12の精霊核

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06. be steal a pic. of kusuna(久須那を盗め)

 タッタッタッタ。軽快に石畳を駆ける音が人気のない学園に響いていた。デュレとセレス。そして、深夜。あれから、宿で数時間ほど計画を立て、ここに至った次第だ。結論は学園をあてにしない。たった三人と二頭で、例の優男は戦線を離脱してしまった、何が出来るのかという話も出たけれど、結局は未知への好奇心が勝利を収めたのだ。つまり、唯一の手掛かり、そして、切り札を取り戻すことが至上命題に早変わり。夜の夜中に学園に不法侵入を企てることになった。
「まぁさか、あたしがこんなことやるなんて考えたこともなかったなぁ」
 セレスは頭の後ろで手を組んで夜空を見上げた。
「し〜っ! 大声を出さないでください。宿直の先生に見つかったら最悪です」
「う〜。お宝探しは結構やってきたけど、泥棒さんなんて初めてだし」
「わたしだって初めてです。誰が、好き好んでこんなことをしますか」
「そりゃそうだけど……そもそも、デュレがさ、久須那の絵を置いてこなけりゃ面倒くさいことにならなかったのに。ねぇ〜」セレスは腕を背中に組んでじとーっと下から見上げた。
「……そこまで考えてませんでした……」デュレは不本意そうにボソボソと呟いた。
「き・こ・え・な・い♪」意地悪に瞳を煌めかせる。
「……。ごちゃごちゃうるさいですね。黙りなさい。それとも、わたしが黙らせてあげましょうか? 永遠に……」
 デュレは制服の内ポケットから例のごとく、闇護符を取り出した。目を細めてかなり本気だ。と言っても、瞳にはまだ悪戯っ子の煌めきを残していたから、再起不能にはされないだろう。
「キミが魔法を使うと冗談も冗談でなくなるから、やめてよ」
 デュレがそう言えばおちゃらけ気味のセレスも瞬間的に大人しくなった。以前、デュレの空間転移魔法の実験台にされ、セレスは異界の住人になりかけたことがある。今でこそ笑い話だけど、本気でもうダメかと思ったくらいだった。
「だから、あれはただ、まだ、不安定だった魔法陣にセレスが勝手に飛び込むから――」
「え? そ、だっけ?」知らない振り。
「半分はわたしのせいかもしれないけど……。今更、そんなこと蒸し返してどうするんですか」
「蒸し返したのはキミでしょ? 何でもかんでもあたしのせいにしないでよねっ」
 セレスはふくれっ面をしてデュレを睨め付けた。けど、デュレは気にとめるでもなく、踵を返すとスタスタと歩き始めた。
「まぁま、お澄まししちゃってさ。腹の立つ!」セレスはデュレに悪態をつきつつ、追いかけて走り出した。「ちょっと、待ちなさいよ。キミがカンテラを持って行っちゃったら暗いでしょっ!」
「暗いのがイヤだったら、そんなところでふて腐れてないで早く来たらいいでしょ?」
 そして、二人は学園校舎の裏手にある通用口の前に立っていた。デュレはその扉のノブをそっと握って優しく手前に引いた。が、流石にこんな夜遅くに不用心に開けっ放しのはずがなかった。
「鍵、開いるわけないか、やっぱり」ため息まじりにセレスが言う。
「当たり前のこと言わない。貴重品もたくさんあるんだし、ドロボーさんに入られたら困るじゃないですか」デュレに正論を言われると、セレスは何となく文句を言いたくなる。
「……この度はその“ドロボーさん”なんだけど、あたしたち……」
「わたしたちは特別ですっ! そう思わないとやってられません」
 デュレはあっちを向いてつんとした。
「はぁ、まあ、そう言うとは思ったけど。こういうので手を汚すのってあたしなんだよね。実務はあたし、頭脳労働、魔法はキミ。何か損な役回りだよね、あたし」
「と言っても、そう言うスキルはセレスの方が長けてるんだからしようがないじゃない?」
「例えば、ピッキングとか? ピッキングとか?」
