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18. angel with black wing(黒い翼の天使)
今日は朝から天候が悪かった。昨日までのすがすがしさはすっかりと影を潜めて、不穏だった。それは何かよくないことが始まる予兆のようにも感じられた。
「嫌な予感がします」
朝食の席でデュレが言ったをセレスはよく覚えている。サラダを黙々と口に運びながら、どこか上の空に食事をしていた。そして、今日もデュレは特訓、自分はリボンと一緒にこの辺りにあるという“マリスの洞窟”探してみようと思っていた。何も起きなければ。
「アルタも丸くなったな」
「そうかな、レイヴン」アルタは厳しい眼差しをレイヴンに向けた。「シメオンに追い立てろと言ったが、簡単には帰さない。……いい機会だ。俺たちに手向けるとどうなるか教えてやれ」
「成る程。そお言うわけですか。愛の鞭……か」ニヤニヤしながら、レイヴンは言う。
「バカを言うな」冷めた風にアルタは言った。「……いいか、連中には闇魔法の使い手がいる。今はまだ……恐れるに足りないが、やがて――」
「ふん? そいつは消した方がいいのか?」
「いや」首を横に振る。「そんなのはどっちでも構わない。戦闘領域を闇の属性にするなと言うことだ。レイアはこの時代で一、二を争う使い手だからな。お前が人間風情に後れをとるとは全く思っていないが、念のためな」
「いつも、お前の娘と共にあるダークエルフじゃないのか?」
「あれか?」アルタはぴくっと眉をつり上げた。「あれは……パワーは桁外れだが、使い方を心得ていないただのヒヨッコだ。そいつの将来を潰すのもいいが、目先のことを片づけるのが先だな。明日、明後日にはシメオンにいてもらわないと困るんだよ」
何が望みなのか。レイヴンにも推し量れないところが幾つかあった。ただ、現時点ではアルタと利害が一致している。それが二人の危うい協調関係を支えていた。
レイヴンは瞬間でその不可解な疑問を振り払った。
「闇のレイアか。あいつは闇だけでなく、他も行けたよな。例えば、風。水」
「人間としてはハイレベルだな。だが、レイアの得意魔法は闇属性だ。そこを押さえておけば他はとるに足らない」とくに珍しいことでもないと言いたげに、アルタは興味を示さなかった。
「……とりあえず、アルケミスタ近辺のフィールド属性を光属性に寄せておくか? ……効果は薄いと思うが、それでも全てフルパワーで来られるより少しはましになると思う」
「そこら辺はお前の好きにしたらいい。ただし、適当なところで負けてやれよ」
レイヴンは何とも釈然としない回答に少し戸惑いを覚えた。
「なぁ! アルタ。何を望んでるんだ?」両手を広げ、とても訝しげアルタに詰め寄った。
「……マリスを覚醒させること。その為、その後……かな? にあいつらがいる――」
アルタはレイヴンの瞳をじっと見詰め、それ以上は喋ろうとしなかった。
「判った」
レイヴンも問わない。問うたところで大体は気の利いた答えは得られない。その都度、必要最小限の情報しか漏らしてくれないのをレイヴンは過去数十回のセッションで心得ていた。かといって、この小さな同盟を破棄するつもりもなかった。
「よろしく頼む。俺は野暮用のあと、一足先にシメオンは地下墓地に行ってる。レイヴンはあいつらをシメオンに追い立てたら、マリスを連れて、そこに来い。いいな?」
「了解っ」あまり有り難くもなさそうな気のない返事をした。
アルタはレイヴンの気のない返事も気にせずに自分の目的に歩き出した。スラックスのポケットに両手を突っ込んで振り返ることもなく。レイヴンはアルタの姿が見えなくなるまで見送っていた。正直なところ、レイヴンはアルタの嫌味なほどクールな態度が気に入らない。そのせいなのか、レイヴンはついアルタの後ろ姿を追い掛けてしまう。
