あたしは秘密主義者なの。だから、全部ナ・イ・ショ。どうしても知りたければ、あたしの言う通りに動くことね。そうしたら、あたしの狙いがきっと判るはず。……まあ、キミがそれだけ頭が切れたらの話だけど?」
「どうせ、俺には判らないと言いたいのか?」
「う〜ん、そお言うワケじゃないんだけどなぁ。どっちかと言うと、説明する時間もないし、面倒くさいからってだけ。おっと、もう着いた。じゃあ、ちょっとよろしく」
 迷夢は教会前にウィズを降ろすと、そのまま放置してどこかに消えてしまった。
「……。俺一人を置き去りにして、何をどうしろと言うつもりなんだろうな、あいつは」
 ため息をつきつつ、文句も口を突いて漏れ出してくるが、結局はヘクトラを何とかしておけと言うことなのだろう。その何とかしておけと言うところを迷夢に確認したかったのだけれど、もはや確認のしようがない。
「まずは行動あるのみ。やってみてからその答えを知るってことかな……」
 ウィズは深く考え込むのはやめにして、教会に向き直った。そして、礼拝堂へと入り込んだ。そこには誰もいない。集会も何も行っていない時間帯に大勢のヒトがいるはずもない。足音を響かせながら、ウィズは祭壇へと近づいた。
「……。誰かいないのか」
 声が反響するだけで何者からも返事はない。迷夢がわざわざ置いていくくらいだから、この教会に誰もいないなんてことはないはずだ。ウィズはさらに大きな声を張り上げた。
「この教会は留守中も鍵を開けておくほどに不用心なのか?」
「何事ですか騒々しい」
 ウィズの前に教会の奥から現れたのはヘクトラ、その人だった。
「……どなたですか……と言いたいところですが、あなたは期成同盟の方ですね」
「どうして判った?」不審げにウィズは問う。
「わたしが知らないはずはありません。正確に申せば、わたしたちがそこまで調べ上げたと言うだけのことで、驚くには値しませんよ」
 ある意味で敵が現れたと言うのに、ヘクトラは慌てる様子も、他に人を呼ぶ様子も見せずにウィズと向き合っていた。特に武器を手にしているようでもなく、魔法で攻撃を仕掛けるような素振りも全く見せない。ウィズは面食らってしまって、しばし沈黙していた。
「さて、それで、あなたはここに何をしに来たのでしょうね?」
「さあね。むしろ、俺が聞きたいくらいだよ」ウィズの口からポロリと零れ落ちたのは本音だった。無論、ヘクトラに言ったからと言って何がどうなるワケでもないが。「ま、とりあえず、俺としては現状、こうなった理由でも説明して欲しいかな?」
「いきなり現れて何を言い出すかと思えば……」
「仕事だ。表向きはフツーの宗教組織だが、その裏は――と言うのがトリリアンだろ? 誰もが敢えて、真相究明などやってこなかったワケだが、この期に及んで知りたいと思ったのさ。善良そうな仮面をかぶったその裏側って奴をね?」
「――仮にその裏側があったとして、何故、あなたに説明しなければならないのですか」
 ヘクトラは正論を申し述べる。
「別に“何故”と問われるほどの理由はないな」
「では、わたしにもあなたさまに何かを喋る義理はありません」
「なら、勝手に喋らせてもらうよ」

19

 ウィズも迷夢に時間を稼げと言われている手前、拒絶されたくらいで簡単に引き下がることは出来ない。ウィズは礼拝堂に設えられた椅子の一つに大業そうに腰を下ろして、話し始める。自分の知るところを切っ掛けにして、ヘクトラに喋らせようと考えた。
「トリリアンと言うのは――」
「トリリアンと言うのは単なる宗教組織に過ぎません。初代総長・アリクシアさまの理想の実現を目指し、日々研鑽しているどこにでもある宗教の一つですよ」
