12の精霊核

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12. seres vs. kusuna(セレス 対 久須那)

「は〜ん。こんなところに出入り口があるなんて、不思議ね」
 デュレたちと別れて、セレスたちはシメオン大聖堂の裏手に回っていた。こっち側はどこまでも続く塀があるだけで、大通りに面する表側と違い閑静なたたずまいを見せていた。
「協会と袂を分かったときにサムに教えてもらったのさ。ここからだったら、礼拝堂や広間、大回廊のような人が集まる場所、人目につきやすい場所を避けることが出来る」
 リボンはセレスを見上げ悪戯に瞳を煌めかせながら微笑んだ。
「と言うが、ここで長居すると不自然なことこの上ないと思うが……。どこまでも続く塀の前で、しかも、壁を見詰めながらのお喋り――」半分は呆れているらしい。
 指摘されるとリボンは不機嫌そうに呟きながらバッシュを睨め付けた。
「……判ったよ。けどな、無駄話が好きなんだからしょうがないだろ?」
「そんな集中力のないことをやってるから、久須那の流れ矢に当たるんだ」更にぶつぶつ。
「え? バッシュ」セレスは嬉々として尋ねた。「シリアくんって、そんな大失敗したことあるの? それでどうなったのさ? 生きてる……って、そこにいるなら生きてるか」
「バッシュ……。不名誉なことまで喋るつもりか?」仏頂面。
「今じゃ、笑い話だ。別に構わないだろう?」
 バッシュは悪辣に笑う。そこまで言われたら、リボンは打つ手がないのか何やら聞き取れないような小声で文句をたれていた。そして、バッシュの声を無視するかのように石塀に隠された扉を身体全体を使って開け、中にそそくさと消えていった。
「ま、いつだったかまでは覚えてないけど、イグニスの矢がシリアの尻尾に当たって、燃えた♪ 松明みたいによく燃えて、腕試しどころじゃなくてね。火を消すのに大変だったよ。イグニスの炎はちょっと特殊だから、氷で封じ込めるのが一番だが、氷使いの本人は尻尾が燃え盛って魔法なんて考えにも及ばない有り様だろ? あとは水も氷も使えるのがいないから……踏み消したよ、あたしが」バッシュは暗い燭台に照らされた足元を見ながら思い出し笑いをする。
「それで、リボンちゃんの尻尾はどうなったの?」
「うん? 消し炭になったぞ、見事に。あの時のショボンとした顔はなかなか忘れられない」
「あははっ!」セレスはお腹を抱えて笑いだした。「見たかったなぁ。それ」
「どうしても見たかったら、燃やしてやればいいさ。余裕があれば――だけどな」
「あはっ♪ いい考え。やってみるわ」
「ところで、リボンちゃんってシリアのことか?」
「そうだよ。シリアくんのつやつやの素晴らしい毛並みをリボンで縛ったら面白いかな〜って思ったから、リボンちゃん。初めて会った時からそう呼びたいと思ってたけど、失礼かなって」
 ホントの理由は隠して、セレスは敢えてそう言った。
「――リボンちゃん? リボンちゃんか。いいな、それ」
 バッシュはセレスを伴って大聖堂内部に入った。流石に隠し扉の近辺だけあって人がいない。悪さをしてるわけではないのに、こそこそとしてるというだけでドキドキする。子供の頃に感じた冒険への憧憬。だから、締め付けられるようなドキドキではなく、血湧き肉躍る弾むようなドキドキだった。
「ね、ね」セレスは落ち着きなくキョロキョロしながらバッシュの袖を引っ張った。
「こらっ! 千切れる。引っ張るな、懐くな、暑苦しい」
「デュレみたいなこと言わないでよ、バッシュ。好奇心、あたしの飽くなき好奇心と探求心を満たしてく・だ・さ・いっ!」セレスはバッシュの顔を下から可愛らしく覗いた。
「その気持ちは判るけどな。といって大聖堂を歩き回られても困る。あたしたちと協会は敵対関係にないとはいえ……、とても微妙な関係だからな。余計な波風は立てられない」
「……協会は久須那のシルエットスキルの存在って知ってるの?」フとセレスは考えた。