レイヴンは髪をそっとかき上げると、やるせなさそうに首を横に振った。
「さてと、俺もぼちぼちやらせていただきますか……」
レイヴンはタッと地面を軽く蹴って、空へ舞い上がった。街がパノラマ、小さな模型になるまで上空にあがると、レイヴンは静止してアルケミスタを見下ろした。
「碧空遙かなる神の領域より降り立つ純粋なる光の思考よ。彼の使徒たる天の使い、レイヴンとアルケミスタに光の加護を与えたもう。――スパークルフィールド」
同時に街全体を淡い光が包み込んだ。スパークルフィールドはある領域を光の属性に引き寄せる間接魔法だった。癒しを強く、闇を退けるほどのパワーはない。幾分、闇の属性が弱められるくらいで、夜が来たら、このフィールドはすぐに崩壊してしまう。けど、同時に同属性の光のパワーをこちらもほんのちょっとだけ強める効果があった。
スパークルフィールドが効力を発揮したことを確認すると、レイヴンは深呼吸をした。次の呪文を詠唱するためだ。通常は黒い炎の攻撃魔法を使うが、より広域を破壊するなら光が上だ。レイヴンは光魔法で数少ない攻撃魔法を使うために詠唱を始める。
「天空に住まう光の意志よ。我が右腕に宿り、全てを滅する破壊のパワーを体現せよ」
すると、身体の前に差し出された右手の平に光が集まりだした。レイヴンの見ている場所はアルケミスタでもっとも大きな中央広場。噴水が美しい住人たちの憩いの場。
「ターゲッティング……」手のひらを広場に差し向けた。
レイヴンは瞳を閉じ、大きく深呼吸し、カッと目を見開き実行の合図を言葉に表した。
「――光弾!」
刹那、レイヴンの右手から青白い弾丸が幾重にもほとばしった。それは実体を持たない高エネルギーの光の弾。通常用いるマジックシールドなら容易く分解、貫通する。物理的な防御もかなり難しい部類に入る。光弾は波長が短く高エネルギーのために数十センチの石壁などないに等しい。全てを一撃の下に破壊し灰燼と化す。
ドォォオオォオン。
激しい地響きと共にレイヴンの光弾が幾筋も着弾し、破壊の限りを尽くす。石畳がめくれあがり紙くずよろしく宙を舞う。建物が瓦解し、あちらこちらから炎と煙、埃に包まれた。人々は家から飛び出し、街の外へ逃げ出そうとした。怒号と悲鳴。一瞬にして、アルケミスタを阿鼻叫喚の地獄絵図にたたき込んだ。
「……下らないな。破壊など」
上空から逃げまどう人影を見て、レイヴンは呟いた。そして、ついにレイヴンはシェラの教会を選んだ。初めから、教会を狙ってもよかった。だが、あからさまに標的にしているという意志を気取らせるわけにはいかないのだ。レイヴンは右手を教会にかざした。
「ねぇ、デュレ。街が騒がしいね」
セレスの言葉を聞いて、デュレとレイアは二階に駆け上がった。それを追い掛けて、セレスが二階に上がり、バッシュは半分渋々、シェラの傍らに残った。何が起こるか判らないからにはシェラを一人にしておけないのだ。教会の二階からなら、十分に町の様子を確認出来る高さがある。
「――あちこちから、煙が上がってるな」極めて冷静にレイアが言った。
「アルタ?」デュレが呟く。
「いや、アルタじゃない。あれを見ろ」レイアは窓から空を指さした。
「黒い翼の天使……。カラミティエンジェル……」
ポウッとしたようにデュレ呟き、次の瞬間には我に返った。天使の手に光が集まっている。そして、こちらを見て悪辣に微笑んだのだ。
「うわ! 来るぞ。降りろ」レイアだ。
「何? 何? 何があったの?」
セレスは状況を飲み込めずに右往左往した。しかも、昇降口に立ったところで二人が押し寄せてきたものだから、セレスも巻き添えを食らった。三人一緒に階段から勢い余って転がり落ちた。