 ヘクトラの瞳の奥に隠された真意はどこにあるのだろうか。ウィズはヘクトラの瞳をジッと見つめて考えた。自分が廃れゆく宗教の頭だとして、何を思い、何を願い、かつての栄光、影響力を取り戻すために一体何を望むのか。
「……どこにでもある宗教がガーディアンのような私設軍隊は持たないだろう?」
「あれはトリリアンの私設軍隊などではありませんよ」
「誰がどう見たとしても私設軍隊だろう。お前が総長に就任する前からあれは存在しているが、ガーディアンがトリリアンと密接な関係があるのは……明白。証拠もあるんだ」
「それが……どうかしたのですか……?」
「――お前は狂っている!」
「わたしが……狂っている?」ヘクトラは後ろ手を組んだまま静かに振り返った。「理想の実現に向け、努力を惜しまないこのわたしを掴まえて、狂っているというのですか?」
 ヘクトラは壇上から降り、ウィズの真正面に立ちはだかった。
「それはいけないことなのですか?」
「――お前のしていることは初期協会の所業と何も変わらない」
「――本当にそうでしょうか?」ヘクトラは落ち着いた口調を堅持し続けた。「初期協会とは天使を利用し圧倒的なパワーを持ってリテールを支配しようとしましたが、わたしたちはそれとは異なるのです。長年、トリリアンを目の敵にしてきたあなたたちには判りませんか?」
 逆に、ヘクトラから問いを投げ掛けられて、ウィズは答えを失った。
「そうですか――。非常に残念です」ため息に混じりにヘクトラは首を左右に振る。「……ガーディアンはわたしたち自身を守るために。そして、理想は民衆のために。わたしたち、トリリアンは協会の押しつけがましい教えを正し、本来の……初代総長・アリクシアの理想、つまり、初期協会から次の時代へ移り変わろうとしていたレルシア枢機卿の遺志を引き継いでいるのです」
 もっともらしいことを言うものだとウィズは感心した。ヘクトラの言う事に真実は一欠けらくらいは含まれているだろう。しかし、ガーディアンの一部はただのテロリストのように活動しているし、トリリアンが力に頼って現状を維持し、リテール協会に成り代わろうとしていることは偽りようのない事実なのだ。
「レルシア枢機卿の遺志を継いでいるんだ」ウィズはわざとらしく感心して見せた。「ま、多少譲って、トリリアンがそう言った格好のいいことを実現しようとしているとしても、何かがあからさまにおかしいと思う訳だよ」
「あなたさま方の理解を得られないことは非常に残念です」
「そうかい。何故だか判らないが俺はとても嬉しいぜ」悪辣に笑う。
 宗教も人が集まれば影響力を増し、力を持つ。それはそれで、構わないのだが、武力を行使して人々の衆目を集めようという発想がおかしい。ウィズの思う宗教とは人々の心の拠り所であり、間違っても宗教組織のトップが権力を持ち人々をひれ伏させるものではない。力とは集まった人々を守るためにあり、それ以外に使ってはならないと思う。
「わたしも大変喜ばしく思います」
 既に、一触即発の駆け引きが始まっている。
「手に入れた“力”を使わずにそのまま地下牢に放置しておくなど、憂いこそあれ良いということなどはありません。全ての力は行使するために存在し、ただ燻らせておくためにあるのではありません。利用してこそ初めて価値がでるのです」
 論点が微妙にすれ違っているのがウィズにも判る。
「お前の言いたいことと、俺の言いたいことは全く違うようだぜ」苛立ちが募る。
「そうでしょうか? “力”を効果的に使おうという点については同じかと……?」
 ヘクトラは抗議とも取れる険しい眼差しをウィズに向けた。
「同類扱いはして欲しくないもんだね。力と言う意味では違うとは言わない。が、私利私欲、お前自身のための力と国に住まう者たちを守る力を一緒くたにするのはいただけない」
