20. a estarting new age(そして、始まる新しい時代)
戦地・アイネスタに集まり、主戦場から外れたところにいた面々にはいつの間にか決着がついていたとしかとらえようがなかったが、その実、エスメラルダ期成同盟とトリリアン、もしくはガーディアンとの戦いには多くの策略が巡らされていた。それが自分の知らないところでキレイにまとまっても、さっぱり、終わった気持ちがしないものだ。
「……。何だか、勝手に決着がついたような気がするな、久須那」
「ああ。――拍子抜けするくらいにあっさりしていたな。本当にこれで終わったのか?」
「さあ、どんなだろうな。――サラと何って言ったかな、あのベリアルとか言う奴との決着がついたのなら、終わったんだと思うが……?」
「……終わったみたいだぞ。何か、見覚えのあるヒトが何かを担いでいる」
「……どれ?」
サムは久須那が指さした方向を見やった。すると確かに、見覚えのある風貌の女の人らしき人影がサムと久須那と期成同盟軍の方に近づいてきた。華奢な体つきに見えて実は怪力なのか、それとも、魔法を巧みに操っているのかまでは判別がつかない。しかし、人をおんぶして足取りも確かに迫ってくる何故か、スーツ姿の女が見える。
「……先程はお世話になりました」
「ああ、どうも、こちらこそ、お世話に……」
「……何を言ってる。お前は」久須那はへらへらするサムに肘鉄を食わせた。「それでそちらは決着はついたのだな?」
「はい。サラを生け捕ったことで、ガーディアンは今、散り散りになろうとしています。その状況下でわざわざ、こちらに向かってこようと言う殊勝なものもいないと思います」
「なるほど……」久須那は腕を組んで一人頷いた。
「そいつが実質、ガーディアンの頭領みたいな奴だったよな?」サムは問う。
「そうですね。各地に散らばるガーディアンの全てを掌握してはいないと思いますけど、それでも、サラはあちらこちらのガーディアンに大きな影響力を持っていたようですから、今回のことで解散したり、消滅していくと思います」
「なるほど……ねぇ。ヘクトラなんか目じゃねぇような一種、カリスマってぇワケか」
「カリスマと言うよりは旗印と言うか、目印なのでしょうね」
「……それじゃあ、その旗印・サラと総長・ヘクトラがいなくなった今、トリリアンは事実上、解体したと考えても差し支えはないな。引っ張れる人材がいなくなったあんな組織なんてものは案外脆い。あとは分解して自然消滅だろうな……」
サムは何ともいえない複雑な表情をたたえつつ呟いた。
「と言うことは俺たちの軍事的な役割は終わったってぇワケか。何か物足りない気がしないでもねぇが、次の行動に移りますか。――再び、王子さまのお守りとなると、あまり気がむかねぇなぁ……」がっくり。
「ぼやいても意味がないだろ。では、みんなをつれて教会に移動だ」
エスメラルダ期成同盟軍は結局、まともに戦闘することなく次の任務に向かった。
*
さて、迷夢は呪法大典を携えて、ジェットを預けたアイネスタの教会に向かった。正直なところ、ヘクトラの思考を読めない以上、ジェットにかけられた呪法を解くのはやはり非常に困難と言わざるを得ない。しかし、そこは超楽観主義の迷夢のこと、とりあえず、頑張ってみてダメだったら、また、他の方法を試したらいい。
「さてねぇ、これでうまくいってくれたら万事解決なんだけどなぁ」
ぶつぶつ言いながら、迷夢はアイネスタの教会の更に奥の部屋へと歩いていく。既に司祭さまも、クライラントもアズロも関係ない。ただ、ジェットにかけられた呪法を解くことが出来たらそれでいいのだ。そのジェットは眠れる森の美女よろしく、静かな寝息を立てて深い眠りについているようだった。
