どたばた大冒険

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03. ambush "meimu" turn up(伏兵、迷夢登場)

「付いて来るって言ったのにデュレとセレス、どこ行っちゃったんだろ? 時間ないのにぃ。ワタシがどうなっちゃってもいいのぉ??」
 シルトは半泣きになって、デュレとセレスを捜し始めた。トタトタと頼りのない足取りで元来た道を戻ろうとする。でも、二人とどこではぐれたのかが判らなければ捜しようがないのもまた事実。シルトは大泣きしそうなのを必死にこらえて、手の甲で涙を拭う。
「デュレ? セレス? ワタシ、どうしたらいいの?」
 右往左往しながら、シルトは走る。

「しかし、ま、どうしたものかしらね。はぁっ……」
 セレスは頭を掻き掻き、大きなため息をついた。デュレのフォビドゥンハンマーがやっと消えてくれて、ようやくその妙な重さから解放された次第だ。セレスはデュレが右に消えた十字路に来て、少々考え込んでいた。
「左に行っても、真っ直ぐ行っても、結果は同じそうよねぇ」
 まるで、シルトと同じようにセレスは左を見て右を見て。それからまた、左を見て。そのまま、しばらく道の彼方を見詰めて考えた。犬をまいたシルトはどこへ向かうか。シルトになりきって考えれば、その行く先が判るはず。
「……よし、決めたっ」セレスは正面に向かって走り出した。
 その先にはシルトのあれがあるのだ。路地裏、地下水道。狭苦しく子供の好きそうなところを回ってるのだから、最終目標はあれに決まってる。と、セレスは勝手に解釈してスタートを切った。すでに、アミュレット探しなんかそっちのけで、シルト捜しが目的になっていた。
「ねぇっ! キミたちはさっきから何をやってるの?」
 不意に、セレスの目の前に迷夢が上下逆さまになって現れた。何かにぶら下がってるのではなく、セレスの背後から気配を消して近づいて、音もなくジャンプ。くるっと身を翻し、そのまま逆さになったままでフワリフワリと空中浮遊を始めたらしい。
「わっ!」セレスは期せずに飛び上がりそうになった。「何だ、迷夢か。驚かさないでよ」
「何だって、何よ? あたしじゃ不満だっての? そぉ〜んな不埒な輩はこいつを喰らえっ!」
 迷夢はくるんと一回転して、地面に降り立った。
「開けっ! クラッシュアイズっ!」迷夢は悪辣な笑みを浮かべ、セレスに対し右手を突き出す。
「うわっ、やめ、やめっ! あたし、魔法は全然ダメなのよぉ」
「修行が足りなぁい!」
 パスッ……。
「……?」セレスはおっかなびっくりに目を開けた。
「あれぇ? 不発かぁ」迷夢は手のひらをまじまじと見詰めた。「どうも、この身体になってから、調子がいまいちなのよねぇ。もぉ、二年以上にもなるのにさぁあ? 身体はクリルカとあまり変わらないし、魔力も全然なのよねぇ。あ〜、いつまでもこんなんだったら、策略家・迷夢の名が泣くわぁ。どうしよう……。やっぱ、久須那に頼らなきゃダメなのかなぁ」
 迷夢はすっかり、セレスに悪戯を仕掛けたことを忘れて自分の世界に入り込んでいた。
「ね……、いいこと、迷夢ちゃん。人をコケにするのも大概にしないとこうなるのよ」
「あ……。まだ、居たんだ。セレス。とっくの前にシルトを追い掛けて行っちゃったと思ったのに」
 ごちんっ。セレスは迷夢の頭に特大のげんこつをくれた。
「いったぁ〜いぃ。なぁにするのよぉ! デュレに言いつけてやるぅ」
 迷夢は叩かれた場所を両手で押さえて、泣きべそをかきながら抗議した。