「わたしは私利私欲のために行動しているのではありません、公利公徳のためにわたしに備わっているもののすべてを賭しているのです」
 お互いの視点が完全にかけ離れているために議論はすれ違い平行線を辿るのかもしれない。そもそも接点がないのだから、互いに互いを理解し切れないのだ。
「公利公徳って、お前たちのやっていることのどのあたりが公利公徳なんだろうな」
 ウィズはもはや口の中でもにゃもにゃと呟いた。
「もちろん、全てに決まっています。それよりもその程度の用事しかないのなら、教会から出て行ってもらいましょうか? トリリアンは全ての者たちを受け入れる……と言いたいところですが、わたしたちに仇なすものを置いておく訳にはいきません」
 ヘクトラは険しい眼差しで、きっぱりと言い放った。
「……出て行かないと言ったら……?」ウィズはその視線をまっすぐに受け止める。
「帰りますよ。何故なら、あなたはわたしを殺しに来たのではないのでしょう? 殺すのなら、もう殺しているでしょうし。――あなたは何かの時間を稼ぎに来たのでしょうね。……茶番は終わりです。さっさと立ち去りなさい」
 そう言われて、おいそれと立ち去る訳にもいかない。ウィズはヘクトラのどこか虚ろで、どこか死んでしまった人のような目を見詰めながら考えた。迷夢の思うだけ時間稼ぎは出来たのだろうか。それとも時間稼ぎの一線を越えてしまってもいいのだろうか。しかし、迷夢がそこを言わなかったところをみると本当に何かをするために時間を出来るだけ稼げばいいだけなのだろう。ウィズは心を決めるとスッとヘクトラから目線を外した。
「……。判った、今日のところは引き下がってやるよ。あとは……知らん」
 捨て台詞を吐きつつ、ウィズは礼拝堂を後にした。

「さぁてねぇ……、ウィズが頑張っている間にどんな呪法を使ったのかを見つけ出したいんだけどなぁ……。それらしきものは……何もなさそうねぇ……」
 迷夢はヘクトラの執務室に入り込んで、色々と物色をしていた。
「やっぱり、大事なものはこんな入りやすいところに置いたりしないか……」
 ぶつくさと文句を言いながら、迷夢はさらに物色を続ける。実際、魔術に長けたものだったとしても、オリジナルで魔法、呪法を作り上げることは並大抵のことではない。だから、大抵の場合は珍しい聞いたことのないような魔法、呪法でも出典があるはず。その“元”さえ、判れば術者がいなくても迷夢自身が呪法を解くことが出来る。
「お……?」フと分厚い本に目が留まった。「呪法大典……。ふ〜ん、ヘクトラさんもなかなか面白そうなご本を持っているじゃない。……古の魔法を参考にしつつ、独自の手を加えたと考えるのがやっぱり、妥当なところなんだろうなぁ、……面倒くさいかも」
 迷夢はぶつぶつと言いながら、目的の本に近づこうとした。すると……。
「――わたしの部屋で何をしているのかな?」
「……あら、随分と早かったわね」
「あなたの送り込んだと思しき間諜はたいしたことありませんでしたよ」
「まあ、そこは否定しないんだけど。もう少し時間が稼げると思ってたんだけどなぁあ?」
「そんなことまで知りませんよ。それよりも、ここから出ていきなさい」
「そういう訳にもいかないのよねぇ……。そう! あたしの質問に答えてくれたら出ていってもいいわよぉ。むしろ、もう二度と来ないから」
「それはよい提案ですねと言いたいところですが、あなたの知りたいことは黒き翼のジェットの呪法の解き方を教えてくれと言うことでしょう?」
「ま、ね。端的に言えばそうなるけど、センスがないわねぇ」
「あなたにそんなことを言われる筋合いはありません。出て行ってもらいましょうか?」
「む〜。あたしとしては何の収穫もなしに黙って帰る訳にはいかないのよねぇえ?」
