12の精霊核

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46. the fateful skirmish(宿命の前哨戦)

 デュレとマリスはアルケミスタの教会に長居することなく再び空の人になっていた。アルケミスタにいたのはたったの数時間に過ぎず、腰を落ち着けて話をする暇もなかった。策略としてマリスと行動を共にするデュレだったが、やはり、多少はマリスの内面を知ってみたい。そこから得るものがあれば、大きなアドバンテージとなるかもしれない。
 淡い期待と不安を胸に、手始めに当たり障りのないところからデュレは問う。
「どこへ行くつもりですか? マリスさん」
「なぁに、始まりの場所に行くだけだ。……迷夢のことだ、もちろん、人払いはしてるんだろう?」
「!」何故、そこまで判るのかとドキリとした。
「なら、侵入するのは容易いことだ。――千年紀を過ぎて無事にあの場所が残ってないとも限らないが……。大聖堂は丈夫な作りだから、傷んで閉鎖されてることはないだろうが……今では禁呪が行われていた部屋だからな。封印されているかもしれない」
「でも、迷夢の魔法に……」
「心配には及ばん。あいつはやるなら、わたしを討つのに最適な時期を計ってくる。それは今ではない。それだけを心得ておけば、問題はないな。虚を突く戦法もあるが……。ふ……、どうしてそう思ったんだろうな? 迷夢は決してわたしには不意打ちを食わさない」
 淡々とマリスは言った。今では敵となってしまった迷夢をある意味で信用してると言えるのかもしれない。或いはデュレの最悪の予想の一つとして、迷夢は初めからマリスの側についていた。と言うことも、掴み所のない迷夢のことだから端からそのつもりだった可能性もあり得る話だ。
「迷夢を信用してるんですね」
「信用してるんでもないな。迷夢はそう言うやつ。ただそれだけのことだ。――だが、小賢しいやつだとは思う。邪魔をするとなればとことんまで邪魔をしてくる……」
 マリスは目の前に広がる淡く仄かな黄色い障壁のようなものを注視していた。迷夢の“境界面補強魔法”だった。先程、シメオンを離脱してから既に数時間を過ぎ、迷夢の魔法もかなり進行しているようだ。数時間前と比べると幾分、揺らぎと弱々しさが感じられる。
「魔力の総量が減っている……。もうすぐ、終わりだな……」
 ひどく気に入らなさそうに、眉間にしわを寄せた。しかし、それ以上の負の感情は湧かず、もはや異界との境界面補強については興味を失っているかのようだ。
「フィールドイレイザー」
 マリスは右手を境界面にあてがうようにして、囁いた。すると、その部分から境界面に穴が開いた。その境界は膜のようになっているが、静電気を感じるような嫌な感触を気にしないならば、そのまま無造作に通り抜けることも出来ないこともない。さっきは適当に通り抜けたが、今回は不死鳥の卵を持っているためにマリスは気を遣っていた。不死鳥の卵は物理的には安定し少しくらいの衝撃で破壊されるようなことはないが、魔力的なものには過敏でその安定を乱されやすいのだ。
「急げ、長くはもたない」
 マリスの指示に従い、デュレはさっさと通り抜けた。
 そして、そのまま無言。マリスが先頭に立ち、デュレはその後に従った。もう少しだけでも、マリスと会話をしてみたいと思うが、マリスから放たれる言い知れぬほどのオーラのような気配に圧されてどうにも話す切っ掛けを掴めなかった。
 人気のない死に絶えたような街並みを歩く。深夜……夜半は既に回っているだろう。窓から明かりの漏れている家は一軒もない。石畳を激しく打ち付ける雨音と時折、雷鳴が轟き、雷光が瞬間的に辺りを明るくしていた。ピチャ、ピチャ。歩けば水がはね、傘や合羽と言った気の利いた雨具は持っていなかったから、デュレもマリスもずぶ濡れで歩いていた。
 と、マリスは不意に立ち止まり、とある荘厳な建築物をさっと見上げた。
「――千三百年か。街はだいぶ変わったというのに、ここは変わらないんだな――」
 シメオン大聖堂の正面ホールの扉は避難のあとも生々しく、開け放たれたままになっていた。マリスはそれまでの挙動からはあり得ないくらいに落ち着きをなくしていた。無論、傍目から見たら、普通の範疇に問題なく収まってしまうのだが。その身に懐かしさを湛えているかのようだった。