「知ってるような知らないようなだな。こお言うチャレンジの監督役を引き受けたのは第三者のリボンちゃんで、協会関係者は入れなかった。セレスも知ってるだろ? 時期的に協会内部は混乱の極みにあったからだ。ちなみに、あたしはただのおまけだよ」
 バッシュの答えにセレスは久須那の絵が二百何十年もシメオン遺跡に置き去りだったわけが判ったような気がした。協会はその存在を根本から揺るがすかもしれない「十二の精霊核」に関与しないスタンスを一貫して、いつしかこんな他人行儀なことになったのではないかと。
「じゃ、もう一つ……バッシュはどこでリボンちゃんと知り合ったの?」
「さあ? 久須那に勝ったら教えてやってもいいぞ」バッシュはいたずらっ子の笑みを浮かべた。「さ、そこを右に折れたら、地下への階段がある。ずっと下に降りていけば」
「あたし、真っ暗いところは嫌いなんだよねぇ。バッシュ、カンテラ持ってないの?」
「持ってない。けど、先に行ったリボンちゃんが燭台に火をつけてると思うけどな」
 セレスとバッシュは大聖堂内部で人に会うことなく、地下への階段を下りていた。最初は乾いていた階段も下に向かうにつれ、じめじめとし始めた。たった二日前に通った階段と何も変わらない。二百二十四年の刻もここにはまるで無関係のようだった。
 天井から滴り落ちる水滴も、苔むしてちょっぴりフワフワする床も、カビに湿気った壁も、二百二十四年後と何一つ、変わっていなかった。
「ねぇ、ねぇ、もしかして、この長い階段のどこか物陰にオオカミみたいのとかいない?」
 セレスは思わずバッシュの長い髪を後に引っ張り、勢いでバッシュはバランスを崩して後にひっくり返った。数秒が永遠にも思える沈黙のあと、バッシュは険しい眼差しをセレスに突き刺した。
「あははっ……。――ごめんちゃい……」セレスは壁に手をついてうなだれた。
「――? お前ら、何をじゃれあってるんだ、そんなところで?」
 バッシュが階段に尻餅をついているところに丁度リボンが戻ってきて、訝しげな眼差しでセレスとバッシュを見比べた。けど、質問攻めにはしなかった。別段、ケンカしたのでもなく仲良さそうだから、問いただす意味もないと判断したらしい。
「意表をついて、髪を引っ張られたんだ。仕方がないだろ?」
「ほうっ! 後に目がついてるバッシュでも油断するか?」嬉しそうに尻尾をパタパタ。
「お前もうるさいやつだな。相変わらず」
 バッシュはしゃがみ直して体勢を整えると、リボンを抱き上げた。
「おいおい、何をするんだよ」
「――太った?」リボンと目を見合わせてバッシュは訝った。
「ふ、太った? 失敬な。オレのスレンダーボディを捕まえて何を言う!」
「だって、この間、抱き上げたときより重くなったぞ、ちょっとだけ。――ま、取りあえず、余計な話に花を咲かせられたら長いから、このまま運んでいこうと思って」
「な? そんなんだったら下ろせ!」
「いやだ」取りつく島もなくバッシュはきっぱり言い放った。「これ以上のタイムロスは御免だ。ここでのったりくったりやってたんじゃ、日が暮れるだろ? それぐらいなら少し重くても持っていったほうがいいよ」
「何だそりゃ? いい、やめ、下ろせ。カッコ悪い、サスケが笑うだろ?」
 リボンはバッシュの腕の中から逃げ出そうとジタバタした。
「てーこーは無意味だ♪」バッシュはニンマリとした。「あたしの腕力をなめるなよ」
 そう言ってバッシュはリボンを抱っこしたまま階段を降りていく。
「無意味だって言われても。はい、そ〜ですかと引き下がれるか」
 セレスはこれから始まる戦いのことは頭になくて、リボンの珍しい姿を見れて上機嫌だった。リボンをデュレと二人で枕にしたことはあるけれど、誰かに抱き上げられる姿は初めて見た。
「へへ〜♪ そうやってるシリアくんって大きなぬいぐるみみたいで可愛いね♪」