 迷夢は腕を組んで、ヘクトラを流し目で睨みつけた。
「そう、その呪法大典なんて本、とても魅力的なんだけどなぁあ」
「……。この本を持っていたとしても、あの呪法の解き方など判りませんよ。あれは……わたしが独自に考案したものですから」
「そおかしら?」迷夢はヘクトラの瞳を見詰めたまま不敵に微笑んだ。「その本があったからと言ってあたしが何も出来ないと言うのなら、もらっちゃっても問題はないはず。だから……、ちょうだい?」可愛らしく迷夢は言う。
「その本は入手困難なものなのだが」
「そんなことは百も承知。だから、欲しいんだけどなぁ?」
 ヘクトラは迷夢が何を思っているのかしばし考えた。ジェットにかけた呪法がかの呪法大典を元にしたことを予感しているのだろうか。仮にそうだとしても、その呪文を見つけ出し、正確にブレークすることをイメージ出来なければならない。
「……まぁ……、貰えないのなら、奪っていくだけなんだけどねぇえ?」
 迷夢は妖しげな、どこか邪悪で確信に満ちた笑みを浮かべた。流石にその不審さにヘクトラもある種の恐ろしさを感じ取った。迷夢は何かをする気だ。少なくとも、何もなく彼女が帰ることはあり得まいと言うことくらいは察しがつく。ならば、この場をどう切り抜けるべきか。相手は最凶の魔法の使い手。そう簡単には逃れられまい。
「……仕方が……ありませんね。――そこまで言うのなら、持っていきなさい」
 ヘクトラは書棚から“呪法大典”を手に取り、それを迷夢に手渡した。
「ありがとう。そして、さよなら」迷夢は悪辣に笑った。「パーミネイトトランスファー」
「ま、待て! お前は一体……」
 言葉を最後まで言い終わらないうちにヘクトラは虚空にかき消された。
「あたしはキミを然るべきところに送っただけよ。ヘクトラは頼んだわよ、サムっち。さぁって、あたしはこいつを使って、呪法を解く鍵を見つけなくちゃぁあね」
 迷夢は呪法大典を手にしたまま、ジェットが幽閉されていた地下牢に向かった。その場なら、書物では足りない何かが見つけられるかもしれない。が、徒労に終わるかもしれない。古代の魔法を元にすると言うのは他人に解かれる危険性を大幅に減らすと言うことであり、魔法の教本に載ってるようなかけ方から解き方までが全て図解されていると言うほど優しいものではない。それでも、完全なオリジナルよりは救いがある方だが、元になった魔法とそこにどんなアレンジを加えたかを発見出来なければ意味がない。
「……元の魔法は大体、ケントーがつくんだけどなぁ……」
 大きな魔力を使っていれば、地下牢の壁にも何か痕跡が残っていてもおかしくはない。それを見つけられたら、きっと、ジェットにかけられた呪法はすぐに解けるに違いない。少なくとも、この瞬間だけはそう信じていたかった。

 ドサッ! サムのすぐ後方で何かが転がって落ちるような大きな音がした。かなり不気味である。さっきは唐突に迷夢が背後に現れて驚かされたばかり。少なくとも殺気は感じられなかったので、あからさまに殺意を持ったものが現れたのではないらしい。それ故に、サムは振り向いて、そこになりが現れたのかを確認するのがはばかられた。
「――サム、何を硬直してるんだ?」久須那だ。
「うん? いや、なにね、何か、ヤな予感がしたもんで……」
 と言いながら、サムはゆっくりと音のした方向に振り向いた。するとそこには黒っぽい衣服を身にまとった男がまるで行き倒れのように倒れ込んでいた。さっきのさっきまでヒトの気配は全くなかった。その代わりに久須那が言うには魔力の痕跡が残っているらしい。状況証拠をまとめると、その男は空間移動魔法でこの場に放り出されたと言うことになる。「……。それで、たった今、姿を現しただろうこいつは何だと思う?」