「キミ、一体幾つなのさ」
「う〜んとねぇ」パッと立ち直ると迷夢は左手の人差し指を顎に当てて、目は空を見上げた。「生まれたのはこっちの時間で、紀元前で……、しばらく半死半生だったでしょぉお? それから二年の……。あはぁ♪ よく判らないや。けど、まだ三百五十歳にはなってないと思うんだけどな?」
「なって言われても。あたしだって知らないやい」
「ま、年なんかどうでもいいじゃん? あたしの魅力はそこじゃないのだ」
「そーまで言えりゃ、大したものよね」
 セレスは呆れたじとっとした眼差しで迷夢を見詰める。
「そおかしらね? ジーゼも、久須那も年齢を超越したところに魅力があるでしょ? そう思えば、あたしだって、負けたくないなって思うじゃん? 違う?」
「何を言う、この幼児め」
「ほぉ〜ん♪ そんなこと言っちゃうんだ。子猫ちゃん」
「どっちが子猫なんだか、判りゃしないって」セレスはため息をつき、両腕を広げた。
「……じゃ、セレスがバカ猫ちゃん。あたしが子猫ちゃんで、どう?」
「どう? って言われても」答えに困るとは敢えて言わなかった。
「じゃあ、何も喋れないようにしてあげようか、バカ猫ちゃん?」
 迷夢はしななど付けて、可愛らしく微笑んで見せた。
「あ〜こんなところにいたぁ!」
 半泣きの上擦り半ばひっくり返ったようなシルトの声がする。と、さらにシルトが現れた方とはちょうど反対側の方向から突然、苛立たしげな声が届いた
「こらっ!」
 怒声と共に、セレスの後頭部に特大級の衝撃が襲った。
「なっ? デュレぇ? 用がある度に頭叩いて呼ばないでよ」
 セレスは憤慨しながら頭をさすり、激しく怒った眼差しと共に振り向いた。
「さっきから、セレスは何をやってるんですか! シルトのことなんかすっかり忘れたみたいに迷夢と遊んでるし、時間切れになろうものなら、二度と帰ってこられないような時空の彼方にぶっ飛ばして差し上げるので、覚悟はいいでしょうね?」
「い?」セレスは思わず後ずさった。「じょ、冗談じゃない。そもそも、キミの実験に付き合わされて何度、異界の人や、帰らぬ人になりかけたことか……」
「今度は本気ですから、大丈夫です♪」デュレは一転してニコッと会心の笑みを浮かべる。
「何がどう大丈夫なのよ?」今度はセレスが憮然として言い放った。
「これがこう大丈夫なんですよ」
 更に輝くばかりの美しさを湛えるかのようにデュレは微笑んだ。そんな不穏な笑顔を見せつけられては楽天家のセレスでも心穏やかでいられるはずがない。デュレが微笑みながらセレスを見る時は大概ロクでもないことを考えていて、睨まれている方がまだましだった。
「う……、いえ、例は提示してくれなくて結構ですので」
「あはっ♪ デュレに凄まれたらセレスも形無しかぁ。んふっ」
「……笑うなっ、そこっ!」セレスは髪を振り乱して、迷夢の方に勢いよく振り向いた。
「余所見をしなぁい」妙なイントネーションでデュレは言った。
「へ〜い」
 頭をかきながら、セレスは生返事。そして、ゆっくりと振り向いた。すると、デュレは闇護符を右手に持ち、セレスに向けて掲げていた。
「げっ! ちょ、デュレ。な、何をしようとしてるの? ね、ね。やめよ? それはやめて?」
「もう、止められません。諦めてください」
「あ、諦めろって。そんな」
 デュレが手にした闇護符に書かれた梵字と小さな魔法陣に仄かな白い光がともっていた。

「あ〜んっ、デュレぇ、セレスをいじめてる場合じゃないよぉ」
 シルトがデュレの左腕を掴んで、悲哀に満ちた声色でデュレに訴えかけた。
