12の精霊核

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34. question is no answer(答えのない問い)

「セレスか? セレスは精進が足りないんだ。他に理由はないよ」
「やっぱりな……。修行とか、勉強とかそう言ったのが嫌いそうだからな、セレス」
「あたしも嫌いだ。でも、必要に迫られればフツーは勉強するものだろ、違う?」
「セレスには当てはまらないんだろ? かれこれ、四年、五年の付き合いになるが……そんな様子は一度も見たことがない。修行しろと言っても何もしないしな、あいつは」
 バッシュとリボンの短い会話が終わる頃、ミラーフレームに弾かれた魔法をレイアが身を翻し辛うじてかわしたところだった。なけなしの自尊心が傷つけられる。自分の魔法が天使以外のものにいとも簡単にあしらわれたことなど、ただの一度もなかったのに。
「くそうっ! バッシュがこんなに出来るなんて」
 それこそ予想外の出来事だった。しかし、魔力の潜在能力はエルフ、精霊の方が人間を凌駕する。レイアが人間としては高度な魔法使いだとしても、エルフや精霊の中程度の魔法使いに敵わない可能性も否定は出来ない。実際、バッシュは幾ばくか魔法の修行を積んでいたし、リボンに及んでは幼少時は精霊王直々に、その後はシェイラルにしごかれまくった経緯がある。半端な術師は言うに及ばず、レイアといっても算段を誤ると身の破滅の憂き目にあう。
「やがて、こうなることは最初から判っていたんじゃないのか? あたしがレイアを咎めるんじゃなくても、誰かが必ず追い詰めてくると……」
 レイアはバッシュの瞳を険しい眼差しで見詰めたまま答えなかった。バッシュはため息をつきながら、首を横に振った。純粋に透明な輝きは帰ってこないのだろうか。今のレイアも輝きだけは変わらない。けど、そこにあるのは黒い野望と妄執に取り憑かれた漆黒の煌めき。
「……レイア、警備隊に自首するんだ」バッシュは諭す。
「もう、遅すぎるわ。戻れないところまで来てしまったのよ」
「なら、あたしがここで手を下す他ない。――あたしにそれをやらせる気か?」
「自信に満ちてて、始めから勝つつもりでいる。……それがわたしとバッシュの決定的な違い。気に入らなかった。あなたも気に入らなかったっ! あなたは人望も厚く、輝く太陽のようだったのに、わたしは……月ですらありはしない。陽で照らされたただの影。自ら輝くことも、光に照らされることも、闇にもなりきれなかった。わたしはあなたが羨ましい。わたしの欲しかったものを全部持ってるバッシュが羨ましかった」
 全てが白日の下にさらされたのを契機にして、レイアの不満や色々のことが噴出しているようだった。バッシュの口添えもありシェラの元に仕えることも出来た。様々な魔法を学ぶチャンスを得、実際に多くの魔法を体得してきた。しかし、レイアにとってそれらは本当に望んだことではなかったのかもしれない。バッシュへの羨望の眼差しはいつ恨み言に取って代わったのだろう。
「……いいや」バッシュは首を横に振る。「お前は持っていたさ。それと気が付かないだけで」
 レイアは答えない。バッシュの言葉にピクンと肩を震わせて、バッシュから視線を外して押し黙った。もしかすると、何か心当たりのあることをふと思い出したのかもしれない。しかし、レイアの口から出てきた言葉はバッシュの期待していたものではなかった。
「時間がない。そろそろ、レイヴンたちが計画を実行に移す頃……。決着をつけましょう」
「――レイアがそう望むなら」
 もはや、避けられぬことなのだろうか。自ら“始末する”といいジーゼの家を飛び出した。しかし、本意ではない。無為なことをし、かつて共に笑いあった友を失いたくはない。一方で、リボンはすっかり口が挟めなくなってしまい、道端に座って二人を眺める役に徹していた。そのリボンが立ち上がって、しばらくぶりに発言をした。