「可愛い??」満更でもない様子で、リボンはバッシュの腕から身を乗り出した。そして、バッシュの斜め後ろを歩いているセレスの顔を覗いて、パタパタと尻尾を振り出した。その尻尾の先がちょうどバッシュの鼻先をくすぐった。
「くしゅんっ! ……シリア、このジタバタしないで大人しくしていろっ」
 バッシュは両手が塞がってるので仕方なくリボンの腰の辺りを頭でごりごりとやった。
「く、くすぐったい。やめろって。い? 痛い。痛たた。やめ、やめっ」
「あははっ♪ 二人とも楽しげで仲良くて、いいよね」
(……あたしも帰ったらリボンちゃんとこんな風になれるのかな。もっとうち解けて、もっと自然に仲良く。全部、話せる日が来たら、たまに見せたよそよそしさなんてなくなるよね)
 バッシュとリボンが仲良くしている姿を見ると、セレスは切なくなった。心のどこかでバッシュに嫉妬している。リボンをとられたような気がしてならならかった。“リボンちゃんはあたしのもの!”とは口が裂けても言えるはずがない。
 と、セレスがやり場のない嫉妬心を抱えてもやもやしていると暗闇の奥から声がした。
「汝ら、誰の許しを得てここに立ち入った。――早急に立ち去るならば手出しは……」言葉が切れた。「何だ、親父もバッシュも一緒に来たのか。詰まらん。と言うことは……後ろからくっついてきた若い娘がそうなのか? それはそうと……何で、親父はバッシュに抱かれてる?」
 サスケに言われて、バッシュとリボンはしばらく顔を見合わせた。
「――下ろしてくれ、バッシュ」
「……そうだな」バッシュは腰をかがめてリボンを床に下ろした。
「――先を急ぐか」どうも、ばつが悪い。「どうせ、すぐそこだ」
「しかし、女の子を連れてきたのは初めてじゃないですかね?」興味津々にサスケが言う。
「バッシュだって、女の子だろ? 昔は」リボンはちょっとつっけんどんに答えた。
「『昔は』余計だ」バッシュは弓の元弭でリボンの後頭部を突っついた。
「遊ぶな、バッシュ」バッシュはすいっと弓を引っ込めたがちょっぴり不満そうだった。
「真面目に答えろよ、親父どの」
「――」リボンはサスケの横を通り過ぎながら、彼を流し目でみた。
「さあな。セレスの後ろ姿を見付けた時、こいつだと思った。不意にだ。理由なんかないよ」
「なぁ、サスケはこの言葉、千三百年の間に何回聞いた?」
「のべ二千六百八十四回だ。そのうち、いいところまでいったのが二人か三人。お話にもならないやつが約二千人。まあまあ様になったのが六百人くらいかな?」
「終わるのは〇・一パーセントか、それ以下ってことだ」
 セレスは嫌な会話を聞いてしまったような気がした。勝機は一分以下だと言われたら、やる気など紙くずよろしくどこかに消し飛んでしまうと言うものだ。セレスは頭の後ろで手を組んで、見えもしない天井を探しながら、思いを巡らせた。と、不意に。
「……ねぇ、帰っちゃ、ダメ?」
「ダメッ!」三つの声が重なって、三人が一斉に振り返った。
「……あっそ。だったら、気分が萎えそうなこと言わないでもらえる?」
 そう言いつつ、セレスは戦いに向けて神経を集中させ始めた。デュレがいて苦戦した相手に、今度は一人きり。バッシュには期待するけれど、リボンもサスケも手を貸してはくれないだろう。
「ここだ」リボンが真剣な面持ちで言った。
 螺旋階段の底の底。後の時代に自分が再び訪れることになる不思議な場所。けれど、ひょっとしたら来ることはなくなってしまうのかもしれない。自分はほつれかけた時の糸を渡っているのかもしれない。セレスにはデュレのようにははっきりしない漠然とした不安があった。勝ち負けではなくて、自分自身の存在そのものについて。
「……セレス、どうかしたのか? 顔色が良くない」
(そりゃ、悪くもなるって……)セレスはリボンの顔を物憂げに見詰めた。
「ううん、何でもない。久須那ってどんな人なのかなぁってさ」
「……。すぐ判る。そっちの壁を見てみろ」リボンは顎をしゃくってその方向を指した。
「絵……」薄暗くてよく見えないけど、あの日に見たのと寸分違わず同じに感じた。