「あら? わたしとしたことが」ハッと我に返った。「けど、これ、もう止まりませんから、これだけは許してくださいね。……さて、改めて、喰らえ! フィールドショック!」
 バリバリと激しい音がして、空気中に小さな放電現象が幾つもわき上がった。それはいわば小さな雷のようなものだ。と言っても、一個一個は静電気に毛が生えた程度の威力しかないが、幾重にもその放電現象が集まるとそれなりに痛覚を刺激する。
「ぐ、ぎゃあっ!」
「これでもかなりセーブしてるんだから感謝しなさいよね?」
「何か間違ってるような気がするけど……。はぁ〜い……」
 間をおかずして、二度もデュレにやられてしまったセレスは地面に座り込んでいた。
「さ、行きますよ。シルト」
 と、デュレが言えば、シルトはデュレの手を引いて、トトトと駆け出す。セレスはまだ、フィールドショックからの痛みから立ち直れずに、座ったままよろけていた。
「……行かないと、見失っちゃうんじゃないの?」
 迷夢が膝に手をつき、前屈みになりながら、半ば放心するセレスの顔を覗き込んだ。
「あっ! っていうか、また見失った。うぅ。もうやってらんないわぁ」さらにがっくり肩を落とす。「! 迷夢、空から捜せないかな?」
「いいよ。けど、セレスって重そうだからなぁ、上げられるかなぁ」
 そう言いつつ、迷夢はセレスの脇に手を突っ込んで羽ばたいた。
「あ、あたしはいいんだけど。迷夢が行く先だけを教えてくれたら……。いやぁ、そんな頼りない状態で飛ばないでぇ〜。怖い。マジ、怖い。絶対、手、放さないで」
 無理かもしれないニュアンスのことを言いつつも、迷夢は楽々、セレスを空中散歩させていた。身体は小さくとも天使はそれなりにパワーがある。何だかんだ言っても、セレスの一人くらいは屁でもない。唯一、問題点があるとしたら、それは迷夢の性格だ。
「ねぇ、セレス。いた?」
「い、いないぃぃ〜〜」頼りなく力無い声色でセレスは返事をした。
 その頃、シルトは塀の上を走っていた。両腕を左右に広げて、巧みにバランスを取りながら平均台の上を走っていく雰囲気だ。その後ろを追い掛けるデュレは必死の形相。余所さまの家の庭先を走るわけにもいかず、デュレはシルトと一緒になって塀の上を移動する。しかし、どこかぎこちなくてともしたら転げ落ちてしまいそうな雰囲気だ。
「あっ! セレス。いたいたぁ。あそこの塀の上。どうする?」
「どうするって、下ろしてちょうだいよ……」
「♪ ラジャー」
 迷夢は一瞬、口元を歪めてほくそ笑んだ。そのただならぬ雰囲気を感じて、セレスは迷夢の顔を激しく睨み付けるも、その時にはいつも通りに猫をかぶって、その本心が読み取れない。
「目標捕捉。――投擲準備完了」
「何? 何か、不吉なことを言わなかった?」
「ううん、何も」迷夢は微笑みながら首を横に振った。しかし、不穏なことこの上ない。
 迷夢は先を行くシルトと十数メートル離れて追い掛けるデュレとの間に目標を定めた。計算通りに行けば、上手くデュレとシルトの間に入るはずで、失敗したらシルトかデュレに踏まれるか、二人の後方で独り淋しく墜落する羽目になるだけだ。
「そいじゃ、健闘を祈る。――いってらっしゃ〜い」
「うわっ、コラッ、手を放すな、投げるな、落とすなぁ!」
 ドシャアアァン。
「あ、痛ぁ……」セレスは打ち付けたお尻を撫で回した。「あ、デュレ」
 セレスはちょうどデュレの目の前に落ちたらしかった。
「……、一体、どこから降ってくるんですかっ! セレスは」
「苦情があるなら、迷夢に言ってよ。何でも、あたしのせいにしないでよ」