「ジェット。ジェットォ。さあ、目を覚まして……」
迷夢はまるで催眠術を解くかのように、ジェットと向き合っていた。これで呪法が解けなければ、為す術なしと言うことはないが、色々と面倒くさいことになるのは確実だ。そして、外れて欲しい予測は外れずにジェットの現況に僅かな変化さえも起きていなかった。
「……。むぅ。やっぱ、ダメか」
頭をぼりぼり。予想通りと言えばその通りだが、何だか妙にやるせない。実際問題として、迷夢もある程度までは古代の呪法を知っているから、時間さえかければ目的の達成は可能だとは思うものの、現状ではそんな余裕はないに等しい。
「……迷夢さん、いつ戻られたのですか?」司祭だった。
「あら、こっそり背後から近づくなんて、いやらしい」変態を見る目付きで迷夢は言う。
「そんなことを言われましても困ります。それよりも迷夢さんあてのお客人を連れて参りましたよ。――もう、何もかもが予想外の展開をしていてわたしにはついていけません」
「と言うか、あれ?」迷夢はキョトとした。「あたし宛の客人って」
「そうです。アズロ・ジュニアさん……と」
予想していなかった出来事に流石の迷夢も驚きは隠せない。確かにヘクトラをアルケミスタからここ、アイネスタに送り付けたが、アズロ・ジュニアがわざわざ、教会にまでヘクトラを連れてくるとは全く予想さえしていなかった。
「連れてきましたよ、迷夢さん。きっと、あなたがわざわざアルケミスタからあそこに移動させたのでしょうけど、結局はこちらで、再びご対面ですね。――面倒くさいことはせずに始めから、こちらに送り届ければよかったのではないですか?」
「あらぁ? そんなことをするワケないでしょう? ジュニアくん。ここの面子にジェットとヘクトラを預けたら、この世の終わりが見られるわよ。って言うか、絶対逃げられるに決まってるんだから、そんなリスクを冒せる訳がないじゃない。けれど、キミとサムや、久須那のいるところなら、滅多なことはないんじゃなくて? しかも、わざわざ、教会までヘクトラを送り届けてもらっちゃって、もう、完璧!」
何がどう完璧なのか判りかねるが、アズロは敢えてそこには突っ込まなかった。
「それはどうもありがとうございます。それで、どうするおつもりなんですか? パッと見たところ……何かをしようとして、失敗したように見受けられますが……?」
「失敬な。あたしは失敗なんてしないのよ、絶対に」
「では、そういうことにしておきましょう」
と軽く発言しつつ、アズロはさささと迷夢を観察した。何だか魔術書みたいのを用意して、ジェットを前にうんうんと唸っていた形跡があるような気がする。本人は否定しているが、恐らく、ジェットにかけられた魔法を解こうとして悪戦苦闘しているようだ。
「ともかく、そののびている男をきゅ〜っと締め上げたら、迷夢さんの悩みは見事キレイに解決すると思いますが、どうしたものでしょうかね?」
ちょっとだけ意地悪にアズロは言う。
「あーそう。まぁ、そうなんだけどさ。わざわざ声に出して言われると、イライラ腹が立つからちょぉっと黙っててくれないかしら!」
「迷夢さんがそう仰るのなら、黙ってますよ。あとはご自由に迷夢さん」
と言うとアズロは静かに部屋の外へと出ていった。
「さて、ヘクトラくんはお目覚めかしら?」
「……。また、あなたですか」
「またとは随分な言い草ねぇ。生き別れたもの同士のような感動的な再会――とはいかないけど、もうちょっと感慨深く出来ないのかしらね」半ば独り言のように迷夢は無茶苦茶を言う。「ま、それはいいわ。ヘクトラくん、この部屋をくるっと見回したら、どうしてキミがここにつれて来られてのかすぐに判るわ」
