12の精霊核

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07.  the final night, and(最後の夜、そして)

『リテール協会レルシア派評議会より、本件に関する通達。協会魔法学園長・ジャンルーク殿。
本件の調査は許可しない。また、この決定は絶対であり、異議申し立ては認めない。本状に従わない場合は魔法学園長を罷免する』
「――レルシア派がレルシア派たる所以……。大切なことを忘れるところだったか。思い出させてくれてありがとう、デュレ。感謝する」
 ジャンルークは書類をくしゃっと丸めるとゴミ入れに投げ捨てた。

 それから、一行はウィズ&サスケと合流し、エルフの森周辺部にいた。フォワードスペルで直接、森の深淵に降り立つのは危険な行為だった。万が一にも樹木やその他の障害物と重なって空間に具現化したら世にも恐ろしいことになる。デュレの担当教官の話だと、直径数百メートルの円内が吹き飛ぶらしい。
「デュレぇ。もぉ、フォワードスペル……やめよ?」甘えた声でセレスは言った。
「何でですか?」不機嫌そうな顔をしてデュレはセレスを睨め付けた。
「何でって、決まってるじゃん、ね?」セレスは首を傾げてリボンに同意を求めた。
「オレに同意を求めるな」仏頂面でセレスをジロリとやった。
「だって、ウィズじゃ頼りなさそうだし……」
「頼りなさそうで、すまないね。こう見えても俺は同盟じゃ、一、二を争う剣士なのだけどね」
 心外だと冗談交じりの軽い意思表示をする。
「はぁ〜ん?」セレスは腰のあたりで手を組んで訝しげにウィズの顔を下から覗き込んだ。「キミが一、二を争うんじゃ期成同盟も終わってるね。その腕じゃ久須那どころかあたしにだって勝てやしない」そして、片目を瞑ってやるせなさそうに両手を広げた。
「そこまで言うか。お前は。そんなに自信があるなら、手合わせ願おうか?」
 ウィズは腰に吊った剣に手をかけて、すぐに抜けるように構える。セレスも背中に負った弓ではなくて、ベルトに引っかけた短剣に手を伸ばした。
「ぴ〜ぴ〜泣いたって許してあげないんだからねっ!」
「だから、下らないことで仲間割れするな!」デュレはセレスの頭をゲンコツで勢いよく叩いた。
「いったぁ〜い」セレスは頭をさすった。「……誰が、仲間割れしたってよ。戯れてるだけじゃん。ねぇ? いいじゃない少しくらい。ま、デュレがイライラするのも判るからいいけどさ」デュレから反応が返ってこなくてセレスはつまらない。どうにか突っつけないかと意地悪な考えを巡らせた。「――で、これからどうするワケ? 頭脳明晰。向かうところ敵なしのデュレさんは」
 セレスの問いに、歩き出して先に行こうとしていたデュレは肩をピクと震わせて立ち止まると、苛立ちを露わにして勢いよく振り返った。
「さあ? わたしが聞きたいくらいです。わたしはきっと毛むくじゃらの紳士さんが解説してくれるんじゃないのかな〜って期待しているんですけど……ね?」リボンをにらむ。
「……あまり、オレを頼らないでもらいたいものだな」大きなため息をつく。「――何のためにお前らを選んだと思ってるんだ? あぁ、けど、ウィズはあれな。予定外の余剰人員」
「相変わらず言いにくいこともはっきり言ってくれるな、シリアは」
 このメンツに加わってからと言うのもウィズの扱いは最低ランクだった。エスメラルダ期成同盟にいたときはホントに腕のいい剣士だったのに。ここにいたら闇の魔法使いだの精霊だの間に挟まってしまって、流石のウィズもただの人。周りが異常でも落胆すると言うものだ。
