12の精霊核

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47. requiem for soldiers(戦士に捧げる鎮魂歌)

「……とうとう、二人きりだな……迷夢」
「そうね……。けど、少数精鋭部隊になったって言ってくれないかしら? もちろん、みんなが役立たずだったなんてことじゃなくて、その方が気分が盛り上がらない?」
「――盛り上がりようがないだろう……」すっかり冷めた口調だ。
「そっかなぁ? あたしはいいと思うけどぉ……」
 軽口を叩きつつも、迷夢とリボンは崩れた天井の瓦礫の山を注視していた。来る。それは予感ではなく確信だった。ならば、動く前に打つ方策もあるが、リボンも迷夢もそうする気持ちは毛頭なかった。ただ勝てばいいと言う性質のものではないのだ。
 どんな場合にも最低限、守らなければならないルールがある。
「……真面目だよね、リボンちゃん」しみじみ。
「不真面目な方がいいと思う時もあるよ。……騎士道精神という気はないが、この戦いはフェアでないと禍根を残す。何故なら――」リボンは口をつぐんだ。
 瓦礫をかき分けて、マリスが頭を覗かせたのだ。怒りは頂点に達し、もはや、黙って見過ごすことなど出来ない。デュレを逃してしまったのは惜しいが、そんなことよりも目先の二名を恐怖のどん底、二度と這い上がれないような地獄の底に叩き落とさなくては気が済まない。
「……後悔……するがいい……」
「――後悔してるのはマリスじゃないのか?」
 リボンは言った。リボンや迷夢、その他大勢を屠るチャンスは幾らでもあったはずだ。そのチャンスをみすみす逃し、このようなある意味悲惨な事態に陥ったのはマリス自身の行動による。
「ふん。真っ向から否定したいところだが、否定しきれないな。まぁ、そんなことはどうでもいいさ。これから貴様らを地獄に落とせたなら、後悔くらい軽く消し飛ばせる」
「……いいや」リボンはそっと首を横に振った。「その思いは払拭できない」
 マリスは上気する。奥歯は割らんばかりに食いしばり、握った拳には手のひらに爪が突き刺さるほどに力が込められる。瞳には激しい憎悪とも言うべきおどろおどろしい淀みかけた光が宿る。
「――やはり、貴様だけは許せないな」
 一旦は虚空にしまい込まれた剣を取り出した。リボンとマリスは互いに睨み合い、一歩も譲らない。リボンは唇をまくり上げて低いうなり声を上げる。姿勢を低く、後ろ足に力を入れて、マリスに飛びかかる機会を窺った。リボンの武器は魔法と鋭い牙。
「あたしが居ることも忘れないでよ?」
 対峙する二人の間隙を縫って、迷夢がヌッと現れてマリスに向け剣を突き出した。
 キィイイィン。マリスは軽く迷夢の剣をあしらった。
「二対一か……」マリスは不機嫌そうに迷夢とリボンをチラチラと見比べた。
「ハンデは必要じゃない? どの道、マリスは途方もなく強いんだから、構わないしょ?」
 迷夢は険しい眼差しをしつつ、それでも口元は微かに笑っていた。
「ハンデが欲しいなら、何故、サムやデュレを帰した? 全員集めても貴様らの分が悪い」
「頭数だけいりゃいいってもんじゃないのよ。さあ、来なさいよ」
 迷夢はスイッと姿勢を正し、左手を突き出してマリスを誘った。今までの経験から判断すると、マリスは簡単には挑発に乗ってこない。けれど、万が一にでも理性の牙城に小さな風穴でも開けられたら、ホンの僅かだけ迷夢に優勢で戦いを進められるかもしれない。
「ファーストステップに何か、リクエストはあるか? 応えてやる」
「そぉお? じゃあ、――死んでよ。あたしたちのために」
「それは出来ないな」即答する。
「やっぱりね」迷夢はケロッとして言った。「じゃ、あたしがキミを消すしかない」
 迷夢は剣の柄をぐっと握り締めた。
「……スパークショット!」
 予備動作を見せることなく、迷夢は突然にスパークショットを放った。左手の指先から滑らかに光の弾丸が迸った。さらに迷夢は白い弾丸をの背後を駆る。深い意図があった訳でもない。ただ、その方がマリスは対処しにくいだろうと踏んだのだ。
「シールドアップ」
 案の定、マリスは“シールドアップ”を使ってきた。そのシールドは魔法を防御するのみで、物理的なものは防御できない。つまり、迷夢自身はほぼ問題なくシールドを素通りできる。迷夢は姿勢を低く保ち、マリスの視界を避けるように距離を詰めた。