「バッシュ。オレは久須那のところに行ってくる。レイアは……頼んだ」
 刹那、バッシュの顔色が明らかな淋しげな色を湛える。空気を察し、リボンは言う。
「……心配するな。お前は負けない、絶対にだ。何があっても負けることだけはない。信じろ」
「判った。信じる」バッシュは一瞬、目を閉じて、再びギンとした力強い光を灯し目を開く。
 リボンの真意がどこにあるのか理解できた。
「レイアは必ず還る」去り際、振り向き様にリボンは言い残した。
 リボンが先行く未来から来たのなら、言葉の意図は明白だった。バッシュはただ信じればいい。それは盲信ではなく、確固たる真理が見え隠れしていた。未来を知り、“予兆”を感じるリボンを疑う理由はない。リボンがそうだと言えばそうであり、運命は後から付いてくる。いままでもそうであったし、これからもそうであるのに違いない。
「――レイア、覚悟しろ。お前はまだまだ未熟なことを教えてやる」
「そんなことない。レイヴンとだって、渡り合えるんだ。バッシュには負けない」
 バッシュは救いようがないとでも言いたげにやるせなく首を横に振った。
「お前の見てきた世界は狭すぎる。何故、気が付かない。どうして、より広い世界を見ようとしない」バッシュは問う。しかし、レイアは拳をきつく握るだけで黙っていた。「その態度を答えと受け取ってもいいんだな? ……全く、この強情っ張りが……」
 そして、バッシュはたった一本の矢を取って弓に矢をつがえた。
「魔法は使わないのか?」レイアは訝った。
「自惚れるな。自分の実力も判らないお前にはこれ一本でも十分すぎる」
 バッシュは弓をあげ、弦を引き絞り、狙いを定める。普通の狩猟用の弓であり、ただの矢だ。黙って使えば普通の弓矢だが、エルフの使う弓の真髄はそこにはない。弓と心を通わせて一体になれば、何の変哲もない物理的な破壊力しか持たない非力な鏃に魔力を宿らせ、魔法武器と転じることも可能だ。そして、同時に二つの属性を持つと防御の難易度は数段上昇する。
「ウソだと思うか? ――答えはすぐに判る」
「はったりだ! バッシュはそうやって、わたしを陥れようとしてるんだ」
「だから、試してみようと言ってるんだ。動くなよ。動くと、痛いかもしれない」
 バッシュは全くポーカーフェイスを崩す様子を見せなかった。それどころか、より神経を研ぎ澄ませ、ますますその内心と表情が読めなくなっていた。レイアにとり、今まで一度も見たことのないバッシュの姿だった。
「あ……」怖いと感じる。バッシュにそんな思いを抱いたのも初めて。
 シュン……。険しい眼差しのまま、バッシュは矢を放つ。
 木製の矢柄、鉄製の鏃に仄かな川霧のように立ち上る淡い光のようなものがまとわりつく。それはバッシュの赤い魔力。か弱い矢柄を守り、マジックシールドさえも突き破る強靱な破壊力を鏃にもたらす。それを完全に押しとどめるためには非常に大きな魔力を要する。
「あ……、あ、シ、シールドアップっ!」
 レイアと矢の狭間に透明シールドが一気に展開する。矢がシールド面に触れた瞬間、薄赤いバッシュの魔力がパァッと閃いて、シールド表面が水面に広がる波紋のような文様が現れた。矢が突き抜ける。スタティックに展開し、派手さはないが確実だ。
「――けどな、それには決定的な欠点があるのさ……」
 バッシュは儚い笑みを漏らし、くるっと踵を返した。
「しかし、魔法に溺れる者にはいい薬になるだろう……」バッシュは囁く。
 レイアのシールドを越えた矢は身にまとった仄かな魔力を削がれ、本来から矢が持っていた以上の威力を持つことはない。奢れる魔法使いに効果を持つのは魔法に頼りすぎるから、もっとも基本的なことが抜け落ちてしまうからに他ならない。矢はレイアの左肩を貫いた。崩れ落ちるレイア。
「――ひ、左胸を狙う余裕はあったはずなのに……?」