「あ?」訝しげな表情。「特に言いにくくもないぞ。せいぜい足手まといにならないようにがんばれよ」リボンはニンと意味ありげな微笑みを浮かべた。
「親父、こういうやつが思わぬ伏兵になるんだぜ。とって置いても損はないぜ?」
「サスケによるとそうらしいぜ?」
 ウィズは不服そうな眼差しをサスケとリボンに向けていた。
「サスケも人を見る目がないからな。まぁ、デュレとセレスの盾くらいにはなれるか?」
 リボンはウィズの瞳を見詰めて悪辣に笑みを浮かべた。
「冗談は頭にくっつけてるリボンだけにしてくれよな」
 ウィズは頭の後ろに手を回して空を見上げた。悔しくても事実そうだから否定できない。
「――」けど、リボンも“リボン”のことを言及されるのは嫌らしく、ちょっとショボンとした。
「あ〜、あんまりいじめたら可愛そうだよ、リボンちゃん。ああ見えても、結構繊細なんだから。傷つけたら大変! ショックで一日塞ぎ込んでるんだから」
「……ずぼらの代名詞みたいなお前に言われたくない」
 さめた眼差しでリボンはセレスをにらんだ。けど、セレスは全く気にしない。むしろ、ニコニコとしてリボンの反応を楽しんでいるようだった。
「――あなたたち、いい加減におふざけはやめにしてください。さっきから一歩も進んでませんよ。ちょっとでも時間が惜しい時に何をやってるんだか、この人たち」
 デュレは腕を組んで仁王立ち、呆れたような鋭い眼差しを三人に向けていた。
「へへ。やっぱ“つい”ね」
「いいわけは必要ありません」デュレはセレスが言い寄ってくるのをきっぱりとはねつけた。「大体ですね、わたしたちがここまで来たのは……」デュレは小さくなってるセレスを見つけて一呼吸をおいた。「まさか、忘れたとか言うつもりじゃないでしょうね? まぁ、いいです。ともかく、止まっていては埒があきません。進みましょ!」
 それから、デュレは厳しい視線で一同を見回して、しばらく黙っていた。
「が、どうしたものかしら。テレネンセス教会での教えに従ってエルフの森まで来たのはいいのですけど、ここから先の手がかりがないんじゃあ……」
 デュレの意地悪&悪戯な笑みをたたえた眼差しが再びリボンの上ではたと止まった。
「結局、オレかい」あまり嬉しくはなさそうにリボンが言った。
「だってね、頼れるのはリボンちゃんしかいなんだよ」
「――セレスはもっと頭を使う努力をした方がいいと思うんだけどな、オレは」
「よ・け・い・な・お世話さん。あたしは体力。デュレが頭なの。役割分担があるんよ」
「ははっ。説教たれるだけ無駄のようだぜ、親父」
 サスケが大笑いすれば、リボンは憮然としていた。
「ま、別にいいけどな。少しは年上を敬ってほしいもんだ」
 と、腕を組んだままのデュレは苛立ちを隠せない様子で右足をぱたぱたと踏み鳴らしていた。
「――はあ、とりあえず街道筋にある小さなお店に行くんだ。そこに古くからの馴染みがいてね。――ここから始まるのさ」リボンの瞳が煌めいていた。「そう、とっても可愛い娘がいるぞ。ウィズ。どうだ?」デュレを見ていたリボンの顔がくるっとウィズの方に向いた。
「……何で俺なんだ?」
「今に判るさ。だから、今は内緒だ♪」
 リボンは悪戯な微笑みをウィズに向けた。尻尾をパタパタさせて更に上機嫌。
「はぁ〜ん?」ウィズにはピンと来たようだった。少し残念そうな顔をして遠回りにリボンに迫った。「今回もサスケと一緒ってことか?」
「……かもしれないし、そうでないかもしれない」
 どこか淋しそうにポツンと答えると、リボンはそそくさと行ってしまった。さっきまで機嫌が良さそうだったのに、急に淋しそうになったリボンにウィズはうろたえた。