「そんな感じです。じゃ、よろしく♪」
「まぁま、お気軽に言ってくれちゃってさ。人の気も知らないで。こ〜さ、こういうことするとあたしの繊細な心がちょっとずつ傷ついていくの。そして、最後にはガラスが砕け散るかのようにパーンって粉々になるの」セレスは大げさに振りを付けて見せた。
「何、バカ、言ってるんだか」デュレは全く聞き耳を持たない。「ちゃっちゃとやりなさい!」
「へ〜へ、冗談も通じないんだから」セレスは頭をくしゃくしゃとかいた。
「あとで付き合ってあげますから、今は“お仕事”に集中してください!」
「うにゃぁ。言われなくてもやりますよ。のたのたやってって、捕まったらヤダもん」
 セレスはウエストポーチから針みたいなものを取り出すと、おもむろに鍵穴をのぞき込んだ。
「この程度の鍵なら、チョロいもんよ。も〜開けてくださいって両手広げて言ってる感じかな?」
「言いたいことがよく判りませんけど……?」
「う……。変なとこ、突っ込まないでよ……」
 ばつが悪そうにもごもご。それから、セレスはドアノブの前にしゃがみ込んでかちゃかちゃと始めた。別段、厄介ごとを押し付けられた風でもなく、手早く作業を進めている。デュレはそんなセレスの様子を見ては魔法は苦手なくせに手先だけは器用だといつも妙に感心していた。セレスが“頭で考えるよりも先に体が動く”タイプの娘ということはいやというほど判っていたけれど、大雑把とは違う一面を見せられると違和感を覚えてどうもすっきりしないところがあった。
「ほら、開いたよ♪」
 嬉々とした表情を浮かべてセレスはすっと立ち上がった。ノブを握ってサッと扉を開ける。
「ささ、デュレお嬢さま。こちらへどうぞ」セレスは冗談めかしてデュレを誘う。
「……下らないコト、言ってる場合はないと思うんだけど――」
 デュレは腕を組んでセレスの顔をじっと見詰めていた。
「あたしはそうは思わないけどな。こういう緊張を強いられるときこそ、楽しくいくべきだと。ま。デュレは浅はかだとか、楽天的だとか、能天気だとか、言いたいんだろうけど。あたしは今までそうやってきたよ。ずっと。――デュレにはまだ、判んないかな……」
「ずっと、判らなくて結構です!」デュレは腕を組んでつんとあっちを向いて歩き出した。
「そ、だよね」淋しそうで、今にも泣き出しそうな声色。「知らない方がきっといい……」
 と、しんみりと言われたら、デュレはなんだかとても悪いことを言ってしまった気がしてきまりが悪い。デュレは微かな自責の念を感じてしばらく黙りこくった。
「――セ、セレスがそんなんだと調子が狂います。だから……」
「あ〜、別に気にしなくていいのに」セレスがあっけらかんとして言った。「ただ、ちょっとさ、これを父さんからもらった時のこと、思い出しちゃって」セレスはウェストポーチからそっと大事そうに手のひらまで透けて見える透明な水色のかけらを取り出した。「……結局、この水色の水晶みたいのが形見になるなんて思ってなくて……。あたしも子供だったんだなって……」
 デュレはカンテラの仄かな光に照らされた小さなかけらを見た瞬間、心臓がギュッと締め付けられるような微かな思いを感じた。それはどこかで聞いたことのある物の特徴によく似ていた。実在するとはよく言われるけど、その存在は未だに確認されていないもの。ただの色ガラスを加工しただけの“かけら”と称する偽物も珍しくない。

『よく覚えてお置き、セレス。お前はいつか必ずここに来る。忘れちゃダメだぞ。とってもとっても大切なんだ。今は判らなくても、きっと、判る日が来るから』
『……?』
『だから、これを持って、その日が来るまで決してなくさないように。誰かにあげたりしてはいけないよ。ずっとずっと、セレスが大人になってその日が来るまで肌身離さずに持っていてほしい。これはキミのものだ。いつの日にかセレスが本当に困った時にキミを導いてくれる……』