迷夢は“さあ、どうぞ”と言わんばかりに右手をさっと前に差し出した。ヘクトラは仕方がなさそうな様子でしぶしぶと右、左、ぐるりを見渡した。そして、ベッドに横たえられたジェットを発見した。
「……。つまり、ジェットの魔法を解けと言うことですか?」
「そゆこと。物分かりが早い子って助かるわぁ!」
と、言葉こそ柔らかいものの、迷夢の表情は相当に険しい。自分の思い通りにならないものが一つでもあれば迷夢の機嫌がいいはずがない。
「……断る……と言ったら?」
「断れるものなら、断ってみたら?」
迷夢は悪辣な笑みを浮かべながら言い放つ。ヘクトラが断れないことを承知で迷夢は言う。仮に“断る”と言い出そうものなら、地獄にでもたたき落としてやろうとも考える。
「……。断ることはできない……ですね……」
ヘクトラはすっかり諦めた。ここで盾突いてみたところで、自分の置かれた状況がよくなるとはとても思えない。ヘクトラは迷夢を警戒しつつ、ジェットの横たわるベッドへと近づき、右手をジェットの額に手を当てた。
そして、ヘクトラは瞳を閉じてしばらくの間、ぶつぶつと呪文を唱えた。すると、右手に隠されたジェットの額がポウッと赤く光り出した。そして、ヘクトラが右手をよけると、額にあったはずの小さな朱色の紋章が綺麗に消え去っていた。
「これでジェットの意識は解放されるはずだ……」
「そう、ありがとう」迷夢は素っ気なく言う。「そんじゃあ、キミには大人しくしていてもらおうかしら。――アズロくん、どうせ、ドアの陰にでも隠れているんでしょ? 用なしになったヘクトラをどこかに連れて行ってもらえるかしら?」
すると、すっとドアの向こう側からアズロが現れた。
「お呼びでしたか、迷夢さん」
「お呼びでしたよ、アズロさん。こいつ、もう、用なしだから、どっかに連れて行っちゃって。そう……できれば、二度と悪さができないようにしてあげて♪」
「それはそうさせてもらいますよ。ようやく、トリリアンを解散にまで追い詰めたんですからね。これでもう一度、トリリアンが復活するようなことがあれば、きっと、リテール協会も新しく生まれ変わるエスメラルダ王国もお仕舞いですよ」
「ふふ、そうはならないように、陰の支配者を用意するから、まあ、安心しなさいよ」
「影の支配者とはまた、物騒ですね?」
「あらぁ、そおかしら? あたしはそうは思わないけどなぁあ?」にやり。「表と裏からダブルで支配するなんて、ステキで完璧じゃない? ど〜せ、世の中は綺麗事だけじゃ回らないんだからさ。アルル王子が表を頑張るなら、裏はあたしが当面は頑張ってあげる」
「そして……、デュレですか?」確信めいた発言をする。
「よくお判りですこと、アズロさん?」感心したように迷夢は言う。
「それはそうでしょう? あなたがデュレに相当な思い入れがあるのは、あなたのデュレに対する接し方と行動を見ていたら判らないわけがありませんよ。……そうでもなければ、面倒くさがりのあなたがたった一人の誰かのために何かをするなんて思えないですからね」
アズロは微笑みながら、言葉をつないだ。
「まあ、下心ってやつかしら? けど、表の支配者ってよりは陰の顔でしょ、あの娘は。それにそういう器の大きさでしょうよ。何でも仕切れちゃうわよ、きっと」
「そういう気はしますが、敢えて、コメントは控えさせていただきますよ」
そう言いつつ、アズロは項垂れたままのヘクトラを連れて行った。
*
それから、幾許かの時が過ぎた。ヘクトラにより意識封じの呪法を解かれた後もジェットは眠り続けていた。こうなるとヘクトラが本当にジェットの呪法を解いたのか不安になるが、あの状況下でヘクトラに選択肢がなかった以上、それを心配するのは無意味だろう。だとしたら、ここしばらくの疲労の蓄積から目覚めないと考えるのが妥当な線だろう。