「喋るな。診療所に連れていく。……後のことはそれからだ。今は何も考えるな」
 バッシュは弓を肩に引っかけると、レイアをひょいとお姫さま抱っこをした。
「――その優しさ。ココロが痛いよ……」レイアはバッシュの首筋にギュッと掴まった。「まだ、わたしが小さかった頃、あなたは手を引いてこの街を歩いてくれた……。あの日がずっと続けば良かったのに……。覚えてる。あなたの手の温もり。一度だって、忘れたことはない」
 バッシュはレイアをお姫さま抱っこしてお昼の街並みを歩く。
「レイアはいい娘だ。まだ、やり直せる。お前の面倒はあたしからシリアに頼んでおくよ」
 バッシュの言葉にレイアの顔が強張った。
「――大丈夫。シリアは始めからレイアを赦すつもりだったさ。そうでなければ、お前はここにはいない。知らないだろ? シリアの本当の力を。ああ見えても精霊王なんだぞ。魔力はあたしよりもずっと上だ。けど、その力をひけらかしたり、無闇に行使しない。そして、寛大だ……」
 バッシュは静かにレイアを諭すかのようだった。
「狭量な奴に大きな力は使いこなせない。ちょっとやそっとのことですぐ騒ぐ……、弱い犬ほどよく吠えるって言うだろ? 虚勢を張らなきゃ自尊心を維持できないような奴じゃ、ダメなんだ。あいつはここという時以外、魔力を解放しない。それが本当の強さだよ」そして、バッシュは何か考えを巡らせるかのようにしばし黙った。「――今度はレイアがシリアについていけ」
「わたしが……?」虚を突かれた。「でも、わたしに……そんな資格は……」
「――あいつの側にいてやれるのは、もう、レイアしかいない」
 その囁きはそよ風に乗ってどこかに消えた。

「レイアの奴、来てなかったか。先走りすぎたようだ……」
 サムは何もかもがどうでも良くなったかのように投げやりに言いつつ、ボリボリと頭を掻いた。レイアの行きそうな場所を方々周り、行き着いた先がここ。シメオン大聖堂の薄暗い湿気った地下室だった。
「ふ〜ん……。しかし、てめぇらも来てるとはなぁ。ちょっと意外だ」
「な? 何だって、キミがこんなところに来たの?」セレスはびっくりして思わず叫ぶ。
「う〜ん♪ そりはね。ステキなお嬢さま方がおいらをお呼びになったからに他ならねぇ」
「……呼んでない。キミは呼んでないぞ」やる気なくセレスは否定する。
「いんや。呼んだ。セレっち、チミは潜在意識の奥底でおいらを呼んだのじゃ。凄まじく熱烈に、より情熱的にっ! セレっちはおいらの虜なのじゃぁ。『ああっ、ちゃっきー。あなたが側にいないとあたち、もぉ、何も出来ないぃ。淋しくて生きていけないぉ』って、ね?」
 ちゃっきーの饒舌マシンガントークが炸裂する。
「ねぇ、この生もの……。サスケに食べてもらっていい?」
「……食わねぇと思うぜ。サスケは刺身は嫌いだ」笑いながらサムは言った。
「この珍味、美味と美味と称されるこのちゃっきーを愚弄する発言たぁ許せねぇ! 土下座して謝罪するまで永久に喋り続けてやるぅ!」どうも拗ねているらしい。
 しかし、サムはそんなことを全く意に介さず素っ気なくちゃっきーをあしらうと部屋の外に蹴り飛ばした。踏み潰しても構わないが、ここで再生されたのではうるさくて堪らない。
「でよ、てめぇらは何をしにここに来たんだ? まさか、また、試合ってことはねぇよな」
 サムは交互にデュレとセレスを眺めていた。対して、デュレはサムの視線が自分の顔に舞い降りた時を見計らって、すっと右手を右側に差し向けて久須那の絵の辺りを示した。
「何?」サムはひょいとそっちを向いた。「……久須那がどうかしたのか?」
 サムは再び、デュレを覗いた。察しののいいサムといえど判らなかったらしい。デュレを見るサムの目は明らかにデュレからの回答を期待しているようだった。
「……久須那さんの封印を解こうと思って……」怖ず怖ず。