「他のことはみ〜んな霞の向こうみたいなのにこのフレーズだけは妙に覚えてる。ふふ、学園にいた頃はあたしを日常から解き放ってくれる何かだって思ってたな。トレジャーハントなんてやってるあたしが言うのも何なんだけど――」
「……触ってもいいですか?」
 デュレはセレスの能書きに興味を示さず、かけらを見詰めたまま呟いた。セレスは瞬間、困ったような顔をして考えて、水色のかけらをデュレの目前に差し出した。
「デュレなら、いい、かな? けど、誰にも言っちゃダメだよ」
「誓って誰にも喋りません。だから……」
「そんな、切羽詰まった顔しなくたっていいのに」
 セレスは苦笑いをした。デュレはそのセレスから恐る恐るかけらを受け取る。不思議な感触。一度も見たことも、触れたことのもないはずの物なのに懐かしい。昔、幼かった頃に戻ったような気持ち。目に映る全ての物が新鮮だった頃の……。デュレの眼から涙が一雫こぼれ落ちた。
「柔らかい。けど、硬くて。仄かに暖かくて、心がとても安らかに……。どうしてか、判らないですけど、懐かしいような不思議な感じがします」
 デュレはかけらを見詰めていた瞳をセレスのそれと出会わせた。
「そう、だから、あたしはそれを精霊核だって信じてた。結局、学生の時は最後まで追いかけられるはずもなくて、今の今まですっかり忘れてたわ。あははっ! あんな、バカみたいに息巻いてたのに。なぁ〜んで忘れちゃったんだろ? ね?」
「時期じゃなかったからじゃないでしょうか?」デュレはじっとセレスの眼を見詰める。
「はにゃ?」セレスは小首を傾げて、瞳をくるりと閃かせた。
「……探すべき時に探さないと何も得られないと言うことです」
「ふ〜ん。そんなものなのかなぁ」セレスは半信半疑そうだった。
「そんなものです――」
 そのまましばらく黙りこくって、不意にデュレは半ば独り言のように口を開いた。
「十二の精霊核。その中に精霊核そのものに関する記述が少しだけ書いてあって」デュレは記憶の糸を手繰るかのようにしばし黙った。それから、「……精霊核とはそれが存在する場所の記憶を封じ込めた高エネルギー物質と思われる。性質:水晶風であるが硬質ではなく柔らかさを感じさせる不可思議な物性がある。形状:人の身の丈の二から三倍の高さを持つ八面体として知覚される。が、極限られた証言のみしか得られないのでその詳細は不明――」
「知られている色は十二色でその中には水色もあったよね……」
「あったはずです。……もしかしたら、これはホントに精霊核のかけらなのかもしれませんね」
 と言って、デュレはクリスタルのかけらをセレスに返した。セレスはそれを受け取るとウエストポーチに大切そうにしまい込んだ。
「そ〜いえばさ、あいつは? ウィズ」
「話、聞いてなかったんですか?」あきれ果ててものも言えないと言いたげなさめた目線がセレスを見詰めた。「ウィズは町外れでリボンちゃんと待機してます。どんな時も、退路を確保しておかないと。緊急事態の時に困るでしょう?」
「はぁ、まぁ。何と言いますか、用意周到で頭の下がる思いです……」
「こんなところでバカやってる時間なんてないんです。行きますよ」
「へ〜いへい」やる気がなさそうに頭をボリボリかく。「でもさ……」
「何? まだ何かあるの?」デュレは勢いよく振り向いた。
「うわっ! びっくりさせないでよ、もう。って言うかさ、デュレ。学園の敷地に入ってから何か違和感を感じるのよねぇ。夜だからとか、そんなんじゃなくて、もっとこう、本質的なところでおかしな感じがするんだけど……、デュレは?」まじまじと瞳を見詰める。
 デュレはしばし考えてからおもむろに答えた。
「わたしもです。罠にはめられてるような気がします」
「やっぱりねぇ……。うまく説明できないのが癪なんだけど」
「それはもう用心深くいくしかないでしょうね。罠なら罠なりの対処で」真剣に答える。「ただ……もしかしたら、最初から全て仕組まれていたのだとしたら……?」
