12の精霊核

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21. a naughty girl(やんちゃガール)

 テレネンセスを発って数時間、お日様もだいぶん高く昇っていい天気。その間に、晴れていたのに魚まじりの大雨(?)もあったけれど、申たち一行の旅路はただ一点を除いておおむね良好だった。そのただ一点というのは。
「ね〜ね〜、申。どこ行くの? ね〜。ね〜ったらね〜」
「髪の毛をひっぱらないの!」諭すようななだめるような微妙な声色。
「何で、何で〜?」キュートなクリクリオメメをキョトンとさせて、ジーゼは申を見詰めていた。
(はぁ〜。何でこんなことになったんだろ?)
 申はがっくりと肩を落として、そのまま地面に吸い込まれそうなくらいにくたびれていた。
 さっきのおかしな大雨で森の火事は消えたらしい。教会からずっと見えていた緋色も、地鳴りのように聞こえていた喧噪も感じられなくなって少しだけ辺りが落ち着きを取り戻したから、申はそうだと理解した。それをより確信させたのは変わり果てたジーゼの姿。
「ねぇっ! 答えてくんないならもっともぉっと引っ張っちゃうぞ〜」
 ジーゼを包んだ炎が消えたと思ったら、申の背中が急に軽くなった。そして、申とちゃっきーの前に姿を現したのは元気いっぱいのやんちゃジーゼ、子供版。黙っていたら、あっちこっちに走り回って、落ち着きの「お」の字もありはしない。はしゃぎ回るジーゼを見ていれば、ちゃっきーが二つに分裂してしまったようなおかしな気持ちにもなってしまう。そして、申はシェイラルやジーゼの言っていった「子供になってしまう」その意味がようやく呑み込めた。
「へ〜い、申! お子ちゃまジーゼは腕白やんちゃなノンストップボーイッシュガールなのねぇ」
「……お前は呑気でいいよな。まるで他人事だし」
「Yes, Sir! もちろん、おいりゃにゃ関係ナッシングなのだ」
「!」ジーゼの眼差しがちゃっきーを捕らえた。「えへへ、ちゃっきーも仲間に入れたげるよ?」
 好奇の矛先が一度向いたらなかなかジーゼは放してくれない。
(精霊核は森を映す鏡。ジーゼは鏡像? 実像は森?)
 それはいい知れない不思議さ、心のもやもやとして申に宿っていた。同じ精霊でもダークエルフや島エルフその他諸々、精霊核に依存しないタイプの精霊だってたくさんいるのに。
「しん〜? 何、お考えごとしてるの〜?」
「うわっ!」どアップのジーゼの顔が覗き込んで、申は思わず仰け反った。
「きゃははは、面白〜い」指さして大笑い。
「面白くないッ!」と、肩をいからせて怒鳴ってみてもジーゼにはまるで効果なし。逆にジーゼの笑いは止まらなくなってしまって、おなかを抱えて転げ回る始末。すっかり、ジーゼのお守りは申の手に余ってしまった。
(……子供のお守りって……結構、大変なのかも……?)