「あいたたぁ」セレスはくわんくわんする頭をさすった。「何すんのさっ!」
「すまん、今、それどころじゃないんだ」
レイアはよろよろと立ち上がると、ついでにセレスの太股を踏んづけてシェラの元に急いだ。
「うぎゃぁ! 骨が折れるぅっ」
「ま、可哀想な、セレスちゃん」けど、デュレもちょっと微笑んだだけで行ってしまった。
「……少しでも可哀想だと思うんなら、手を貸せぇ!」セレスの叫びがむなしく響く。
「――何やってるんだ、お前ら、騒々しいぞ」呆れ果てたバッシュの冷たい口調が堪える。
「いや、慌ててるんだ。早く、シェラさんを連れて」
「何事ですか?」毅然とした態度でシェラが言った。
「光弾で狙われています。時間が」
するとシェラはにこりとした。
「落ち着きなさい」
「でも、あれを防げるシールドは――」
さしものレイアも余裕の欠けらすらない。光の魔法は攻撃関係は限られているものの破壊力は桁外れなのだ。十二の精霊核時代に幾つかの街が滅んだのもこの力のせいだと伝えられている。
「シールドだけが守りではないでしょう? レイア、デュレ、守護結界を張りなさい。広さはわたしたちのいる場所だけで十分でしょう」
「しかしっ!」レイア。
「異論を唱える前にやりなさい」シェラはレイアを睨み付けた。「そう、結界は二重に。レイアが外側。デュレは内側に張りなさい」
もう、四の五の言っていられなかった。デュレとレイアは互いに見つめ合い頷いた。確認しなくてもやるべき事は心得ていた。デュレはポケットから白墨を取り出すと結界の中心となるところに目印を付け、素早く魔法陣を描き始めた。外周円を描き、それから内周円を描く。その間にデュレはエスメラルダ古語による呪文を書き始めた。
“闇の使い手、デュム・レ・ドゥーアの名により、神聖なる闇の支配者・シルト。闇の無限の吸収力を用い我らを邪なる精霊使いより隔絶する結界を形成せよ”
「間違っていませんよね?」デュレが問うと、レイアは頷いた。
「では、みんな、魔法陣の内側に入ってください」
デュレに言われるがままにここに居合わせたみんなは魔法陣の内側に入った。
「守護結界っ!」
デュレの結界が完成すると、さらにレイアが続ける。
「深遠なる闇の精霊・シルト。闇の使者、レイアの思いを聞き届けよ。ダブルスペル! 我らを悪しき精霊使いより守護する結界を求む」
と、結界が全て完成した瞬間、強い衝撃が教会を襲った。大地が崩壊してしまうと思うほどだった。光弾が情け容赦なく降り注ぎ、教会を貫く。二階に命中し、協会の象徴たる『協会十字』のある尖塔が崩れ落ちた。もう一発喰らうと、ほぼ十割の確率で天井が落ちる。そして、期待通りに第二陣の光弾が降り注ぎ、礼拝堂こそかろうじて残ったものの居住空間は大破してしまった。守護結界に当たった光弾は結界そのものに吸収され、フィールドに微かな波紋を残して消滅した。が、瓦解する天井の瓦礫に守護結界は効力を持たない。あくまで“魔力”を対象としているのだ。物理的なものには別種の魔法が必要だった。
「フィジカルディフェンス!」
シェラは右手で素早く印を結び、パワーを放った。物理的なものから身を守る魔法はマジックシールドなどの魔力を吸収、あるいは反射させるそれよりも遙かに高度な技が必要だった。
「シェラさん!」
「この程度の魔法くらいまだ使えますよ」ニコリとした。
が、爆風に巻き上げられ、ありとあらゆる方向から飛んでくる瓦礫の山の前には魔力のシールドも“万能”とは行かなかった。ダブルスペルで強化した守護結界もスパークルフィールドの光の波動に多少は弱められ、十数発にも及ぶ光弾がその傾向に拍車をかけていた。