「わたしの……この世界での始まりの場所へ……」
 大聖堂に入るとマリスはかつて知りたる我が家のように迷うことなく歩みを進めていた。広間を横切り、階段を上り、回廊を歩き、辿りついた目的の部屋のドアは開いていた。ドアには厳重に閂がかかり、鍵がかかっていた形跡がある。長期間、人の出入りした様子はない様子で、ごく最近……或いはついさっき……こじ開けられたようだった。
「……。そこにいるのは誰だっ!」
 かつて、召喚術が行われたその部屋は薄暗がりに包まれていた。ドアを完全に開け放ち、長い回廊からの光が部屋中に射し込んだ。何者も迫ってくる気配がないのを知ると、マリスはとても用心深くスッと足を踏み入れた。
 そして、左から右にかけて視線を移していくと、視界に入るものがあった。
「よぉ、マリス……、意外と遅い到着だったんだな。グレンダのやつ、とっくの前に出掛けたって言ってたんだが……、その様子だと到着間もねぇって感じだな。しかし、ま、わざわざ、こんなところまでお出ましとはご苦労なこった」
 壁際に置かれた椅子に男が一人座っていた。太ももに両肘をつき、その格好のまま頬杖をつく。
「……サムか……。アルケミスタに行ったなら、やけに早い帰還じゃないか」
「俺には翼があるんだよ。超特大のやつがね」
 サムは両腕を多く広げてティアスの巨体を表現した。
「……鳥か。何故、ここが判った?」
「なぁに、簡単な推理だよ。と言いてぇところだが、山勘ってとこかな? わざわざ、勝利の好機を棒に振ったんだ。デュレなんかいなくとも、てめぇなら、俺たちには楽勝だろう? ジングリッドに苦戦したヒトのことや、てめぇの過去を考えてみたら。……だとしたら、何かあるに決まってるんだ。――俺たちを屠ることにさして興味もなさそうだしよ。としたら、てめぇが本当に望むこと、手にしたいものは何なのかと考えたのさ。空の帰り道にね」
「それで、わたしは何が欲しいんだ?」
 少しだけ興味をそそられたのか、口元だけ微かに微笑んでいた。
「天使召喚術……。シリアの言ってた“残り半分の伝説”を再実行するまでもなく、てめぇの目的の――少なくとも半分は達せられるんじゃんねぇかと思ってね」
「なるほど。なかなか面白い推理じゃないか」マリスは目を瞑った。「だが、それは目的の一つに過ぎない。しかし、ここで手に入るのは偽りの召喚術だろう。そんなのは必要ない」
 マリスはにべもなくあっさりと否定する。
「必要ねぇか……」サムはポケットに手を突っ込んだまま歩き出した。「ま、決着をつけようぜ。……来いよ、地下墓地大回廊へ」
 サムはマリスの横に並んで立ち止まり、最後の一言を放つ。
「何故、そこへ行かねばならない?」マリスはサムの横顔を睨む。
「――てめぇの欲するものがそこにあるからだ」サムは正面を見据えたまま、無粋に答えた。
「わたしは何を欲している? その証拠は?」
「証拠か……。――今、ここで知りてぇか……。ま、いいだろう。てめぇが探しに来たのは“万里眼”だろ? 何故かは知らねぇが、それはシェラの手にあって、さらに何故か、迷夢の手にあった。――あれも不死鳥の卵よろしく、てめぇが持ってきたなまものなのか?」
 サムの発言を聞いて、マリスはじっと感心の眼差しを向けていた。
「怖くなるほど、色々知っているな」
「職業柄ね。この手の情報は割と簡単に手に入る。――それで、あれは何だ? 未来を見据えることの出来る道具など、どんな魔術技工士にも造れねぇぜ。クロニアスの悪戯だってんなら、ありそうな話だが、あの精霊は混沌は好まない。クロニアスではないとしたら、あれはこの世界のものではない。妥当な結論だと思うんだがね? 違うか、マリス」
 マリスとサムの息詰まるやりとりにデュレはただただ圧倒されるばかりだった。普段、へらへらとしているサムからは想像も付かないほど凛々しく、張りのある声。眼差しも真剣。その質問、問い掛けに対し、マリスは怖じることも、隠すこともせずに、まるでサムとの言葉の駆け引きを楽しんでいるかのようにさえ見えた。
「何故、わたしがそれを欲してると思った? いいか、わたしは未来になど興味はない。しかし、そのわたしが万里眼を欲した理由とやらを答えられたら、貴様の問いに答えてやってもいい」