 淋しそうな鳶色の眼差し、白い服、白い靴、白い翼。切なく胸が痛む。絵に封じられて、千三百年もの時を過ごすのはどんな気持ちなんだろう。セレスはただじっと何者かを見ている久須那の眼差しを見詰め返していた。
「どうして、“絵”だったの」セレスは絵から目を離せずに言った。
「……魔力が言葉に託すものだとしたら、絵は魂、心、身体……。そう言った実体からスピリチュアルなことまでどう封じるかと考えた時、最も有効な手段なのさ。“言葉”では表現しきれない久須那の全てを絵に託し、封じたのさ――」
「古くからある魔法だが、術者も限られたウルトラD級の魔法だ」バッシュだ。「何分、普通の雷やら、炎とか言う通常の魔法と違って、封印魔法は扱う情報量が格段に多いんだ」
「光と炎の高次魔法だって聞いた? 違うの?」
「――それはわたしのことだ」
 あらぬ方向から声が聞こえた。三人がいるのとは反対側、絵の向こう側の薄暗がりに人影が見えた。それは静かに歩み寄ってきた。シルエットが次第にはっきりし、輪郭が判る。弓を持ち、黄金色の天使の輪があり、白い翼があった。
「久須那本人。と言いたいところだが、彼女は久須那のシルエットスキル。セレスの言ったように光と炎の高次魔術だ。いわば、オリジナルのコピー。だが、久須那本人のスキル、思考パターン全てを持ち。ここからが重要だ」リボンは言葉を切り、セレスの瞳をじっと見詰めた。「いいか?」
「う、うん……」セレスは固唾をのんだ。
「久須那とそのシルエットスキルは記憶と経験を共有する。一心同体と言っても過言ではない。シルエットスキルが感じたことは久須那も感じる。ただ……シルエットスキルに命はない」
「……は?」セレスはキョトンと首を傾げた。
「――ひょっとして、説明するだけ、無意味なのか?」がっかりしたようにリボンは言う。
「説明する必要はないんじゃないか?」バッシュは階段近くの壁に腕を組んで寄りかかっていた。
「そりゃ、あたしがバカだって言いたいのかいっ」
「そうじゃないさ。勝たなければ教える労力が無駄になるってこと」
「どっちでも一緒じゃん、そんなの」セレスは不機嫌に文句をたれた。そして、不敵な、決して憎めない朗らかな笑みを浮かべた。「けど、勝てばいいんでしょ? 勝てば」
 軽口はたたけても自信はいまいちだった。相手は久須那で、しかもさっきからセレスに突き刺さるような鋭い眼差しを向けていた。見詰められている背中がムズムズするようで居心地が悪い。
「セレスと言ったか? ――準備は……いいか?」
 セレスは久須那の目をじっと見据えて、無言でうなずいた。
 久須那の瞳には微かな光しかない。まるで、無機的で感情を持たない機械のように。あの時と違う。セレスはつい二百二十四年後の久須那と比べてしまった。『感情はない』リボンがそんなことを言ったのは覚えている。けれど、楽しそうだった。だから、この久須那は初めて会う自分に対して感情を押し殺していると思った。となると、手強いどころの騒ぎではない。
「へへ〜。ちょっとは手加減して欲しいかなぁ。なんて」
 試しに言ってみたけれど、言うだけ野暮だったらしい。久須那は一瞬だけ面白おかしそうにクスリとすると、弓を構えた。けど、そこに矢はない。久須那が使いたいと思えば虚空から姿を現す。だから、矢筒に手を回さなくて済む分だけ早く射れる。それは魔力を矢にするイグニスの弓の特性で、久須那はそれを巧みにいかし連射する。実際、連射はボウガンでもない不可能なほど難しいのに、久須那はいかしいとも簡単にやってのける。セレスの狩猟用の大弓では絶対に不可能な技だった。そして、セレスはまさにその瞬間を目の当たりにした。
 弓の照準をセレスにあわせたとたんに久須那の目の色が変わった。
「手加減は――なしだ!」
 矢を放ち、その次の瞬間には新しい青白い矢が矢摺から沸き上がるように現れる。久須那は矢筒から矢をつがえる動作を省いて、弦を引くことが出来る。そして、久須那は微笑んだ。セレスはその自信に満ちた微笑みにとても嫌なものを感じた。