「……流石に天使を相手には完全に防ぎきるのは難しいですね」
「そんなのってありかい?」セレスは怒鳴った。「何かないの? ねぇっ」
「あるもないも、ないんだから仕方がないでしょ!」デュレが感情をあらわにする。
「伏せろ! 結界が崩壊するっ!」
「セレスこそ、まともな魔法を使えないんですか!」
「あぐ……」痛いところを突かれてセレスは言葉を失った。
そして、そのデュレやレイアの言葉を最後に数十秒から数分間の記憶が吹っ飛んでいた。その間に黒い翼の天使からの攻撃はやみ、辺りは仮初めの静けさの中にあった。とは言ってももはや静寂ではなく、あちこちで木材が燃える音や、辛うじて形を保っていた石壁が崩れ落ちる音がする。
「うあぁ〜。もう、最悪」セレスが一番最初に瓦礫を押しのけて顔を覗かせた。
「階段から突き落とされるし、太股は踏まれるわ。……まだ、レイアの足跡が残ってるし。ついでに教会の下敷きだなんて」
「こんなこと歴史の教科史に載っていましたか?」デュレはまじまじとセレスを見詰めた。
「うな? いや、その、歴史は苦手で……」
デュレはセレスの答えには初めから期待していないようだった。
「なかったはずですよね……」
1292,Gem.21。デュレの記憶の中にこんな出来事はインプットされていなかった。セレスを監督しにシメオン遺跡に行く前に予備知識として、その時代の新聞やら、資料やら、シメオンのこととは直接関係のなさそうなところまで隅々まで調べ上げた。だから、デュレには自信があった。自分が見落とすはずはない。としたら、可能性はたった一つしかなかった。イレギュラー。その言葉は途方もなく恐ろしい響きを宿していた。
「時の流れが切り替わる……」呟くようにデュレは言った。
「え、何? デュレ、聞こえなかった」
しかし、デュレには届かなかった。さらに物思いに沈む。早急に対策を考えないと時の理からはじき出される。そうなってしまってからでは手遅れだ。
「セレスっ! みんなもこっちに来て、早く!」
「何?」セレスはひどく訝った。
「ここに来たのは失敗だったみたいです」
「デュレがそんなことを言うのか?」レイアは至極残念そうに言った。
「そう言う意味じゃありませんよ」
「ここって、どこ?」デュレの指したことが時間なのか、場所なのかセレスには判らなかった。
「全部。けど、さしあたって、アルケミスタに来たこと」
「そもそも、デュレが言ったんでしょ? アルケミスタに来ようって。それとも何かい」セレスはおもむろに腕を組んだ。「シメオンで指をくわえて待ってた方が良かったってコト?」
「いいえ。そうは思いません。ただ、わたしたちが来たことで、とんでもないことに巻き込んだのだけは疑いようがありません」
「じゃ、あたしらが去れば攻撃はもうないと――?」
「珍しくまともな事を言ったな」
「あ、あたしだって、それくらいのことは判るもん」
「ええ、恐らく。ここにいて欲しくないと思ってる誰かさんが仕掛けてるんだと」
デュレが遠回しに発言するとセレスの顔色はある種の絶望でいっぱいになった。
「父さんたちなのかな?」消え入りそうな小さな声だった。
「判りません。しかし、アルケミスタから脱出する方が賢明です」
精一杯の気持ちを込めてデュレは言う。けど、年表の通りに事を運ばせるなら自分たちはここにいてはいけないことをデュレは薄々感じ始めていた。恐らく、自分が考えていたよりも早い時期にシメオンにいなければならないのだと。だから、連中は強攻策に出たのに違いない。
「そうだね。ネガティブじゃなくて、ポジティブに考えよ♪」
「その息です。では、行きますよ」
「……あたしは行かないぞ」唯一残った壁にバッシュが腕を組んで寄りかかっていた。
「バッシュ?」セレス。