「は〜い、デュレ♪ 仕組まれる理由が判りません」
「決意を確かめるとか、そんな感じで、わたしたちがこういう行為にでなくてはならないように追い込んだのかもしれないってコトです。でなければ、最悪の予想では――」冷や汗が流れる。
「お巡りさんがいるとか?」
「いえ、それはないと思います。何と言いますか……。よしましょう。まだ、予想の域を出ませんし、どちらにしても、もうすぐ判りますしね」
 デュレとセレスは職員用の通用口から学園内に侵入していた。二人の足音だけが人気のない校舎に響き、デュレの持つカンテラが唯一の明かりだった。夜の学園は少々不気味。けど、暗くて狭いところが苦手のセレスもここはかつての生活の場だっただけに平気のようだった。
「そ〜んじゃ、ま、ターゲットは保管庫かな? フツーなら」横目でデュレを見てにやり。
「待ちなさい、セレス」
 通用口から入って備品保管庫に抜ける廊下の先に微かに存在だけを感じさせる何かがあった。
「そっちの廊下には結界が張ってあります。かかると厄介ですよ」
 目を凝らすと階段の登り口を越えたすぐ向こうに“進入禁止”のスクリーンのようなものが揺らめいていた。普通は触れると痺れて、スクリーンを越えられないくらいなのだが、極稀に警報とリンクさせてある場合もあった。
「……暗視ゴーグルつけてるみたいね。まるで」感心したようにセレスは言う。
「暗闇は得意分野ですから。それに魔力の波動は目で見るものじゃないでしょう? セレス」
「お説教はあとで聞きます、ね?」
「では、後ほど、ジックリと聞かせてあげます。それはともかく、ヘン、ですね。どこかに誘われているみたいですし……。魔力に“色”が見えない」
「つまり、故意にそう言うことをしてるってこと?」
「凄腕の使い手になれば、現場に残る“色”などたやすく消し去ることが出来ます。が、こういうことをすると言うことは逆にわたしたちが結界を張った主の“色”を知っているのかも……? でなければ、こんなことをする意味がないです」
「だったら、もう、決まったようなもんじゃないの? 結界を張れる術者って思いの外、少ないものでしょ。そしたら、学園長か、リボンちゃん。サスケとウィズは論外でしょ?」
「そう言うことになりますか……」
「ついでにこういうのって、狩りの常套手段よね。罠まで得物を追い込むの」瞬間、セレスの瞳が煌めいて見えた。「どこへ誘いたいのか知らないけど、得物はあたしたちだね」
「じゃ、えさは久須那の絵ですね。そこまで誘ってくれるのなら、探す手間が省けていいですね」
「ま、ね。たださぁ、何かこう、背中がむずむずするっていうか、胸が妙な具合にドキドキして落ち着かないのよね。……絶対、何かある」
 セレスは真摯な眼差しをデュレに向けた。仕方がないので、二人は保管庫方面には向かわずに、結界のすぐそばにあった階段を使って二階に上がろうとしていた。時間をかけたら結界を無効化させることもできたのだが、ここは敢えて誘われてみることにしたのだ。
「――一つあったなら、二つ、三つあったとしてもおかしくないよね」
「おかしくはないでしょうね……」
 階段を上り切った二人の前に三階には行けないように再び結界が現れた。
「は〜ん。三階には行くなと」セレスは腕を組んでふて腐れたように結界を眺めた。
「二階のめぼしいところは学園長室くらいですか。職員室に用事はないですし、わたしたちに用事があるのだとしたら、もっと直接的にちょっかいを出してきてもいいような気もします」
「どっちでもいいわ」セレスは頭の後ろで腕を組み直した。「誘ってるなら、最後まで誘われてやろうじゃないのさ」セレスは不敵ににやりとする。「ケンカを仕掛けてくるなら受けて立つっ! デュレもそれでいいよね?」
「あんまり要らない波風は立てたくないんですけどね。どうも、セレスは血の気が多くて、必要以上に敵を作っているような気がするのは気のせいでしょうか?」
 デュレは横目でセレスを見やった。