「あ〜、それにしてもこれって、ドキドキものよねぇ」
迷夢はジェットの眠るベッドの横に置いた椅子に足を組み、更には頬杖をついて、腰掛けていた。もしも、このままジェットが目覚めなかったらと思うと、ちょっぴり怖い。
「ねぇえ? 折角、キミの大事なウサギちゃんも持ってきたって言うのに、まるで無駄足じゃない? あたしってば」ブツブツ。「あ〜これでほんとに寝たきりだったらどうしよう? ……。もうちょっと粘ってダメだったら、蹴ってみようか?」
とうとう迷夢はひどく物騒なことを考え出した。時間があればいくら待っていても構わないのだが、今日のうちにこの教会で戴冠式があるものだからまんじりともしていられない。迷夢はジェットのウサギちゃんをこねってはジェットの顔に押し当ててみたり、頬を突っついてみたりと忙しい。
「う〜ん。やっぱり、強行突破をしちゃおうかしら?」
迷夢はよからぬことを思いついた。ブランケットをバフッとめくると迷夢はジェットをくすぐりだした。これでダメなら、本気で蹴り飛ばして起こすしかない。
「うん……。あ……きゃはは、あぁ、や、やめてくださいっ」
「お! お目覚めかしら、眠り姫?」ちょっぴりほっとしたように迷夢は言った。
「……? あれ……。わたし、何をしてたのかしら……。ここは……。……クローバーは? クローバーはどこにいるの。ここはどこ?」
「クローバーはここにはいないよ。だって、ここはアルケミスタではなくてアイネスタの教会なんだから」
迷夢は至って自然にサラリと言ってのけた。
「どうして……、アイネスタに……? あ、痛い、頭が……割れそう……」
「ほら、まだ、無理したらダメよ。まだ、意識封じの呪法が解けたばかりなんだから」
「意識封じの呪法?」ジェットはオウム返しをした。
そこら辺の記憶は全くなかった。確かにジェット自身は遙かな昔にトリリアンにより召喚され、以降、アルケミスタ教会の地下牢に幽閉されていたことは覚えている。あの薄暗い地下牢にいれられて、それ以上は何もなかったはず。いや、曖昧な記憶の中に薄暗いあの部屋以外に自分の記憶とは思えないながらも突き抜けるような青い空を見たような気がする。でも、それは現実感を全く伴わない夢のようにしか思えないのだ。
「わたしは……ずっと、あの暗い部屋にいた……」
「本当にそう思っているの?」迷夢は問う。
別に意地悪をしたい訳ではない。あの一連の出来事を夢だったと言う一言で片付けてしまうわけにはいかない。デュレのようにひっそりと心の傷のように残ってしまっては、後で面倒なことになってしまうに違いないのだ。
「……だって。わたしは……あの暗い部屋から出たことが……ない……」
「うん。それが意識封じの呪法の効果なのよねぇえ? キミという“人格”を深層意識に奥底に押し込んで、その上に新しい人格、思考パターンを乗っけるというのが意識封じの呪法なのよ。だけどね、キミにも見えたはずなの。人格が二つに分かれたと言っても、奥深いところで繋がってるんだから。ま、有り体に言えば、空を飛んだジェットも地下牢にずっといたはずのキミも結局は同一ってことなのよ」
そんなことを言われたところで、いまいち、よく理解できない。
「わたしは……知らない……」
「そうかなぁ。ねぇ、あたしの顔をよぉく見てご覧なさいよ?」
迷夢は屈んでジェットと目線の高さを合わせた。けれど、ジェットは迷夢と視線を合わせようとはしない。怖い。真剣そうな迷夢の瞳を覗き込んだら、認めたくないことが心に流れ込んできそう。遠い心の奥底で見えたような気がしたあれは全部、幻だと言って欲しいのに。迷夢の表情を間近に見てしまっては自分の中の全てが否定されてしまうに違いない。