「ハハハ! 代理! ジーゼちゃまが子供になったからって嘆くことはないのだよ。ジーゼちゃまはどんなときも『ラブリー申ちゃま』……? もとい『サムっち』なのれすから」
「それで慰めてるつもりか。お前は!」
「え?」キョトン。「何故においらが申ちゃまを慰めねばらならんのですか?」
「……。お前は俺の視界から消え失せろ!」
 申はいつものようにためらいなしにちゃっきーをぶん投げた。すると、綺麗な放物線が途中で砕けて、道ばたにたむろしていたハンター風の男どもに飛び込んでいった。
「Hey you、人相悪いね。は〜ん、さてはサムっちの七人目の彼女を奪いに来た!」
「なぁ〜んだ、こりゃ?」一人の男がちゃっきーに一瞥をくれた。
「毒小人ですよ。ホラ、チーズケーキの味がするとかしないとかの。アルケミスタでも……え?」
「およ?」一同、顔を見合わせてそのまま固まってしまった。
「あいつ。あんなところでな〜にやってんだ。もうウンザリだ」
 その様子を遠くから眺めていた申はこれ以上の厄介ごとに巻き込まれてはごめんだと、ちゃっきーの回収に走った。申が走れば、その後ろからジーゼがテテテとついてくる。
「あ……」と申。
「あ〜っ!」次には申と男たちが互いに指さしあって大絶叫。「てめぇはアルケミスタにいたクソボーズ。何でてめぇらがこんなところにいるんだ」
「それはこっちのセリフだろ。この悪徳ハンターもどきのゴロツキめ」
「何だと!」男は腕まくりをして臨戦態勢。
「やめろ、バカ」だみ声の男がもう一人の男を殴った。「俺たちじゃ、こいつの魔法剣にゃあ敵わねぇよ。だから、無駄な争いはやめだやめ」と、ふと思い出したようにだみ声の男は言った。「そう言えば、小僧。例の精霊小娘はどうしたんだ」
「一緒にいるよ。この先のエルフの森がジーゼの森なんだ」
 申の言葉にだみ声と頼りなげなひょろひょろ男が「どこに?」と言いたげに辺りを見回した。
「へ〜いぃ、てめぇらの眼はおっきな節穴かい? よぉく見なせぇ。この驚異のエネルギー暴発爆弾娘が目に入らぬかぁ〜」
「……。この前見たとき、こんなガキだったか?」
「森が燃えたんだよ。多分、協会の天使兵団が放火したんだと思う」
「なぁ、やっぱ、やめにしないか。協会が絡む賞金首に手を出すとロクなことにならねぇぞ」
「お前ら、懲りもせずにまだジーゼを捕まえようってのか?」
「あ? そっちはもういいんだよ。退魔師とやり合って金貨三百枚じゃ割にあわねぇし。今日の午前中に新しい手配書が回ったばかりなんだが、……協会十二天使の一角・久須那に金貨一万枚の懸賞金がついた。……期日は……二日以内」
「?」申は戸惑って、しばらく男と見つめ合ってしまった。この前にアルケミスタで手配書を見せてもらったとき、確か懸賞金は金貨五千枚。それでも破格の懸賞金だったというのに、今は一万枚だと言う。それだけのお金があれば十年や二十年平気で遊んで暮らせてしまう。
「なんだ、知らないのか? ちょっと待て、手配書を見せてやる」
 だみ声の男が近くにあった小さめの鞄をごそごそとやり出して、紙を一枚取り出した。
『Wanted 久須那。生死問わず。懸賞金・金貨一万枚』
 その通達は協会・シメオン大聖堂から天使の翼に乗ってそれこそ瞬く間にエスメラルダやリテール一帯の協会支部に運ばれていた。久須那が直接、それを知るよしもなかったが、賞金目当てにハンターがエルフの森に殺到したのは事実だった。
「ほ〜ぅ。久須那ちゃんもついに正統派犯罪者になったのねぇ〜。流石、七人目の彼女!」
「おいよ。エルフの森界隈だってよな? あれ。賞金首」
 だみ声の男の言葉は久須那とサムがこの場に来ていることを暗に指し示していた。となると問題なのは上手く彼らと合流できるか否か。