 上手くいけば、スパークショットでマリスの視界が遮られているうちに至近距離に行ける。
 数秒にも満たない時の間に全てを果たす。スパークショットがシールドに接触し、シールド面に波紋を残して……それだけマリスの魔力が安定している……吸収されていく下辺を迷夢はすり抜ける。体勢は低く、剣は下段。迷夢は伸び上がるように剣を振り上げる。
「――そんなに甘くないぞ……」
 マリスは下の方を向くことすらなく、剣を床に向け迷夢の剣の軌道上に突き立てた。ギィイイ。耳をつんざくような金属音と共に迷夢の剣は弾かれた。けれど、迷夢はそのまま次の行動に移った。間を開けてしまったら、掴みかけたかもしれない流れを手放すことになるかもしれない。
 迷夢は軸足に力を入れ数歩下がり、間を開けることなくマリスに挑んだ。
 と言って、ただ剣で斬りかかるだけではダメなのだ。マリスの予想をキレイに裏切ることが出来なければ、かすり傷を負わせることもままならない。
(――何か、ないかな?)迷夢は奥歯を噛みしめる。
 そして、ピンと閃いた。迷夢はそれをマリスに気取られぬように注意しながら、動く。が、マリスは迷夢がまとった空気が微かに変わったことに気がついた。迷夢も悟られたことに気付く。だが、どういった行動に出るかまでは悟られていないと決断を下す。
 迷夢はマリスに突きかかる。そして……。
「フィジカルディフェンス!」
 剣と剣が交差するのを予測して、自らの剣を境にして防護膜を張る。実際、それは予想通り。剣は刃が擦れ合い耳障りな音と火花が散った。迷夢はそこで止まらず、なおも動く。フィジカルディフェンスを盾にして、切り込んだ。剣の柄から右手を放し、マリスに手のひらをあてようとする。
(届けっ! 届けば直接、魔法を撃ち込める)
「くっ!」
 マリスは咄嗟に左足をぐいっと後ろにさげ、身を引いた。薄々、読めていたのだ。剣と剣で思い切りぶつからなかったから、どこかに迷夢の思惑があると思った。そのお陰か、マリスは辛うじて突っ込んでくる迷夢をかわした。一方の迷夢は勢いの殺しようがなく、つんのめって一回転し、そのまま冷たい床に尻餅をついてしまった。
「ははっ……。ダメっぽいね? やっぱ、あたしじゃマリスには敵わないのかなぁ」息を切らしても迷夢は持ち前の明るさを遺憾なく発揮する。「けど、諦めないっ!」
 迷夢はマリスの次の攻めが来る前に勢いよく立ち上がって、マリスの喉元に剣を突きつけようとした。しかし、軽く流される。不意を突いたつもりだったが、オーバーアクションだったのかマリスに太刀筋を読まれていたらしい。
「ちぇ……。少しくらい手加減してよねぇ」それでも迷夢は減らず口をたたく。
「口の減らない奴だな。迷夢も。真剣勝負に不真面目だ」
「そおかしら? 口数の多いあたしは絶好調なのよ。この間は怯えちゃったから口数は少なかったでしょぉお? そしたら、全然ダメなのよ。あたし」
 そんなことは訊いていないと言いたそうな表情でマリスは迷夢を見詰めていた。
「目障りだ……。貴様は」
「あははっ」迷夢は笑顔に満ちた表情を一転させた。「それがあたしよ」
 迷夢はスッと優雅に剣を持ち上げた。何故か、魔法を使う気がしない。計算があった訳でもなく、どこからか湧き上がる無意識の泉が迷夢の行動を操っているのようだ。そこにはプライドも打算もなく、純粋にマリスに勝ちたいと言う思いが頭をもたげてきたのかもしれない。
 迷夢はマリスとの間合いを詰めにかかった。マリスの動きを読みながら少しずつ。焦ってはいけない。それはマリスとて同じこと。決着をつけるべく、チャンスを窺っていた。
「――それが迷夢だったな」
 互いの瞳に熱い眼差しを送り合う。そして、僅かな隙を見つけては鬩ぎ合う。
「ねぇ、マリス。キミは万里眼と不死鳥の卵で何をしたかったの?」
「答える義理はない。だが、冥土のみやげに教えてやってもいいが……?」
 迷夢は答えない。そして、マリスも。問いはしたが、答えはしたが、二人にとってそれは些細なことに過ぎなかった。二人の意識下にあるのは勝敗の行方のみ。だが、それすらも超越したところに二人の意識はあるのかもしれなかった。