「何も、解けばいいじゃねぇか」あっさり。「聞いたところじゃ、てめぇが正統な禁呪の継承者なんだろ? レイアがあの様で、シェラが死んでしまえば使えるのはてめぇのただ一人だ」デュレはサムを見澄ましているだけだった。「……。そのてめぇが今こそ、封印を解く時だと思うんだろ?」デュレが頷く。「だったら、遠慮なくやってしまえ」
 サムの性格からしたら、そう言ったブレーキの壊れたような答えが戻ってくると予測はしていたけれど、実際にそんな答えが返されると戸惑いは禁じ得ない。
「しかし、久須那さんから同意が得られないままに危険な賭は……。精霊たちの加護を得られない今、魔力が足りなくて失敗する公算もそれなりに……」そう言った時のデュレは心なしか自信がなさそうだった。「でも、わたしはやる他ないと思うんです。失敗でも成功でも、結果が他の何だろうと、やりたいんです。……けど、無理強いしてまでやる価値があるのか……」
「久須那は?」サムはデュレの思いの丈を聞き届けて、久須那を見やった。
 久須那は首を横に振っていた。ドローイングを解く時の危険性は久須那が一番よく知っていた。術者の“血”で封じるとまで言われるこの魔法。術者が健在なら、確率百パーセントで解ける。以降、血筋の者による封印を解く行為は世代を重ねるほど確率が低くなり、赤の他人ではほぼゼロパーセント解けないと言っても過言ではない。だからこそ、デュレは“ドローイングの解き方”と“封印破壊”の両方を同時に覚えさせられたのだ。
「……デュレがシェイラルの血筋ってことはねぇよなぁ。仮に俺が使えたとしても、しくじった時の巻き添えが増えるだけで何にもならねぇよな。ま、覚えてる時間もねぇだろうけどよ」
 サムはボリボリと頭を掻いて、腕を組んだ。
「はぁ、困ったな。……じゃ、俺が説得してやる」サムは久須那の前に進み出た。
「Hey!! 旦那ぁ。久須那っちのお相手には欠かせねぇサポートデスクをお忘れですぜぇ? へっへっへぇ。おいらがいなけりゃ、てめぇはただの朴念仁、借りてきた大猫ちゃん。何も出来やしねぇのさ。だ・か・ら♪ 共に久須那っちを撃破しようぞっ!」
「何をワケの判らねぇことを言ってるんだよ」
 サムは左肩に止まったちゃっきーを力任せに床に投げつけ、あらん限りの殺意を込めて踏みつけた。こんなものが一緒にいては説得できるものも出来なくなってしまうのはもはや自明だ。
「さて、久須那ちゃん。俺の話を聞いて……」
 サムが手を伸ばした瞬間、有無を言わさずに久須那の鉄拳が飛んだ。さらに蹴りが炸裂。この間の鬱憤が晴らされていないのか、サムと見るやいなや久須那は止まらない。
「あ、殴られた」
「……蹴られてます……」
「ねぇ、あんな調子で説得なんか出来るの? けちょんけちょんにされてお仕舞いじゃない?」
「伝説の英雄とあっても惚れた女には弱いのかしら……?」
「弱いんだろうねぇ、きっと」感慨深げにセレスは言う。「そうじゃなかったら、されるがままになってるわけないと思うよ。サムだって強いんだし」
 セレスは一人納得して、うんうん頷いた。
「どうして、お前は考えなしにものを言うんだ?」いつの間にか、久須那はイグニスに弓を左手に握りしめ、微かに潤み、同時に凛とした張りを持つ眼差しをサムに向ける。「お前はわたしがどうなってもいいのか?」声色に動揺が見えた。
「どうなっても、いいワケ……ねぇだろ? でもよ、デュレの……」
 目を伏せ、ちらちらと久須那の顔色を確認しつつも、サムは口篭もっていた。
「すぐ、他の女のことだ……」久須那はキュッと唇を結んで俯いた。言いたいのはそんなことじゃない。「――だって、わたしはお前と一緒にいたい。まだ、死にたくないっ!」
 久須那の双眸からポロポロと涙が零れ落ちる。