「あと、おかしなのも手配書に載っていたぜ。確かぁ、ウィル・オ・ザ・ウィスプだっけか」
 その瞬間、申はピンと感じて、心臓がギュッと締め付けられるようないやな感触がした。
「人魂とかそんなんじゃなくて、まともなウィル・オ・ザ・ウィスプになんかまず、お目にかかれないぜ。光の精霊から鬼火までひっくるめてウィル・オ・ザ・ウィスプだからなぁ」
 しかも、それは闇の精霊・ジェイドと並んで精霊核に依存しない精霊で、世界に一人(つ?)しか存在しないはずのものだった。それにそれらの精霊は他の精霊たちをも支配する上位精霊と言われ人前に姿を現すことはまずなかった。
「ちゃっきー……」
「なんどスか?」ちゃっきーは申を淋しげな色を湛えた瞳で見上げていた。
「――いや、いいや。お前はもう知っていたんだ」
「That's right. でも、信じにゃいんだもんね〜。やつぁ、殺したって死なぇ。間違って死んだら、閻魔大王と一戦やらかしてぜってぇ帰ってくるね。百年後〜か、千年後〜か、知らねぇけど。だって、一度はリテールの神さまにまでなったんだよ? うぁぁああぁん」
 ちゃっきーが泣いてる。こんな涙とも縁遠そうなふざけたやつまで涙する。
「お前ら、この久須那ってのと知り合いなのか? 捜しに来たのか。ま、どっちでも構わないけどよ。森に行ってもいいことなさそうだぜ? 俺がいうのもおかしな話だがね。破格の懸賞金とは言っても相手は天使だぜ? No.1ハンターでも……下手すりゃ棺桶行きだな」
 だみ声の男は一人で大笑い。ひょろひょろ男の返事に窮してしまって。、困惑気味だ。
「相棒、帰るぞ。今度の天使さまはこちらの退魔師さまにお任せして、俺たちゃ撤退だ」
「え? いや、だって、ええ?」
 運命的な再会から数分後には、訳の判らないままのお別れがやってきた。ひょろひょろ男とだみ声男のおかしなコンビが申たちに背を向けて手を振っている。
「……?」その様子に申はついバイバイと手を振っていた。「この前といい、今といい、何なんだあの連中は。やっぱ、ただのゴロツキ? 精霊ハンターにしては何かね〜」
「ちゅまり、天使の久須那にゃ敵わね〜ってことなんしょ?」
「そおなのか? つまり、勇み足ってこと? やめる切っ掛けが欲しかったのか、ひょっとして」
 申とちゃっきーは向き合って珍しく真面目な会話を交わしていると。
「ね〜、チミたち、わたしを無視して盛り上がらないでくださらない? ホホホ?」
 申の背後からすっかり忘れられて拗ね気味のジーゼが姿を現した。そして、申のターバンからはみ出した髪の毛を思い切りよく引っ張った。
「引っ張ったら痛いでしょう?」
「だってだって、わたしのこと構ってくれないんだもん」プイッとあっちを向いて拗ねて見せる。
「Hey, Girl!! だからといって、白馬のナイトさま(代理)をむやみやたらといじくったらいけませんのことよ。かぁわい〜ぃ女の子に言い寄られたらひっくり返っちゃうのよ〜」
「……何でだよ!」ちゃっきーのセリフに意味深な響きを感じて申は詰め寄った。
「そりゃぁ、もう、どうしようもなく、うぶだから♪」
「……。緊張感がドンドン薄れていく……な、この二人といると」
 申は色んな意味で疲れ果ててそのままうずくまって動けなくなってしまいそうな気分だった。でも、ちっちゃなジーゼはそれすらも許してくれない。蝶々を見つけた、青虫を見つけたといっては申に持ってくる。しばらく、大人しくしているなと思ったら、アリの行列を眺めていたり。
「しん〜。あれ、何? ね〜ね〜」
「ハイハイ、ジーゼ。いい娘だから大人しくしていてね」
 好奇心が旺盛すぎて、もうやっていられない。子育てってこんなに大変だったのか。それが申の正直な感想だった。と、迷案(?)が申の頭に思い浮かんだ。