(……来るっ)と思った瞬間、久須那は四本、五本と矢を連射してきた。
 セレスは勢いよく床を転がって辛うじて矢を避けた。外れた矢は石の床に深々と突き刺さり、矢自体が燃え尽きるまで辺りを青白く照らしていた。
「うわっちゃっちゃ。何か、ぬるっとしたっ! 気持ち悪い」セレスは思わず床に触れた手のひらを見た。「何これ? 水カビ? コケ? ――血?」
 気持ちがそれた瞬間、再び矢が射られた。セレスはしゃがんだままの無理な体勢で飛びすさった。さっきまでいた場所に矢が突き刺さり、青く燃えていた。けど、それを綺麗だなんて眺めている余裕はなかった。ちょっとでも止まっていたらそこを目掛けて矢が放たれた。
「ホントに手加減なしだね。あんなもの当たったら本気で死ぬわ」
「無駄口を叩いてる暇なんかないだろ?」とバッシュ。
「ま、ね」と言いながらもまだ余裕はあった。
 しかし、バッシュに気をとられた瞬間、眼前、数メートルのところに青く輝く矢が見えた。手加減はない、刹那の油断でも死を招くとセレスは感じた。
(避けなくちゃ)思考のスピードに身体がついていかない。
 やられると思った瞬間、矢がセレスの頬をかすめて後ろの飛んでいった。触れなかったはずなのに、頬が熱い。セレスはおっかなびっくり頬に触れた。
「っ! 痛っ! ……血? 触ってないのに……」
「言っておくが、セレス。これは威嚇だぞ」久須那はクスリと微笑んだ。
「……これからが本番ってことですか?」負けじとニヤリ。
「何とでも、お好きなように」
 挑発されている。普段のセレスならすぐに乗ってしまうところだが、そこはぐっと堪えた。
「ちょ、挑発に乗るほどあたしはバカじゃないやいっ!」
「そうか? わたしにはそう見えない。熱しやすく、調子に乗りやすい楽天家」
「はいはい……。もう、どうでもいいわ。好きに呼んでっ!」
 セレスは矢を放つ。けど、久須那には問題外のようで全く動かずに弓で矢をたたき落とした。
「ありゃりゃ。あたしの矢をたたき落とした人なんて初めてだわ」妙に感心してセレスは言った。
「そうか? ほめてくれてありがとう」嬉しくもなさそうだ。
「別に無理しなくてもいいよ」セレスは右手をひらひらさせた。
 けど、そんな態度と言葉とは裏腹にセレスは極度の緊張を強いられていた。今度は剣を渡してくれるウィズも、支援魔法を唱えてくれるデュレもいない。リボンはあの時と同じように闇に姿をくらませ、バッシュは流れ矢に当たらないように部屋の入り口の壁に寄り掛かっていた。
(射程武器じゃどうにもならない……)セレスは額の汗を拭った。
 だからといって、短剣を使える間合いに飛び込もうにも近付くことさえままならない。久須那を間近にみたのが夢幻のようだ。あれはわざとだったのに違いない。
 フと気がつけば久須那はセレスの前から姿を消していた。自分の心臓の鼓動と石の床と靴がこすれ合う音しか聞こえない。怖い? 違う、恐怖は感じていたなかった。ただ、背中が異様に不安だった。壁に背をつければいい。けど、イグニスの矢を連射されたら終わりだ。
 けど、じっとしていても状況は改善されないばかりか悪化する。止まっていたら久須那はほぼ確実に矢を連射してくるとセレスは読んだ。
「いつまでそうやってるつもりだ? セレス」
 虚空から届く久須那の声はセレスの焦りを増大させた。敵の姿が見えずにこれだけの不安と焦りに駆り立てられるような衝動に囚われたのは初めての経験だった。あの時でさえ、デュレがいた。例え、不利でもデュレがいたら負けないと信じられた。
「うるさいっ。真剣勝負なんでしょ? 居場所をばらしてもいいのかっ」
 虚勢を張るしかない。そんなことをするだけ無駄だと判っていてもやらずにはいられなかった。ちょっとでも自分を有利に見せたい。そう願っても久須那にお見通しなのは明らかだった。
「居場所が判ってるなら仕掛ければいいさ。それだけのことだろ?」