「ホラ、ジェット、こっちを見なさい!」
迷夢はジェットの肩を掴んで揺さぶった。
それでも、ジェットは頑なに迷夢の顔を見ることを拒み、視線を下に落としていた。
「はぁ……、恩着せがましいことは言いたくないんだけどさぁあ。キミ、そのもやもやを抱えたまま残りの時間を生きていくつもりなのかしら?」
そのどこか当たり前の言葉がジェットの心の扉を押し開こうとしていた。
ジェットの見た夢。空を飛び、幾つもの街を破壊した。命乞いをするものも容赦なく討ち滅ぼし、自分は遙かな上空から崩れ滅び行く街を眺めていた。しかも、相当な嘲りの念を込めて、全てを蔑むかのように。それを認めたくない。認めるわけにはいかない。自分は確かにずっと地下室にいた。光眩しい外へなんて、もうずっと出ていない。
「わたしは知らない。わたしは何も知らないっ!」
「ウソっ! キミは知ってる。キミは自分にウソをついてる」迷夢は激しくジェットを揺すった。「確かにあれは“キミ”とは関係ないのかもしれない。けれど、あれもキミがやったことなのよ。って言っても無駄か。むぅ、ベリアルでも連れてきて、精神シンクロでもやってもらった方が早いかしら……」
ベリアルの精神シンクロの効果を知っているから、ぼやきも出ようというものだ。
「けど、あれか、急いては事をし損じるってやつか。また、時間をかけてゆっくりと解消していくしかないってことかぁ……。む〜。しゃあないか……」
迷夢は腕を組んですっかり意気消沈したように呟いた。と、ヘクトラをどこかに連れて行ったはずのアズロがひょいと顔を覗かせた。
「さて、そろそろ時間のようですよ。迷夢さん」
「あら? もうそんな時間? もうちょっと、遊んでられると思ったのに」ちょっぴり残念そうに迷夢は言う。「ああっ、でも、ジェットはここで大人しくしているのよ」
「……はい」反抗する理由もなく、ジェットは素直に答えた。
「大丈夫ですよ。しっかりと、見張りをつけておきますから」
「それはよろしく頼むわ。――けど、まぁ所期の目的がそうなんだから、しかたがないか……。それじゃあ、やっぱり、この教会の礼拝堂に全員集合ってワケよねぇ……。そんな重鎮が集まるところに行くのはなぁんか苦手なんだよね」
と言いながらも、迷夢はアズロに従って礼拝堂に向かった。
礼拝堂に辿り着けば当然のごとく、そうそうたる面々が揃っていた。それはもちろん、迷夢が画策していたことにほかならないのだが、いまいち、落ち着けない。ただ恐らく、重鎮が苦手と言うよりはむしろ、迷夢の朗らか朗らかな性格からして重苦しい雰囲気が大嫌いなのだろう。と、迷夢は目ざとくよく見知った人影を二つ発見した。
「あら? デュレとセレスも来たんだ? わざわざこんな儀礼的なものを見に来るなんてキミたちも物好きよねぇえ?」
「物好きなのはデュレ。あたしはただの付添。帰りたいのっ! ねぇ、デュレ?」
「静かにしなさい。騒々しい。こんなことなんて滅多にないんですから」
「……そりゃ、そうなんだろうけどさ。それは興味のあるデュレはそれでいいかもしれないけどさあ、あたしは面白くもなんてもないワケよ。判る?」
「判りません。それよりも黙ってなさい。メーワクです」
「あーそう。そうよね。あたしなんてメーワクな存在ですよ。そこまで言うんだったら、一緒について来いなんて言わないで欲しいもんよねぇ」
「あら? お出かけするって言ったら、喜んでついてきたのは誰だったかしら?」
「ぐ……。どこに行くのかも聞かずについてきたのはあたしだった……」