「ちゃっき〜」しゃがんでニコニコしながらちゃっきーの肩を叩いた。「ジーゼは任せた!」
 捨て台詞を残して申は一目散に駆け出した。森も近いし、ちょっとの間でもジーゼの質問攻めから解放されたい! それがたった今の申の切なる願いだった。その突拍子もない行動に度肝を抜かれたのは、普段は逆の立場のはずのちゃっきーだった。
「ええぇ」目もまん丸。「ちょっとちょっとぉ、そんな話、聞いて……え?」
 時、既に遅し。負けじと申を追い掛けようとしたちゃっきーはジーゼに握りしめられていた。
「いやぁぁあ、放してぇ。やんちゃガールはいやなのぉ。あ。でも、あとでお淑やかジーゼちゃまに戻ってくれるなら悪くないかも……って、やっぱり、いやあぁあ」
「ねぇ、ちゃっきーっておいしいの?」
 ジーゼの天使の微笑みもちゃっきーには悪魔の微笑みとほとんど変わりませんでした。

 申とジーゼとちゃっきーがエルフの森にたどり着いた頃、そこは既に半分焼け野になっていた。遅すぎたと自責の念もなくもないが、火事に関しては物理的にも時間的にもどうにもならなかったと申は自分を慰めていた。
「ここがエルフの森か……」
 小さな森だとは聞いていたけれど、実際に目の当たりにしてみるとかなりでかい。結局、精霊が住んでいるにしては小さな森ということらしかった。ザザ・ザ・ザザザ。申の接近に森が騒ぐ。
「――大丈夫、俺は何もしないよ。だから、安心してもいいんだ」
「そ〜。申ちゃまったら臆病だから一人じゃな〜にも出来ないの♪ ね〜」
「ね〜」小首を傾げて可愛らしくリトルレディのご挨拶。
 そして、ジーゼの登場で森の空気が一気に和らいでさっきまでの剣呑な緊張感などどこかに吹き飛んでしまった。梢がそよ風にさわさわと心地よそうに揺れだして。申はジーゼを見詰めていた。ホントにこの娘がこの森の主なのだと思わせる出来事だった。
「……キミたちって、案外足が速いんだね」
「そりはもう、超音速、マッハ〇・〇一、音速の壁を超えてますもん」何故か得意げ。
「……言っとくが、人間、走るのより遅いぞ、それ」
「うしょ?」呆然としたようにちゃっきーはあんぐりと口を開ききっていた。
「……。ま、そんなことはどうだっていいんだ。それより久須那がどこにいるのかを……」
 と思いだした。シェイラルに魔力をかけられた久須那の羽根。それを道しるべの代わりにしたらいいんだ。申は取り出しやすいようにとポケットにしまっておいたそれを取り出した。
「まだ、薄いオレンジ色……。遠いな……」ため息が漏れてしまう。久須那は一体どこまで行ってしまったんだろう。もしかして、久須那までもが天使長にやられてしまった? こんな荒れ果てた森の様子を見ていたら良くない予感もしてくるものだ。
「そ、言えばさ、ジーゼの精霊核ってどこにあるの?」
「え〜。教えて欲しい?」首をくいっと傾げて、お色気ポーズのつもり。「……えへへへぇ。申になら教えてあげてもいいかなぁ〜。じゃあ、ついて来てね」
 と言うが早いか、ジーゼはトトトと走り出した。
「あっ! ちょっと待て! ジーゼ。危ないだろ」慌てて申も追いかける。
 足場の悪い森の小道を旅慣れた申でもびっくりするほどの速さでジーゼが駆け抜けていく。最後に誰かの背中を追い掛けて走ったのはいつだっただろう。申はフと思っていた。一生懸命に追い掛けて、どんなに手を伸ばしても届かなかったあの暖かい後ろ姿。ジーゼの小さな背中と重なる? 思い出せそうで思い出せなくて、そのまま突然、開けた場所に出て視界がパッと明るくなった。
「う……?」申は額に手をかざして立ち止まった。
「これ!」ジーゼは深緑の水晶の前で自慢げに佇んでいた。