 剣を持ち、瞳を見据え、互いの一挙手一投足ばかりでなく、身にまとう雰囲気にまで意識を集中する。僅かにでもその雰囲気が揺らいだ瞬間がチャンスに他ならない。緊張感が高まると、手のひらが汗ばんできて、柄が滑る。けれど、ちょっとでも弱味を見せることは出来ない。その行為は攻撃を誘発する要因になるのは確実なのだ。
 一撃で決める。マリスも迷夢もそう考えた。過度の緊張感は思考の範囲すらも狭くする。
 しかし、実力の伯仲する二人が戦い、隙をつけたら一撃で雌雄が決するのは間違いない。だからこそ、なかなか動けない。必ずしも正しいとは限らないが、先に動いた方が相手に攻撃のチャンスを与えてしまうこともままあることなのだ。
「……来い……。来ないのなら……。そうか……」
 マリスが動いた。それは迷夢にとって千載一遇の好機となりうるだろうか。
 が、マリスに隙は見えない。迷夢は奥歯を食いしばった。活路が見いだせない。左右に転がれば、或いは避けられるかもしれない。でも、それはもはや迷夢のプライドが許さない。迷夢はマリスの斬撃を自らの剣で受け流そうとした。
 ニヤリ。マリスは“かかった”と言わんばかりの表情でほくそ笑んだ。
 迷夢が逃げないで突っ込んでくることをマリスは望んでいたのだ。
 マリスの剣は迷夢のサーベルをヒラリとかわし。悪夢。極至近距離では迷夢の動きを起こすよりも、マリスの剣のスピードの方が速い。剣の切っ先をはっきり捉えていても、避けきれない。それでも、迷夢は必死の面持ちで身をよじった。
 剣は迷夢の脇腹から腰にかけて貫き通す。
「あぐぅ!」迷夢の悲鳴。
 瞬間、マリスの表情が歓喜に満ちた。そして、深々と迷夢をえぐった剣を引き抜いた。
「う、そ、でしょう?」
 迷夢はよろめき、床に倒れる。あまりに信じがたいことが起きてしまった。迷夢は魔力こそマリスに劣るかもしれないが、剣術では互角以上の自信があったし、事実そのはずだった。しかし、脇腹からの激痛は無情な現実を迷夢に突きつけてきた。
「だって、あたしは仮にも迷夢よ。そのあたしが、こんな負け方をするはずがないっ!」
「負けたんだ、迷夢。大人しく、そこで死んでろ」
 マリスは迷夢のその傷は致命傷、迷夢はもう仕掛けてこないと判断したのかくるりとリボンに向き直った。リボンは迷夢とマリスの一騎打ちの間、手出ししたくなるのをじっと堪えていた。マリスが背を向けた僅かな隙にでも飛び掛かれば勝てたかもしれない。けれど、リボンはそうはしなかった。迷夢の……普段の迷夢からは信じられないほど真剣な眼差しを見てしまったから。
「シリア、残るはお前だけだ。覚悟しろ!」マリスは血の滴る剣をリボンに差し向けた。
「覚悟なんか、とっくに出来てる。覚悟するのはお前だ、マリス」
「ほざけ。たかが精霊風情に何が出来る。わたしは天使だ!」
「精霊王、氷雪のシリアの名に於いて命ずる。出でよ、氷の刃っ!」
 すると、まるで空気中の水分が剣の形に凍結していくかのようにそれは形成された。刃先は鋭利、光が当たれば鋼製の剣以上に険しく輝く。リボンはその刃が床に落ちる前に口でくわえた。
 黒い炎対白い氷との戦い。どちらも決して譲れない。
 二人は互いの瞳を突き刺すように見詰めながらピクリとも動かなかった。下手には動けない。マリスは精霊王の潜在魔力ではなく、俊敏性に警戒していた。魔法にしろ、何にしろ思考からアクションを起こすまでにはタイムラグを生じる。その隙間を狙われるとマリスでも対処は出来ない。
「……あの、ただ泣き喚くだけだったおチビちゃんがこうなるとはね」
「は……、早く決着つけてよね……。尻切れトンボじゃ死んでも死にきれない……よ」
「貴様もしぶといな……」
 マリスはリボンから目を離すことなく答えた。一瞬のチャンスでもリボンに与えることは出来ない。リボンの攻撃パターンが読めない以上、一分の隙も許されない。
 そのリボンが動いた。助走で勢いをつけ、ジャンプしながらマリスの右の首筋を狙う。氷の刃をくわえたままリボンは頭を大きく左に振った。マリスは一瞬の判断で身をかがめ、リボンをやり過ごす。リボンは綺麗に着地を決めると、眉間にしわを刻んで振り向いた。
 おもむろに振り返ったマリスは眉一つ動かすことなく、再び、対峙した。