「わたしは……わたしはホントのわたしじゃないかもしれない。でも、この気持ちは一緒なんだ。絵の向こうにいる久須那と一緒なんだ。わたしが感じて、経験したことは久須那のものなんだ。だから、だから……」言葉に詰まった。「……わたしはサムと一緒にいたいっ! 今度はずっと、サムがおじいさんになるまで一緒にいたいんだ」
「てめぇがこんなに我が儘だとは思わなかったな」サムは久須那の潤んだ瞳を見やる。
「うるさい。たまにはいいだろ。だって、わたしはサムと共にありたいんだ。あの日からずっとそう思っていた。サムが帰ってくることがあったら、二度と放さないんだって」
 そんな久須那の一途さにサムは少しの戸惑いを感じていた。好きだと言って、放さないと言ってくれるのは掛け値なしにとても嬉しい。けど、この場合はその強すぎる思いが仇になり、物事の進展を阻害してしまってるような気がするのだ。かといって、純粋な久須那の思いを無下にすることは出来なかった。サムは知っていた。久須那がかつて自分だったものが渡した汚れた白いハンカチを後生大切に持っていてくれたことを。
「だから、だから、信頼できる退魔師じゃなきゃ、イヤだっ! そうじゃないなら、このままがいい……。それはこの久須那も一緒だよ」久須那は自分の本体が封じられた絵を見澄ました。
「久須那……。てめぇの気持ちはよく判ったよ。――けどな」
 と、切り出した瞬間、再び久須那のげんこつがパカァンとサムの顔面を襲った。
「お前は判ってない。判った振りなんかしなくていいから」
「いてぇな、てめぇ」サムは顔を押さえて怒鳴りかけたが、何だか急に可笑しくなってきた。「そう言う久須那が一番、久須那らしいのかもな。――他のことはどうってことないのによ。色恋沙汰になると、感情がすぐ表に出ちまう、うぶなのな……」
「だ、だから、そんな恥ずかしいこと……言うなって、前から……」
 デュレとセレスは結局そのどうしようもないやりとりをただ放置しておく他なかった。じぃ〜っと見ているだけでもとばっちりを食いそうだし、いっそのこと首を突っ込んでやれというのもどんなものかと考えあぐねてしまう。
「……あの二人って、昔からずっと今まであんな調子だったワケ?」
 セレスは立っているのに嫌気がさして、湿り気味の床に腰を下ろした。
「――マリスの使った呪詛は東方はサラフィのとある寺院の書物に記載されていた物。としたら、その寺院にお務めしているお坊さんたちが精通しているとしても不思議はないですけど……」
「別に誰でもいいような気がするよね?」セレスはデュレを見上げた。
「どうして、久須那はそこまで申という少年にこだわるんでしょう?」
「さぁあ?」セレスは気の抜けた返事をする。「マリスをやっつける鍵を持って、颯爽と登場するのかもよ?」冗談めかして、ニヒヒと笑う。
「マリスをやっつける鍵? ……申が転生、あまり科学的とも思えませんけど、現れたとしたら、ジングリッドを葬った時の面子が揃うことになりますね……」
「そ、だね。けど、揃ったからってどうなるわけでもないでしょ?」
「えぇ、そうとは思うけど。彼が勝機に結びつくというのなら、いないより、いた方がいいですし。少年とは言っても相当な腕前の退魔師、魔法剣の使い手だったとも聞き及びます」
 デュレは半ば独り言のように言葉を発し続けていた。しかし、何かが違うような気がした。封印を解けるだけの魔法使いが来ることを知っていたのなら、どうしてリボンは久須那のお眼鏡に適う退魔師を見つけておかなかったのか。久須那が頑なに拒むというのは論外で、今のリボンなら久須那を説得することだって可能なはずなのに。
「リボンちゃんはまだ何かを隠していますね……」デュレは左手で顎をそっと触れた。「ねぇ、セレス。わたしは何て言っていたと言ってました?」
 デュレは久須那とサムのやりとりを見つつ、突然、セレスに問いかけた。
「はい? 何が? いつ、どこで?」デュレの真意をはかりかねてセレスは問い返す。
「あれですよ、あれ。セレスが見たって言う夢の話。そこで、わたしは何て言っていました?」