後悔もよりいっそう際立つと言うものだが、自分で勝手に勘違いして来たのだから、誰にも文句の言いようもない。セレスは仕方なく口を閉ざして静かになった。
その一方で、祭壇ではいよいよエスメラルダ期成同盟が長年望んだ儀式が行われようとしていた。数世紀も昔に滅んだ王国が今ここに復活を遂げるのだ。その様子をデュレは興味津々の眼差しを送りつつ、セレスはすっかり諦めムードでぐったりとしていた。そして、祭壇では粛々と儀式が進められていた。
デュレは清楚に椅子に腰掛けていたが、セレスはその隣ですっかりやる気なしモード全開でダラーンとしていた。その好対照の様子を傍目から見ていれば、かなり面白いのだが、当然、デュレとしては面白いはずがない。
「アルル王子、あなたをエスメラルダ王国の正当な後継者と認め、ここにエスメラルダ王国の復活を宣言します!」
教皇の声高らかな宣言で、エスメラルダ王国がここ、アイネスタで復活を遂げた。
「歴史的瞬間ですね」
「歴史的でも何でもいいんだけどさぁ、何であたしまで、こんなところまで駆り出されるのかしら? あたしは関係ないつーの。あたしは家で寝てたかったのに……」
「ぶつぶつ文句ばかり……。関係ないのは関係ないでいいですが、静かにしていなさい。どちらにしても、国家の再興を目の当たりにする機会はそうそうないと思いませんか?」
「そりゃ、そうだろうけどさ。あたしは興味なし。寝る」
「もう好きにしてください」
とは言うものの、デュレの興味は既にセレスにはなく、祭壇に向けられていた。
「新しい時代か……」感慨深げに久須那は呟いた。「どれだけのヒトが協会の実質的支配から逃れることを望んでいたのだろうな?」
「……トリリアンは滅んだかもしれねぇが、協会の実質的支配はまだまだ続くぜ。俺たちのエスメラルダ王国はまだ、協会の支配下だ。表には出てくることはなかったが、エスメラルダが国として協会に仮初めにも認められたのは俺たちがトリリアンを潰した報酬みたいなもんだ。未だリテールには協会が君臨し、その下っ端に俺たちがくっついたようなもんだ。やんちゃなトリリアンが従順な下僕……エスメラルダになっただけの話、――まだ、何も変わっちゃあいない。これから、変えるのさ……。あいつがな」
「そうか。――そうだな」久須那はフッと目を閉じた。「だが、あいつの部分がいまいち納得できないな。何故、隅っこでソワソワしてる迷夢の方を向いた?」
「……目敏いな、気がつくたぁ。ま、実際どうなるか何て判りゃしないが、この新しいエスメラルダを陰に日向に操っていくのは迷夢じゃねぇかなぁとよ? アルル王子は王子で、ちゃんとやっていくと思うが、影の支配者はやっぱり、策士・迷夢だろうよ」
「まぁ、否定はしないな」久須那は瞳を閉じてそっと呟いた。
「だろ? そして、その後継者はデュレなんだろうな……」
「迷夢の思惑を知るよしはないが、あのデュレに対する思い入れようからはそうなんだろうな? ……わざわざ、ドラゴンズティースを探し当ててみたり、過去のわだかまりを取り払おうとしたり、デュレのためにかなり暗躍していたようだからな」
「……ねぇ、キミたち、今、あたしの悪口か何か言ってなかったかしら?」
突然、サムと久須那の背後から、迷夢のはつらつとした声が届いた。
「いんや、何も言ってねぇよ。むしろ、ほめてた」
「ほぉ〜?」迷夢は後ろ手を組んで、訝しげにサムの顔を下から覗き込んだ。「キミがあたしをほめるなんて、一体、どういう風の吹き回しかしら」
「細かいことをつっこむんじゃねぇよ。それよりも、アルルの演説を聴いてやれよ」
「……により、エスメラルダ第一王朝が栄華を極めたかつての王都を改めて、わたしたちのエスメラルダ王国の都に定めます」