 やりにくい。普通は同じくらいの身の丈のものと剣を交えるのが大半だ、リボンのように四つ足で体高が自分の三分の一ほどのものの相手をするのは初めてのこと。
「何故、魔法を使わない?」それは同時に自身への問いかけだった。
 大回廊が崩れたら困るから。否。それは都合のいいいい訳に過ぎない。例え大回廊が崩れたとしても、物理的な防御方法は幾つか考えられる。では、何故。リボンのどこかにサスケの面影を見ている。だから、無意識のうちに何かを避けているに違いない。
 リボンから発せられる威圧感はサスケのそれを彷彿させる。
 或いはかつて、かつてサスケと戦った記憶を思い起こし、身体が強張ってしまったのか。
(……ただの獣をどうして、恐れる必要がある……)
 マリスは呼吸を整えて、踏み込んだ。一気にけりをつけよう。長丁場になるとリボンから何を仕掛けられるか想像もつかない。間合いに入り込み、リボンと視線がかち合った瞬間、マリスは剣を振り下ろす。しかし、リボンも大人しくしているようなタマではない。リボンは僅かな間に振り下ろされる剣とは逆方向にスライドするように身をかわし、氷の刃を振り上げた。
 ガィィィィィィン! 折れた。
 氷の剣と交錯した部分から黒い炎の剣が二分され、その上半分はくるくる回りながら床に落ちた。
「わたしの剣を折ったのは貴様が初めてだ。褒めてやろう」
 感心した様子だが、落胆の表情は一切なかった。そもそも滅多なことで折れるようなそれではない。つまり、そのことはリボンの魔力が一時的にせよマリスのそれを上回った証に他ならない。が、所詮それだけのことに過ぎない。天使の剣は魔力で出来ているが故に折れてもすぐに再生が可能だ。生まれながらに剣を持つと言っても、剣は天使の従属物に過ぎず、剣の状態が本人の精神状態・体調に影響することはない。
「それは光栄だな」リボンは氷の刃を床に投げ捨てた。
(……。あと、もう少し、もう少しで有効範囲だ……)
 マリスは一旦、剣を虚空に掻き消して、再び実体化させた。その形状は無傷。全身全霊をかけて、奇跡にも近い確率で剣を折ったのはいいが、直ぐさま復活されたのではリボンも少々気が滅入る。
「フフ……。確かお前は三度目だと言ったな……」
 マリスは一歩踏みだし、リボンは一歩後退った。マリスを“あれ”に引き込むチャンスだ。リボンはマリスに気取られないように用心しながら、さらに一歩下がった。“あれ”をもっとも効率よく使うためには対象であるマリスを“あれ”の作用点のプラスマイナス数歩のところに居てもらわなければならないのだ。
「……聞いたって、教えてやらん」
「ふん。聞く気はない。貴様が何度目だろうと、今、わたしが勝てばいいだけのことだ」
 リボンが下がれば、マリスは前に踏み出す。特に不信感を抱いている様子はない。
「それは……どうかな」
 リボンの瞳が鋭く煌めいた。そして、尻尾を振り振り、実行の合図を送る。
 その瞬間、ピンと張られた蜘蛛の糸のようなものが揺らいで見えた。墓石から墓石へ、それは幾重にも渡されて、気がつくとマリスは糸がもっとも密集している位置に誘い出されていた。その糸状のものは硬質ではなく、マリスが触れると蜘蛛の糸のように容易く切れた。
「……? これがどうした……?」
 マリスは糸を手でさっとかき分ける仕草をする。
 リボンはそのマリスの不可思議そうな表情を見て、ほくそ笑んだ。
「さぁ! その意にそぐわぬまま葬られし聖職者たちよ。今こそ、積年の恨みを晴らす時。墓標に封じられた魔力の全てを解放し、災厄を呼ぶ黒き翼の天使を呪縛しろ!」
「あのぉ、あたしも黒い翼なんだけど……?」
 迷夢は自分の胸に手を当てながら、リボンに問う。
「お前は大丈夫だ。これはマリスの魔力にしか感応しない。久須那とサムにそういう風に準備してもらったからな。……マリス! ここがお前の仮初めの墓場だ。時が巡るまで、二百二十四年間、大人しく異界の夢でも見ながら眠っていろ」
 刹那、細い糸に光が走った。墓石から墓石へ幾重にも折り重なった光の筋が辺りを埋め尽くす。
「なっ! 身体が……っ!」
 まるで金縛りにあったかのように動けない。
「それが……。お前が侮っていた人間の力だよ。本当ならば、未来に禍根を残さないようにここで殺してしまいたいんだが、時機じゃないからな……。その時まで、大人しく封じられていろ」