「これ?」ずっと、ジーゼの小さな姿を追いかけてきた申の視界には何もなかった。
「Oh!! Jesus!! なんてこったい!」
 いち早く気がついたのはちゃっきー。申の薬箱に乗っかってのんびりお昼寝かと思っていたのに、飛び起きるやいなや“これ”にダイビングしようとした。
「ダメッ!」ジーゼにあっさりと拒否されて、申に叩き落とされた。
「何をするんじゃい!」むくっと起きあがってちゃっきーは怒鳴った。
「お前が触ると精霊核が汚れる!」
 そして、申は改めてフォレストグリーンのクリスタルを見詰めていた。その横ではジーゼがニコニコと嬉しそうに微笑んでいる。不思議な出会い。シェイラルは申ならジーゼの精霊核と見れると言っていた。鍵は純心なのだと。
「申は触ってもいいんだよ。わたしを見つけて触れた人なんて千人に一人もいないんだから」
「そ〜です。申ちゃまはこれで一生分のラッキーを使い果たしたのです」
 ちゃっきーにそんなことを言われたのでは千載一遇の大チャンスも色褪せて見えてしまう。
「そおいうこと、今度からは口が裂けてもいわないように」
「いやなこったい! あっかんべ〜だっ」
「お〜。お前、いい度胸してるな。えぇ? その口、横に引き裂いてやる!」
「引き裂けるもんなら、引き裂いてみやがれ、この、あんぽんたん!」
「何だ? このすかぽんたん」
 申はちゃっきーの口の中に指を突っ込んで思いっきりイーッと引っ張った。
「ひん! なにすんひょ、この」ジタバタ。けど、リーチも足りなくて結局何も出来ずじまい。
「体格の差をきちんと考えないからだよ」
「ひ〜ん。もお、投げられるのなんていや〜ぁ」
「ま、そお遠慮するな? そのうち絶対に恋しくなるぜ?」
「ぜってぇ、なるもんかぁぁあ〜」
 余韻を残してちゃっきーは草むらに落っこちて見えなくなった。
 そして、申はちょっとだけ落ち着いて辺りの散策を始めた。この辺りには人の気配がない。色んな痕跡があってハンターたちもちょろちょろした様子もあった。けど、その中に久須那がどこに行ったのか手掛かりになりそうなものはなかった。
 でも、あれ? よく見ると草の根の方に埋もれるように白い手のひらサイズの軽そうな物体がちらりほらりと落ちていた。申は一際激しくそれらが散っている場所を見つけて一枚手に取った。
「……血の付いた羽根……。小さめなのと大きいのが……」
 申は草むらに散らばった白い羽根を拾い集めた。ここで何かがあった。踏み荒らされた雑草と、何かをどこかに引きずったような短い痕がある。その始まりには、申でさえ血の気の失せそうなくらいの血だまりがあった。
「……もう、サムには会えそうにもないよ――。司祭さま」
 と、申は不意にちゃっきーが戻ってこないことに気がついた。ホンのついさっきまでジーゼと一緒にはしゃいでいたのに。普段は疎ましいやつでも急に姿を消したらそれはそれで不安になる。
「――ちゃっきー?」申の呼び声に、草むらががさがさと動いた。
「申ちゃまぁ……」ちゃっきーはやけにショボンとしていた。「向こうにお墓があったの……」
「え……?」
「誰にも見つかんないようにひっそりと作ってあったの――。だって、ホラ、ついて来てよ」
 申はちゃっきーにズボンの裾を引っ張られて歩き出した。ものの数分も歩かないうちにちゃっきーの言ったものが見えだした。広場の方からちょっと眺めていたくらいでは死角になっている。剣が地面に突き刺さっていた。
「あれ……。サムっちの使ってた剣……」ちゃっきーがポヤンとした様子でそれを指していた。
 その横には白い羽根が寄り添うように突き刺さっていた。
「……久須那の羽根だ……。こっちの羽根とおんなじで、ちょっと小さくてオレンジ色」
「じゃ、そっちの紺色の輝きを持ってるのは?」