「……? 何なんだ、あいつ。何か、悪いこと言ったか、俺?」
「さあ? 言ったかもしれないし、言ってないかもしれないし」
 セレスは面白半分、からかい半分だ。
「あのなぁ。真面目に聞いてるんだぜ」
「あたしだって、真面目じゃん?」くるっと瞳を閃かせた。「――いつもより、ねっ♪」
 一行の進む街道筋は今やほぼ完全に旧街道だった。シメオンが滅んで以来、魔都と呼ばれるようになったそこへわざわざ赴いてみようと言う物好きもまずいない。森の向こうの小さな田舎町に行く旅人が稀にいるだけの寂れた街道。それがかつて主街道と栄華を極めた道のなれの果てだった。
「ねぇ……。ねぇったら、ねぇ! その馴染みのいる小さなお店ってどこぉ?」
「ここだ」不意にリボンは立ち止まった。
「どこさっ! もう、あたし、へとへとよぉ」
 セレスはウィズと一緒に抱えてきた額縁を放り投げた。何十キロとある代物を二時間強も運ばされたらたまらない。リボンとサスケは遠慮なくズンズン先に進んでしまうし、デュレはデュレで突然、「お箸より重たい物は……」などと訳の判らないこと言って手伝ってくれない。結局、体力担当のセレスと男だからと理不尽な理由でウィズが運ぶ羽目になった。
「……セレスの目の玉は節穴か?」小バカにしたようにリボンが言う。
「あ〜? 視力測定不能なほど目のいいあたしに向かってそんなことを言う?」
「じゃ、目の前にあるモダンなお店は何だ?」
 リボンの示した森へと続く街道の入り口に木造のこぢんまりとした建物があった。玄関口には“軽食&喫茶・耳長亭”の看板があって、空の植木鉢が数個ほど並んでいた。
「こんなところにお店があるなんて知りませんでしたね」
「そりゃそうだろうな。だが、ここは隠れた名店なんだぜ。森の泉から作る飲み物は格別だ」
「ふ〜ん。それは飲まないで帰るわけにはいかないね♪」
「無論だ」ニヤリ。
「けどさ、こんな夜中に来ていいわけ?」
「話はきちんと付けてある。お前と違って用意周到なんだぜ、オレは」
 と、騒がしい外の気配に気がついたのか、カラランランと呼び鈴が鳴る音がして店のドアがいきなり大きく開かれた。中から光がサッと漏れだして、女の子のような小さな影が現れた。その影は暗がりで何も見えないことに気がつくと、一旦中に戻って今度は右手にカンテラを掲げて走り出てきた。
「あはっ♪ かっわいい〜!」
 カンテラに照らされて薄いオレンジ色に見える白いワンピース、水色の大きなリボンに、金色の長いポニーテール。そして、吸い込まれそうなくらいに透き通った青い瞳。女の子は人の気配を探して、カンテラと一緒に右を向いたり左を見たり忙しい。
「……? 気のせいだったのかなぁ?」人影を見つけられなくて不思議そうに首をひねる。
「ねぇ! ジーゼぇ? シリアくんさぁ、友達連れて、来るって行ってたよね、夜中に?」
「そうですね。うまく事が運んでいたら、そろそろ来るんじゃないかな」
 女の子に呼ばれて、店から緑色の装束を身にまとった女の人が姿を現した。
「う〜ん。何か、気配がしたからそうかなって思ったんだけど……」はしゃいでた明るい顔が失意に沈みそうなる。「まだかなぁ? あんまり遅いとクリルカ、寝ちゃいそうだよ」
 クリルカはジーゼにカンテラを手渡すと眠たそうに目をこすった。
「来たら、起こしてあげるから、もう寝たらどう?」
「いやだ! シリアくんが来るまで絶対起きてるんだもんっ!」
「強情なんだから」ほとほと困り果てて、ジーゼがため息をついた。
「だって、待ってないと、すぐ来て、すぐ帰っちゃうんだもの、いっつも。それじゃつまんない。わたしだって、ジーゼみたいにシリアくんともっとお話ししたいんだもん!」