「う〜ん、気のせいじゃないかもしれないねぇ。でも、まぁ、いいじゃん、細かいことは」
「全然、細かいコトじゃないと思うんですけどね、わたしは!」
 と、他愛のない言葉のやりとりをしているうちに三度行く先を結界に阻まれた。
「――学園長室に入れってことらしいですけど、どうしますか?」
「そりゃあ、聞くだけ野暮ってもんよ」セレスは引き戸を軽く引いてみて感触を確かめる。「鍵も開いてるし。ためらう理由なんてもう一個もないでしょ?」
 セレスはデュレの瞳を真摯に見詰める。デュレは額にかかった髪をかき上げ、ため息をついた。
「躊躇するくらいなら最初からこんなことしてません。が! 飛んで火にいる夏の何とかもイヤですからね。大雑把ではなくて、慎重にお願いします」
「ま、そうだろうね」嬉々とした表情でセレスは言う。「じゃ、遠慮なく未知の世界への扉を開かせていただきましょうか?」セレスはにんまりと笑った。
「緊張感が足りなすぎます。向こうから矢でも飛んできたらどうするんです?」
「心配のしすぎだって、デュレは。殺したいんだったら、もう死んでるってあたしら。デュレがなんと言おうと、あたしら、こ〜んなに無防備で歩いてるんだものっ! ね?」
「ね? じゃないです、もう!」
 そして、セレスはおもむろに扉を開けた。暗がり。窓はカーテンで閉ざされていて、外の月明かりがその隙間から一条の光となって部屋を照らしていた。
「人の気配はしないね」
 二人でちょっとだけおっかなびっくりに戸口から中をのぞき込んでいた。デュレは腕を伸ばせるだけのばして、カンテラで部屋の奥を照らそうとし、セレスはその明かりをあてにして目を凝らし、周囲の状況をつぶさに観察していた。
「……ホントに誰もいないみたいですね」
 デュレはカンテラであちらこちらを照らし出し、キョロキョロと捜し物をしていた。入り口から入ってソファを避け、昼間に久須那の絵を置いたはずの場所に歩み寄った。胸がドキドキする。期待と不安が入り交じった奇妙な気持ち。そこに“絵”が存在しないでほしい。その方がフツーだったから。けど、ある意味、ご都合主義的なデュレの淡い期待は見事に裏切られた。
「――二度目のご対面ですかね。久須那とは……」デュレは頭を抱えてため息をついた。
「……? 折角、パキパキとコトが運んでるのに、不満でもあるの?」
「不満? どうもこうも、不満だらけです。結界スクリーンに弄ばれるし、それはいいんですけど、何もかもが順調にいきすぎてるんです」デュレは久須那の絵をまじまじと見詰めて呟いた。「大切な絵を……封印の真偽がどうあれ、これには美術的な価値も相当なものでしょうし、そう言うものが警備もなしに……。と言いますか、普通なら美術品保管庫に直行のはずなのに」
「あ〜、そう言われてみればそんな気もするねぇ」
 セレスはデュレからカンテラを奪い取って改めて久須那の絵を穴の開くほど見詰めていた。それから、急に興味を失ったかのように遠ざかっていく。デュレの突き刺すような視線を背中に感じて居心地が悪くなったのだ。セレスはカンテラを机の上に置くと後ろ手を組んでプラプラしながら窓際に寄り、カーテンの裾をめくった。
「やはり、わたしたちがここに戻ってくると踏んでいたのかしら?」
 デュレは難しい顔をしてチョロチョロとし始めたセレスとは対照的に一点を凝視していた。
「……学園から夜の風景を眺めるのももう最後かなぁ」セレスはポヤンと外を眺める。
 一方、デュレはどうやって久須那の絵を持ち出そうかと必死に思案を始めた。空間転移魔法を使えば簡単なのだが、どこで監視されているか判らない。その上に自分の“色”を残していったのではお話にならない。この場に長居している場合ではないのに、考えがまとまらなくてデュレは途方に暮れてしまいそうだった。
「……このまま、ここに置いて行かれるのかと思ったぞ」
 全くの不意に静寂を破る声が届いた。久須那の声? 