アルルが発言を締めくくると今まで大きな緊張感と静寂に包まれていた教会礼拝堂が色めき立った。長い間、待ち侘びた瞬間なのだ。国を奪われ、トリリアンのリテール協会の見えない支配に苦しめられた、暗黒の時代が終わろうとしてる。
「まぁ、何て言うか、あれよね。事前準備が途方もなく長かったと思うけど、終わってしまえばそれ程でもなかったというか、拍子抜けしちゃうくらいあっさりと終わっちゃったていうか。あたしとしては何ともちょっぴり詰まらない幕切れの仕方よねぇえ?」
迷夢は言う。
「あたしはノーコメント。何か言うと、デュレが突っ込んできそうで怖いから」
「でも……。トリリアンと一戦をやらかした割には被害は少なかったようですよね?」
「そりゃあね、あたしがあの手この手の策略を巡らせたから。……信じてないでしょ? キミ」迷夢はズバッとデュレを指した。「いいこと、デュレ。トリリアンからベリアルを味方に引き込み、内情を探り、エスメラルダ期成同盟を限りなく動かしやすくしたのはあたしなのよ。あと、ついでにキミのためを思って、ドラゴンズティースを突っついてみたけど」
「トリリアンの内情を探ったのは間違いないでしょうけど、ドラゴンズティースの件は興味本位ですよね、絶対……」
「あら? 段々とあたしの考えが判るようになってきたのかしら? 上出来!」
「それは……判りますよ。自分のオフィスに“黒翼・迷夢のステキオフィス”なんて、不思議な名前をつけてしまうようなヒトの思考パターンなんてお見通しです!」
「ほぉ、デュレも言うわね。そりゃあ、あたしがセレスと同じ中身をしているって受け取ってもいいのかしら。つまり、ケンカを売ってるでしょ?」
「いいえぇ、そんなつもりは全く……」
「本当かしらね。この娘は……。まぁ、いいわ。――でも、本当はあたしが何を望んでいるか、考えているかなんて、判らないでしょうねぇえ?」
「それは……」デュレは言葉に窮した。流石にそんな奥深いところまでは判らない。
「まあ、それでいいのよ! そもそも、あたしの考え方を類型化しようとしてる方がどうかしてるんだから。あたしをパターン化するなんて不可能なんだから!」
「はあ……」生返事。
そんな迷夢の不遜な態度を見ていれば、何だか色々とどうでもよくなってきた。こんな迷夢と深く関わり合うとひどく面倒くさいことに巻き込まれそうな気さえするのだが、やはり、今更、手遅れなのだろう。
「ま。諦めなさいって」 迷夢は笑いながら、デュレの肩をポンポンと叩いた。と、不意に気がついた。「……あら、お客さまが来たみたい。じゃ、あたしは行くから、キミたちはちゃんと最後まで見届けるのよ」
ちょっぴり嬉しそうな表情をたたえつつ、迷夢はこそこそと礼拝堂を後にした。
*
かさかさ……。いつか、アルケミスタの教会でこっそりと周囲をうかがっていたときのように迷夢は周囲の誰にも気取られないよう気配を消して探りを入れていた。誰かが来た。いや、誰かではなく、迷夢が手を貸して欲しくてやまなかったあの人だろう。
礼拝堂の中からは見ることの出来ない窓から、一つの影が中を覗き込んでいた。
(わたしのトリリアンだったものはとうとうその理想を実現できずに消え去るのですね)
「こぉ〜んなところで、何をやってるのかしら、キミは?」
「迷夢っ!」人影は振り返って、驚いたかのように言った。
「……アリクシア。散々手は貸さないだの何だのかんだのって言ってたくせに、やっぱり、現れたわね。あんなドラゴンズティースの山奥でひっそりと隠居してるのはとぉっても孤独で淋しかったと解釈しちゃってもいいのかしらぁ」
「……」アリクシアは答えない。