「交換条件ってやつか。まるで、デュレみてぇじゃねぇか。正直なところ、判んねぇよ。ただ、この部屋に長い間、万里眼が放置されていたことを偶然知っただけ。そして、それは最後の召喚が行われた前後から、ここに存在していた。後に誰かが持ち出し、シェラの手間で渡ったらしいが、その経路はもっと調べてみなけりゃ、判らねぇな。尤も、時代を下りすぎてもう知りようがねぇだろうけどな。――その二点から、テキトーに類推しただけだ」
 サムはポケットに手を突っ込んで、やる気はあまりなさそうだった。
「それでよく、待ち伏せなんかする気になったもんだ」マリスは鼻で笑う。
「来なくてもさほど困らねぇよ。気がつかなかっただろ? 迷夢が持っているのを。だから、違うのかもしれねぇなと思ってた。――さぁ、今度はてめぇの番だ」
 サムはスッと右手を差し出して、マリスを促した。
「答えになってないが、まぁ、いいだろう。あれは……」

 サムを先頭にして、マリスとデュレはついさっきまで居た地下墓地大回廊の湿気った石床を踏みしめていた。入口は先程とは違い、シメオン大聖堂から繋がる正規のもので、やはり、裏口から入ってくるのとは様相がかなり異なっていた。一言で、立派である。脇から大回廊に入るのではなく、広めの階段を下っていくとその先に大回廊が直接連なっている。
 デュレはしばし、自分の置かれた状況を忘れてその荘厳さに見とれていた。
 そこへ、険しくとても低い声が回廊中に響き渡るのが聞こえた。
「やはり、来たな、マリス」
「まさか、切り札を持っているとは思っていなかった。あれがここになかったのなら、わざわざ、出向いたりはしなかったさ。万里眼をよこせ。おと……」
「大人しくしていれば、危害を加えるつもりはない」
 リボンはマリスの言うだろう言葉を横取りして、ニヤリとした。
「だが、オレはお前に危害を加えるつもりだ。お前が大人しくしてるとは思えない。あれを手に入れたら、お前は必ず何らかの行動を起こす。そして、……サム、久須那と共にありたいなら、お前は手を出すな。――ここは引いて、久須那と上に行っていろ。それが一番安全だ」
「この状況で、てめぇは俺に引けというのか?」サムは歯がみした。「こいつはバッシュの仇なんだ。そいつを目の前にして、てめぇの身の安全をとれって言うのか」
「久須那との……約束だろ……。破っていいのか? 破ると怖いぞ」
「――」サムは考え込むように押し黙った。
 かつて、自分でない自分がしたことをもう一度、繰り返してしまってもいいのだろうか。しかし、何もせずにここから去れば仲間を窮地に陥れることになるのではないだろうか。
「今、成すべきことを冷静に考えろ」
「――どんなときも、みんなそう言うんだよ。命を粗末にするなとか、もっと冷静に考えろとかよ。利いた風な口をきくなってんだ……。――俺は……約束を守るよ。何度も久須那を哀しませたくねぇし……、俺も久須那を手放したくねぇんだ、今度こそ……」
「与太話はいい加減ににしてくれないか。シルエットスキルの久須那とサムのことなどどうでもいい。わたしが知りたいのはそれを渡すのか、否なのか、それだけだ」
 それは“問う”と言うよりはむしろ、“否”と言う答えを知りながら、形式的に発せられたに過ぎないようだった。マリスは大して期待してる風でもなくリボンを凝視していた。
「――答えは……」
「……すまねぇが、俺は行くぜ……」
 サムにとっては苦渋の決断だったに違いない。この場を去ることはリボンたちを見捨てることと同義だ。圧倒的強さを誇るマリスの前にサムは無力に等しいかもしれない。しかし、最強の剣士とも称されたサムの自尊心はそのことを認めようとはしない。そして、そんな自分を久須那は許してくれるのだろうか。とは言っても、サムもかなり適当な性格だったから、戦いの最中に気に入らないと言って姿を消したことは何度もあったのだ。
 去り際、サムとデュレの肩が触れあい、その僅かな時間にデュレはサムに紙片を握らせた。デュレはマリスに勘づかれないようにそっと目配せをした。
「――痛いじゃないですか、気をつけてください!」
「あ……あぁ」
 返事に窮したが、サムは紙片をギュッと握り締めて何でもない風に通り過ぎた。
 それを切っ掛けにして、デュレは口火を切った。
「今まで騙していたんですね、リボンちゃん……。わたしたちの味方の振りをして、本当は自分の目的を果たすためだけにわたしたちを利用していたんですね。絶対に許しません」