「ひぃっ?」窓の外を見ていたセレスは心臓が口から飛び出るくらいに驚いた。
「セレスって、案外、気が小さいですよね? 久須那の声色、忘れちゃいましたか?」
 デュレはクスッと笑って歩み寄ると、セレスのふさふさの髪の毛をなでなでした。
 それから、声のした方向を振り向くと、白い衣装を身にまとった久須那が絵の横の壁により掛かっていた。さっきまで、そこには誰もいなかったのに。久須那のシルエットスキルは自在に絵から抜け出したり、戻ったりできるのかなと考えたりもする。
「よ、よ、予想外の出来事にはちょぉ〜っと苦手で……」照れ隠しに頭をぼりぼり。
「誰も来ないと思って油断してたんでしょう? 認めてしまいなさい?」
「ち、違わい!」セレスは憤慨してデュレに怒鳴り散らした。
「ふふ。照れちゃって。セレスのそんなところが可愛くていいわ♪」
 デュレは更に調子に乗ってセレスの髪型がくしゃくしゃに崩れるくらいなで回した。
「子猫のようにじゃれるのは微笑ましくていいのだが、どうするのだ?」
「あ……っ」デュレは口元に左手を押し当てて、所期の目的を思い出した。「どうしましょう、久須那さん」
「どうしましょうと言われてもな――。本物のわたしは絵の中だし、何もできない」
「そうですよね。でもあなたがただのシルエットには思えなくて」困り果てた口調だった。
「――来たか……、二人とも」
 そこへ、再び、声が届いた。開けっ放しにしたままの戸の向こう側から歩み寄る黒い陰。唯一の光源であるカンテラがそれの黒い瞳を妖しく煌めかせていた。
「……! 誰?」いち早く反応し、声を上げたのはセレスだった。
 背負った弓をおろし、矢筒から矢を抜き構えた。
「今度は油断していなかったみたいですね。けど、空気を感じませんでしたか?」
「う、うるさいよ。キミは」
「……物騒なもんを持ち出すなよ。オレは味方のはずじゃなかったのかな?」
「リ? リボンちゃん? だって、キミはウィズと一緒のはずじゃ?」
「何、寝ぼけたこと言ってるんだ、セレス。あっちがサスケだ。ついでに言っとけば、ウィズとサスケは結構気が合うらしいぞ。同じ“待たされ組”と言うあたりで意気投合したらしい」
「げっ、もお、紛らわしいよ、こいつら。やっぱさ、リボンちゃんにはこう可愛らしくリボンを付けてもらおうよ。その方が絶対いいって。ね? ね?」
「誰に同意を求めているんですか?」デュレは体正面で腕を組み、視線でセレスを突き刺す。「……けど、今回ばかりはセレスに賛成です。――似すぎです。二人とも」
 と言って、デュレは自分の制服のシャツからシュルルとリボンを外した。そして、リボンの前にしゃがみ込むと、美しい毛並みに赤色のリボンをきゅっと結びつけた。
「……。何をやってるんだ、デュレは!」
「はい、出来上がりです♪ これでリボンちゃんとサスケくんを間違えませんよ」
 すっと、立ち上がるとデュレはリボンに向けてニコリと微笑んだ。
「『リボンちゃん』とはよく言ったものだな」久須那はちょっとだけ面白そうな素振りを見せた。
「でしょう? セレスもなかなかステキなニックネームを付けましたよね?」
「やっぱ、そう思う? へへぇ〜。だってさ、これ、最近の中でも最高傑作よ」
「……会心の出来かもしれないな」