「そう易々と倒されてたまるかぁ! 貴様如きにわたしは負けないっ」
 リボンは哀れみの思いを胸にしつつ、そっとマリスを見た。マリスは激しい憎悪の念に駆られた。ここまで来て、また敗北の憂き目を見なければならないのか。マリスは渾身の力を込めて、呪縛を破ろうとしたが、すぐにそれが容易ではないことを悟った。
 喋ったり、指先を動かすことくらいはさほど難はないが、それ以上のことが出来ない。
「……諦めろ。お前の負けはもはや、確定だ……揺るがない……」
「だとしても、諦められるはずがないっ!」
 ここで封じられたら、再び千年以上の長きに渡り氷塊の中、ほぼ無限とも、停止したとも言える時を過ごさねばならない。再び、異界の地を見ることも叶わず、自ら実現すべき野望の実行すらもままならない。そんなのは二度とご免なのだ。
 リボンは首を大きく横に振った。そして……。
「――氷雪の王者、シリアの名において命ずる。星霜の彼方より続きし精霊王の死せる魂を呼び覚まし、血族に受け継がれる白き魔力を解き放て。さすれば、氷の風格を閉ざされし記憶の淵から呼び覚ません! 封魔結界っ!」
「くあっ! 歴史は変わるっ! 次こそは貴様を屠ってやる」
 ピキ……。全くの不意に冷たい風が吹き出した。それはリテールに吹く木枯らしよりも冷たく張りつめたものだった。やがて、その限られた周辺に異常に冷やされた空気に反応して、空中の水蒸気が凝結、水滴に状態変化を起こし始めた。
「――お前にオレは殺せない……。絶対に」
 リボンはくるんとマリスに背を向けると、囁いた。
「くそぉっ! 何故、貴様らが選ばれ、わたしは選ばれないっ……!」
「――」リボンは立ち止まり振り返る。「十分選ばれてるさ。――お前は生きてる」
「生きてる? 生きてるだけでは選ばれたことにはならない。貴様らを……道連れだ!」
「……! まだ、そんなことが出来るのか」
 去ろうとしたリボンは立ち止まった。魔法を使えるだけの魔力が残っていたら、封魔結界の効力が弱まるか、上手く結界が作動したとしても内側から破られてしまう可能性も否定できない。それでは困る。何としても、二百二十四年の最低ラインは封印を維持しなければならないのだ。
「幾らでも……。身体が動かなくとも頭脳さえ明晰ならば、魔法は使える。完全に封じたいのなら、グレンダがしたように魔力を完全に奪え。そうでないならば、殺せ……」
 押し殺した低い声、マリスは眉間にしわを寄せ、目を細めた険しい眼差しがリボンを刺した。
 これ程までに、封魔結界発動までのタイムラグを恨めしく思ったことはない。逃げられない。直撃を喰らってしまう。防御できずにそれを喰らえば、高い確率で致命傷は免れない。
「迷夢ぅ〜!」叫んだ。
「はん? 逃げれって言っても無理よ、無理。あたしはもとより、ボロボロ。……カウントダウン中なんだから。あはは……。あ〜あ〜、そうかぁ。こうなっちゃうんだ。サスケの能力を仮初めにも持ってるのに判らないものなんだねぇ。自分のことって」
 この期に及んで、何故こんなにペラペラ喋れるのか自分でも不思議になるくらいだった。傷の痛みはもう感じなくなって久しい、なのに意識だけは妙にはっきりとしている。
「どうして、そんなに落ち着いていられる?」
「さぁ? けど、そう言うリボンちゃんだって、落ち着いたもんじゃない」
 確かに。と、リボンは思った。
 その一方で、マリスは封印されてしまう最期の一瞬まで自身の魔力を振り絞ろうとしていた。魔力の全てを使い果たせば、氷の封魔結界に僅かの隙もなく完全に封印されてしまい、サスケにやられた時の同様に自力で封印を“こじ開ける”ことは叶わなくなってしまう。しかし、それでもマリスは自らの計画を滅茶苦茶にしてやまないリボンたちを消し去りたいのだ。
「ああ、あああぁ! 光弾!」
 ドンっ! 魔力が結晶し、臨界に達した瞬間、それは魔法として放出される。マリス、最後の一撃。光弾を放った直後、マリスは封間結界の氷の奥底に閉じこめられた。しかし、一度、呪縛から解き離れた魔法には関係ない。魔力の連続供給により、光線のような挙動を示す光弾とて同じ。止まるまでに出来上がった分はもはや止められない。マリスも自分の置かれた状況を的確に把握し、最良の策、即ち、初動に持てる魔力を注ぎ込んだのだ。