 クリルカは腕を組んでつーんとほっぺをふくらませるとそっぽを向いた。
 と、不意にクリルカは気がついた。ジーゼと話している間にリボンがクリルカのすぐそばまで来て、そっと優しく吠えたのだった。
「あっ! シリアくん!」ふくらんだ顔が元に戻って、再び笑みがこぼれる。「しばらく来てくれなかったけど、どこほっつき歩いてたの? あっ! リボン付けてる。ね、ジーゼ。ジーゼ? シリアくんが頭に可愛らしいリボンを付けてる」
「クリルカ。夜中に騒々しい。森のみんなに迷惑だから静かになさい」と、ジーゼの目線がクリルカから離れてリボンに降りてきた。「……あら、可愛い♪」
「ジーゼもそう来たか」リボンは残念そうに肩を落とした。
 けど、すぐさま気を取り直して、三人の紹介を始めた。と言っても、事前にある程度まではすませていたらしく、手短に終わってしまった。セレスはあることないことをもっと喋りたかったようだが、その小さな野望はデュレの一睨みであっさりと蹴散らされてしまった。だから、セレスはちょっとがっかりしたように肩をすぼめていた。
「じゃ、みんな、外で立ち話もあれだから、中に入ろう? 飲み物を出してあげるよ」
 飲み物や食べ物の話になるとセレスはいつだってどんな境遇でも急に元気になった。
「あ、あたし、珈琲がいいかな?」
「ダメ!」クリルカに間髪入れずに拒否された。「眠れなくなったら困るでしょ」
「うなぁ〜。あたしはお子ちゃまじゃないっての! 珈琲なんて十杯飲んでも平気だって」
「でも、ダメ」ガンとして聞き入れない。
「じゃ、お酒♪」
「もぉおっと、ダメっ! それにうちにはお酒なんて物は置いてありません」
「え〜っ! それじゃあ、あたしの楽しみ何もないじゃん」
「ふふ、今夜は大人しく眠れってことかしらね? セレスちゃん?」面白がってデュレが煽る。
「眠れるかっ!」セレスは大憤慨でカウンターの丸椅子にドスンと腰を下ろした。
「あらあら、そんなにカリカリしたら血圧が上がりますよ」ジーゼだ。
「もお、さっきから上がりっぱなし! ひっくり返ったらこのくそガキのせいだからね」
「くそガキ? ジーゼっ、この人、クリルカのことくそガキって言った! こんなのに出す飲み物なんかないもん! あんたに何か、何もあげな〜い。べーだ!」
 クリルカはあっかんべーでセレスを見た。
「なんだとぉ、このくそガキめ」いきり立ってセレスはクリルカに掴みかかろうとした。
「やめなさい。大人げない!」デュレは勢いよくセレスをゲンコツでゴンと殴った。
「いったぁ〜い。もお、何かある度にいちいち殴らないでよ。バカになったら困るじゃない」
「もう十分すぎるくらいおバカさんじゃないの。何を今更」
「く〜っ! 腹の立つ。このやり場のない怒りは一体どこにやったらいいワケ?」
「たまにはそっと胸にしまっておきなさい」諭すようにデュレは言った。
「ストレスで爆発しちゃうって!」
「……。いっそのこと爆発しちゃったら? 跡形もなくなってすっきりするかも」
「――それはあたしがいなくなってデュレがすっきりすると解釈してもいいのかしら?」
「えぇ、大体そんなところだと――」
 デュレはお澄ましして何もなかったようにセレスの隣に座った。
「ああ、もうっ! あたし、どうしてこんな嫌みなやつと仕事してるんだろ? 今度はもっと素直で従順な娘、選ばなくちゃなぁ」セレスはカウンターに頬杖をついた。「もお、こんなんだったら、健康に悪いってさ」
「……それはわたしの台詞です。セレスと一緒だと気が休まらなくて、胃がキリキリします」