 冷たく凍りついた声色の中に凄まじいまでの自信が込められていた。
(……あの時の久須那と違う――。本当に最初なんだ)
 と考えたら、1516年の久須那は全てを知っていたんじゃないだろうかという疑念に囚われた。手加減はしないと言っていたのに、まるでセレスたちの実力は既にはかり終えていたかのように軽くあしらわれていたような気さえしてきた。
「落ち着け、セレス。まだ勝機はあるぞ。お前はデュレに何をもらった?」
 バッシュは壁にもたれ掛かったままセレスにアドバイスをする。さも、興味なさそうにさりげなく。けど、それだけでもセレスには十分、ありがたかった。
「闇護符! え、え〜、な、何をもらったっけ?」
 セレスは慌ててウェストポーチの中をまさぐった。そして、見付けた。
「って、読めない! じゃない、裏、裏、。え、え〜と……」
 けど、闇護符を使うにも久須那が姿を現してくれないと狙えない。あてずっぽも悪くはないとも思うけど、デュレが渡してくれた物を無駄にしたくない。セレスは取りあえずダークフレームの護符を手にとった。久須那の気配を感じろ。神経を研ぎ澄ませれば、必ず見付けられるはず。久須那に気取られていたとしても、多少の効力はあるだろう。
(……見付けた……)セレスは微かな久須那の気配を感じ護符の方向を定めた。
「えと……。キャリーアウト!」
 解放の言葉を唱えると闇護符の中央に描かれた魔方陣が発光しだした。瞬間で過ぎ去るこの光景もセレスには永遠のようだった。護符が発光し、デュレが封じた魔力が護符を灰にしながらほとばしった。初めはもやもやとした霧状の雲が次第に形を持ち、黒っぽい炎に姿を変えた。それは護符を向けた方向に一直線に飛んでいった。
「マジックシールド!」
 虚空から久須那の声がした。すると、シルバーに輝く歪曲したシールドが出現し、その向こうに久須那が現れた。セレスの放ったダークフレームはシールドに吸収されるように分散して消えた。
 そして、セレスはこれを絶好のチャンスと心得た。久須那が姿を現し、セレスが闇の簡易魔法を使ったことに少し驚いているようだった。ならば、今しかない。セレスは矢を放ち、それと同時に切り込もうとした。が、久須那の瞳はセレスをとらえていた。
「そんなんじゃ、わたしを惑わせないぞ」クスリ。「ファイアーボルト!」
 セレスは久須那が炎術使いであることをすっかり失念してしまっていた。炎の球が虚空からいくつも浮かび上がってセレスに向かって飛翔する。と言って、避けられないほどの速度ではなかった。セレスはぐっと左足に力を込めて、右側に飛び退いた。
 と、ずっと後ろの方で悲鳴がした。
「あっちぃ! このっ、久須那! 今のはわざとだろ?」
「……そんなところで、寝そべって観戦なんかしてるからだ」すっかり冷めた口調だ。
「何をやってるんだ、シリアのやつ」バッシュは頭を抱え、首を振りながらため息をついた。
「はぁ? そりゃ、尻尾だって燃えるってさ」
 セレスは久須那のことなんか一瞬忘れて呆れかえる。けど、今回は見逃してくれたようだ。
「――、闇魔法を使えるのか?」感心した声がセレスの届く。
「違う。あたしじゃない。友達が使えるの」
「――」しばらく、いらえはなかった。「――他人が使えるように護符を調整できるとは心強い友人をもっているな。――が、それは関係ない」
「へへっ♪ やっぱ、そう来なくっちゃね」言葉とは裏腹に途方もない恐怖を味わっていた。
 勝ち目がない。これがジングリッドを倒した天使の力。セレスは身をもって感じていた。けど、どこかに必ず逆転のチャンスがあるはずだ。それをものに出来なければセレスも過去の挑戦者よろしくけちょんけちょんにされるほかなかった。
(困ったな……。残った護符はシャドウカッターとフライングスペル。どう使おう)久須那がいなかったらそのまま頭を抱えてうずくまりそうな勢いだった。(……。これ、同時に使ったらどうなるのかな……?)