 今になって、そんなことを聞いてどうするんだろうとセレスは解せない風に顔色を曇らせてデュレの横顔を見詰める。デュレはセレスの回答を待つばかりで、それ以外はずっと久須那とサムのやりとりから何かを得ようとするかのように真剣な眼差しをそちらに向けているだけだった。
「早く、答えてくださいっ」瞬間だけ瞳をセレスに向けて、ギロッと睨んだ。
「そんなこと言ったって、もう、一週間くらいの前の話なんて、すぐには……」
「つべこべ言わない。忘れたんなら、今すぐ、思い出しなさいっ」
 無茶苦茶だと感じつつも、セレスは敢えて異論を挟まない。セレスは目を閉じると、遺跡発掘での最終日に見た夢のことに思いを馳せた。
「……大嵐の暗闇の中で、キミは……。雨に打たれながらどこかの街並みに立っていたよ」
「それから……」デュレはセレスに続きを促した。
「それから、大きな機械時計が見えて、キミはそれを指さしながら、叫んでいた……」セレスは上目遣いにデュレの様子を窺った。けど、デュレは腕を組んでセレスを見詰めるばかり。「手遅れになる前に早く。あの時計が十三を指す前に、この街にはあなたたちが必要だって」
「それだけですか?」自分に必要な情報がセレスから聞き出せていないとデュレは思う。
「まだあるよ。――黒い炎が街を飲み込む……。黒い翼の天使たちが……。それから……ちょっと待ってよ。え〜と……」うろ覚えなんか通り越して、物理的に記憶を消去してしまったような感覚だった。思い出したい記憶が上手く引っ張り出せてこない。セレスはそんな自分にもどかしさを感じながら、思い出そうと必死になる。「……白い翼の天使たちを連れて……どうのって」
「それです。白い翼の天使たちを連れて何だって言ってました?」
「それが嵐に呑まれて聞こえなかったのよね。ただ、何かを越えろって言ってたような気がするんだけど、何を越えるのかは判らないのよ」
 セレスははぁと大きなため息をついた。
「とにかく支離滅裂で、断片しか判らないの。どうも、キミは二つか三つのことを同時に言ってたのかなって思うんだけど……。真意が全然、判らないのよね」
「それはあと一週間もしないで判ります。けど、それでは遅すぎるんです。断片でも、単語でも何でもいいから、覚えていることは全部、吐き出しなさい」
 黙っていたら、首を絞められそうな勢いだ。
「う〜ん」セレスは頭を抱える。「時計塔の門。……ちょっと待ってよ、時計塔の中にある白い翼の天使たちを連れて……? だったかなぁ? 一緒に探せば必ず見付かる……。時計塔の針が十三を指したら、黒い炎に街が呑まれる。黒い翼の天使たち。時を越えろ……かな? そして」
 セレスは思い出すと胸が締め付けられるようなワンフレーズを思い出した。
「――タイムアウトだねって、もう、そっちじゃ会えないかもしれないって言ってた……」
 デュレはセレスの発言を最後まで聞き終えると、考えを巡らせ始めた。心配そうに自分を見詰めるセレスを余所にして、デュレは自分自身の思考に身を沈める。解決の糸口はセレスの夢の中にある。これから数日から一週間以内の自分が未来のセレスに託したメッセージ。それを読み解かなければ二進も三進も行かないようなのだ。
「――時系列は滅茶苦茶のようですね。そして、意味がよく判らない……」呟き。
「そ、それはあたしのせいじゃないよ。始めから、くちゃくちゃだったんだから」
「誰もセレスのせいだなんて言っていません」半ば上の空にセレスのお相手をする。「この間のリボンちゃんの話を真に受けるなら、わたしは彼の力を使ってあなたにメッセージを送ることになりますよね。そして、それはかなり追い詰められた状況で、簡潔明快、セレスにちゃんと理解できるように伝えることが出来なかったと捉えるのが妥当ですよね?」
「あの……。それってどさくさに紛れてあたしをバカにしてない?」