「お前らはここまで来てまでケンカをするつもりか?」
 雲行きが怪しい二人のやりとりを見るに見かねてリボンが割って入った。このまま放って置いたら、大ゲンカになりそうな気配だ。ただでさえ騒々しいのに、これ以上の騒音はごめんなのだ。が、口を挟むと焼け石に水どころか、火に油を注ぐ結果になることも多々あった。
「わたしにそんなつもりはありませんけど、セレスが……」
「何だとぉ〜!」
 と顔を真っ赤にすれば、カウンターの向こうに一触即発の状況をハラハラと見守るジーゼが見えた。更にクリルカはセレスとデュレのあまりの大人げなさに呆れてしまってどうにもこうにもならないようだ。もしかしたら、呆れなんて通り越して軽蔑の一歩手前かもしれない。
 そしたら、セレスは慌てふためいて何とか威厳取り戻し工作に打って出た。
「あ〜、デュレぇ〜?」ちょっぴり動揺して声が上擦っていた。
「何ですか。気持ち悪い」デュレは不審そうにセレスを眺め回して、自分で自分を抱いていた。
「ねぇ、今更なんだけど。絵だけフォワードスペルで運べなかったの?」
「出来たらもうやってます。いいですか? フォワードスペルは出口を最初に指定しなくちゃならないんです。さもなくば……どうなるか、あなたならお判りでしょう? セレスさん。ま、セレスだったら送り込んでもいいかな♪ って思いますけど。大切な絵ですよ?」
「……キミは一言余計なの」
「あなたもね、セレス」
 口元に微かな微笑を浮かべてデュレが言えば、セレスはもうぐうの音も出せなかった。その効用なのかセレスは新たな話題を探してキョロキョロして、フと気がついた。
「……。そう言えば、ウィズは? さっきから姿が見えないような」
 セレスの一声にみんなで一斉に戸口を見やった。お店の中を一通り見回してもウィズの姿はなかった。逃げ帰ったのか。と不信感を抱きつつ、リボンが扉を開けて外を見ると。ウィズは扉のすぐ横の壁に寄りかかって佇んでいた。
「まだそんなところにいたのか? さっさと中に入れよ」
 リボンが遠慮してまだ外にいたウィズに向かって呼びかけた。
「何だかな。この雰囲気。懐かしくていたたまれなくなってな……。期成同盟はみんなピリピリしてて、こんなアットホームじゃなくてよ。――俺、ここに入ったら場違いなような気がして」
「なんだ? そんな下らないことを考えてたのか? ここを我が家だと思って、遠慮するな。夜中だぜ、夜中。折角だから、軽い夜食でも作ってもらって、しばし、戦士たちの休息といこうぜ」
「シリアがそう言うならお邪魔させてもらおうかな」
「格好良く言ってるけどさ、あたしらって愚連隊じゃん? どっちかって言うと」
「わたしたちは不良の集団じゃありません! 全く」
「そうかな? 規則破りの常習犯なんじゃない? あたしら?」
 セレスはデュレの肩に腕を乗せ、顔を寄せるとニンっ♪ と微笑んだ。すると、デュレは頭を抱えてうなだれた。こうなった以上は仕方がない。と開き直るつもりはなかったけれど、あからさまに指摘をされて気分がいいはずがない。
「……折角、忘れかけてたのに。どうしてこの娘は余計なことを思い出させるのかしら」
「備忘録みたいでちょうどいいんじゃない?」セレスは手を頭の後ろに回し仰け反った。
「わたしはセレスほど、物忘れは激しくありません」
「それでさ。ずっと聞こう聞こうと思ってたんだけど」都合が悪くなって、セレスはひょいっと話題を変えてしまった。「久須那の封印を解くのとこの森と何の関係があるん?」
「なかなかいいところに気がついたな」床で丸くなっていたリボンがすっと首をあげた。