 ジーゼが申の背中から覗き込んでいた。しかも、申には感じ取れなかった羽根の輝きも感じて。
「ジングリッド天使長?」
「誰それ?」瞬間、キョトンとして、それから優しい眼差しで申に尋ねてきた。
「……。多分、一言で言ったら悪い人。でも、きっと、可哀相な人――」
「悪くて可哀相なの? ヘンなの〜!」ジーゼは頭の後ろで手を組んで空を見上げていた。
「帰りたくても帰れない。帰らせてもらえない……。でも――」
(きっと、切ない気持ちは誰にも判ってもらえない……)
 でも、いまのジーゼにこんな話は難しすぎるような気もしていた。案の定、ジーゼはキョトンとした表情で申を見詰めていた。その時、申はフと考えた。ジーゼはこの森がもとの様に成長するまでずっとこのままなのだろうか。だとしたら、この先何十年、何百年もジーゼは子供のまま。
「そっちに戻るよ。ジーゼ」申はジーゼの手を握って促した。
「ねぇねぇ、じゃあ、そっちのオレンジ色に見えるのは誰の?」
「天使の久須那の白い羽根だよ……」
「ふ〜ん……」判ったような判らなかったような気の抜けた返事をする。
 奥の茂みから戻ってきても、やっぱり、そこには深緑のクリスタルが存在していた。幻ではなかったんだ。申はこの森とやんちゃなジーゼに大切なゲストとして迎え入れられたことを悟った。けど、そのことで安寧に収まるわけには行かなくて、どうして久須那と合流したかった。
 この状況を見たら判る。戦いはまだ終わっていない。と言うことは、またいつ天使兵団がこの森に帰ってくるのか判らない。さっきもらった手配書の空気を読めば、そんなに間はない。しかも、協会の求めるウィル・オ・ザ・ウィスプを久須那が手中にしているのならなおさらのことだった。
「ちゃっきー。久須那がどこにいるか判らないのか?」
「う〜にゅ。おいら、残念ながら、久須那探知機は搭載していないのよねぇ〜」
「か〜。やっぱ、安物を買うとロクなことないね。いざって時に役に立たない」
「き、聞き捨てならねぇ!」
「お前なんか燃えないゴミで十分だよ」
 何を訳の判らないやりとりをしてるだろう。申は自己嫌悪に陥りそうな気分だった。こんなに楽しく弾んでいる場合じゃないのに、ちゃっきーのどんな時でも元気な有り余るパワーに圧倒されてこの有様だった。早く、久須那を見つけて一安心したいのに。ため息が漏れる。
「どおするか……」申は途方に暮れたように頭をかいた。
 と……、森を流れる空気が変わっていった。
『久須那は北へ向かったよ』
「北へ……?」
 思いもかけない助言に申は戸惑った。ジーゼは早々と失意から立ち直ったようなちゃっきーと戯れている。そうしたら、申に話しかけてくるものなんて誰もいないはずだった。じゃあ、唯一の可能性は精霊核? 少なくとも、申の知る限りではそんなことがあるわけがなかった。そんな中、ただ一つだけ確信したのは声の主が申たちを嫌ってはいないこと。と、ジーゼがちゃっきーと遊ぶのをやめて申の方に駆け寄ってきた。
「北」ジーゼがポウッとした様子で繰り返した。「北。ちっちゃな泉があるの。とっても綺麗で澄んだ水が溢れ出てる。みんな、“癒しの泉”って」
「……行くか、ちゃっきー。ここでポーッとしてるより百倍はましだぜ?」
「おう! 面白いんだったらどこだって行くぜ」ちゃっきーは大きくガッツポーズ。
「面白いかどうかは判らないよ。あっちは俺たちのこと知らないんだ。――敵だと……、協会の連中だと思われたら、俺たちじゃ歯が立たない、気がするんだ」
 どうしたら自分たちの真意を久須那に伝えられるんだろう。正直言って申は怖かった。天使。絶対的な強さの象徴。誤解されたら、それを説いてる暇もなさそうだ。でも、会ってみたい。ジーゼを森に連れてきた今、そして、サムもいなくなってしまった今、久須那を追い掛ける訳なんかないのかもしれない。けど、ここまで来たら、最後まで。