「今は引きなさい。バッシュ」シェラが諭すように言った。
「しかし、あたしはアルタに会うまでは帰らない――。その為にここに来たんだ。折角、掴んだ手掛かりを放すわけには――三百年だぞ。判るか」
「子どもみたいな事を言うんじゃありません。あなたはわたしよりも年上なんでしょう?」
「う〜っ! でも」
「ここはデュレに従った方が間違いありません」
シェラにたしなめられてバッシュは渋々と従った。けど、内心は納得できずに色々な思いが渦を巻いていた。三百年前、自分から数々のものを奪い取って消えた男。ここで会わずにおめおめとは帰れない。折角、掴んだ手掛かりの尻尾を逃すわけにはいかないのだ。
「では……」デュレはバッシュの様子が気がかりだったが、とりあえずは目先のことに集中しようとした。「今度こそ、いいですよね?」確認をとった。
「……うん」しかし、答えてくれたのはセレスだけで、他は挙動不審なバッシュをずっと見ていた。
デュレは気持ちを落ち着かせ、気を練るために深呼吸をし呼吸を整えた。
「我が名はデュム・レ・ドゥーア。闇の力を操るものなり。闇は邪にあらず。追憶の片鱗に住まう孤独の想い。善良なる闇の精霊、シルトよ。呼び声に応えよ。空間を歪め、飛翔する力を我に与え賜え。……アルケミスタ、シェラの教会。シメオン、イクシオンの地下室に通ずる道を開け」
デュレが呪文を唱え始めると、虚空の一点から光がほとばしり、そこを支点としてぐるっと直径二メートル程の二重円が描かれた。次いで、円と円の間を埋めるように古代エスメラルダ文字が湧き上がるように現れる。
「……フォワードスペルっ」
呪文が完成すると円の内側に上下に相対する正三角形が同時に現れ、六芒星を形成する。それから、最後に重く閉ざされたまぶたが描かれた。
「結界が張られていないことを祈ってください」
手は印を結び、顔は魔法陣に向けたまま、デュレは瞳だけをセレスに向けた。額には汗が光り、おおよそデュレらしからぬ姿だった。
「張ってあったら?」セレスはつばを呑む。
「九割方、跡形もなく霧散します」不敵にニヤリ。「自分が死んだことも判らないくらいに」
「はん? 上等じゃん?」
「上等ですか?」二人は顔を見合わせて、そっと微笑んだ。
高次の結界はその存在を見破れないことも多く、一般的な結界を崩壊させる魔法はまず利かない。デュレがもっとも懸念してるのはそのことだった。アルタと共に黒い翼の天使がいた。つまり、それだけで最高レベルの魔法が発動される条件があることになる。
「じゃ、行きますよ?」
にわかに真顔になってデュレはセレスに最終確認をとった。セレスは瞳を見詰め頷く。
「……キャリー……」
デュレの声を遮って別の声が響いた。
「イリミネート・トランザクション!」
虚空に描かれていた魔法陣が下から崩れ落ちるように消え始めた。こんなコトは滅多にない。実行直前の魔法陣を壊すのは簡単なことではないのだ。外圧を加えると魔法陣に蓄えられた魔力が逆流し、その周辺数百メートルに渡って何もかも消え失せるのも珍しいことではない。
「誰っ?」最初に声がした方に振り向いたのはセレスだった。
「……こんなコトが出来るなんて……」ただごとではない。デュレは呆然として唾を飲んだ。
「――キミは……父さんと一緒にいた……」
「お初にお目にかかります。お嬢様がた」
デュレとセレスの前に立ちはだかると、レイヴンは綺麗なお辞儀をした。
「おばさんもいるけどね」ニヒヒと笑って、まだ余裕のあるふりをする。
「おばさんで悪かったな」バッシュが後ろから寄ってきてセレスの頭をげんこつで殴った。
「うぐぅ……」セレスは頭を抱えてうずくまった。
「お前は?」
「……お嬢様がたを懲らしめてこいとある方から言われたのでね」