「はぁ……?」リボンは虚を突かれたように目をまん丸くした。
 この状況下で本気なのか、演技なのか判別しかねるものがある。しかし、デュレのもつ空気を読む限りではウソ偽りではなく本心のようだ。もし、それが演技なのだとしたら、千両役者並みだ。
「お〜かなり本気のようじゃない? と言うことはつまり、あれ知っちゃったのかしらね?」
 横から顔を出した迷夢が言った。
「あれ? あれって何だ?」
 デュレの発言より、迷夢の“あれ”の方がリボンには問題発言だった。あれが何なのか判らない上に、心当たりすらもない。さらに、デュレの言動が当初の計画から逸脱したものだったとしたら、実際にマリスから何を吹き込まれたのか非常に気になるところだ。
「キミはお子ちゃまだったから、覚えてないのかなぁ? キミとあたしが実は夫婦だったってこと」
「はぁ? 寝ぼけたことを言うな。真面目に答えろ」
「あたしは至って真面目なんだけどな。けど、今回は後にしよう。勝てれば話して誤解を解くくらいの時間はあるでしょ。誤解なんだか本心なんだか、知らないけどさ。ところで、マリス。ホントのところ、デュレに何を見せたの? 教えたの?」
「聞いてどうする?」刺々しい言葉だった。「貴様は――知っているはずだ」
「知らないなぁ」白々しい。迷夢はちらりと横目でデュレを確認して、すぐにマリスに視線を戻した。「そして、あたしがキミに尋ねたのはもちろん、今後の作戦を練るために決まってるじゃない」
「ならば、余計に教えられないな」
「あらら」迷夢は心底がっかりしたらしい。「あたしとマリスの仲じゃない、細かいことは言いっこなしよ。……あたしたちのために少しくらいリークしてくれてもいいかなって」
「何故だ?」素っ気ない。
「うん? 何故って、それはあたしだからに決まってるじゃない。それにもう、いいや、面倒くさいし、どうせ、……」迷夢はちらっとマリスの顔色を窺った。そして、急に慎重になって言葉を繋ぐ。「知ってるし。所謂あれでしょ。フェニックスの卵。そしたら、疑問なんかいっぱい出てくるわよねぇえ? 世界の卵とも、覇王の卵とも言われたあれを見せられたら」
 それは“万里眼”と共に一般に白亜の装丁、白い紙に白い文字で記されているとされる純白の年代記にも登場する。その存在自体あやふやではあるが、その研究書(?)には幾つか特筆されるべき事項があるとされる。空白の年代記、クロニアス、そして、不死鳥の卵。
「けれど、その類の卵から孵ったものを見た人はいない。それを何で、どうやって、どのくらいの間、温めてやったら、孵るのか、何が孵るのかも、誰も知らないのよ。キミでさえ」
 迷夢はズビシと指摘した。
「――何かが孵るのは判っている。違うか、迷夢。貴様もその昔、それを見たくて随分、ジタバタしたじゃないか。覚えていないか?」クスリとする。
「覚えてる。けど、あたしは一人でも多くの仲間をとった。……だって、それはキミがキミである限り、破滅しか生まれないからっ! キミがこの世から消滅しない限り、それから希望や、新しい世界、不死鳥なんて生まれてこない。それはそう言うものなのよ。育んだ持ち主の心を反映して何にでもなりうるのがそれなんだから」
「そうかな……?」瞬間、マリスは淋しそうな表情を見せた。
「え……?」迷夢は虚を突かれたように押し黙る。「ち、違うの?」
「さあ? 今に判る。……貴様らが生きて“墓場”から出られたらの話だが」
 マリスの瞳が一際険しくギンと煌めいた。いつものように、虚空から剣を取り出し、マリスは迷夢と相対した。二度目の対決に手加減はない。迷夢も時計塔正面での戦いとマリスの様子が異なることをその研ぎ澄まされた鋭利な雰囲気から感じ取った。
「マリスちゃんも、ようやく本気になったんだ?」
 迷夢はこの場面には奇異なほどの朗らかさをたたえていた。
「ほざけ。……デュレはシリアの相手をしていろ。迷夢はわたしが片付ける!」
 黒き翼の二人の対峙。天使同士の戦いを目の当たりにするのは今度が二回目。だが、これはレイヴンと迷夢の戦いとは“格”が異なるような気がしてならない。相変わらず迷夢は飄々として朗らかでいるように見えるが、そのマリスに向ける眼差しがレイヴンの時のそれとは明らかに異なっていた。余裕がなさそうなのだ。
 けれど、迷夢はそんな辛気くさい空気を瞬く間に吹き飛ばした。