「ほい、一丁上がり! じゃ、頑張ってねぇ。あっ! 打ち上げするなら呼んでよね?」
「誰がキミなんか、呼ぶか!」
 セレスは上空を見上げて、悠々自適に飛び回る迷夢を怒鳴りつけた。けど、迷夢はあははと笑っているだけで、セレスが怒っていることなど気にもとめていないようだ。手を振り振り、さっさとどこかに消えてしまった。
「あいつ〜、今度、会ったら絶対にしばき倒してやる」
「セレス、そんな生産性の低いことを考えるのは後にしてください」
「けど、一度懲らしめてやらないと気が済まないんだもの」
 と、セレスが言えば、デュレはもう容赦はしないという勢いの凄まじい形相でセレスを睨め付ける。それには流石のセレスもたじたじで、迷夢がどうのなんて思いはあっという間に消し飛んだ。
「あぁ、判りました……」自分でもイヤになるほど呆気なく、デュレに気圧されてしまう。
「判ればよろしい」ちょっぴり上機嫌にデュレは言う。「じゃ行きますよ」
「へ〜いぃ……」セレスは半ば投げやりに返事をする。
 デュレは駆ける。塀の上の平均台。運動系のことはやはりセレスに分があるようで、デュレはヨタヨタしているのに対し、セレスは余裕綽々の楽勝モード。デュレはセレスの前を走っていて、その姿を見られないけど、セレスがどんな顔をして自分の後ろ姿を見ているのか見当はつく。
「――セレス、覚えておきなさいよ」
「へっへ〜、何を覚えておけばいいのかなぁ」手を頭の後ろで組んで、意地悪に笑う。
「う〜、その態度、むかつきます……」デュレはぎゅっと拳をつくる。
「けど、あたしはな〜んも悪さしてないからね?」
 塀を降りると、シルトは広い空き地を駆けていた。空き地と言っても更地ではなく、あちらこちらに色んなものが生えていたり、転がっていたり、小さな丘があったり、小川がある。つまりは誰かの私有地で、土地が切り売りされる前の姿を保った場所なのだ。
 それでもずっと草むらならましなのだが、ここはそうでもないらしい。
 茨の草原。どこまでも限りなく……のはずはないが、気を滅入らせるのには充分すぎる。そこには獣道のように地面が踏み固められた一本道が続いていた。
「……狭い路地裏の方がずっとましだと思いませんか?」
「看板なんか、可愛いもんだね。茨の茂みと、笹藪に比べれば、ずっとずぅっとおコちゃまよ」
「……シルトは何で、軽快、無傷に走れるのかしら?」
「さあ? 特殊なフィールドに包まれてるんでなくて、精霊だから?」
「しかし、子供ってそう言うものですよね?」
「まあ、そうだよね。あたしにも覚えはあるし。って言っても、あの娘の方が年上なんでないの? ある意味。それなのに全然成長してないとも言えるわけで……」
「セレスにだけは言われたくないでしょうね、シルトも」横目でにやり。
「そりゃ、どうかな?」セレスはちょっぴり得意げに言った。
「そうじゃないなら、同類と思われてるってことですね。それ以上ってことはあり得ませんし」
「はぁ」ため息。「まぁ、そう思いたいなら、そう思っててくれても全然構わないけどさ。何か、こう、他に言いようがないのかな?」
「ありません」デュレはとりつく島もないようにきっぱりと無下に言い放った。
「あっそう。もう、どうでもいいや」
「けど……、貶してるんじゃないんですよ」
「そりゃ、判ってるって。あたしとキミの仲だからね。一応。そいじゃ、お先っ!」
 セレスは駆ける。かつての自身の幼少期を思い出す。あの頃は今より怖いものなんかなく、獲物を追って野山を駆けた。しかし、今日は――。
「デュレぇ、痛いよ〜」傷だらけである。