 白い光が暗い部屋を満たしていく。
 かつて、レイヴンがアルケミスタの街に降り注がせた光弾の比ではない。
 マリスの放った光弾はリボンには直接、当たらずにリボンの頭上をかすめる。が、それだけでは済まなかった。光弾は立ち並ぶ墓石のほとんど全てを粉々に打ち砕き、中空構造の天井と床を支える数十本の柱を薙ぎ倒し、後方の壁にぶち当たった。光弾は壁くらいでは満足せずにさらに地下を掘り進んだようだ。と同時にドシンと言う激しい衝撃が大回廊を襲い、次いで地鳴りのような轟音が轟きだした。上下に大きく震動している。
“崩れる”
 リボンと迷夢はそう直感した。しかし、大聖堂に通じる側の入口は今の光弾で潰され、作業用通路に行こうにも大けがをした迷夢を連れてでは崩れる前に逃げ出すなど到底不可能と思われた。
「――行きなよ、リボンちゃん。自分の始末は自分でつけるから」力無い声で迷夢は言う。
 支えを失った天井は自重と土砂の重量に耐えきれずに瓦解し始めた。
「……オレは見たんだ。いや、見せてもらったかな、万里眼に。けど、それが幾ら正しい運命だからと、“はい、そーですか”と黙って受け入れる訳にはいかないんだ」
 リボンはニヤリとして床に倒れたままの迷夢を見やった。
 何もかもがメチャメチャになる。大聖堂の建築直後に改めて秘やかに建築されたという地下墓地。誰が、何の目的で建築したのか公になることもなく千年紀を過ぎた。今思えば、千年後を予見した時のレルシア枢機卿が計画に携わっているのではとも思えた。おっとりとした仮面の裏で、冷酷な判断を下しこの時に備えていたのかもしれない。シオーネ派が表向きは画策したと思わせつつ、その真意を誰にも悟らせることもなく。
(――万里眼がオレに見せた白い影……。レルシア……。お前がオレの行く先を示してくれた。――ゼフィが死んだ後、レルシアやシェイラルが居なかったら、オレはどうなってたんだろう……)
 遠い、遠い思い出が蘇る。


(シリアくんにはどうしてもしてもらわなくてはならないことがあります)
(何をするの?)シリアはキョトと首を傾げて、レルシアを見上げた。
(――時が来るまで久須那が封じられた封印の絵を守りなさい。これはシリアくんにしか出来ないことです。他の誰でも……。辛くて、逃げ出したくなっても、シリアくんは久須那を守らなければなりません。――出来ますか……?)
(……うん。でも、いつまで待っていたらいいの……?)
(時が来るまで。……明日かもしれないし、ずっとずっと遠い先、ひょっとしたら、シリアくんの生きている間には来ないかもしれません……。そして、迷夢と必ず仲直りするんですよ)
(……うん、判ったよ……)シリアは俯いてぼそぼそと答えた。(けど!)顔を上げる。
(けどはいりません。絶対です。今はそう思えないかもしれないけど、将来、きっと、あなたのために尽力してくれますよ。だって、迷夢はシリアが大好きなんですから……)
(え〜。オレは嫌いだよ。あんなやつ……)

 

「……命拾いか……」
 あれから、どれだけの時間が流れたのだろう。鼻先にピチョンと水滴が数滴落ちてきてリボンは意識を取り戻した。辺りを見回せば、どうやら、大回廊はキレイに崩れ去ったらしい。天井、壁、柱、墓石は全て消え失せ、さほど遠くもないところにさっきまでは構造物だったら石が迫っていた。そんな中、リボンは瓦礫に埋もれるように佇んでいた。流石に無傷という訳にはいかない。尻尾と右後足は瓦礫の下。けれど、とりあえずは死なずに済んだようだ。
「――命拾いしたって言うのかしらねぇ……。ただの気休め、延命処置……みたいな感じ。どうせなら、思い切ってやってくれちゃった方が良かったのに……」
「――はは、死にそうなくせに……口が減らないな」
「いいのよ。――意地でも最後まで喋るんだから……」
「何だ、そりゃ?」
「それがあたしよ。喋るの。それがあたしのステータス」
「そう、だったな。迷夢……、――あれは終わったのか?」
 リボンはとても大事なことを一つ思い出して迷夢に尋ねた。
「あれって何? ……ああ、光に住まう闇の言霊ちゃんのこと?」と迷夢が言うと、リボンは何だそりゃと言いたげに眉をひそめた。「……一応、終わったみたいよ。マリスの魔力の波動が強くて、何だかよく判らないんだけど……。シメオンの魔力はほとんど空になったみたいだし、闇の精霊ちゃんは……満足したような……そんな空気だけがそこはかとなく……ね……」