「さぁて、あたしもようやく本気が出せるってもんよっ」
 と言いながら、迷夢はマリスの剣よりもずっと細身で軽めの剣を手にしていた。いよいよ、始める。勿体ぶる必要は全くないが、迷夢は焦らし戦法に出た。迷夢とマリスでは剣の“技”ではほぼ互角。或いは迷夢に少しだけ分があるかもしれない。しかし、いわゆる天使階級でのヴァーチュズとドミニオンズの階級差は少しくらいの熟練度の差で覆せるものではなかった。
 だからこそ、迷夢はマリスを心理的に追い詰めたい。しかし、マリスはメンタルな面でも鉄壁を誇り、そんじょそこらのことではまるで動じない。策士・迷夢としてはそれが悔しくてならないのだが、マリスが相手では相手が悪かったと諦めざるをえない一面もある。
「……貴様から、来い」
「望むところよっ!」迷夢は大きく深呼吸をしてから、答えた。
 二戦目はもはや、どうあっても負けられない。少なくとも、例の魔法が無事に終了するまでは互角かそれ以上。出来ることなら、ここでマリスを潰してしまいたい。
「……フラッシュ・アクションっ!」
 迷夢は叫んだ。刹那、薄暗い大回廊に閃光が走り白い闇に包まれた。効力的にはデュレの使う“バニッシュ・アイ”に似通っているが、明るさの出力では“フラッシュ・アクション”が遙か上。しかも、一時的に視覚を奪うばかりではなく、対象者にしか判らない隠された効用がある。
 数分から、十数分に渡って対象者をただ一人で、白き闇に置き去りにする。もちろん、それは物理的にではなく、幻惑の一種だ。
「迷夢め……。小手先の技ばかりを使って、それでも貴様は戦士なのかっ!」
 マリスに見えるのはひたすら白き闇。そこから迷夢の気配を見つけ出す。しかし、迷夢どころか、デュレやリボンの気配すら感じられない。上級の使い手になれば、あらゆる気配を葬れる。
「……あたしは……戦士じゃないよ。策士なんだから……」耳元で囁くような迷夢の声。
「そこかっ!」マリスは迷夢の居ると思しき場所に剣を振った。が、手応えはない。
「は・ず・れっ♪」明らかに楽しそうに、マリスを挑発していた。
「ちっ!」思わず舌打ち。
 一度ならずも、二度までもデュレと迷夢にそれぞれ一回ずつ、ありふれた魔法を許してしまうとはマリスのプライドも多少は傷つくというものだ。マリスは目を閉じて神経を研ぎ澄ませようとした。本当は薄暗いはずのここを支配しているように感じられる白い闇を意識から排除する。
 剣を正体に構え、肩の力を抜いてリラックス。
 集中して、普段は感じることのない微かな空気の乱れを感じるのだ。ひゅう……。気配はない。けれど、僅かに……ホンの微かに空気が動く。空気が切り裂かれる気流を感じた。
 ギィィインン! 耳障りな音が響くが、マリスには迷夢を確認できなかった。
「やるじゃん。この状況であたしの剣を防げたのはキミが初めてだよ」
 マリスの目に徐々に暗さが戻ってきた。二本の剣が交錯するのが見え、迷夢の顔がすぐ近くに。
「……やはり、さっきは加減していたんだな?」
「ちょっぴり。あたしの可愛いエルフちゃんたちに矛先が向かないように。マリスがじぃっとあたしだけを注目するようにって♪」
「ふん……。よく言うな、その口は。だが、それが貴様の怖いところだ」
 その仮面に隠された迷夢の真の姿が見えてこないからだ。ポーカーフェイスだったり、にやけ顔、表層と内面の感情が一致していないようにマリスには見えるのだ。何を考えているか判らないが故に恐ろしい。それがマリスにとっての迷夢だった。
「じゃ、ホントのこと言ってあげる。言わなくても判ってると思うけど」
「冷静に考えると判ることだったな。もうすぐ倒せる。と思わせて、エルフどもから気を逸らせているつもりだったのだろう?」
「その通り。でも、今度はそんな必要はなし。だから、当然、加減もなし、全力あるのみ」
 そうでないと負けてしまう。とは口が裂けても言えない言葉だった。
 負けん気の強さを見せつけて、迷夢はさらなる攻勢へと踏み込んでいく。マリスもそれに応じるかの如く動く。しかし、大回廊という狭い空間では互いに魔法の大技を使えない。“光弾”クラスの魔法を使っては大回廊を崩してしまい自らが生き埋めになる恐れもあったし、小技の連続では決して無尽蔵とは言えない魔力の無駄遣いに他ならない。
「この狭苦しい場所を決戦場に選ぶとは考えたものだな」