「何、バカ言ってるんですか? その程度のかすり傷くらい自分でヒーリングなさい」
 デュレは呆れた口調で物憂げに言った。
「……だって、魔法、苦手なんだもの」
「たぁ〜っ! どうしてあなたはそうなんですか。その苦手意識が潜在能力の開花を阻んでるんです。セレスだってエルフなんだし、やる気を出せばわたしと同程度のスキルだって持てるはず」
「けど、キライ」セレスはデュレのご機嫌を伺いながら、ぼそりと呟いた。
 茨の草むらを抜けると小川に出た。小川にはメダカやら、蛙の卵やらがいっぱいあった。澄み切った水、穏やかなせせらぎ。青々と元気いっぱいに茂る草花。
「シルトらしいと言えば、シルトらしいけど、闇の精霊のお気に入りの場所とは思えないね。こうもっと何て言うか、暗黒? 暗闇に閉ざされた場所って感じがするのに」
「属性と好みはまた別の話です」
「まぁ、そうなんだろうけどね」
 二人の会話を知ってか知らずか、シルトは小川を飛び越え尚もゆく。小さなせせらぎに気を取られている暇もなく、次々と風景を後方へと吹き流す。それは忙しなくも、楽しい不思議な感覚を呼び覚ました。時間に囚われずにいたあの頃……。
「ホラッ、ボサッとしてたら見失います。こんなところで見失ったら、それこそリタイヤです」
 デュレの言うとおりだ。小川を渡ると身の丈ほどもある草が生い茂る。シルトはその中に分け入って見えなくなった。遠くの方で草ががさがさと動いてるのがシルトの居場所らしい。セレスはシルトを追う。デュレがその背中を追い掛ける。
 スケールが縦に大きな草原を越えると雑木林。そして、視界が開けたのにもかかわらず、シルトの姿が見えなかった。デュレとセレスはなりふり構わず、辺りをキョロキョロ。家からここまで何とか追いすがってきたのに、ここで見失っては悔しくて堪らない。
 すると、梢からシルトの声が聞こえた。
「デュレ、セレス。こっちこっち」
 見上げれば、木の枝の上からシルトが手を振っていた。
「ここがシルトの隠れ家ってワケね……。どれ、あたしも」
 呟くように発言すると、セレスは手慣れた様子でシルトの登った木をするすると登っていった。デュレはその二人の身軽さに感心するばかり。自分が登ることは考えずに木の下から二人の様子を見上げていた。
「デュレ〜。デュレは来ないの? 眺めがいいよ。さっきの茨の草原まで見える」
 セレスは額に手をかざし、辺りをぐるりと見渡した。ちょっぴり懐かしい思いが蘇る。
「あ、わ、わたしは遠慮しておきます」デュレは思わず首をぶんぶんと横に振った。
「まあ、キミは木登り得意そうじゃないし、そだよね?」
「ここにも……ない」クスン。「近くにあったら、判るはずなのに……」
 シルトとアミュレットに収められた精霊核はリンクしているから、その存在が近くにあればシルトに判らないはずがないのだ。そして、同時に何も感じられないと言うことはシルトと精霊核とのリンクが断たれ、彼女の存在が脅かされてると言うことでもある。
「ここじゃなかったら、もぉ、判んないよぉっ……」
「シルト、落ち着いて。まだ、どこか他に寄り道したところはないんですか?」
「うわぁぁあん。だって、だって、ここから、お家に帰ったんだもの〜。思い出せないよぉ!」
「あぁ、八方塞がりってこういうこと言うのかい?」セレスは暢気そうに言った。
「こう言うのを言うんです。けど、手がかりはまだあるはずです」
 諦めが悪いのはデュレもセレスも一緒。ことに同居人のピンチとあれば、口先では何と言おうともかなり真剣なのだ。しかし、シルトが泣き出しそうになるくらいなのだから、本当によく覚えていないのだろう。確かに夢中になって遊び回っていたら、遊んだことしか覚えていない。