「じゃあ、少なくとも異界が雪崩れ込んできて無茶苦茶になることはもうないんだな?」
「マリスがおかしな邪魔をしていなければ、千年でも二千年でも……永遠でも……多分……」
「はは……。多分か、随分と心強い発言だな」
「しょうがないじゃない。もぉ、確認のしようがないんだから……」
 迷夢は手を動かして毛深いものを探し始めた。リボンの身体。最後だけでもいいから、リボンを自分だけのものにして抱き枕の代わりにギュッと抱きしめたい。
「あ……」
 迷夢が触れたのはリボンの前足。そして、キュッと握った。暗くてほとんど何も見えない。グレンダの魔法が解かれてもやむことのない雨もここまでは届かない。
「……ねぇ、リボンちゃん、まだ、――生きてる?」
「残念だが、――辛うじて生きてる……。へへ……、どうした、迷夢……?」
「はぁ、ん……。あ、――お願い……外へ連れ出して……。……イヤ、こんな闇の中で逝くなんて。せめて、朝日が昇るまで……」
「もう、昇ってる……。朝日を見ないまま、この街はお終いだ」
「デリカシーが足りないな、リボンちゃん。こういう時はもう少しで昇るからとか言って、励ますものなのよ。……可愛くないぞ……」
「可愛くないって言われてもな……」リボンは苦笑した。
「ねぇ、リボンちゃん。黙らないで。話し相手になってよ……。淋しいよ。一人にしないで。……せめて」迷夢は苦しそうに息をついた。「逝くまででいいから、離れないで」
「大丈夫。お前は死なない、それは絶対に絶対だ。オレは――見てきたんだぜ? 向こうで。――お前はピンピンしてたさ。ちょっぴり小さくなってたけどな……」
「そうなんだ。あたしは生きてる? あははぁ、案外、しつこいんだね、あたしって」
「もう、いい。喋るな」
「喋らせてよ……、それしか、ないんだもの。わたしの取り柄。あ〜あ〜。失敗しちゃったなぁ。もっと、スマートに出来るはずだったのに。――マリスになんかに負けないはずだったのに」
 天井だった場所を見詰める迷夢の目から一筋の涙がこぼれ落ちた。
「あ……。万里眼と不死鳥の卵はどこに行ったんだ?」
「判らない。けれど、この瓦礫の下よ。あたしたちと一緒。もう誰にも触れられない」
「いいや、あれは迷夢の腕の中にあった……。不死鳥の卵だけが……」
 リボンはあの時、万里眼に見せられたイメージをポツンと喋った。
 と、暗がりの中で不意に何かがうっすらと輝いた。優しい光。仄かな光。暗がりに浮かび上がったのは迷夢のウロボロスの腕輪だった。自らの尻尾を噛んだ蛇の腕輪。ウロボロスのほんのりとした明かりが照らす中に万里眼と不死鳥の卵が転がっているのが見えた。
 琥珀色の卵と、鳶色の瞳。ロミィと名付けられた万里眼はその可愛らしい瞳は興味深そうに不死鳥の卵を眺めていた。不意にシュッと目が閉じた。それから、ロミィは風が吹いたのでもないのに、何者かにそっと背を押されたかのように転がって、ツと不死鳥の卵に寄り添った。それらはやがて、互いの輪郭を共有するようになり、歪な瓢箪のようになったかと思うと、オリジナルの不死鳥の卵よりも少しだけ大きな卵になっていた。それは時が巡り、機が熟す時まで永い眠りにつくのだ。
「玲於那の万里眼とマリスの不死鳥の卵が一つに……。どういうことだ?」
 リボンにも理解不能だった。玲於那とマリスでは魔力の波長……色も違ったし、共通点らしきことはない。或いは二人の“色”が補色の関係にあったとしたら、こういうこともあり得るのかもしれないとリボンは考えた。が、それは憶測の域を出ることはなかった。
「あれから、何が生まれる……?」
「こ、こんなのは初めて見たよ。けれど、……あれもやっぱり、不死鳥の卵だったら、新しい世界が生まれる……。……だって、マリスがね。へへ……。……マリスが“カラミティエンジェル”言われてたことを考えたら“永遠”どころか“災厄”かもしれないけど、ホントは誰も知らないんだ」
「誰も知らない……?」
「そう。誰も知らない。不死鳥の卵を孵化させられた人は誰もいなかったから。――あれはとってもデリケートなの。……マリス以外にも居たのよ。不死鳥の卵持って生まれた天使。――けれど、一つも孵らなかった……。……ねぇ、もっとこっちに来て……。寒い……の」