 セレスは良からぬことを思いついた。デュレがいたらまず間違いなくやめろと言うだろう。合わせ魔法はパワーが桁外れに大きく、魔法をかじったばかりの素人には危険な代物なのだ。けど、それをとやかく言うお目付役のデュレはいない。となったら、セレスにはやってはいけない理由がない。この状態を打開して、好奇心が満たさたらそれでいいような気がする。
「ちょっと、御法度をやってみようかなぁ……」
 セレスは呟き、悪戯っ子の笑みを浮かべると、二枚の闇護符を同時に久須那に向けて掲げた。
「へへ〜♪ いっけぇ〜っ! キャリーアウト!」
 掲げた護符はさっきと同じ風にそれ自身を灰にしながら魔力をエネルギーや物質に転換する。護符はその中に封じ込められた魔力の分だけ力を発散する。そこから解放されつつあるデュレの魔力が三日月状の刃物に姿を変え、回転しながら久須那に向け吹っ飛んでいった。
 さらにフライングスペルがシャドウカッターに新たな力を与え、加速するものや、壊れてしまうものも幾つかあったが――、“飛翔”の力を得て普通のシャドウカッターでは考えられない方向に飛んでいき、それでもなおかつ久須那を目掛けた。
「……。あんまり変なことはするもんじゃないのね……。デュレ、いなくて良かったかも」
 セレスは左肩にかけた弓を床に下ろし、腰ベルトに真横に付けた短剣を逆手に握った。そして、一気に間合いを詰める。久須那はシャドウカッターを避けるためにさっきのシールドをはるとセレスは読んだ。けど、マジックシールドは物理攻撃を阻止することは出来ない。それがセレスのねらいだった。加速されたシャドウカッターの陰に隠れて久須那の胸ぐらに飛び込んでやる。
 セレスはダッシュし、ちょうどシャドウカッターの三日月刃が久須那のシールドに呑まれ霧散したところにぬっと姿を現した。
「何?」思いも寄らないセレスの行動に久須那がたじろぐ。
 普通は呪文を発動させた直後にそれを追って自らの武器で攻撃はしない。自分が巻き込まれてしまうからだ。セレスは、本人はまるで自覚していない無謀な賭に出た格好になる。
 セレスはダッシュした勢いのまま久須那に飛びかかり、左手で首を押さえつけ、右手で短剣をさやから引き抜き久須那を斬りつけた。けれど、セレスの手はそこで止まった。
「どうした? さあ、刺せ。勝者の権利だ」劣勢なのに余裕さえある。
「あ、う――?」
「どうした? ――殺すのが……怖いか?」クスリとする久須那の前に瞳を釘付けにされたまま、セレスはピクリとも動けなかった。「殺さないと終わらない。と言ったら?」
「……」セレスは答えられなかった。
「フフ……。そんなに怯えた顔をするな。これは試験だからな……、無茶は言わない――」久須那の瞳が悪意に煌めいて見えた。「などと、わたしが言うと思うのか?」
 久須那は茫然自失気味に動きを止めたセレスの右手首を掴み、遠慮なしに捻った。
「うぐっ」短剣が床にカランと乾いた音を響かせながら転がり落ちた。
 そして、久須那はセレスの右手首を掴んだまま身を翻し、セレスを背中から床に落とした。
「はっ、あっ」一瞬、息が出来なくなり、喘いだ。
 久須那は床に転がったセレスの短剣を素早く拾い上げると、セレスを組み敷きその喉元に容赦なく短剣を押し付けた。久須那は床に膝をつき、膝でセレスの脇を完全にかためていた。
「形勢逆転、さあ、どうする?」久須那は悪辣な笑みを浮かべた。
 どうすると言われてもセレスは身動き一つとれなかった。ちょっとでも動けば、短剣の刃が頸動脈を切り裂かれてしまいそうだった。どうにも出来ない。
「……負けを認めるか? それとも、ここで死ぬか……」セレスと久須那は睨み合った。
「――わたしのセレスをどうするつもりですか? 久須那さん」
 広い地下室にここにはいないはずの女の声が響いた。
「どうして、キミが……こんなところに……。キミは、キミはいつだってあたしの邪魔をする。何で、そんな、……。ちょっと、『わたしのセレス』ってどういうことなのさっ!」
 壁により掛かるバッシュの隣にいつも見慣れた学園制服姿のデュレが立っていた。