「細かいことは気にしないでください。――わたしたちが来るべき場所はここじゃなかったのかもしれません」ずっと湿気った石の床を見詰めていたデュレの目が不意にセレスを捉えた。
「じゃあ、どこなのさ?」
「シメオン時計塔……。セレスの夢と今ここで起こっていることを摺り合わせていくと時計塔に何かがあるとしか思えません。……あなたの見た夢がわたしが送った想念だとしたらです。セレスの言ったキーワードの中で、大きく欠けているのは時計塔に関することだけです。白い翼の久須那も、黒い翼のマリスもレイヴンも迷夢も、時も越え、黒い炎の剣や魔力にも出会いました。けど、時計塔はまだ実際に目の当たりにしていません。……時計塔についてわたしたちが知り得たのは鐘の音がどんな音をしているかだけです」
「行くほかないってこと?」
「……答えは……イエスです」
「それじゃ、案ずるより産むが易し。はいいけど、あっちはどうするの?」
 セレスは必死の説得を試みるサムと、それを無下にする久須那の方に視線を向けた。
「放っておきましょう。痴話ゲンカのとばっちりを食うのはごめんです」
「だね」セレスはすかさず同意した。
 遠巻きで二人の終わらないケンカを見ていると、いつこちらに飛び火してくるのかと気が気ではない。まだ、攻撃魔法が飛び交ったりしないだけ十分すぎるほどましだが、それなりに激しい展開を見せている。どつき漫才の様相も呈しているが、それは巻き込まれていないから言えるのだ。
「そいじゃ、いこか?」
 セレスの微妙に剽軽な掛け声と共にデュレとセレスは地下室を駆け出す。答えが見えない以上、探し求めなくてはならない。ならば、同じ場所に長居するより、少しでも何かを見つけられる可能性のある場所へ向かうべきだ。
 デュレとセレスは地下室の入口で丸くなって微睡んでいたサスケを放り投げ、大聖堂内部を一気に駆け抜けた。行き場所が決まったのならば、立ち止まっている暇はもはや必要ない。
「さてと、……あいつらはきちんとやってるかな?」
 リボンが来た。レイアをバッシュに任せ、自分はここに来たわけだが、先に来ているはずのデュレとセレスの姿は見あたらず、代わりにサムと久須那が向かい合って何やら論戦を繰り広げているのが確認できただけだ。その瞬間に、リボンはデュレとセレスがここに来て、すでに後にしてことには感づいたのだが、あれがいったい何なのか気になってしようがない。
「……何をやってるんだ、あいつらは?」
 開いた口がふさがらないとはまさにこのことを言うのだろうとリボンは思った。
「見たとおりに痴話ゲンカだろ」締まりない大あくびをしながら、サスケが言う。
「身もふたもないことをさらりと言ってのけるのな、お前」
「それは親父譲り。オレがそう思うってことは親父殿も心のどこかでそう思ってるってこと」
 サスケはしてやったりと言わんばかりに満面の笑みを浮かべていた。
「イヤな奴だな、お前」リボンは曇った顔色でサスケを睨む。
「それは親父殿のシルエットスキルだからな」
 と、サスケに言われてしまえばリボンには返す言葉もない。
「ま、いい――」リボンは気を取り直し、久須那やサムの方に視線を差し向けた。「おい、お前ら、いい加減にしておけよ。くだらないケンカなんてしてる場合じゃないだろう」
 しかし、リボンの物言いなど誰も聞いちゃいない。無視を決め込むと言うよりは眼中になく、その存在は無と同義になってしまっているようだった。相変わらず久須那とサムは口角泡とばし、愚にもつかないような半分は意味不明の大論戦を繰り広げる。
「ああ、もう、じれったいっ! デュレとセレスがどっかに行っていなくなってるぞ!」
 投げやりに止めに入るリボンの声に二人は同時に振り向いた。
「何?」サム。
「何だって?」久須那。
「――気が付くのが遅いんだよ。お前ら……」
 呆れ果てて、それ以上のコメントを捻り出すことすらリボンには出来なかった。