「でも、行くんでしょ?」ちゃっきーはニヤリ。
「そりゃね」申はジーゼの手を握って歩き出しながら言った。
「へへっ、さっすが、ジーゼちゃまの見込んだ白馬のナイト代理さまだね!」
「ちゃかすなよ……」
 短い下草をかき分けて進んでいく。その一歩を踏み出すたびに不安が募ってくる。北へ向かうと、シェイラルに魔力をかけられた久須那の白い羽根の薄いオレンジの輝きが増してくる。いるんだ。魔物と一戦を交えるときよりも申は遙かに緊張していた。
「あ〜ここだよ」トトトとジーゼが駆け出す。
「ここ? ……綺麗なところだ――。けど、誰もいない……」
 着いたところは青空の覗く小さな森の切れ目だった。それほど広い場所ではなかったけれど、安らぎを感じる。泉があって、せせらぎがある。これがあの騒ぎの直後なのかと、申には信じられないくらいの穏やかな雰囲気。
 それが突然、破壊されて申の後ろからドスのきいた女の声がした。
「お前は誰だ? 何のためにわたしを求めている? 賞金稼ぎならば容赦しないぞ」
 森を抜けて、この泉に足を踏み入れたときには誰もいなかったはずなのに。完全に不意をつかれ、背後をとられた。油断した訳じゃない。なのに、あっさりと動きを封じられてしまった。殺気立った空気が申の背中から伝わってくる。そう思った瞬間、申は振り返りざま剣を抜こうとした。が、それよりも一瞬早く矢が飛んで申の近くを炎に包んだ。
「……後ろを向くな。わたしを見たければ先に答えろ」声色がますます険しくなった。
「あ〜っ!」申の薬箱の上に陣取ったちゃっきーが素っ頓狂な声を上げた。「サムっちの七人目の彼女! この前はよくもおいらを置いてけぼりにしてくれたなぁ」
「だ、誰が七人目の彼女だ! わ、わたしには久……」七人目の彼女は口ごもった。
 まだ、相手が誰で、どういう目的でここに来たのか知るまではホントの名前を知られるわけには行かない。でも、どこかで落としてきたちゃっきーが一緒にいると言うことは久須那やウィル・オ・ザ・ウィスプを狙ったハンターとは違うのかもしれない。
「ね、申〜。ど〜しよぉ。わたしたち殺されちゃうの?」でも、何故か楽しそう。
「ね、ね、申ちゃま。これが久須那よ」ちゃっきーは申の後ろ髪をギュッと握って引っ張った。「とってもキュートでクレバーあ〜んど、クールな天使の久須那ちゃん。知ってる?」
「知らないよ。シェイラルさんから話を聞いたっても会ったこともないし、声だけじゃ判らない」
 ついでに、矢の的にされているようなのでお気軽に「やあ」などと振り返るわけにも行かない。
「シェイラルさん? お前はテレネンセスの司祭さまと知り合いなのか?」
「……」
 申が答えないでいると、ジーゼが大きく息を吸い込んで、勢いよく振り向いた。そして。
「やいっ! 久須那? わたしの森で勝手なこと、ぬかすな!」
「う……? ――お前がジーゼなのか?」
「そおよ! 文句ある?」ジーゼは両手を腰に押し当ててえっへんのポーズでお澄まし顔。
「い、いや、文句はないが……。その、聞いてた話とイメージが合わない……」
 天使が困ってる。隙が出来ていそうで、顔を見るなら今しかないと申は振り返った。
「……久・須・那?」思わず声が漏れた。
 その顔は手配書の似せ絵と全く同じだった。凍てつくような眼差し、瞳のうちに秘められた淋しさと凛とした厳しさ。でも、違った。駄々っ子ジーゼの扱いに困って、戸惑ってちょっとだけオロオロしている姿の裏側には暖かさが滲み出して見えた。
「――お前が久須那なのか……?」
 申は期せずして放心してしまったかのように問い掛けていた。