「もしかして、サディスト?」
「何を言ってるか……。――セレス」
「フィールドイレーズっ」はたと気が付いたようにレイアは属性消去の魔法を使った。
あれだけの光弾が街を襲ったと言うことはこの場はほぼ光の領域になっていると考えても間違いない。としたら、闇使いのレイアや、無論、デュレにとっても不利なのだ。あからさまに条件が悪いこともないが、ちょっとしたところに手が届かない事態が起こりうる。
「む?」レイヴンは感じ入ったように眉をひそめた。
「おっと。動くなよ」
レイアはレイヴンを静止させ、さらに魔法を放った。捕獲結界と呼ばれるものの一種で、一定の範囲内から出ようとすると予め設定しておいた魔法が標的に向けて作動するというものだ。
「はん?」
レイヴンにとって、それは大したことでもなかったが、敢えて従ってみた。アルタが一目置く、とは違うのだろうが、気にする存在がどんなものなのかを知ってみたくなった。好奇心がくすぐられたのだ。そして、レイアと一戦交えたいという戦士としての純粋な思いもあった。
「レイア! うあ、格好いい〜!」セレスはウィンクして、指をパチンと鳴らした。
「呑気に喜んでる場合ですか!」
「分が悪いな」レイアが言う。
「ですね。思った以上に強力な光のフィールドが形成されてます……」
憂いを含んだ沈んだ表情になる。
「それって、何さ?」何にも知らずにあっけらかんと尋ねた。
「普段はあまり気にしないですからね。けど、常識ですよ。おねぇさま」
「だからさ、こんな時に嫌味を言ってる場合かって!」セレスは腕を組んで大憤慨。
「嫌味じゃありません」ケロッとして言い返す。
「あっそ。じゃ……、バッシュ?」
セレスはデュレとレイアの背後を駆けていったバッシュを見とがめた。アルケミスタの街はレイヴンの“光弾”にやられて無惨な姿をさらしているというのに、今更どこに。けど、暫く考えて、ピンと来た。バッシュがアルケミスタに来た理由を思い出したのだ。
「デュレ! バッシュがどっか行った!」セレスは慌ててバッシュの背中を追い掛けた。
「ちょっと、セレスこそ、どこへ行くんですかっ。ああ、もう、この非常事態に!」
デュレは思わず地団駄を踏んだ。髪の毛を掻きむしって気が狂ってしまいそうなほどにデュレはげっそりした。厄介ごとが服を着て歩いてるようなセレスが災厄そのものに見えてしまう。
「……相当、セレスには手を焼いてる様子だな」しみじみとレイアが言う。
「ええ……。こんな時でもなければ、首に縄付けてでも引き戻すんだけど……」
「バッシュを追い掛けていったなら、止められないか」
「ま、止めても止まらないから。止めるだけ無駄なんですけどね。いつも」
「はぁ?」逆にレイアが呆れて裏返った変な声を出した。「まあいい、デュレ。確か、セレスにフォワードスペルの闇護符を渡していたな?」
「え? ええ?」急に予想もしていないことを問われてデュレはびっくりした。
「あれは何人まで転送出来る?」
レイアの言いたいことがデュレには通じた。技術的には五、六人は可能だろう。けど、あれは調整もまともに済んでいない不安定な代物なのだ。転送人数が増えると指数関数的に失敗する可能性が増す。レイアの突き刺すような眼差しに、デュレは背中に冷や汗が流れ落ちるのを感じた。
「基本的に数の上限はありません。けど、護符の完成レベルを考えると、精々、二人か三人が」
「やってみなけりゃ判らない訳か」
「つまり、そうです」あまりにふがいなくてデュレは縮こまった。
「で、俺はどうしたらいい?」
すっかり放っておかれたレイヴンは太々しく言い放った。こんな隙だらけの連中をやっつけてしまうのは簡単だったが、それではアルタとの約束を果たしたことにはならない。