「でさ、それはそれとして、デュレ。も、一つ、大切なこと忘れてるような気がするんだけど……? ――気のせい……じゃあ、ないよね」喋りながら思い出して、セレスはニヤリとした。
「あっ!」デュレは口元に手を当てて、小さく叫んだ。「報告書の提出っ! い、今、何時ですか」
「さあ?」セレスは肩をすぼめた。「けど、太陽を眺めるに、時間切れっぽいよね?」
「ふ、不吉な言葉を口に出さないでください」
「だって、しゃーないじゃん。きっと、ホントのことなんだから。けど、出さなかったら地獄巡りが出来そうな勢いだったよねぇ。まあ、余計なこともくっつけてくれちゃったようだけど。とりあえずは出すだけ出しておいた方がいいんじゃない?」
「っ! い、行ってきます。セレス、シルトを頼みますよ」
 それだけを言い残すと、デュレは元来た方向に凄い勢いで駆けていった。あまりに切羽詰まってしまって、空間移動魔法を使おうなどとは思考の淵にも上がって来ないらしい。
「あ〜あ、行っちゃった。けど、頼むたって、このじゃじゃ馬をどうお守りしろって言うのよ」
「じゃじゃ馬?」シルトはキョトとした眼差しでセレスを見澄まし、小首をかしげた。
「あん? じゃじゃ馬よ、じゃじゃ馬。お転婆娘。あたし一人じゃ手に負えないって」
「手に負えない?」シルトがキョトとして言う。
「そう。あたしの手に余るのよ、キミ……と言うよりはキミの魔力が」
 セレスはぼやいた。そして、シルトの手を取ってキュッと握った。
「――帰ろう? シルト。続きは明日……。暗くなってきたしさ。それに……お昼ご飯食べてないんだから……。すでに機動力に限界が……」
「うん……」セレスにそう言われるとシルトは淋しそうに頷いた。
 そして、二人はトボトボと帰途につく。夕暮れの草原、風に揺らめく梢の音が一日の終わりを感じさせる。結局、アミュレットを見つけることも出来ずにちょっぴりの淋しさを胸に家路につく。
「夕焼け、綺麗だね……」セレスは小さく囁いた。
「うん。けど、ワタシは真っ暗の方が好きだよ」
 闇の精霊ならそう答えるかもしれない。妙に納得できるものの、暗がりは遠慮しておきたいのがセレスの本音だ。闇は危険だと身体が覚えている。かつて、海に浮かぶ島で暮らしていた頃に学んだことだ。闇は夜行性の動物には天国だが、セレスには違った。闇は恐怖に他ならない。
「……どうしたの? セレス」シルトが急に押し黙ったセレスを案じて上を向いた。
「ううん、何でもないよ。――ただ、腹減ったなぁってっさ」笑いながらセレスは言う。
「もぉ、セレスったら、食べることばかり」呆れた口調。
「あははっ! けど、そんなことはキミにも言われたくないっ」
 笑いながらも、セレスは頭上からキッとシルトを睨む。それから、元から来た方角と逆に、雑木林の奥に向かって歩いていくと、一体どこがどの場所に繋がっているのかセレスにはさっぱりなのだが、セレスとデュレの家に比較的近い街角にたどり着いていた。
「……キミの頭の中にはテレネンセスの地図がきっちり入ってるのね……」
「えへへぇ……」シルトは照れ笑い。
「デュレ、向こうに行かないでこっちに来たら、楽だったろうに……」
 まもなく、二人は我が家に帰ってきた。報告書を取りにデュレが一度戻ってきた形跡はあるものの。他は出てきた時と同じまま。ダイニングのテーブルにはお昼ご飯がそのまま乗ったままになっている。デュレの読みかけの本も伏せられたまま。セレスの書きかけの手紙も無論そのまま。