 サムはうつぶせに倒れた男を無造作にけっ飛ばして、仰向けにひっくり返そうとした。
「お前には何に見える、サム?」久須那は逆にそのまま問い返した。
「知らねぇ、と言いたいところだが、こいつはあれだ。トリリアンの総長だな。大体、こんなことをしてよこす奴は――迷夢くらいしかいねぇだろうな」
「――では、とりあえず、ヘクトラを拘束して」
「しかし、まあ、こいつを吊るし上げたとして、ガーディアンを止める役に立つんだろうかねぇ? 一応、無関係ではねぇと言っても、ガーディアンのヘッドはヘクトラではないようだし。それぞれ独立してるっぽいガーディアンもハイエルフのサラを信望しているようだから、あっちがどうにかならないとガーディアンは止められないと思う……が?」
 サムはひとしきりの意見を一気に述べた。
「そうですね。わたしもそう思います」じっと話を聞いていたアズロが口を開く。「しかし、そこについては大丈夫なのではないですか?」
「もうとっくの間に久須那が蹴散らしちまったしな。ガーディアンが再び集結したころにはトリリアンは“あった”という事実だけを残して跡形もないだろうな」
「確かにトリリアンと言う組織で考えた時はヘクトラの存在は大きいでしょう。なので、トリリアン解散のイメージ戦略にはいてくれないと困る訳ですが、ガーディアンの存在を空中分解させるにはサラを始末するしかないでしょうね……」
「それは――ベリアルの役目だな……?」サムは呟く。
「聞いた話、サラとベリアルは旧い知り合いのようですよ。どのような駆け引きがあってのことかまではわたしでは知りえませんが、迷夢さんが仕掛けたのならば、何らかの意味と勝算があるのでしょうね?」アズロはサムの目を力強く見詰めながら言った。
「俺じゃなくて、迷夢に聞いて欲しい。が、何にしろ、事態収拾に向けた布石にくらいは使えるんじゃないのか? むしろ、トリリアン総長にそれくらいの影響力がないと困ると思うんだがねぇ……。まあ、ともかく、久須那、何とかしろ」
「わたしが何とかするのか? 何とかするのはむしろ……」
「わたしですね」
 アズロは魔法酔いして伸びているヘクトラの前にしゃがみ込むと、どこからともなく持ってきた縄を両手にかける。そして、抱き起こした。
「――ヘクトラにここにいてもらっても何ですから、アイネスタの教会にでも預けておきましょうか。……では、久須那。徒歩では時間がかかりますから……」
 先は言わなくとも察しは付く。詰まる所、空間移動魔法でそこまで送れと言うことだ。
「ヒト使いが非常に荒いような気がするが……?」それでも笑いながら、久須那は言う。
「今だけですよ。のんびりしている時間はないですから、ちゃっちゃといきましょう?」
「そうだな……」
 久須那はすっかりアズロのペースに呑まれてしまった。
「それでは……、パーミネイトトランスファー!」
 簡易呪文を詠唱すると、ヘクトラを抱えたアズロはスイッと姿を消した。それを何となく眺めていたサムは改めて久須那に向き直った。
「……楽と言えば楽。こっちの被害も最小限。だが、しかし、こう言うのもなんだが、さっぱり戦ったって気がしねぇな。一応、エスメラルダ王国の存亡を賭けた戦いなんだぜ、これ? 拍子抜けだな。それでもあれか……」
「……何も言うな。どちらにしても期成同盟の目的は達成されるのだから、それでよしとすべきだと思う。むしろ、長年の泥沼が断ち切られるのだと思えば、いいんじゃないか?」
「まあ、なあ……。ま、現場でやることは終わっちまったな。あとは盟主と王子さま任せだな。……皆をまとめて、テレネンセスに戻ろうか……?」
 少しばかり疲れた様子で、サムは久須那に進言をした

 

文:篠原くれん 挿絵・タイトルイラスト:晴嵐改