「こら、そこ! おかしなことで納得しない! こんなみっともない格好でオレに歩けってか?」
 リボンの黒っぽい長い毛並みの頭の部分に赤色のリボンがちょこんと可愛らしく乗っていた。
「あははっ!」セレスは思い切り吹き出して、おなかを抱えて大笑いしだした。「に、似合ってるよ、リボンちゃん! もぉ、どうしようもないくらい。あははぁ……」
「笑いすぎだ。お前は。いつだってそうだ」不機嫌な顔が更にこわばる。
「細かいこと、気にしすぎ。面白いものは面白い。純粋に楽しまなきゃ、ね♪」
 セレスはリボンの傍らに腰を下ろすと、背中を優しく撫でた。
「……慰められてるのか? オレは?」
「うんにゃ!」セレスは首を横に振った。「面白がってるの。リボンちゃんにリボンだなんて、駄洒落みたいで面白いじゃん? もお、間違えないよ。名前を間違えるなんて粗相はいたしません」
 すると、リボンはますますもって疑わしいとばかりにセレスを睨み付けた。
「お・こ・ら・な・い♪ 血圧上がるよ」
 きゃははは。なんて笑われた日には機嫌だって悪くなるものだ。リボンはよりいっそうブスッとしていったい何のために二人の前に姿を現したのかすっかり失念してしまったかのようだった。
「……ところで、リボンちゃんは何でここにいるのかしら?」
「あぁ、肝心なことを忘れたな。……お前らのせいだぞ!」
 リボンはデュレとセレスの顔を交互に睨んだ。
「で、何さ?」セレスはリボンと鼻先をすり合わせた。
「うお?? ……オレ、なんかもうイヤになってきた」
「そう、くさくさしないでさ。早く早く」
 セレスはリボンの頭のてっぺんをバシバシと叩いた。
「――噛み付くぞ!」
「噛み付けるなら、どうぞっ♪」
「……ガウッ!」リボンは半分本気にセレスに噛みつこうとした。けど、そのまま伸び上がってセレスの頭に前足を乗っけて押し倒した。「さてと♪ 邪魔者がすっきりと片づいたところで、オレの本題を言わせてもらおうか」
「だぁれが邪魔者だって? このっ!」セレスはリボンを押しのけるとその場であぐらをかいた。
「お前だ、お前。……いや、そんなことはどうだっていい。――それより、盗みに来たんだろう。早く持っていくぞ。はげ爺の気が変わらないうちにな」リボンは意地悪な笑みを浮かべた。
「え、え? ちょっと待って」デュレがリボンの思わぬ言葉に戸惑った。「それって、学園長の許可が下りてると言うことなのでしょうか?」
「そういうことになるな。昼間はデュレとセレスを試させてもらった。そして、判ってるとは思うが……もう、後戻りはできないぞ。お前らは協会に対する一種の反逆者だ」
「へんっ! 反逆者、結構っ! 戻る気なんてさらさらないねっ!」
「セレスならそう言うだろうな」微かに笑いながらリボンは言った。
「じゃあ、結界を張ったのはリボンちゃん?」
「そうだよ。余計な手間を省くためにな。ああ、ついでにはげ爺は昨日……か? お前らが帰った後、大聖堂に行った。トゥエルブクリスタルの伝承の調査許可を取りにな。堅物どもがどういう判断を下すかは知らんがね」ウィンク。
「と言うことは、空間転移魔法を使っても大丈夫ってコトかしら?」