「ずぶ濡れになりながらの戦いなんて締まらないでしょ。だから、屋根付きにしてあげたの」
「そうか? わざわざ済まないな」マリスは不穏に微笑んだ。「お礼と言っては何だが、貴様を血の海に沈めてやろうっ! スパークショット!」
 数発の光の弾丸を放つと同時に、マリスは音もなく迷夢との間合いを詰める。迷夢はトッ、トッと身軽に後方にジャンプしながら着弾するスパークショットをかわしつつ、マリスの挙動を観察していた。迫り来るマリスの太刀筋が読める。しかし、読めたからと言って圧倒的な力を込めて受け止めたり、流したりするのは魔法より遙かに難しい。
「シールドアップ!」間に合うか。
「シールドブレイク」魔力で剣技をディフェンスされるわけにはいかないのだ。
 神風の如くマリスが迫る。魔力プラス物理的な鋭利さで切れ味の決まる天使の剣は厄介だ。普通であればその剣も炎がまとわりついているくらいで鋼とさほど変わらないが、そこに魔力が相乗されると尋常ならざる切れ味を発揮する。
 ギイイィイイ。二本の剣の黒い炎が反発しあうかのようにブワッと一瞬だけ広がった。
「きゃううぅ」
「……止めたか……。サーベルごと真っ二つに出来ると思ったのだが……?」
「簡単に二つになんかなってあげないよ?」
 迷夢とマリスが魔力とパワーと技のぶつかり合いを激しく演じる一方で、デュレとリボンは長い膠着状態を戦っていた。本来的に敵同士ではない二人には、デュレにはどう打って出ていいのか判らない初めてのシチュエーションでもある。もし、セレスなら全く躊躇せずにリボンに向かっていくのだろう。しかし、デュレは行動を起こす前に考えるたちだった。
「……」
 リボンと見つめ合う中で、心臓の鼓動が徐々に早くなっていくのをデュレは感じていた。
 どうしたら、上手く立ち回れるか。マリスは迷夢との戦いに集中して、デュレたちの方に意識は向けていないかもしれない。だが、マリスに対してはどんな油断も許されない。デュレの裏切りの裏切りがはっきりとしてしまったら、厄介なことになるのは確定だ。
 意を決し、デュレは呼吸を整えた。リボンを信じてやってみたらいい。
「――光を滅せよ、闇の剣!」
 短い呪文を言い終えるのと同時に、闇色の長剣が姿を現した。
 デュレはゴクリと唾を呑む。リボンを殺してしまうかもしれない。と思ったのではない。どうしたら、リボンの牙と魔力を防げるのか判らないのだ。心配するだけ無駄とも思うが、万が一にでもリボンが本気でかかってきたらデュレに勝ち目はない。
 リボンとデュレは互いに見つめ合い、しばし、ピクリとも動かなかった。
「やぁあああぁっ!」
 奇声を発し、先にデュレが仕掛けた。膠着状態の時に、先に動いた方が隙を作ってしまい負けてしまうことがある。ともよく聞く言葉だ。だが、デュレは動いた。自分が動かなければ、リボンの動きが全く読めないと判断したから。それとも、リボンが自分を傷つけるはずもないと知らないうちに甘い考えを抱いていたから……?
 デュレは剣を振る。しかし、慣れないのも手伝って切れが甘い。リボンは後足に力を込める。剣の切っ先を焦がすほどの眼差しでじっと見詰め、かわすに最良のタイミングをはかる。
 リボンは剣の切っ先を軽くヒラリとかわした。デュレが魔法を使ってこないのは真にリボンを斬り捨てたいのではないことを物語るとリボンは解釈した。精霊王たるリボンでも、デュレに魔法を使われたら少々手こずると言わざるをえない。リボンの勝利がおぼつかなることはないが、魔法とはリボンが自分の力を加減する際に厄介な代物だ。
 斬りかかってくるデュレの剣をかわしたのち、リボンはデュレを背中から手前に押し倒す。デュレは抵抗もままならず、背中にリボンの体重を感じながら床に押しつけられそうなるのを必死で堪え、身をよじって左に転がった。しかし、リボンも手慣れていて逃げようとしたデュレのお腹の上に足をのせ体重をかける。
「――こうなるなら、剣術を完璧にマスターしておけばよかったな、デュレ」
 リボンはデュレの首筋に噛みつく振りをした。
「――一緒にいて、何か判ったか……?」
「……えぇ。万里眼はレルシア枢機卿のものだったそうですね。でも、ハーフエンジェルは剣や弓を持って生まれてくることはないと言います。……天使とは違い、強力な魔力を物質化できないからだと聞きました……。つまり、万里眼が他から入手したのではなかったら、玲於那の持ち物の可能性が数段高くなります」