「まじめに聞いてるんだから、茶化さないでよ。だって、デュレの話じゃ、封印を解くには光と炎の最高位魔法が必要で、それはリボンちゃんが教えてくれるんでしょ?」
 すると、リボンは大きく首を横に振った。
「残念だが、オレじゃないのさ」リボンは儚い笑みを浮かべた。
「じゃ誰さ?」間髪入れずにセレスは問い返す。
「封印を解く鍵を知るものが二百二十四年前までのシメオンにいた。……封印を施したシェイラル司祭の直系の子孫……。いわば、天使の血を引くものたちだな。皆殺しだ。――一説では一族を抹殺するためにシメオンでの虐殺が行われたという……。その結果があれだ」
 セレスはリボンの真剣な眼差しを直視したままごくりと唾を飲み込んだ。
「ま、この辺の事は教科書には載ってないな」ケロッとしてリボンは楽しげに瞳を閃かせた。「ともかく、十三回目の鐘が鳴り終わる前までに帰れ」
「それ、どこかで聞いた……よ?」
 セレス心臓が飛び跳ねるような気持ちの悪い焦燥感を感じていた。夢の記憶が曖昧で全てを思い出しきれないせいもある。しかし、それ以上に腑に落ちない大ききな疑問があったのだ。
「十三を越えたらどうのこうのってようなのなんだけど……。その前にちょっといい?」リボンは瞳を閉じて無言でうなずいた。「二百二十四年前ってさ、昔でしょ? 過去でしょ? 今じゃないんでしょ? どうやっていくんよ、そんなとこ」
「逆召還のアレンジで過去への扉をこじ開けるんだ」
「……?」セレスは判ったような判らなかったような困惑した顔で首を傾げていた。
「――。つまりだ」リボンは大きなため息をついた。「異界に抜けるのも、時を遡るのもにたようなモンって事。……? 何だか半信半疑そうだな。が、そんな物は理論よりも実践だ。行ってしまえば何だっていいんだ。それに朝になりゃ判る」
「じゃ、その十三と言うのは何ですか? いえ……」デュレは静かに瞳を閉じた。「わたしもその前にどうしても尋ねたいことがあります。シェイラル司祭の一族しかその魔法を伝承してこなかったのはそれなりの事情があるんでしょうから、いいとしましょう。ですが……」
「ですが?」言葉を繰り返してセレスが促す。
「……。なぜ、今更、わたしたちがそこに赴き、魔法を手に入れ、ここで久須那の封印を解かなければならないのか。それが判りません。そこのところがどうもすっきりしないんですが……」
「オレにも判らん」リボンはあっさりと答えた。「オレはただ、シェイラル司祭に久須那とともに戦うにふさわしい連中が現れるまで待てと言われていただけだ。マリスを倒すために。久須那にかけられた呪いを解くにはマリスをどうにかするほかないからな……」
 リボンは考えをまとめ直すかのように一呼吸をおいた。
「だが、これだけは言えるぜ。二百二十四年前のあれは予定外だった、とな」
「シェイラル一族が絶えなければこのようなことにならなかったと……?」訝しげな眼差し。
「そうとも言える。……が、シェイラルもある程度まではこの可能性を推測していたみたいだぜ。時を越える秘術を用意していったんだからな。――それを明日、実行するんだ」
「……結局、いまいち釈然としないですね……。細かいことの整合性がとれない」デュレは半ば上の空のようにぶつぶつと考えを巡らせた。「けど、まぁ、リボンちゃんの言うように行けてしまえば色々と判るような気もしますから、いいですね。あと……」
「ああ、十三な。シメオンが滅んだ最後の夜に時計塔の鐘が十三回鳴らされたと史実に残っている。その日が来るまでに帰って来いってことだ。その後、百数十年間、力場が不安定で時を越える秘術が使えない。つまり、すぐには帰れなくなると言うことだ」