「ああ、デュレの紫色の痕跡が残っても今すぐ、誰かに追い回されることはないぜ。ドロボーに関しては完全に黙認される。“久須那の絵”に関しても、いや……」リボンは瞳を閉じた。「今回の魔都・シメオン発掘調査自体、なかったことにされ、箝口令が敷かれる。……とりあえず、学園長権限でな。だから、口外はするなよ? 協会から正式な承認をとるまで他言無用だ」
「とれなかったらどうなるんですか?」
「学園が協会に反旗を翻す。既に教授会で全会一致の承認を得ている。どういうコトか判るか?」
「判りますけど……。でも、そんなことをするなら学園の利益にならない。それでも実行するというなら――わたしたちでいいんですか?」デュレとリボンは真剣な眼差しで見つめ合った。「リボンちゃんやサスケくんに比べたらわたしたちなんて“小娘”です」
「さあ、どうだろうな」リボンは瞳を煌めかせてにやりとした。「はげ爺はお前らを強く推していたぜ。デュレとセレスならきっと答えを見つけるまで諦めないでやってくれるってな」
「はぁ〜ん。はげ爺がねぇ。ちょっと意外」
「期待されてるってコトですか?」
「ああ」リボンは短く答えた。
「では、その期待に応えるまでです」
 その言葉を最後にデュレは魔法に集中し始めた。デュレの漆黒の瞳が真紅に染まる。デュレの使う空間転移魔法は闇護符を使った簡易魔法ではない。ターゲットを決め、飛翔させる座標を正確に指定しなくてはならない。中途半端なことをすると以前のセレスのような災難に遭うわけだ。
「フォワードスペルっ! みんな、久須那の絵の前に集まって、急いで!」
「どうするの?」久須那の絵の前に走り寄りながらセレスが言った。
「みんなまとめて移動します! だから、早く!」
「ええ? マジ? デュレ、あたしらを異界の住人にしちゃうつもりなの?」
 そうこうしている間に“絵”を包み込むくらいの大きさの魔法陣が現れていた。いつもの形。二重円の内側には六芒星、その更に内側には巨大な閉じられた眼がある。外側と内側の円の間にはエスメラルダ古語によるフォワードスペルに関する呪文が半ば絵文字のように浮かび上がっていた。
「ホントに大丈夫なんだろうな? セレスの話を聞いていたらロクなコトに……」
「ごちゃごちゃ、うるさい! しくじったらあなたたちのせいですからね」
「ええぇ? 冗談はよしてよ!」びっくり仰天したようにセレスは怒鳴る。
「だったら、大人しくして!」
 目が本気だ。余裕もないらしくて、言葉の節々に刺がでる。そして、魔法の下準備が終わる頃、闇色の魔法陣の瞳が開きかけた。それが完全に開き、対象物を見定めた瞬間、魔法が完成する。デュレは呪文の詠唱が終わると同時に魔法陣の反対側に回り、セレスと並んだ。
「行きますよっ! 覚悟してください! ――キャリーアウト」
 実行の指示を出すと同時に、寝ぼけ眼がカッと見開かれスペルが発動した。
「ひぃいいぃ。異界の住人なんていやだよぉ」
「往生際が悪いぞ、セレス。黙って転送されてろ」
「そんなこと言ったってぇ、この訳の判んない浮遊感が嫌いなのよぉ」
「泣き言は言わない。それにとりあえず、ウィズたちと合流するから町はずれまでです」
「え〜っ! ってことはエルフの森まで、もう一回こんな目に遭うの〜? ひ〜。もう勘弁してよぉ〜」
 セレスの悲痛な叫び声を残して、学園長室から三人と久須那の絵は姿を消していた。