「……マリスとはそんな話をしていたのか」
「あれは誰の持ち物だったんですか?」
 デュレは馬乗りになったリボンの腹の辺りに膝を入れて突き飛ばす。リボンはデュレの動きに従って、飛ばされたように飛び退き、ほど近い場所に軟着陸した。
「なるほど……、じゃ、あれは本心だったんだ……。別に騙していた訳ではない。答えなかっただけだよ。それに――お前は真実を手にしている。今更、オレから説明することもないだろ?」
 リボンは口元を歪めて、イヤらしく微笑んだ。
「それは……詭弁です。ホントに玲於那さんのものなら、わたしには教えてくれても……。そして、万里眼と不死鳥の卵が同時に同じ場所に存在し、それが共鳴、融合したらどうなるのかを……」
 早口で喋るデュレに対し、リボンは静かに首を横に振った。そして――。
「フェンリルハウル!」
 声なき声でリボンは吠える。人などには聞き取ることの出来ない高周波。とは言っても、出力が大きいそれはそこにいるものにとって激しい不快感をもたらす。一方で、リボンは音波であるそれを使って一つのことを狙っていた。リボンは狭い空間を巧みに利用し共鳴、或いはある一点に集中させることで高周波の威力を発揮させる。
「リボンちゃん?」
 マリスと剣を交える迷夢の声がする。デュレは耳を押さえてうずくまる。その音波は広くもない大回廊に共鳴し、殷々と聴覚に干渉するほどになる。聞きたくないと思っても、薄い手のひら如きでは音波を完全には遮断できない。
「や……、やめてください。リボンちゃん。耳が……」
 リボンはデュレの言葉には全く耳を貸さなかった。そもそも、デュレを狙ったのではない。端からマリスを狙っていた。共鳴波を利用してマリスのいる場所の天井を崩す。しかし、天井の一部分のみを落とすことは可能だろうか。一部の崩壊が波及して、天井が丸ごと落ちるかもしれない。
 迷夢はリボンの行動をそれと悟り、瞬間的にでもマリスの動きを封じようと躍起になった。
 これで、巻き添えを喰ったとなったらあまりに締まらない。
「……マ〜リ〜スちゃん?」
 正攻法がダメなら、不真面目に攻めてみる。相手が真面目一方なら、より効果的なはずだ。
「急に猫撫で声を出されると、気持ち悪くて鳥肌が立つな……」
 一瞬、マリスが動きを止めた。狙ったとおり。ピキン……。その僅かな時間を狙っていたかのように天井が落ちた。何かを仕掛けられるとマリスも考えていたが、こうだとは予想しなかった。ガガガっ。かなりの広範囲にわたり、崩壊してきた。
「くそっ!」悪態をついても、意味がない。
 どんなに素早く動けたとしても、避けようがない。マリスはギリリと奥歯を噛みしめた。くだらない負け方は出来ない。流石のマリスと言っても、天井の石と土砂の下敷きになっては無傷では済まないだろう。マリスは崩落から下敷きになるまでの短い時間に出来る限りの魔力を使って、フィジカルディフェンス、即ち、物理防御を最大限に引き出させた。
「……すぐに掘り起こして出てきそうだけど……?」
 迷夢はマリスの様子を直前で見ていて、とても率直な意見を述べた。
「なに、数分でも時間が稼げればそれで十分だ。……落ち着かないからな……」
「そぉお?」迷夢は納得出来なさそうな不承不承の顔色だ。
 そんな不機嫌そうな迷夢は放って置いて、リボンはペタンと座り込んだデュレに向き直った。
「――行けよ、デュレ。お前が戻らなければこの戦いは終わらないんだ。お前がキーパーソンだ。お前が名付けた闇の精霊を覚えているだろ? そいつと契約しろ。シェラの……ゼフィのアミュレットがあるだろう? マリスを異界へ送れ。迷夢を助けろ。いいか、これだけは言っておくぞ」
 真摯に研ぎ澄まされた鋭いリボンの眼差しを受けて、デュレは固唾を飲んだ。
「……マリスを潰すまで、オレは帰らない……」
「どうしてっ! 帰りましょう。すぐにここを出て、マリスなんてこのまま生き埋めてしまえば」
「いいや、それじゃダメなのさ。オレがまだ、ピンピンしてるうちはな」
 リボンはデュレの顔を見詰めて、ニンと微笑んだ。
「とりあえず、時計塔に向かうんだ。さっきの機械時計のところに行けば、帰り道が開く」
「でも、セレスにメッセージを送らなくては……」