「その日はいつですか?」
「1292年のGemini 25〜29日までの間のいつかだ。正確な記録は残っていない。ついでに言っておけば、そこら辺の時代のどこに落ちるかなんてさっぱりだ」
「うぁ、最悪。タイムリミットも何も判らないでやるの?」
「そこまで突き止めるの大変だったんだぞ。文句言うな!」
「え〜っ。リボンちゃんは強いからそれでもいいかもしれないけど……。あたしは……」
「いや、オレはいけないからどうでもいいんだ♪」リボンは冗談交じりの口調で意地悪した。
「もう一回言ってみろ?」その言葉に意表をつかれたのは誰よりもウィズだったのかもしれない。
「オレは行かないって言ったんだ」
「何、マジ、それ? どしてさ? リボンちゃんがいないと」セレスが不安そうに尋ねてきた。
「オレは――いるぜ」瞳はどこか遠くを見ていた。そして、帰ってくると力強く微笑んだ。
「――?」セレスはリボンの言いたいことが判らなくて、キョトンとしてリボンを見ていた。
「……言わなかったか? “二百二十四年、お前たちを待った”と。お前たちは最近になって初めてオレと会ったのかもしれないが、――オレはもう、お前たちと出会ってる。二百二十四年前、悪夢の街で。……喋りすぎたか。その日、オレはお前たちと出会うのさ。これからな」
 リボンは不可思議な笑みを二人に見せた。
「……オレには過去。デュレとセレスにはこれから起こる未来だよな」
「あまり、難しいことをセレスの前で言わない方がいいかも……」
 デュレがセレスの方を指さした。視線をその方向に向けると、セレスが頭を抱えてうずくまっていた。体を動かすことは得意でも、頭をフル回転で働かせることはどうも苦手のようだった。
「もうダメ。あたし、訳判んない」
「判らなくても困らないさ。これから“それ”を体験してくるんだ。イヤでも判る。さてね、宵っ張りもいい加減にして、寝るか? 出発するのは今朝だ。今は休んでおけ。あとで辛くなる……」
「うん、そうする」よほど頭を使いすぎて眠くなっていたのかセレスは珍しく素直に従った。
「じゃあ、お部屋に案内するから、ついてきて」ジーゼが三人を促した。
「ちぇっ。折角、お飲物も用意したのにだぁ〜れも口付けてくれないんだもん、つまんない。――その代わり、朝食は食べ残したら許さないんだからねっ!」
 カウンターの向こう側でクリルカがふて腐れていた。
「あ、わたしはその、お風呂かシャワーか何かを貸していただけたら……」
「はいっ! クリルカが案内する〜。じゃ、デュレはこっちね」
 クリルカは相手をしてもらう丁度いい相手を見つけたとばかりに手を伸ばした。デュレはにこりと微笑むとカウンターを挟んでクリルカの手を取った。そのままカウンターを通り抜けて、クリルカはデュレをお風呂場に引っ張っていき、セレスとウィズはジーゼについて今宵一夜の宿に案内されていった。
「最後の夜か……。あたしにこんな日が来るなんて考えたこともなかったな……」
 セレスはベッドに座って足を床に向かって放り出していた。最後の夜。そんなのは今までに幾度となくフツーに過ごしてきたはずだった。学生寮での最後の夜。どこぞへのトレジャーハントでの夜。けど、今回は違っていた。セレス自身、どこが違っているか判らないくらいに。その僅かな差が自分を感傷的にさせているのを感じていた。最後の夜の後には始まりの朝が控えているのに。
「あ〜。もっとオイシいものとか食べておけばよかった」
「――発想が貧困ですよ。食いしん坊さん♪」お風呂をかりに行っていたデュレがちょうど戻ってきた。「セレスもさっぱりしてきたらどうですか? 向こうに行ったらどうなるか判らないし」