「ああ〜、もうダメ、お腹空いたぁ〜、エネルギー切れですぅ……」
 セレスは居間ではなく、ダイニングに出向いてテーブルに突っ伏した。シルトもその後に続いて、いつものお決まりの席に着いた。
「……セレス、ワタシもお腹空いた。これ、食べてもいいの?」
「冷めたので良ければ、お好きなだけ。って、そんなこと言ったら、全部食べちゃうんでしょ。キミは」セレスはテーブルの上で上半身だけをゴロンと反対側をに向けた。「ま、好きにしなよ」
 疲れ果てて、何も考える気がしない。セレスはテーブルに突っ伏したままシルトを眺める。
「……しかし、よく食うねぇ、キミも」
「だって、お腹、空いてるんだもの。食べなかったら、眠れないし」
「色気より、食い気か、キミは」
「何それ?」シルトは食事を口に運ぶ手を休めて、けど、口はもぐもぐさせながらセレスを見た。
「気にしなくていいから、食べてて」セレスは手をヒラヒラと振った。
「ふ〜ん? おかしなセレス」
 シルトはお皿に向き直ると、再びもぐもぐとやり出した。ここまで来ると、セレスも自分のことを棚に上げてただただ呆れるばかり。お昼頃には、自分の存在がなくなるかもしれないと取り乱して大声で泣いてみたり、切なそうな表情を見せていたのに。
「……現金なやつめ」
 セレスは頬杖をついて、ひたすら空腹を満たすシルトの横顔を見詰めた。

 そして……。夜のとばりも降りて、辺りが夜の闇に沈む頃になってようやく、デュレが帰ってきた。散々、久須那に絞られてきたらしく、足取りは重そうで表情もどよよ〜んとしてシルトとアミュレットを探していた時の覇気はどこへやら。
「……ただいま、――セレス」
「あら、お帰り、デュレ。報告書はどうなったの?」
「……聞かないでください……」デュレはテーブルに着くと大きなため息をついた。
「その様子だと、ダメだったみたいね」
「……ええ、明日のお昼までにリライトしてこいって。シルトよりも、わたしの方が泣き出したい心境です……。あ……、で、シルトはどうしました?」
「自分の部屋で眠ってるよ。デュレが帰ってくるまで、起きてるってきかなかったんだけど。よっぽど疲れたんだろうね」
「……ちょっと、見てきます……」デュレは椅子から元気なく立ち上がって、ひょろろと半ば幽霊のような足取りでシルトの部屋に向かった。
 シルトはタオルケットにくるまってすやすやと眠っていた。
「――寝顔は掛け値なしに可愛いんだけどな……」
「その顔を見てると、この街を一瞬で壊滅できる危険人物とはとても思えないよね」
「――あと一日もありませんね……」
「うん……」柱の影にセレスは立っていた。「もし、間に合わなかったらどうしよう……」
「ぎりぎりまで頑張ってみて、それでも見付からなければ、シルトを連れてシメオンに行くしかないでしょうね」
「そして、そのまま?」セレスは手を腰の後ろで組んで、足はポンと力無く空を蹴っていた。「二百年以上も……精霊として生まれたあとも十何年もあの暗闇に拘束されて、ようやく、解放されてここに来たのに……。また、あの暗がりで過ごさなくちゃならないなんて……。あたしなら、気が狂っちゃいそうだよ……」
「セレスなら、そうでしょうね。――けど、そうはなりませんよ。必ず、明日中に見つけます」
「そ、だね。必ず見つけられるよね。うん、デュレがそう言ってくれるとちょっとだけ安心だよ」
「さてと。わたしは報告書の書き直しといきますか。……徹夜、確定ですね。あ〜ぁ、もう」
 デュレは欠伸を噛み殺した。

文:篠原くれん 挿絵:晴嵐改