 リボンは瓦礫に挟まった尻尾と足を何とか引っこ抜いて、迷夢の傍で落ち着いた。リボンが近づいてくると迷夢はリボンをギュッと抱きしめて、毛の中に深々と顔を埋めた。
「あったかいね、リボンちゃん。キミの毛並み……ふさふさ? ……だよ」
「どうして、……不死鳥なんだ……?」リボンは突っ込んだ。
「あん? ……願いと祈りを込めて。――無精卵か腐った卵じゃ、ロマンがないじゃない? ま、実際、何が生まれるのか、――生まれないのか何て判りようがない。けど、不死鳥だったらいいなって。――結局、あたしたちだって、永遠に生きてるワケじゃないし……。願望よね……」
「……永遠なりしもの……。ウロボロスの腕輪。不死永生の象徴、フェニックスの卵。未来の全てを見晴るかす万里眼――。凄いものが三つもあるんだな、こんなところに」
「あはは……。その中でもあたしのウロボロスが一番よ……。ホンの少しだけサスケの魔力が宿ってるの――。忘れないよ、あの時のサスケの後ろ姿」
 迷夢はスッと目を閉じた。


(……もう一度だけ、夢を見させてやろう――)
 懐かしくて優しい声が迷夢の脳裏に緩やかに広がった。
(サスケ……? 会いに来てくれたの……?)
(オレはずっとお前のそばにいた。ウロボロスの腕輪の中でこんな日が来ないことを願って――。もう一度だけ、お前に夢を見させてやろう……。お前はこんな終わり方をしない……)
(あたしはこんな死に方をしない?)
(ああ……。――その代わり、あいつは連れて行く……。この次、目覚める時、迷夢は……)

「迷夢……、迷夢?」
 迷夢はリボンの呼びかけに答えなかった。
「――いっちまったか……」リボンはよろめきながら何とか立ち上がる。「――済まないが、迷夢。オレにはもう一つ、やることがあるんだ。これで最後。これがきちんと完遂できたら、オレは――オレたちは“十二の精霊核”伝説から解放される」
 リボンはヨロヨロとしながら、迷夢の元を離れた。最後の一仕事が待ち受けているのだ。デュレを元の時代に送り返す。それだけはやり通さなければ、全てが水の泡になってしまう。遠いあの日に終わらせることが出来なかったこの物語に決着をつけなければならない。
 けれど、この崩れ落ちた地下墓地大回廊を抜け出したらよいのだろう。
「フフ……ハハハ……」
 リボンはやけっぱちになったかのように突如、狂ったように笑い出した。
「何だったんだろうなぁ。結局、マリスに掻き回され続けて、オレは何だったんだろう……」
 そして、リボンは頼りない足取りでヨタヨタと歩いていく。
 リボンは自分がデュレに追い付くまで、デュレは未来のセレスに向けたメッセージをこの時代に残留させられないことを心得ていた。遺跡発掘のキャンプで自分とセレスに向けたメッセージを“夢”として拾ったのだ。どちらかが欠けていてもデュレのメッセージを受け取れない。即ち、それにはリボン自身が関わっていることを示唆していた。ただ、それがこの時代に居合わせた、二人の自分のうちどちらなのかは判らないし、覚えていなかった。
「……しかし、寒いな……。晴天か、星空を見たかったなぁ」
 空は決して見えない。
 心が折れそうだ。こんなはずではなかった。この時代を訪れる前に何度、自問自答してきたことだろう。ゼフィのこと、サスケのこと、迷夢のこと。そして、最後に自分のこと。
「へへ……。こんなはずじゃなかったのになぁ――。どこで狂ったんだろうなぁ」
 弱音を吐いてはいけない。自分のすべきことはきちんと果たせ。サスケに言われた幾多の言葉と共に、北リテールの最果ての地で過ごした幼少期が思い起こされた。あれから、千五百十一年。ホンの一時では語り尽くせない思い出が出来た。
 リボンはとうとう、膝をついた。
「結局、あいつに言伝たのは正しかったってワケか……。オレが行けそうにもないってことは……あいつは会えるんだ……。――あいつも死に損ないなのになぁ……様ねぇなぁ……。ははぁ……。ほとんど覚えちゃいなかったのに……。デュレの顔、見たような覚えがあったのはホントだったんだ。――オレは……ここでお終いか――。寒いよ……、ゼフィ……。……」
 リボンはそのまま動かなかった。