「どう? あなたの理想の片割れが消えてしまった感想は?」
迷夢はどこか勝ち誇ったように言った。
「感想なんてご大層なものはありませんよ。……ただ……」
「ただ……?」迷夢はアリクシアを促した。
「ただ……。おかしなものですね。わたしがやろうやろうと躍起になるほど遠ざかった目標が今はとても近くにあるような気がします。――その目標を追いかけて手を届かせてしまいそうなのがわたしではなくて、迷夢……迷夢の選んだヒトだとは……ね?」
「別にあたしはキミの理想の実現に手を貸そうとはこれっぽっちも思ってないよ」
「判っています。あなたはあなたの思うがまま。それがたまたまわたしの理想に重なりそうなだけなのだと思います。――ただ、それがわたしには届かなかっただけの話です」
とても淋しそうにアリクシアは言った。協会レルシア派を信じ、そして、自らアリクシア派を立ち上げて、トリリアンへと変化を遂げ、ドラゴンズティースへと至ったその道筋で見失ったものがここにはあるのかもしれない。
「それでもね、生きているうちに理想の実現を見られるなんて凄いことだと思うのよ。それが自分の手によるものでなかったとしても、これはキミの蒔いた種が育ったんだよ」
「わたしの蒔いた種……」
「そ、時間はかかったけれど、いろんな紆余曲折があったけれど、キミの蒔いた種はちゃんと芽吹いて、双葉を出して、しっかりと育ち始めたのよ。まぁ、腐っちゃったのと捻くれちゃったのとがあるけれど、それでも、これはキミの始めた成果の一つで、キミが吹かせた新しい時代への風なんじゃないかしら?」
迷夢としては珍しく、アリクシアに対して説教めいた言葉をつないだ。わざわざ、こんなつまらないことを言うつもりはなかったが、こうでもしなければアリクシアに自分の思いが届かないと思ったのだ。
「わたしが吹かせた新しい風ですか……。今頃、そんな風が吹いたところで……」
「そうは思わない」迷夢はアリクシアを遮った。「キミの蒔いた種はトリリアンやドラゴンズティースではなくて、エスメラルダ期成同盟が拾い上げてここまで育てたの。――ま、その後はエスメラルダ王国じゃあなくて、あたしのデュレが頑張るはずなんだけどねぇえ」
得意満面に迷夢はお喋りしつつ、アリクシアの表情をうかがった。
「つまり、暢気に隠居してる場合じゃないってことよ。キミとマリエルとラナが出来なかったことも、あたしとデュレがいたら、きっと出来る」
「しかし、わたしに出来ることはもう何もありません。かつて、三種協和の夢を見て、そして、夢破れたものがいても、何の役にも立ちませんよ……。どんな有能なものに支えられていてもわたしは自分の思いを叶えられなかったのですから……」
「……キミって案外、ネガティブよね」
「わたしはポジティブですよ。だからこそ、ここにいるのです」
「ふぅ〜ん?」迷夢はジロジロとなめ回すかのようにアリクシアを見つめた。「まあ、キミがそういうなら、それでもいいんだけどぉ。夢に破れたものがもう一度、夢を追えるなんて、ステキなことじゃない? ただ、見ているだけなんて言わないで、こっちにおいで。あたしたちと一緒にもう一度だけ、キミの望みを追いかけようよ。さあ!」
そう言って、迷夢は渋るアリクシアの前に手を差し出した。アリクシアは真摯な迷夢の瞳を見つめ、そして、迷夢の手を取った。
「これから、リテールに新しい時代が始まるの。今度は失敗しないのよ、アリクシア」
「……そうですね……。あなたたちが一緒なら、きっと、成功するのでしょうね……」
そして、それこそがエスメラルダ第二王朝の建国の裏側で始まるもう一つの新しい時代の幕開けだった。
文:篠原くれん 挿絵・タイトルイラスト:晴嵐改 |