 デュレは狼狽え、同時に食い下がった。セレスにメッセージを伝えなければ、未来は過去に繋がらない。そのメッセージを送る役目を担うのはリボンなのだから、彼はここから出られ、生きて帰ってこれるはずだとデュレは主張したかった。
「――心配する必要はない。お前は先に行って自分がメッセージを送る場所を探すんだ。オレはマリスを倒したらすぐに追い掛ける。……もう、時間がないんだ……」
 その言葉がリボンの口から零れ落ちたのだとはデュレはにわかには信じがたかった。まるで、リボンは自分が帰ることを諦めてしまっているような口調なのだ。
「どういう、ことですか?」虚脱感を漂わせ、デュレは言う。
「……オレたちは時の流れの中に既に織り込まれていると言うことさ……。意図しようとしまいとに関わらず、織られていく。タペストリーが嫌だというなら、川の流れに浮かぶ、オールさえもない一艘の小舟でもいい。川を上りたい意志にもかかわらず、小舟は川を下る……。だから、大丈夫だよ。必ずデュレを追い掛けるから」
「でも……」
 デュレは心臓がギュッと締め付けられるような思いをした。胸が苦しい。デュレはリボンが言わない“真の言葉”を表層で語られた言葉から読み取ったような気がしていた。考えたくない結末への思考の帰結。リボンは“帰らない”のではなく、“帰れない”のだと。自らの出した答えにデュレは大きな不安を感じていた。まるで揺らぎの支配する大迷宮に踏み込んでしまったかのようだ。違和感。居心地の悪さ。ここに存在してはいけないと感じさせる何か。様々な時空を巻き込んだ負の空気。周囲全てが敵になってしまったかのよう。
「どうした? デュレ」
「いえ、別に……。な、何でもありません」
「ま……、先に行ってろ。追い付くから心配するな」
 揺らいでいる。波にたゆたう小舟の如く。運命の波打ち際に漂着した小舟は最大の危機を迎えた。この居心地の悪さはデュレがこの時代に用無しになったことを示しているのか、それとも、変わってしまった時の流れから弾き飛ばされようとしているのだろうか。
「いいよな、迷夢。デュレの出番はここまでだ」
「キミがいいってんなら、あたしは止めないよ。そもそも、あたしはデュレをここに居させたこと自体、キミの判断ミスだと思ってるんだから。だってそうでしょう? デュレにはここじゃない他の場所で、重大な役割が待っている。それなのにリボンちゃんはデュレの言うこときいて、ここに止めちゃったんでしょう? いいこと、それは大きなミステイクっ!」
「……うるさいよ。お前」リボンは疎ましそうだった。「いつまでも、人をコケにしたような態度をとっていると後悔するぞ」
「例え、どんな結果になろうとも、後悔だけはしないのよ。だって、ね、自分でこの方向に突っ込んだんだから、それなりに覚悟してきたつもりよ。だから、デュレ。行きなさいよ」
 そして、デュレは気がついた。迷夢が初めて自分の名を呼んでいるのだ。出会ったからずっと、“エルフの子猫ちゃん”だったのに、この期に及んで初めて。
「どうして、そんなに頑ななんですかっ! わたしも仲間に入れてください。わたしもここで最後まで戦わせてください!」デュレは肩を震わせ、力一杯の声を出した。
「あん? もう、仲間になってるじゃない……。ねぇ、リボンちゃん」迷夢は確認するかのようにリボンを見下ろした。リボンは迷夢を見上げ、軽く頷いた。「あたしとリボンちゃんは今や、二人きりのオリジナルメンバー。……キミたちは将来の命運を握ったセカンドメンバー。そして、キミたちの活躍の場はここではない未来ってことになるんでしょ? リボンちゃん?」
 迷夢はひょいとしゃがむと目線をリボンに合わせた。
「ここから先はオレと迷夢の役目だよ。お前の役目は時を越えたメッセンジャー。……お前のステージはここじゃない。――オレたちの物語に終演をもたらすには、デュレはこれ以上、ここに居てはならないんだ。時間が足りない。……だから、行けっ!」
「……はい……」
 デュレは気圧されて一歩後退る。嫌な感じがする。良くない予感がどうしても浮かんできて、脳裏から払拭することが出来ない。途方もなく不安で、胸が押し潰されてしまいそうだ。けれど、デュレは次の二歩目を踏み出した。
(――さよなら、リボンちゃん……)デュレは心の内で囁いていた。
 きっと、自分と対をなすはずのメッセンジャーボーイはここには居ないのだ。