「話が終わるまで黙ってろ」レイアががなり立てた。
「……少なくとを敵を前にして言う言葉ではないな」レイヴンはほくそ笑んだ。
アルケミスタの街がよく見える高台に人影があった。金髪碧眼。黒いジャケット、ベージュのスラックス。ポケットに手を突っ込んで、レイヴンの手にかかる街を見下ろしていた。
「……やはりここにいたのか、アルタ」
かさかさとそよ風に戦ぐかのように草が揺れた。
「シリアか。――よくここが判ったな……」振り返らずにアルタは言った。
「……ここは思い出の場所だろう? お前と……バッシュの」
「ふっははっ! 実際、お前もよくそんなことまで覚えているな」笑い声は消え、アルタは地べたに座り込んだ。「そんなことも話したな。まるで昨日のことのように覚えてるぞ。シリアも若かったな、あの頃。まだ、何でも出来ると信じていた頃だ」
「ああ、オレもそう思ってた」
「精霊王たるお前がか?」感心したようにアルタは言った。
「ああ。出来ないことなどないと言いたいものだが、そうでもないさ」
再び、激しく草が揺れた。こんな町外れまで人が来るはずもない。この高台はアルケミスタの街からすぐ来れるような距離にはなかった。アルタとリボンは振り返り、そのまま彫像のように動くことを忘れてしまった。そこには息を切らし、金色の髪を振り乱したバッシュが立っていた。
「はぁはぁ……、アルタ! 捜してたずっと、三百年。どこに行っていた?」
「バッシュ? 何故、お前がここにいる。お前はシメオンに」
驚きを通り越えて、アルタは驚愕した。いてはいけないはずのものがここにいるのだ。予定外と言うより、むしろあり得ないこと。それは全てについて想定外の出来事だった。
「いない。あたしはここにいる。そんなことより、アルタ。この三百年どこに行っていた。あたしはずっと待ってた。すぐに帰ってきてくれると信じてたのに」
バッシュは立ち尽くすアルタを哀しげな眼差しで見詰めていた。
「……ここだと思った。アルタがいるならここしかないと思った」
「バカなっ!」アルタは狼狽した。
「バカな? あたしが言いたいっ、そんなことは。アルタはあたしを置いて、セレスを連れてどこに行っていた? 三百年。三百年も何をやっていた。判るか? あたしの淋しくて、やるせなくて、切なくて、どうにもならない鬱積した気持ちを……」
バッシュは瞳に涙をためて、アルタに詰め寄った。
「同じにはならない。お前は時の理に干渉しすぎた。干渉は時流そのものの崩壊を招く。自分の居場所に帰れ。今ならまだ間に合うかもしれない」
「壊れるなら壊れてしまえばいいさ。俺の居場所はどこにもない」
「あ……あたしのところに帰ってきて……」
「帰れない――」瞬間、アルタから儚い笑みが漏れた。「ここが旅の終点だからな」
「何?」リボンは眉をひそめた。「どういう意味だ?」
「……さあな」淋しそうに呟き、アルタは流し目でバッシュをそっと見た。「俺は行くよ。……なぁ、シリア。――もう、元には戻らないんだろ? だったら、俺の好きにさせろよ」
「……」リボンに答える言葉はない。
「ふざけるな!」バッシュは手をきつく握り、目を潤ませて怒鳴った。
「……バッシュ?」
「今まで、好き勝手にやってきて、それでもまだ足りないのか。帰ってこい! 何も言わない。今まで何してきたかなんて、聞かないから。あの時のようにみんなで暮らそう……」
アルタは首を静かに横に振った。戻る気はない。アルタは無言でそう答えたのだ。
「……上手くいったら、また、会える。失敗したら……それで終わりさ」
バッシュの思いを袖にしてアルタは去った。
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