「そだね。ちょっと行って来るわ。クリルカに聞けば判るんでしょ?」
 と、デュレを贈ってここまで一緒に来たらしいクリルカがひょっと顔をのぞかせた。
「セレスなんかに教えてあげないもんね〜っだ」と言ってすぐに首を引っ込めた。
「! 何だと、このくそガキ」
「へへぇ〜んだっ。悔しかったら、ここまでおいで〜!」挑発の声が遠くから聞こえた。
「ほぉ! あたしに挑戦とはいい度胸してるわ、あのガキ。……じゃ、あとよろしくね、デュレ」
 手をひらひらさせて出ていくセレスをデュレは髪をくしでとかしながら見送った。
「待てっ! このくそガキっ!」セレスが盛大な足音をたてて走り去っていく。
「……どっちがガキだか――、もう」
 デュレはゆっくりとベッドに腰を下ろし、部屋の隅っこで丸くなってるリボンに声をかけた。
「ねぇ、リボンちゃん。一つだけ聞いてもいいですか?」低い声色で、瞳は床を見詰めていた。
 その問いかけにリボンは声を発することなく、うっそりと首だけをデュレに向けて片目を開いた。けど、デュレは微かに変わったリボンの空気を“肯定”ととらえて言葉をつないだ。
「……サスケ――って、リボンちゃんの……シ……」デュレは少しためらった。
「――シルエットスキルな」リボンは両目をカッと見開いてデュレに歩み寄った。別段、隠すほどのことでもないらしくあっけらかんとしていた。「見破ったのはお前が初めてだ。なかなか鋭い観察眼を持ってるじゃないか」
「だって、フェンリルがこんな狭い範囲に二頭もいるはずがないんです。仮にそうだったとしても……限りなく不自然。そして、あなたたちは似すぎている。毛並み、目の色、耳の形、何でもいいけど、身体的特徴もそっくり瓜二つです。それに何よりも……考え方、瞳の決意を秘めた煌めきまで何もかも同じ。でも確信が持てなくてちょっと自信がなかったんですけどね」
「ははっ! そこまで判ってれば上出来だ。そう」リボンは瞳を閉じた。「サスケはオレのシルエットスキルだ。久須那がまだ“絵”になる前のことだ」
「そんな……そんなこと、不可能です。千五百年以上も意志を持ち居続けるなんて」
「ちょっと違うな。やつは意志を持ち、自分で動くが、存在し続けてる訳じゃない。結局は久須那のと同じなのさ。いたりいなかったり。オレの意志でな。だから……今、サスケはどこにいる?」
 リボンは勝ち誇ったかのように笑みを浮かべ、横目でデュレを見やった。
「言われたら、ずっと姿を見ていませんね」
「やつはオレで。オレはやつなのさ。極めたら便利だぞ。帰ってきたらデュレも試してみるか」
「ふふ、覚えておいても損はなさそうですよね。セレスをとっちめるのに役に立ちそう♪」
「あ〜? 誰が何だって?」
 そこへ絶妙のタイミングでセレスが帰ってきた。バスタオルで濡れた髪をくしゃくしゃっと拭いて、ついでに入り口のところに置いてあったゴミ入れを思いっきり蹴飛ばしていた。
「うあ! いった〜い。小指! 小指がっ! 〜〜」
「なぁ〜にをやってるんだか、この娘ったら。さ、おねんねの時間ですよ。明日はきちんと起きてくださいよ。起きなかったら、そうですねぇ……そのままあけない夜というのはどうですか?」
 にっこりと微笑みながらデュレはいい、その一言にセレスは縮み上がっていた。
「そ〜言えば、クリルカとの追い掛けっこはどうなってんですか?」
「うん? 嫌なことを聞くよね、キミも……。バンシーボイスでけちょんけちょんよ、あたしが。迂闊にチョッカイ出さない方がいいよ。デュレも――」
 少々のおバカさ加減を含んだデュレとセレスの最後の夜が更けていった。